次は永遠に来ない◆ヴァイゼを黄金にしてから1ヶ月後
●北部高原ヴァイゼ地方
分厚い雲が頭上を覆い、月も星も隠れている。黄金に囲まれていても光がなければ反射一つ出来ない。完全な闇に包まれていた。
それでも魔力探知でこの街の些細は全て把握できる。一人、かつて石畳であった道を明かりもなく歩いた。
ある日の夜を顧みる。グリュックと馬車の中から見た街並みは、無骨な造りの建物や石畳をガス灯が橙色に照らし、薄暗くも先を見通せた。
あの景色も、グリュックが馬車の暇つぶしに話した他愛無い会話も、その時の自分の感情だって、鮮明に思い出せる。彼とのひとときは、一瞬であってもマハトにとってかけがえのないものだとあの時感じていたし、それは今も同じだ。
それだけに、更なる感情の訪れがない事には失望するばかりだった。右手を持ち上げる。グリュックに万物を黄金に変える魔法をかけた時から何度も眺めた。
支配の石環は、何一つ変わらず腕に嵌ったままだった。
何が不足していたのか、わからない。
虚空を見上げる。
認めたくなかったが、失敗だった。
その事がこんなにも気分を憂鬱にさせているのだと、マハトは考えていた。胸の中の空虚。こんなものを求めていた訳じゃない。
だが、収穫が無かった訳ではない。
あの時何かが掴めるような気がした。
方法は間違っていないはずだ。同じように何度か繰り返せば、きっとその分答えに近付けるだろう。不足しているものは、これから何度も試せば分かるはずだ。
億劫だが、面倒な奴らが来る前にヴァイゼを去ろう。そして、次に活かす。グリュックとの三十年は、マハトに人類の風習と思考方法を教えてくれた。
幸い、人間は魔王様が討たれてから数を増やしている。何度でもやり直せる。
何度も通った、マハトにとっては灯りも不要な道を真っ直ぐ進む。城門を潜り、マハトは黄金郷となったヴァイゼを去った。
◆ヴァイゼを黄金にしてから3ヶ月後
●北部高原××地方
ヴァイゼ近郊ではやりずらい。マハトは帝国とは反対の方向へ移動した。
もちろんヴァイゼから離れる道すがら、何人かの人間を見つけたし、その都度友好的な姿を見せた。しかし、対話を行える者はいなかった。皆一目散に逃げようとするか戦闘を始めるばかりだ。仕方なく動けなくしてから対話を試みたが、知りたい事を教えてくれそうな奴はいない。
少々困るなと思う傍ら、やはりグリュックは変わっていたなと思い出して、少し笑った。
アプローチの仕方を考える必要がある、そう思っていた矢先、複数の魔物に襲われる旅人を見つけた。旅人といっても小娘で、仲間は既に死体になってその辺に転がっている。彼女は呆然と座り込んで自分を襲う魔物の一撃を見ていた。
背に庇って魔物を真っ二つに切り捨てる。どしゃりと重量そのまま崩れ落ちた肉片が跳ねるが、それがマハトを汚す事もない。魔物の残骸が粒子になるのを見届けるより先に、他の魔物へ目線を向ける。マハトの魔力に尻尾を巻いて逃げるもの、意地汚く近場の死体を喰らおうとするもの、こちらに襲いかかるものと様々だったが、手近なものから全て切り伏せていった。
淡々とした作業が終わると、生きているのは自分と旅人だけになった。チラリと目線をやると、蒼白な顔のままこちらを見ている。
「大した怪我は無さそうだな。」
「…」
呆然としていた表情に恐怖が混じる。これでは対話が望めないかもしれない。
こういう時は、どんな行動が有効だったかと思い返す。
少々の沈黙の後、離れた所に落ちている死体に目をとめた。切り伏せた魔物に喰われて、身体の半分は失われている。マハトはその人間の亡骸を、でかくて粒子化に時間のかかる魔物の口から引きずり出した。
「ひ、」
小さい悲鳴が聞こえたが、構わずその死体を丁寧に地面に下ろし、ひしゃげた顔の泥をそっと拭った。開いた瞼を指の腹で下ろし、髪の乱れを軽く整えてやる。失われた部分には、残っていたマントをかけた。
数体あった全てをそうやって揃えて並べ終わる頃には、旅人はマハトとの距離など気にも留めずに死体の一つに縋って泣いていた。
