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    いお⑦

    雑多です。書き散らし。

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    いお⑦

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    オルジェンです。
    よろしくお願いいたします🙏

    #オルジェン

    舞台を降りても共に圧巻のラストラン後、あっという間に年越しを終え、現在は1月末。引退したとて、今までこなしてきた学園での日課は、急に身体から抜くことは出来ず、早朝から軽く走り込みをしていた。誰もいないターフの上、白い息を吐きながら気持ちよく走った。頬を撫ぜる空気は痛く冷たいが、気分はこの上ないほど清々しく、気持ちの良い朝だと感じる。

    「……あら」
    「ジェンティル」

    コースを二周ほどして、休憩をしようと脇に置いてある一つのベンチに近寄ると、そこには珍客ーーーオルフェさんがいた。
    彼女は約一年前の有馬記念で既に引退し、レース界から身を引いている筈だが。様子を見るに、彼女もウマ娘の本能が抜けきれていないらしい。証拠に走る気満々とでも言いたげな態度で、学園指定のジャージを着ている。

    私の名前を呼び立ち上がったオルフェさんは、片手を腰に当て、もう片方の手を差し出す。よく分からないが、手を取れということだろうか。

    「手短にどうぞ」
    「余と併走せよ、ジェンティルドンナ」

    そう彼女に促すと、実にシンプルな内容が返ってきた。たまたま見つけた相手だからか否か、そんなことはどうだっていいが、未だに私を意識してくれている事実は大変光栄なことで、嬉しいことだと素直に思う。

    「ええ、喜んで」

    彼女が何故併走に誘ったか、真意は不明だ。けれど、丁度強い相手が欲しかったところだったため、断る理由などないと、私は迷わずその白くて華奢な手を取った。


    ーーーーーーー


    軽くウォーミングアップを済ませた後、ほぼ会話がないまま始まったオルフェさんとの併走は、これまでで一番平和だった。この数年間を思い返せば、このように相手の呼吸に合わせ走ることは、ほぼほぼ無かったと思う。その相手がオルフェーヴルともなれば尚更だ。彼女はよくフランスへ遠征に行っていたし、プライベートで顔を合わせることはあれど、どちらかが併走に誘い、肩を並べて走ることはしなかったと記憶していた。
    つまりは、今回が初めてということだ。

    「……体力は衰えてませんのね」
    「戯れを。余を誰だと思っている」
    「ふふ、これはこれは…失礼いたしましたわ」
    「……ふっ!」
    「ッーー!」

    クスクス笑う私が癪に触ったのか、突如オルフェさんがスパートをかけた。瞬間変わった彼女の息遣いとフォームに、行かせるかと半ば本能でターフを力一杯蹴り上げ、その背を追った。

    いつの間にか、併走が模擬レースへと変わる。さっきまでは無かった強い熱が、身体の奥底で燻り始め、オルフェさんの興奮からせり上がってきたような呼吸も、よく聞こえてきた。

    凡そ一年間のブランクがあれど、つい最近まで現役だった自分と競り合えるだなんて、流石オルフェーヴルというべきか。彼女の全てが、今この瞬間私だけにぶつけられていると感じ、本能が悦びを得始め、更に貪欲に追い求め始める。
    自然と漏れる狂気じみた笑いに、彼女が慄くことは一切なく、代わりに返ってきた喉奥で笑ったかのような笑い声が耳を擽った。

    ああ、楽しい!

    そう心の底から思った。
    そして、かのジャパンカップの時のように、そのままの勢いで二人並んでゴール板をきり、歩を弛めながら、私たちは横目で視線を交わす。
    朝日に照らされた彼女は、いつもよりは控えめに、キラキラと輝いていた。逆光の中、私を見つめる目は、飢えた猛獣そのものだったが。

    「ジェンティル」

    数刻前に呼ばれた時とは違い、何かを言いたげな声色に予感がして、息を呑む。瞬間、昂った興奮が緊張に変わる。そんな感覚がした。

    「は…脚を止め、一呼吸いれてから話すものではなくて?」
    「今、言いたい」
    「あら、我侭な王様ですこと。私は、腰を据えてお話がしたいのだけど?」
    「余から逃げるというのか」
    「はい…?何も話を聞かないとまでは言っていませんが」

