【須佐鍛冶】何度だって、きみと【リメイク集】大継町↔織紙町の電車 田舎ならそれなりにかかるんじゃないかという捏造
「ねえ、鍛冶野。旅行に行かない?」
「旅行?」
藪から棒に何だと反芻する。言葉の主はふふと笑って、二の句を継いだ。
「ほら、僕、この間免許を取っただろう? せっかくだから、何処か行きたいなと思って」
「……シュウ、そのために免許取ったのか?」
シュウ──須佐見秀ノ介は、怪訝な顔をしてこちらを見ている鍛冶野彦道の目を見て笑いかける。
「そうとも言う」
小さく、彦道がため息をついたのを秀ノ介は見逃さなかった。嫌だったかい、とでも言いたげな目で彦道を見遣る。
「で? 若留は連れていくのか?」
「鍛冶野がそうしたいなら」
「……それは」
──ふたりで行きたい、の、裏返しかと思った。だから彦道は「若留には言わないでおく」と言った。秀ノ介は嬉しそうに頷いた。
「さて、これからどうする?」
「は?」
秀ノ介の車に荷物を乗せ自分も乗り込み、さて出発だという段階になって告げられた秀ノ介からの言葉に彦道はぽかんと口を開けた。まさか無計画なんじゃないかと詰め寄れば、秀ノ介は肯定しなかったが否定もしなかった。沈黙は肯定。つまりは、肯定であった。
「だって、僕が決めたらつまらないじゃないか」
「じゃあ乗る前に言えよ、予定立てんぞって」
「ええ、行き当たりばったりってワクワクしない?」
「若留じゃねえんだから」
はあと大きなため息をついて、彦道はスマホを開く。「適当に走ってみてもいい?」と目をきらきらさせている秀ノ介はとりあえず窘めておいた。カーナビがあるとはいえ初ドライブで迷子など、洒落にならない。
「お、こことかどうだ」
「どこ? ……あぁ、織紙町のさらに先か。うん、いいね。近すぎず、遠すぎずって感じで」
「良さげな旅館あったから、電話してみるわ。平日だし空いてるだろ」
「うん、分かった。じゃあ車出すよ──」
努めて平静を装ってはいたものの、秀ノ介の顔は緊張で固まっているのが分かった。そっとボタンが押され、やがて車が発進する。彦道は手早くカーナビに行き先を入力した。
「すみません。二名なんですが、今日空いてますか? ……はい、はい、ありがとうございます。予約入れても大丈夫ですか? じゃあ……す、『須佐見』で」
「……」
予約を取る電話はすんなりと繋がり、またその予約もすんなりと取ることが出来た。慣れないのは普段ぶっきらぼうな話し方をする彦道の敬語のみならず。彦道が『須佐見』を名乗った瞬間、ハンドルを握る手に力がこもったのが分かった。てっきり彦道のことだから、『鍛冶野』と名乗ると思っていた。言いようもない嬉しさが込み上げた。
「ふぅ、空いてたぜ……って、何ニヤニヤしてんだ」
「えっ、ふふ、なんでもない」
「……言いたいことは分かるから、聞かねぇけど」
「あれ、そう? 残念」
「残念てなんだよ」
彦道は改めて助手席に身を凭れさせた。身がゆったり落ち着く座り心地。何せ、この車種は──。
「お前、フェラーリ買ったんだな」
「うん。格好よくてね。大継町みたいないな……昔懐かしい町だとちょっと浮くかなって心配してたんだけど」
「お前今田舎っつった?」
「言ってないよ」
「あ、そ」
車に揺られ、流れていく景色を見ながら彦道は考える。この車は二人乗りだった。旅行に行こうと秀ノ介が彦道を誘った時点で、秀ノ介の計画の中には幼なじみも姉も居なかった。それがどうしようもなく、嬉しくて。秀ノ介が隣にいて欲しいのは自分なのだと思えば、口元が緩む。慌てて窓の外を見た。薄らと窓に反射して見える秀ノ介もまた、嬉しそうな顔をして運転していた。
