若狭の佐伯物語 義鑑公と五十鈴姫 その①はい、琵琶を生業としておりまして、名を若狭と申します。姓はございませんで。どうぞお見知りおきを――。
えぇ、こちらで何か、みなさまのお気が晴れるような語りをと承りまして。何をお聞かせしたものかと迷いましたが、そのお庭に見える椿の美しいこと。
ならば今宵は、椿の苗木とともに嫁がれた、ある姫君のお話をお聞かせしとうございます。
この姫の名を五十鈴姫と申しまして、豊後佐伯氏当主佐伯惟治公の三女でございます。見目麗しくも物言いはさっぱりとして、鈴、鈴姫と呼ばれ愛されておりました。
この鈴姫を側室に迎え入れましたのは豊後国大友氏当主大友義鑑公で。大友といえば広く知られた御大名、将軍家との関係も近しい名家の当主でございました。
義鑑公、それはそれは広く美しい館にお住まいで、鈴姫を娶られました時分には、正室こそお亡くなりになられておりましたものの継室があり、側室もおふたり。お子はといえば上から五郎様、塩乙丸様、塩市丸様と続きましてみなで九人。御年は四十五と姫とは三十も離れておりまして。このご縁に、五十鈴姫の心中はいかばかりであったことか。あぁ、聞いてみましょう。この琵琶の音に誘われて、ほら、人々のさんざめく声が――。
五十鈴姫の側室入りから遡ること二年。豊後佐伯氏居館――。
この年五十となる佐伯惟治公は自室にて机の上に肘をつき、片手で頬を抑えながら眉間にしわを寄せている。机上には文が一通、開かれたままに置かれ、そこには墨痕鮮やかに流暢な文字。
「父上、失礼いたます」と、そこに入ってきたのは嫡男の惟代である。二十六歳、惟治の跡を継いで当主となり五年。幼い頃より落ち着いた性分で、立ち居振る舞いには人を安心させる優美な穏やかさがあった。今この時も、惟治の前に座するまでの動きは雅やかで惟治を感心させる。
「忙しいところすまぬ」と詫びると「いえ、いかがされましたか」と惟代が問いかけたので、惟治は文を手に取り軽く振った。
「文が来てな、大殿からじゃ」
「義鑑殿からでございますか?」と面を上げたのは、佐伯にかかることであれば現当主の惟代に来るはずのところ、惟治宛なのが気にかかったと見える。
「側室に寄こせと」と惟治。
「またでございますか?」と惟代は、気の抜けたような声を上げた。
『椿咲く。忘れた頃に咳の流行りと大殿の文』
佐伯では時にそんな戯れ歌が交わされる。椿咲く晩秋ともなれば、しばし忘れていた咳や瘧もまた流行ろう。同じく、ほとぼり冷めたと忘れた頃に、大殿こと大友義鑑からの文が届くものなのだと。
主君である義鑑公からの文がなぜそのような戯言にされるのか。ひとえに、文の内容にある。
惟代がまだ千代鶴と呼ばれていた幼い頃から、義鑑は惟治の側室である八重に執着を見せ、自分の側室として迎え入れたい意向を度々伝えてきたのだ。
初めこそ惟治は怒り、八重は泣き、正室までもが口を出す大騒ぎで、佐伯は揺れに揺れてこの申し出を断固として断った。一戦を交える覚悟さえ決めての断りであったが、義鑑から意趣返しをされることもなく、騒ぎは佐伯の肩透かしで終わった。
ほどなく八重は男子を産み、その子は五百亀(いおき)と名付けられ、翌年には女子が生まれてこちらは五十鈴と名付けられた。これで収まるかと思いきや、それからも一、二年に一度来る義鑑からの申し出は、流感のような季節性の迷惑であると受け流されるようになった。
義鑑から八重を寄こせと文が来る度に、惟治が断りの文をしたため、それを佐伯で捕れた魚やその干物、塩とともに送り返すのが通例であった。
終いに重臣たちも「また大殿の便りじゃ」「甘鯛の季節じゃからな」「大殿も佐伯の美味が恋しゅうなったか」と笑い、当の八重さえもが笑い出すなか、惟治が大友への返信をしたためるのが常であったが。
それとて、最後は何年前のことか。この二年はなかったはず、と惟代は記憶をたどる。
「八重殿もすでに三十五、佐伯に来て二十年と長うございます」
いまさら、何を酔狂なと、惟代の声から気が抜ける。
「儂もそう思ったが。今度は鈴じゃ」
「鈴を?」
「八重への執着が、娘に移ったわ」と惟治は目を瞑り、鼻根を揉んだ。