    何を必死になっているのだろうか。彼女は。思わず語気強めに返してしまうが、彼女の様子はこちらを引き留めようと必死なようで。

    …しかし、きっと誘われた時にはこうなる予感はしていたのだ。一人、コースを走り、ふと視界の端に彼女の姿を捉えた時から、何かを言われるのだと。何かを伝えるために、わざわざ私の前に姿を現したのだと。そんな気はしていた。

    「貴様は余のことが好きであろう?」
    「…何故そう思うのかしら」

    確信があるかのような口振りで、そう口にした彼女は、視線を前へと戻し、緩やかに私の前を走る。呼吸を整えつつ、橙色の頭へ問いかけたが、直ぐには返事が返って来なかった。彼女がこちらに顔を見せないのは癪に障るが、おかげで今の自分の顔が見られないことは、幸いだったと言えるかもしれない。

    何故ならば、彼女の言葉は私にとって図星以外の何物でもなかったからだ。

    「…私がそうだからだ」
    「はい…?」

    スピードを緩め、ついに二人同時に脚を止めた。そして、ただ一点。変わらず彼女の背を見つめる。普段ならば、彼女の言動に動揺などしない私だが、初めて何も言えず困惑していた。彼女の言葉が、信じられなかったのは勿論のこと、都合のいいように解釈してしまっているのでは無いかと、強い理性が働いたからだ。何を口にしても、墓穴を掘る気がしてならなかった。そう考えてしまう程に、誤魔化しようがなかった。

    「ジェンティル」

    ゆっくりとこちらに振り返る彼女の瞳は、私を射止め、離さない。信じられないことだけれど、あのオルフェーヴルがほんの少しばかり照れていた。朝日では誤魔化せない紅が、彼女の頬を染めている。きっと私のも。だけれど、それでも彼女の瞳はメラメラと燃え盛る炎を絶やさず、そして余すことなく私に向けていた。
    それは、確信を得るには十分過ぎる熱量だった。

    「ジェンティルドンナ」
    「…!」

    そして、彼女は何も言えずにいる私の前に跪いた。有り得ない光景に息を呑む。あのオルフェーヴルが、私の前に跪いて手を取っている。かつてのジャパンカップですら見られなかった光景だ。私の物と似た色の勝負服が、彼女の金色の冠が、幻覚となって現れては霞む。ただ一点、彼女の瞳だけは今も昔も変わらず、真っ直ぐと私に向けられていた。

    「貴方…」
    「ジェンティルドンナ」
    「聞こえています」
    「余はーー私は、貴様のことを好いている」
    「それも、…たった今理解致しました」

    ふいに手の甲へ送られる音だけのキスに、心臓が波打ち体温が上がるのを感じた。貴婦人らしからぬ動悸に、気恥しさが増していき思わず目を逸らす。

    「答えを述べよ。ジェンティル」

    立ち上がったオルフェさんは絵に書いたような綺麗な笑みを浮かべ、私の手を引く。私の方が身長は少々高いが、それも誤差だというのか、力強く腰を引かれた。こちらの考えていることは、全てお見通しというワケだ。

    「私も…お慕いしておりますわ。オルフェさん」
    「…ふ」
    「こほん、これで宜しくて?」
    「否だ。この程度では、王たるこの余を満足させることは出来ぬ」
    「あら。では、どう致しましょうか」
    「そんなもの…」

    押されてばかりではいけないと、咳払いを一つ挟みわざとらしく笑ってみせると、オルフェさんが何かを言い淀んだ。その隙を狙って、私は腰に当てられた手を、これまた見せつけるように撫でて見せた。ピクっとオルフェさんの耳が動く。

    「ふふ、”そんなもの”?貴方には何か、私との確固たるビジョンがあるのかしら。私には到底想像もつきませんわ」
    「貴…ジェンティル」
    「何でしょう」
    「良いのだな」

    私の片手を取っていた彼女の手を掴み、自身の頬に添える。同時に腰に回された手に力が入った。

    「きっと、貴方が一番欲しい答えは得られましてよ?」
    「っ…!…ジェンティルドンナ」
    「はい」

    まだ人影一つないターフの上、朝日の差し込む早朝で、ここだけ真夏のように熱い。ドキドキと鼓動が早くなるのが分かる。彼女もきっとそうだ。今まで見たどの瞬間よりも、今のオルフェさんは可愛く、格好良かった。
    意を決したように口を開いた彼女の言葉に、私は耳を傾ける。