会話もそこそこに、秀ノ介の隣にいる安心感からか眠気を感じた彦道は目を閉じた。それに気づいた秀ノ介も「着くまでゆっくりお休み」と声をかけてくれたきり口をつぐみ、軽くリクライニングを倒してくれた。少しあとの微睡みのなか、寝顔を見ていたらしい信号待ちの秀ノ介が「かわいい」と呟くのが聞こえて。照れくさくなって、陽射しがまぶしいふりをして目元を手で隠した。
……キスをされた、気がする。鼻先にやわらかいものが触れて、それで。薄らと目を開ければ、目に飛び込んでくるのは降り注ぐ夕暮れの陽射しと──。
「鍛冶野、着いたよ」
「……ああ、おう」
「おはよう。よく眠れた?」
──秀ノ介の、よく見慣れた優しい眼差し。頷いて、ひとつあくびをして助手席を降りる。時計を見れば長針が数度回り切るほどには時間が経っていた。その間秀ノ介はずっと運転していて、自分は偉そうに眠りこけていたことになる。彦道は運転免許を持っていないため。帰りは運転すると申し出ることもできない。せめてもと後部座席に乗せておいた荷物を降ろし抱えこむ。結局は、「荷物持ちなんてしなくていいよ」とふたり均等に荷物を持つことになるのだが。
着いた旅館は年季が入っていつつも綺麗な庭を冠していて、どの部屋から見てもきっと景色がいいのだろうと思えた。運の良い自分が予約したのだから、部屋がお任せであろうとも景観が悪いなんてことはないだろう。秀ノ介も彦道も、彦道の運には多大な信頼を寄せているのだ。
旅館に入り、優しく出迎えてくれた女将に予約した『須佐見』の名を告げる。二度目のそれは、幾分かぎこちなさは消えていた。
「なぁ、免許取るのむずかった?」
「なんで?」
「……いや、お前ばっか運転とか、申し訳ねえだろ」
「そんなこと? 気にしなくて良いのに」
旅館の廊下を女将先導で歩きながら、彦道は秀ノ介に話しかける。にこりと秀ノ介は笑って、言う。
「赤点の多かった鍛冶野には難しいかも」
「うっせ。実技で取り戻すからいいんだよ」
「いやいや、筆記でダメだったら落ちるよ。それに車はどうするの? 鍛冶野の家にあったっけ?」
他愛もない話を続けていれば、やがて女将の足が止まる。それで客室に着いたのだと気がついた。女将に会釈をして部屋に入る。いぐさの良い香りがして、それだけでふたりは来て良かったと思えた。
「広いな……俺の部屋より」
「そうだね。鍛冶野の部屋より綺麗」
「そーだな……ってそれは旅館なんだから当たり前だろ」
「ふふ。バレた」
くすくすと秀ノ介はいたずらっ子のように笑って荷物を置いた。彦道もそれに倣って荷物を傍に置く。庭に出れば石畳と小さな池、満開に咲き誇るツツジの低木。青々とした緑。小さな箱庭のようだった。
「ねえ、ここ露天風呂みたいだよ」
「ああ。そういや書いてあったな」
部屋の風呂を覗いたらしい秀ノ介が後ろから声をかけてくる。ふたりで入れるかどうかを聞けば頷くので、先に入ってしまうかと荷物を開ける。
ーーそうして、温かい湯に揺られ鮮やかな景観を楽しんで。些か楽しみすぎたか少しばかりのぼせてから出て、備え付けの浴衣に袖を通した。その頃に料理が運ばれてくる。豪華な舟盛りは秀ノ介はともかく彦道には目新しくて。どこから箸を差し入れれば良いのかと手を右往左往させている姿が秀ノ介には面白かったらしく。慣れた手つきで取り分けられ手渡され、彦道は少し恥ずかしく思った。