「兄さん…兄さん………」
泥はざっと払ってやったとはいえ、死体の血は拭いきれない。べったりつくのも構わずその死体の肩や頬に縋る小娘に、「汚れがつくと魔物が寄ってくるぞ。」等と言わない方がいいのは、経験上知っていた。
どのくらい経ったのか、泣き声がおさまったので静かに声をかける。
「彼らを弔うのなら、早い方がいい。手伝おう。余計な世話だというなら、控えるが。」
「…どうして、」
「そうすべきだと俺は知っている。俺にも、人間の友人がいた。老いて、亡くなってしまったが。」
座って動かない人間と少し距離を空けて話す。嘘は言っていない。彼女は恐怖を浮かべつつも、それでも一人ではどうにも出来ないことが分かっているのだろう。マハトに手伝いを頼んできた。
魔法で土を掘り返し、その中に丁寧に横たえる。土を被せる際に「まって、」と声がかかり要求どおりに止まると、小娘は『兄さん』の首からネックレスをそっと抜き取り、胸に押し付けた。「…大丈夫」そう続きを促され、全てに土をかけて上に大きな石を載せる。
ひと通りの作業を全て終わらせる頃には、彼女はしっかりとマハトを見据えるようになっていた。そこには恐怖以外の感情も見てとれた。
「お前は旅をしているようだが、ここから人里に出るにはかなり距離がある。無事に辿り着きたいなら、俺がお前を守って行ってもいい。どうする?」
彼女は涙の溢れて赤くなった目をゆらめかせた。魔族の言葉に揺れている。思案の末に出てきた言葉は、とても人間らしいものだった。
「貴方に、何の得があるの」
「ひとつ条件がある。」
そう言っただけで一気に張り詰めた気配がした。それには触れずに続ける。
「友を失ったと言っただろう。彼を失ってから、ずっと、誰とも話していない。当然かもしれないが、孤独なものだ。」
孤独は人間には辛いものだと聞いている。彼女は黙って聞いていた。
「誰かと話して悲しみを紛らわしたい、というと俺は酷い奴なのかもしれないな。」
そう言ってわずかに微笑むと、彼女は目に見えて動揺した。
「目的地に着くまででいい。話し相手が欲しい。」
微笑みのまま眉を下げる。これまでの交流で、この顔が有効なのは知っていた。
彼女の返事は聞く前からわかっていた。北部高原の魔物のうろつく、進むだけでも厳しい山中、明らかに自分より強い魔族は、何故か人間を攻撃しない。
実情も、感情も、マハトを拒める要素は何一つ残っていなかった。
ファーレンという女は魔法使いだが、まだ未熟なようだった。俺の事は七崩賢と知らない様子で、都合もいい。転がっていた死体には熟練の戦士や魔法使いもいた。生きていたら少し面倒だっただろう。
『兄さん』の首にかかっていたネックレスには、残り滓だが魔力が篭っていた。魔法使いだったのだろう。彼女は『兄さん』に師事していたのかも知れない。少しデンケン様の事を思い出す。
彼女のパーティーメンバーだったあの死体は、適当に埋めたから今頃魔物が掘り返して喰っている頃だろう。それともマハトの魔力の残り香に怯え、暫く近付かないだろうか。どうでもよかった。『丁寧に埋める』という動作をファーレンに見せる事が重要だった。あれだけで交渉が上手くいくのだから、手間でも何でもない。
魔法使いとしては未熟だと感じたが、彼女は冒険者なりに旅慣れていた。自分の食糧の管理や野宿に関して、マハトの手を煩わせる事は無かった。眠る時は距離を保っていたが、それも日を追う事に縮んで行く。一月経つ頃には、人一人分開けた場所に彼女の方から寝袋を置くような距離になっていた。
道中話すことは、もっぱら亡くなった仲間と、マハトの友についてだった。
彼女は失ったパーティーの事をずっと考えていた。
「危険な旅だって分かってたはずなのに。まさか私一人になるなんて、一番想像もしてなかった。」
「強い仲間だったんだな。」
「うん。…なんで、私が残っちゃったんだろう。」
力なく呟く彼女に、マハトは内心、ヴァイゼを去ってから一番の歓喜を覚えていた。
彼女もまた、死んだ仲間に罪悪感を覚えている!
