指輪『俺、枯れない花って好きじゃないんです』
『花も人も、いつか終わりがくるから美しい』
オリヴァーの言葉が何度も脳内で再生される。そしてその言葉で想うのはこの世の誰よりも気高く美しく護りたい存在、主君のカシムだ。自分自身が傷を負うより自分が愛する人が傷つくことのほうが胸が苦しい。
カシム様はどう思われているのだろうか。
自室に戻る最中もカシムはいつもと変わらず先陣を切り、余裕ありげに歩を進める。
主に仕えてもう長いというのにザイードはこういった状況のカシムの気持ちを汲み取ることが難しい。ポーカーフェイスな彼の後ろ姿を見ながら、傷ついていないでほしいと願っていた。
「どうぞ、カシム様」
ザイードが扉を開くとカシムは無言のままベッドへダイブする。たくさんの装飾品たちがぞんざいに扱われたことへ腹を立て一斉に音を鳴らしたが、その声はすぐにシーツに埋もれてしまった。その間もカシムは何も言わず枕に顔を突っ伏したままだ。
「……カシム様、」
驚きながらも主君に駆け寄り、顔を覗こうと耳に掛かった髪に触れるとその袖口を引っ張られる。
「来い」
小さな声だろうがその命令は絶対で、ザイードは戸惑いながらもベッドの端に腰掛ける。そこでようやくザイードは気づく。カシムがあの言葉に心が不安定になっていることを。
従者失格だな。
そして酷く自分を責めた。
傷つかないでほしいと願ったことに。
従者なら、傷つく前に愛する主君を護るべきであり、もし傷ついたのなら真っ先に言葉をかけるべきであったのだ。
「カシム様、申し訳ございません」
「何がだ」
「貴方を悲しませてしまったことへの謝罪です」
「…………傷ついてなどない」
そうは言うもののやはり顔を見せてくれないので、戸惑いながらも自分も隣に横になる。寝転んでからもう一度名前呼び髪に触れるとカシムはようやくこちらを向く。
「お前が死んだら蘇らせてほしいか、それとも俺と冥婚としようか?」
「カシム様が望むようになさって下さい。私は貴方のものですから」
ザイードの答えがあまり面白くなかったのかカシムは不服そうに目を細め「つまらん」と吐き捨てた。そんな彼を見ながらザイード今度は頬を包むように触れる。
「カシム様、貴方は美しいです。今までも、これから先も。それは命が永遠だからではなく、貴方が今生きていることが美しいんです」
その言葉をどこか他人事のように聴くカシム。彼にとって言葉とは確証がなくあやふやで信用が低いものだ。
「お前まで世辞を言うのはやめろ」
「本心です」
「じゃあ俺と今ここで結婚しろ」
そう言ってすっと差し出された左手の意味をザイードは理解出来なかった。ベッドに寝転びもう数センチで唇が触れそうなほど、この駆け足の鼓動も聞こえてしまいそうな距離。寮の一室で、二人きりの空間で今度はカシムがザイードを見つめ返す。ここで引いてはいけないと本能で感じた。今、離してしまったらもう取り戻せない。
考えるや否やザイードは失礼しますと一言かけてカシムの左手の薬指の根元を噛む。優しく、少しだけ強く、加減をし、自分の跡をつけた。驚いてベッドから落ちそうになるカシムを素早く自分の胸に抱き寄せた。
「指輪のつもりか?」
「……痛かったですよね。出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません」
ここでやっとザイードは差し出された左手は誓いの口付けだったのかもしれないと我に返る。もしかしたら自分は重大なミスをしてしまったのではないだろうか。徐々に不安が大きくなり、やっぱり消毒をと声をかけようとすると「いい」と制された。
「このままがいい」
ぽつりと呟いたカシムはザイードの胸のなかで薬指の跡を見る。すぐに消えそうだが愛する従者の歯型がくっきり残っており、それまでもが愛おしく思えた。
「俺だけじゃ誓いにはならんだろう。お前を手を出せ」
そしてカシムも同じように噛み跡を付けると互いの手のひらを重ねてみせる。
「…………おなじだな、」
いつかこの指輪は消えることを二人は知っている。呪術でもなければ錬金術でもないこれはなんの意味も持たない。教会ではなく狭い部屋のベッドの上、神父もいなければ見届ける者もいないのだ。
「誰かに認めてもらわなくたって、ずっと貴方を愛し続けます。こんな私を信じてもらえますか、カシム様」
「ああ、」
それでも曖昧なものに縋って立てた二人の誓いは、二人のなかだけで残っていればいい。他の誰からも見えなくても互いが見えていればそれだけでいい。
「ずっと、永遠に、俺の傍にいろ」
他人が聞くと呪いの言葉も本人たちからしたら愛の言葉だったりするのだから。