「そんな」と慌てたように惟代が文へと手を伸ばす。
「すでに儂の室であった八重への話は、まぁ断るにも理があった。しかし、鈴となると。佐伯と大友の話になるの」
「それであれば父上ではなく、現当主の私に話があって然るべきです」と、手にした文に目を走らせる。
「儂への嫌がらせであろう、そういうお方じゃ」と惟治が呟く。義鑑が長く惟治に嫉妬めいた感情を抱いているのは周知であった。年は惟治が七つ上。主君こそ大友だが、人望、評価もろもろ、おおよそ徳と名の付くものはすべて義鑑よりも惟治のほうが優っていた。そのうえ、佐伯氏は古より海部の一大領主であり、同時に独立性を保つために大友との縁組を頑なに拒み続けた一族でもあった。臣下とはいえ、義鑑にとって惟治は常に意識せざるを得ない相手であったのだろう。そのあたりの事情を理解していながらも、惟代には義鑑の言動が理解できない。
「先日、府内へ参った際には何もおっしゃっていなかったのに」と困惑している。
「どうする?」と惟治が尋ねる。
「どうするも・・・・・・、佐伯にとって利のある話とは思えません」と惟代は答えた。
義鑑にはすでに男子が四人いる。これから五十鈴が嫁ぎ、男子を産んだとて世継ぎとなる見込みは薄い。
それであれば、どこか他の家に正室なり継室なりで嫁がせたほうがよいと思えます、惟代は思うところをそう述べた。
「まったくの同感じゃ」と惟治。
「では、この話は断りましょう」
「うむ。だが、一応、本人にも伝えておくか。当主の娘である以上、この手の話が出ることもあると知っておいたほうが良い」
「はい」
確かに、平時であれば断れる話も、情勢が変わればわからない。鈴も十三、嫁いだとておかしくはない。この機会に、己の置かれた立場を理解するのも良いのかもしれぬ。
「どこか良いところへ、無事に縁組させてやりたいものです」と惟代は腹違いの妹への優しさを見せた。
「鈴は幸せ者じゃのぅ」と惟治は眦を下げ、五十鈴を呼ぶよう控えの者へ声をかけた。
惟治と惟代に呼ばれ、話を聞かされた五十鈴は口元をきゅっと引き結んだ。
「そう難しい顔をするな。大殿には儂から返信しておく」と惟治。
「私から返信したほうが良いのでは。仮にも室にと呼ばれたわけですし」
「うん? なら二通返すか?」と惟治と惟代が話すところに。
「父上、兄上」と五十鈴が凛と声を上げた。
「なんじゃ」と惟治。五十鈴への話は終わっていた。
「鈴は、鈴はこのお話、受けとうございます!」とそこへ五十鈴が食い下がる。
「鈴、おぬし、話を聞いておったか?」と惟治が娘に問いかける。
「さして良い条件ではないと、千代鶴も言うたであろう」と、惟代を幼名で呼ぶあたり、微かな動揺であろうか。そこに惟代が割って入る。
「父上、鈴はよく理解できていないのでしょう。鈴、焦ることはない。良い時期に、兄が正室としての縁を探してこよう」
「いえ! 兄上!」と、そこで一層、五十鈴が声を張り上げる。
「大友といえば佐伯の主君。佐伯はいままで大友との縁をかたくなに拒んで来て、それゆえ関係が悪しくなったこともあった、そう聞いておりまする」
惟治と惟代はその剣幕に驚いたが、立ち直るのは父のほうが早かった。
「確かに以前は揉めたこともあったが、今は落ち着いておる」と宥める惟治に、
「鈴が室に入ることで、佐伯はより安定し、なお栄えることもできましょう?」となおも五十鈴が言い募る。
これは――、と惟治と惟代はいいかけた言葉を飲み込んだ。これ以上、何を言っても説得はできまい。五十鈴なりに家を思っての言葉である。素直な性分とわかってはいたものの、まさかここで強情を張られるとは思いもしない。年頃とはいえ、まだ十三歳。海、山の豊かな恵みを受けた豊かな土地で、何不自由なく愛されて育ったこの娘に、世間の厳しさなどわかるはずもない。
大友に室として入れば苦労するのは目に見えている。義鑑に才がないわけではない。だが、性格に難あり。そもそも、家臣の側室に二十年近くも執着するような大人気のない男である。
「奥から、静寂から言ってきかせるか」
意志固い五十鈴を下がらせた後、惟治は頭をかきながら、惟代の生母である正室の名を出した。
