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    伊倉鮭

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    須佐鍛冶リメイクちゅう…『真夜中のひとしずく』編

    【須佐鍛冶】真夜中のひとしずく「あ」
    「あれ」
     ほかほかと温かい湯気を顔に感じながら箸を進めようとしていたその手が宙で止まる。丑三つ時には少しばかり早い今、ベッドから起きてきた秀ノ介に真夜中の禁忌が見つかってしまい、彦道はそっと箸を戻した。
    「どうしたの? お腹すいちゃった?」
    「課題が終わんなくてよ……根詰めてたら腹減った」
    「締切明後日だっけ? 大変だね」
    「気持ちのこもってない『大変だね』やめろ」
    「だって鍛冶野の自業自得だし……」
     秀ノ介はキッチンで水を飲んだのち、そのまま彦道の前に座った。てっきり水を飲みにきただけでそのまま眠りに戻るのだろうと思っていた彦道は思わずえっと声を立てた。
    「ん?」
    「居られると食べづらいんだが」
    「いいよ、気にしないで」
    「ってもなぁ……」
     なんで戻らねえんだよ、と訊ねてもよかったが。秀ノ介の純粋で歯の浮くような言葉を返されるのだろうなと思ったので、彦道は黙っておいた。
    「……お前も食う?」
    「えっ、良いのかい?」
     そう言うと明らかに秀ノ介の瞳が輝いたので、彦道は思わず吹き出してしまった。何が「気にしないで」だよ、自分も食べたいと言い出しづらかっただけかよ、と。
    「シンクの下に買い溜めたカップ麺あるから、選んどけ。俺湯沸かすから」
    「うん、分かった」
     彦道がポットに湯を注ぎ沸かす準備をしている間、秀ノ介はカップ麺を吟味している。自分のカップ麺に彦道が目を向ければそれは明らかに伸びていそうな気がしたが、今更かと諦めて秀ノ介のカップ麺が出来上がるまで待つことにした。
    「これがいいな」
     そう言って秀ノ介が見せてきたカップ麺。きっと彦道はぺろりと食べられるのだろうけれど──。
    「お前にはまだ早い」
    「えっ、なんで」
    「読め文字を。『ドカ盛り焼きそば』って書いてあんだろ。そのサイズは夜中に食うもんじゃねえ」
    「焼きそば食べたかったのに……」
     しぶしぶ秀ノ介はカップ麺をもとあった場所に戻し、小ぶりでオーソドックスなカップラーメンを選んできた。これなら秀ノ介の口にも合うだろうし、食べきれなくて残すこともないだろう。カップ麺を受け取った彦道はビニールを剥がしカップを開け、今まさに沸いた湯を注いだ。
    「三分な。熱いから気をつけろよ」
    「うん」
     タイマーウォッチで三分を測り、待つ。その間に彦道のぶんは伸びに伸びるしなんなら冷めてしまうわけだが、秀ノ介がまだかと待っている中で自分だけ食べるのは少しひどいだろう。彦道もともに三分を待つことにした。
    「もういい?」
    「おう、いいぞ」
     三分とは意外にも長いもので。タイマーが鳴って蓋を剥がしきった秀ノ介はわぁと声を上げた。その目はきらきらと輝いていて、まるで子どものようだなと彦道は思う。
    「いただきます」
    「ん、いただきます」
     秀ノ介は麺を啜らずに口に運んだ。それが礼儀正しいのかはそこはそれ。そういう人もいるだろう。だから敢えて彦道も何も言わなかった。実際、秀ノ介の姉で彦道の友達──優理香だってそうするのだろうなと思ったから。
    「味が濃いけどなかなか美味しいね、これ」
    「だろ」
     聞けば、カップ麺を食べるのは初めてだと言う。普段はコース料理だとかを食べているのだろう。家族に連れて行かれたことがあるけれど、大体が味が薄くて、それもまた美味ではあったものの後々物足りなく思ったこともあったものだ。そういう料理を普段食べているということは、ジャンクなカップラーメンすら新鮮に映るものなのだろう。
     ──初めて。秀ノ介は初めてだと言った。曲がりなりにも秀ノ介の初めてを貰えた彦道はえも言われぬ気持ちになる。それだけでなく、真夜中のラーメンというささやかな禁忌。久しぶりに顔をじっくり見られた。秘密を共有できることに、嬉しささえ感じた。
    「今度、僕がひいきにしてる店に連れて行ってあげるね」
    「あ? いいよ。絶対高えじゃん」
    「いいから。……嬉しいんだよ、こうやって、一緒に同じもの食べるの。いつもたまの夜にしか一緒に食べられないだろ」
     通う大学の違うふたりは朝起きる時間も違えば昼は大学で食べ、帰ってきた夜も大体彦道はアルバイトでおらず。弁当を含めた三食どちらかが作るため食べるものこそ同じだが、時間はあまり合わない。前回ともに食卓に座ったのは三日前だったか。
     秀ノ介も彦道と同じように食事をともにすることを嬉しく思っている。同じ気持ちでいてくれた。それがやっぱり彦道には嬉しくて。秀ノ介が嬉しそうに「顔、緩んでるよ」と言った。
    「うるせぇ。お前もだろ」
    「ふふ、そうだね」
     秀ノ介の顔を見ていられなくて照れ隠しのように彦道は伸びて冷めたラーメンを啜った。ずるずると音を立てると秀ノ介はきょとんとした顔で「そうした方がいいのかい?」と訊ねた。
    「何が?」
    「音を立てて啜るの。確かにテレビではみんなそうしているよね」
    「いや……別にどっちでも良いんじゃね? 人によっちゃ啜れないヤツとかもいるらしいし」
    「へえ。実家じゃこういうの、出ないからさ。マナーみたいなものがよく分からなくて」
    「ラーメンにマナーもなんもねぇだろ」
     気づけばふたりのカップは空。彦道がそうしたようにスープに口をつけようとした秀ノ介に「味濃いぞ」と忠告すれば、秀ノ介は残念そうにカップをテーブルに置いた。彦道は手慣れたふうにスープを三角コーナーに流し、水でカップをゆすいで捨てた。たまに抜き打ちチェックと称して家に遊びにくる幼なじみに気づかれないように、証拠隠滅をする。ついでに水を汲んで秀ノ介に差し出す。秀ノ介は「ありがとう」とグラスを受け取った。
    「腹ごなしに課題でもやろうかな……」
    「何、お前も課題溜めてんの?」
    「……言っておくけど、昨日出た課題だよ。鍛冶野と一緒にしないでよ」
    「なんだ。先に言えよ」
     肩をすくめた彦道に秀ノ介は「歯だけ磨いてくる」と席を立つ。広いテーブルの傍に寄せておいた山積みの課題を手繰り寄せている彦道の肩を叩き、顔を上げた彦道に秀ノ介はキスをひとつ。「作ってくれてありがとう」と微笑みかけて、そのまま廊下へ消えていく秀ノ介に彦道は頬が熱くなるのを感じた。久しぶりの、時間の合わないふたりにはほんとうに久しぶりのキス。そんな貴重な触れ合いは、カップラーメンの味がした。
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