圭藤ほーら葵ちゃん、機嫌直してチューしてあげるから。
なんてぶん殴られるの大前提でウインクかましてみたけれど、意外にもお相手はおとなしかった。右まぶたをひくひく揺らしながら、え、怒らないの?、小首を傾げてみたけれど、君はあっけらかんとしたものだ。
「いや、別に怒るほどのことじゃねえし……。それよりほら、チューしろよチュー」
「えっいいの?」
「えっいいよ」
わあい!と大げさに喜びながら君に飛びつく。こういうのはちょっとでもためらうとムショーに恥ずかしくなっちゃうんだって、実体験で学びました。
ちゅうっとほっぺたに顔を寄せる。シャンプーかな、柔軟剤かな、葵ちゃんちのにおいがする。
「ん?ん、ん?」
へらへら顔を上げてみれば、俺とは真逆の顔をした君がいた。眉をしかめて、口をへの字にして、どんなアホだって気がつくくらいぶすっとした顔の君。
「なんでそこなんだよ、目ェ閉じてた俺がバカみてえだろ」
ふいっと視線を逸らしながら抗議されてはダメだった。照れてますと、むくれてますを混ぜこぜにしたような表情が、まったく心臓に悪くてしかたない。
ぐうう、と左胸をキツく掴む。
心が君へと駆け出してゆく。
「葵っ、ちゃんがそういうなら、今回は特別もう一回オッケーですけど?」
「なんだよ、一回でいいのかよ要は」
上手には全然立てないね。
うぐ、と再び言葉を詰まらせる。
葵ちゃんは、まっすぐ俺を見てはにかんでた。
***
妙に弱い自覚はあった。
コロコロ変わるその表情がフッと雲にでも隠れたようなとき、休み時間のたびに呼ばれる名前が聞こえなかったとき、つなげばすぐに握り返してくれる手のひらがうっすらと冷たかったとき。
藤堂葵は、そわそわと早口になってしまう。
背中をわさわさまさぐられているような不快感を取り除きたくて、やたらと頭を撫でたり、菓子パンのたぐいを渡してみたり、明後日の方向からむりやり褒めてみたり、ありとあらゆる手を尽くしてしまう。
「要、ほらむくれてんなって。チューしてやるから、チュー」
今日もそうだ。
放っておけば一時間後には勝手に立ち直っていそうな軽い言い合いなのに、なぜか俺は焦ってる。ぶう、と頬をふくらませて、ガキのようにそっぽを向く彼の気を引きたくて引きたくてしかたない。
「……ほんとにぃ〜?」
あ、こっち見た。
「ほ、んとだってほんとほんと」
「ウソついてどうすんだよ、な」
「ほら、どこがいんだよ。言ってみろよ」
矢継ぎ早に言葉をつなぐと、ぶは、と要が吹き出した。
十秒前までのまんまるほっぺはどこへやら、やたらとニコニコこちらへ向き直る。「葵ちゃんってさあ、すんごく優しいよねえ、」、十秒前までのツンツンムードはどこへやら、やたらとへらへらこちらへ笑いかける。
妙に弱い自覚はあった。
コロコロ変わるその表情がフッと虹がかかるように輝くとき、休み時間のたびに呼ばれる名前がぴょこぴょことはしゃいで聞こえたとき、つなげばすぐに握り返してくれる手のひらがぶうんと大きく振り回されたとき。
藤堂葵は、むにゃむにゃと唇を噛んでしまう。
「あたりめーだろ。今気づいたのかよ」
「ふふ、ねえ葵ちゃんチューして、チュー」
「現金だなお前……」
それでも、意気揚々と目を閉じて、両脚をブラブラ揺らす我が彼氏に悪い気はしないのもまた事実。
はいはい、と返事だけはめんどうくさそうに取り繕いながら、ごきげんな彼に覆い被さる。