五十鈴は惟治の側室、八重の娘であるが、物心ついて以来、行儀指導は静寂が行っていた。
「八重殿にはできなんだゆえ」とは静寂の言い分。何年も前に、まだ年若い八重が佐伯に側室として迎え入れられた時分に、静寂は親切心から領主の妻としての礼儀作法を教えようとしたのだが、八重は堅苦しい作法に馴染まず、惟治もそのままの八重を良しとしたため、静寂もいつの間にか教えるのを止めてしまった。八重に娘が生まれると、今度こそはと五十鈴に細かく作法を教え込み、こちらの関係はうまくいっているように見えた。
だがしかし。
「良いではないか」と静寂は眉ひとつ動かさずにそう言いのけた。
「あの、母上? 話を聞かれておりましたか?」と惟代が問う。
「聞いておるわ。五十鈴もおとなになったのぅ。佐伯の家のためとな」と静寂は口元を綻ばせる。
「あの、家のためならここで大友の室ではなく、条件の良い正室・・・・・・」と惟代は言いながらも、母には理解できないのかもしれぬ、と今さらに気づく。守られながら生きてきたのは、五十鈴だけではない。年を経てはいるが、この母とても佐伯という豊かな家のなかで、外に触れることもなく年を重ねてきたのだ。だが、当人はそんなことに思い至らぬ。
「佐伯はいままで大友との縁をかたくなに拒み、それゆえ関係が悪しくなったこともあったであろう。五十鈴が室に入ることで佐伯は安定し」と静寂。黙って聞いていた惟治がそこで口を挟んだ。
「惟代、よい。静寂、そなたの意見はわかった。尊重しよう」
「当然じゃ」と静寂。
「母上、これが五十鈴ではなく、姉上たちだったとしても同じ決断をされましたでしょうか?」と、惟代は彼にしては珍しく食い下がった。
静寂には惟代の上に女子がふたりいた。ひとりは佐伯氏内で室となり、もうひとりは生後間もなく亡くなっていた。静寂は鼻をふんと鳴らすと「母は、五十鈴を他人の子と思ったことはない」と答えた。
それは偽りない言葉なのだろうが、静寂にも五十鈴にも、実際に大友へ入った後のことなど想像もできないのだろう。惟治と惟代は廊下を歩きながら、ふぅと長く息をついた。
「惟代、返事は儂が出そう。五十鈴はその気だが、まだ躾も済んでおらんゆえ、再考を促すとな」
「父上、ありがとうございます。惟代は伝手を頼り、大殿の様子を教えてもらいます」
惟代の柔らかな物腰は誰からも好かれ、大友館で働く義鑑の家臣たちの中にも懇意にする者があった。文からは伝わらぬ、大殿の今のお気持ちを、温度を知りたいと惟代は思った。
結果は拍子抜けするものであった。これも、どうやら義鑑おなじみの悪ふざけであったようだ。
惟代が大友館に勤める知人から受け取った文には「義鑑公には目下寵愛している側室がいる。義鑑公に似て気性の激しい女性ゆえ、五十鈴殿が色よい返事をしたところで話がまとまるようなことはないでしょう」とあった。
惟代はすっかり安堵し、足取りも軽く父のもとへと向かった。
「だそうです。きっと、大殿はいまだに御父上を意識されておるのでしょう。いっそ、父上が府内に行けば喜ばれましょう」と軽口を叩いた。
「それはよい。いざとなったら父が打掛け姿で行こうかの」と惟治も笑顔で応じた。
収まらないのは五十鈴であった。大友の室になれなかった悔しさからではなく、父兄が子ども扱いをするのが気に食わないのだ。
「父上も兄上も、暢気すぎます!」と頬を膨らます、その顔はまるで小リスのようであった。
義鑑からは惟治にあて、想定通り断りの文が届いた。
『大事な姫君を室に迎えるにあたり、万一にも障りがあってはならぬので改めて占わせたところ時節が芳しくないため見送りたく候』とあるのを、便利な方位じゃのぅと皆で笑った。
惟治への文とともに、いかにも女子供の喜びそうな細々とした物――簪やら組紐やらがたくさん、それから五十鈴本人に宛てた、縁のないことを詫びる短い文も同梱されていた。
義鑑からの、この気遣いは五十鈴の不機嫌を和らげた。
「大殿は文字も美しいのですね」と文に見入る五十鈴に「代筆であろう」と惟治が混ぜ返し機嫌を損ねたものだから、それから軽く二日ほど、父娘の会話はなかったそうな。