    「私の、伴侶になって欲しい」
    「…喜んで、オルフェーヴルさん」

    自然と近付いてきた顔を避けず、瞼を閉じて受け入れ、軽いキスを交わした。ここまで全てお膳立てされていたかのような自然な流れだ。
    それに、恋人ではなく「伴侶」だなんて。お互いまだ学生同士だというのに、大きく出たものだなと思う。断る理由は全くないのだけれど。

    「そういえば、いつもの命令形…では無いのね」
    「…ああ、本当だな」
    「え…無意識でしたの?」
    「意識はしていなかった。それより、ジェンティル。ーーまだやれるか」

    ギラギラとした消えようのない灯火。サラッと私の横髪を指先で梳いた彼女は、変わらず闘志をぶつけてくる。
    ならば、答えは一つしかない。

    「いつでも。距離の指定はお任せいたします」
    「良い。貴様に選ぶ権利をやる」
    「本当に良いのかしら?オルフェさんといえど、ブランクのある御仁に無理強いはさせたくないのですけれども」
    「ハッ、其れこそ笑止千万というもの。手加減は不要だ。余の背中を、その瞳に焼き付けてやろう」
    「ほほほ…そうですか。でしたら、芝2400m左回りで。宜しくて?」
    「…フン、悪くない。受けて立とう」
    「あら、受けて立つのは私の方でしてよ。勘違いなさらないで」
    「減らず口は塞ぐのみ」

    小休憩を挟んで、両者ともに並んで位置に着く。数刻前まであった、早朝にしては甘ったるい空気など何処へいったのか。二人の間には、バチバチとした敵意にすら感じる火花が飛び散っている。

    しかし、そんなものは恐れる必要などない。これは最早コミュニケーションの一種だ。私たちはウマ娘という生き物。全ての感情を言葉にしなくとも、この足で、呼吸で、確実に伝えられる。

    「これで、もっと私に惚れてしまいますわね。オルフェさん」

    隣を見てそう言えば、彼女は鼻で笑うだけで何も言わずに姿勢を整えた。私もそれに倣う。
    スタートの合図はコイントスだ。私が投げて、オルフェさんがキャッチした瞬間が合図。極めてオーソドックスなやり方だ。

    「準備はよろしくて?」
    「いつでも」

    緊張と高揚で既に胸が高鳴る。私は手に持ったコインを握り潰さぬよう配慮し、人差し指と親指にのせた。
    息を吸って、吐いて。
    そしてコインを思いっきり投じた。力の加減が上手くいき綺麗に飛んだコインは、空中でカーブを描き、オルフェさんの元へ落ちていく。それを視線で追った。脚に力が入り、息を吸い込んだ。


    ーーその時だった。

    「これ以上、私を惚れさせてどうする」


    ボソッと聞こえる程度に呟かれた言葉に、思わず耳を向けてしまった私は、オルフェさんの手中に収まったコインの音を、一瞬聞き逃してしまった。その後ハッキリと聞こえた、愉快そうな笑い声。

    「ッ……!」

    見事な出遅れを食らった私は、オルフェさんを追う形で駆け出した。

    「貴様が出遅れとは。一体、何に気を取られていたのだろうな」
    「っ…!白々しいですわね!ワザと口にしたでしょうに!」
    「知らぬ。余の言葉に耳を傾け、勝手に動揺したのは貴様の方だ」

    生意気な年相応の笑顔に、悔しい気持ちと何故か嬉しい気持ちが湧く。出遅れを取り戻そうと空を切り、彼女の背へと近付くと、ふと彼女は横目に私の方を一瞥した。

    「もっと惚れさせてくれるのだろう?」
    「ああ、もうっ…!」

    また愉快そうな笑い声と共に、「これ以上は無いが」と付け加えたオルフェさんの声は、こちらに対する愛おしさで溢れていて。それが自惚れだろうと、私はどう言い返すことも出来ない。自分が煽ったことがそのまま返ってくるなど考えていなかった私は、心が酷く掻き乱された。

    ーーこの様な顔を、私に対してなさるなんて。

    いつもならば雑音なんて気にしない、耳に入っても動揺などしないというのに。今日は何だか様子がおかしい。勿論、彼女の様子も。

    これも全て恋のせいなのだろうか。
    こんなにも情緒が乱されてしまうなんて、考えてもいなかった。ましてや、相手はあのオルフェーヴルだなんて。


    でも、
    それでも、悪くない。むしろ心地が良いと、
    そう思ってしまったのだった。
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