たくさんの料理に舌鼓を打ち、ぺろりと平らげたのちはもう眠るだけとなって。けれども彦道にはまだ、聞かなければならないことがあった。
「なぁ」
「ん?」
「その荷物、なに」
シンプルできれいな黒い紙袋。中に入っているものがおそらくアクセサリーだとか、そういう類であることは彦道にも分かった。布団の上、まだ横にはならず彦道は訊ねる。なぜだか、彦道は自分に宛てられたものではないのではないだろうかとさえ、思った。
「好きな子に、贈るもの」
「……ふうん」
「ふうん、って……僕の言いたいこと、わからない?」
「何が? 寝てる間にキスされたって、寝てんだから分かるわけねえよなぁ」
「……」
言葉にしろと暗に伝えると秀ノ介は彦道の手を取る。そのまま秀ノ介はくちびるを近づけ、彦道の薬指に口付けを──。
「起きてる間にしろってことじゃねえんだよ」
「……あれ。そう」
照れると思ってた、とそっけなく秀ノ介は呟いた。彦道とてキスに慣れている訳ではなし、されないならされないで良い。ほっと詰めていた息を吐き出しかけて──秀ノ介は、素早く口付けを落とした。
「されないと思ってた?」
「……」
「あはは、顔赤いよ」
「誰のせいだよ」
「ふふ、僕かな?」
むすっとした彦道を愛おしそうに見つめてから、秀ノ介は紙袋から小箱を取り出す。「着けていい?」と訊ねられた彦道は曖昧に頷いた。
「じゃあ、目を閉じて?」
「は? なんで」
「え、……なんとなく?」
大した意味はなかったらしいが、彦道に目を閉じない理由もなかった、ので。ゆっくりと彦道は目を閉じた。やがて、ひやりとしたものが薬指を通っていく。「冷てえ」とこぼした文句は照れ隠しなのだとあからさまに分かった。
はい、いいよ、の秀ノ介の言葉で彦道は目を開ける。一番に飛び込んでくるのはシルバーのシンプルな指環。もっと言えばそれは彦道の好みに合致していて、つくづくよくこちらを見ているんだなと彦道は思った。
「……こんなもん、買ってきてたのか」
「こんなもんって。鍛冶野、……嫌、だった?」
自分が否定的な言葉を掛けたのだと彦道はすぐに気づいた。だから彦道は首を振って、ふと小箱の中がまだ輝いていることに気づく。箱からもう一つの指環を取り出し、そして──彦道は秀ノ介がしたように、秀ノ介の手を取った。
対になるデザインのシルバーリング。秀ノ介の指にはめると秀ノ介は「お揃いだよ」と密やかに言った。
「……俺、何も、お前に返してやれねえよ」
「ううん。鍛冶野が一緒にいてくれているだけで、僕は十分に幸せだよ。これは、……カタチが欲しかっただけ」
「それ以上は、望まねえの」
「……望まないよ。望めないでしょ」
『望めない』。それが一体どういう意味なのか。秀ノ介の、須佐見という家の環境を考えれば分かること。だから彦道は、俯く秀ノ介の鼻先に口付けた。「え、」と顔を上げた鼻先に、もう一度、キス。その目の先には、ひどく険しい顔をした彦道が、いた。
「俺、試す前から諦めんの大嫌いなんだよ」
「……うん、知ってる」
「こんなもん贈るからには──覚悟、出来てねえとは言わせねえから」
「……」
秀ノ介は気づく。彦道が涙を堪えていることを。そして自分さえ、泣きそうになっていることを。秀ノ介にとって『これ』は、諦めの証だった。だが彦道にとっては枷そのものなのだ。今更秀ノ介は、諦めるには悪手を踏んだことに気がついた。
「……いいの? 鍛冶野」
「今更だよ、バカ」
そう。今更な話。何もかも。「もう一回、キスしていい?」と訊ねた秀ノ介に、彦道は自ら口づけた。今度は、今度こそ、くちびるに。