喜びを悟られてはいけない。努めて平静に、ヴァイゼで学んだように、慎重に問いを投げかける。
「…何故自分を責める?仲間は、お前が生き残るのを望んでいるんじゃないか?」
慎重に返した言葉があの日の少年への言葉とさして変わらなかったことに内心失敗を予感したが、彼女は良い方向に受け取ったようだった。
「…ありがとう。魔族に慰めてもらうなんて、おかしいね。でもさ、仲間がみんな居なくなったら、誰でもそう思うよ。特に、私は一番、弱かったんだ。皆はもっと強くて、立派で、人の役に立てて…そういう…仲間だったから…」
嗚咽が混じり聞き取りにくくなったが、要約すると“強く有用な奴が生き残るべき”と主張しているのか。成程、集団で戦う人間らしい考えと言えた。
もちろん魔族の集団戦でも強い奴を生かして次の戦いに投入した方がいい事位分かる。だが、それはあくまで人間対魔族という、つまらない枠での話だ。自分が生き残るより重要な事があると考える魔族はそれこそ変わり者だ。
彼女を慰める言葉をかける。
「俺からすると、お前が自分を責める理由は無いと思うが…。一人になって辛いというのは、分かる。」
「マハトは一人に慣れてるんじゃないの?」
「もちろん慣れている。だが、それとは別に、彼を失った喪失感は耐え難いものだ。」
グリュックの事を考える度、楽しかった事を思い出す。それだけに、失望も強かった。
「じゃあ、私たちは似たもの同士だね。」
「ああ。お前と共にいれば、俺にも分かるのかもしれない。」
「分かる?」
「そうだ。俺は人との共存を目指している。だから、もっと知りたい。お前の事も。」
◆ヴァイゼを黄金にしてから7ヶ月後
●北部高原××地方
ファーレンが自分との距離を縮めてきている。彼女はマハトの肩に頭を寄せてきた。そのままこちらを見上げるこの表情は、知っている。庇護を求める期待と不安。好意を抱かせることに成功したようだ。微笑んで髪を撫でると、ファーレンがそっと頭を預けてきた。
切り立った崖の上は見晴らしがよく、マハトの魔力を恐れてどんな魔物も寄り付かない。穏やかな夜だった。
「マハトは、変な魔族だね。」
「よく言われる。」
「貴方の友達に?」
「そうだな。彼も変わっていたから、丁度よかったのかもしれない。」
「ふうん。友達は、どの辺の人だったの?これから行く村の人?」
「いいや。もっと北の、小さい集落だ。」
「そっか。」
毎回ヴァイゼを側にある小さな集落に見立てて話すのは苦でもない。
ファーレンは微笑んだ。
「ねえ、私と、これから行く街で暮らさない?」
「いいかもしれないな。」
「マハトなら出来るよ。だって、優しい魔族だもの。そしたら、共存の夢、かなっちゃうね。」
「?どういう事だ?」
「だって、私と一緒にずっと街で暮らしたら、もうそれは共存でしょ!」
ファーレンが明るく笑顔を見せたが、マハトは首を捻るばかりだった。
「…それは違う。共存するには、人間の感情をもっとよく知る必要が、」
「マハトは真面目だね。人間同士でもさ、そんなに相手の心なんてわからないよ。安心して。分からない事は、一つずつ私が教えるから。」
『何が正義で何が悪かは、この私が教えてやる』奇しくもグリュックと同じような事を彼女は言った。
だが、何故だろう。何一つ、ぴんとこないのだ。もう少し詳しくマハトの望みを話すべきだろうか。
「“悪意”とは、“罪悪感”とは、どうすれば感じられると思う?」
「え、突然だね?んん…でもそれって、マハトはもう分かってるんじゃないの?」
「どういう事だ?」
「人を殺すのは罪悪感があるから、共存を目指してるんでしょ?」
「…」
どうやら彼女の思考回路は、自分とは大きく異なるようだ。
さわりと冷たい風が背を押すように吹き、自然と彼女の手を引いて立ち上がる。
そのまま、するりと前の方へ放り出す。彼女は抵抗する間も無く崖へ吸い込まれていった。
落とした彼女の表情を眺めたが、呆然とした表情のまま「にいさん」と口を動かしたように見えた。
数秒で人影は見えなくなり、魔力も探知出来なくなった。谷底は靄がかかり、全てを包んで隠したように地に着く音も聞こえてこなかった。
今回(ファーレン)の事を改めて考える。
彼女の考えはグリュックと比較し理解が難しかったように思う。共にいた時間が少ないからだろうかと思ったが、グリュックの時は分からずとも手応えを感じ、もっと楽しかった気がするのだ。
罪悪感については言うまでもなかった。自分からファーレンへの親しみが足りなかったのだろうと容易に推測できた。
何となく気まぐれで殺してしまった。だがまた次の人間を探せばいい。
◆ヴァイゼを黄金にしてから3年2ヶ月
⚫︎××地方
3人組の冒険者を魔物から助けてやり、着いていく交渉に成功した。
3日後、夜2人が逃げたので殺した。残りの1人は置いて行かれた事に怒りを見せていたので殺した事を伝えた所、喜ぶかと思ったが酷く取り乱して会話が難しくなった。残念だ。
◆ヴァイゼを黄金にしてから3年6ヶ月
⚫︎××地方××村
小さな村の子どもを獣から助けてやり懐かせる。毎日村の外れで会話をする。少年はグラーベンといい、デンケン様ほど賢くはないが、俺を信用している様子を見せる。
◆ヴァイゼを黄金にしてから4年
⚫︎××地方××村
村に戦士が来た為殺した。グラーベンから何故殺したのかと問われた。村人が総出で討伐に来た為、面倒になり黄金化した。
ヴァイゼを離れて以降、何度か人間と行動したが、いずれも短期間で終わってしまった。上手くいかないのはその人間との相性が悪い可能性があるかもしれない。失敗したいずれの人間もグリュック様と重なる部分が少なかった。やはり、上手くいく可能性のあったグリュック様に似た人間を選ぶ必要があるのかもしれない。グリュック様は出会った時既に40代だった。過ごせる時間が少ないのは惜しいが、人間は成熟している方が付き合いやすいのかもしれない。次は出来るだけ成熟した大人を探す。