初恋は液晶、今恋は壁廊下で誰かとすれ違ったとき、つい声を掛けてしまった。聞いたことがある歌。幼少期、姉と夢中になっていたのを、今でも覚えている。
「そ、それ、ミラマジのオープニングだよな!?」
「…へっ、知ってるの!?」
歌っていたのは違う寮の女子生徒だった。
寮制度がある名門ハイスクール、イーストン。ドットはそんなイーストンで初めて趣味が合う友人を見つけた。イーストンの寮の一つ、レアン寮の女子生徒、ラブ・キュート。寮が違っても彼女と会う度に、日曜日の朝に放送している魔法少女アニメや特撮番組の話をしていた。
二人は生粋の特撮オタクだったのである。
「まさか三十分違いの特撮まで見てるなんて、ビックリしたわ…。興味無さそうなのに」
「ドラマ感覚で見てたらハマっちゃってたの。あ、次週のミラマジは絶対見逃さない方がいい。リアタイおすすめしとくね」
「マジか録画しとこ。ネタバレ踏みたくねぇからスマホも我慢しよ」
二人が仲良くなったきっかけである魔法少女アニメ、ミラクル・マジックガール。通称ミラマジ。
ドットの姉が幼い頃から放送されている大人気魔法少女アニメ。ドットも姉と一緒に、日曜日の朝は早く起きてテレビに釘付けになっていた。ミラマジが終われば次は特撮番組が始まり、約一時間半ぐらいはテレビの前で座っていた。
今でも特撮番組を見ているドットは、友人達にはそういう趣味があることを言っていない。ジュニアスクールに通っていた頃、それをきっかけにガキだのオタクだのなんだのと虐められていたのもあって堂々とは言えなかった。だから今こうして趣味の話が出来るのが楽しくて仕方ない。
「ちなみにさ、歴代ミラマジ推しにいる?」
「お、推しかぁ…。推しというか、なんというか…。笑わない?」
「え?何か笑える話に繋がるの?」
「いや、その…。は、初恋だったんだよ…」
テレビで見た、クールだけど、健気で大きな夢を持っている頑張り屋なあの子。
幼いドットはテレビの向こうにいる彼女に恋をした。周りからどう言われようとへこたれない。努力を積み重ねて、誰かのの為にも頑張る姿がドットには輝いて見えた。
あの子の変身して戦う姿に痺れるような感覚。あれは確かに恋だった。それからというものあの子や姉のように頑張ろうと、少しづつ前向きになれたのでテレビの効果は凄い。
「…分かる。分かる!私も初恋は特撮だった!」
自分の初恋は三十分後に放送する特撮番組のキャラだったと熱く語るラブに、ドットはホッと胸を撫で下ろす。子供達がよく目にする作品だが、所謂初恋泥棒というのは子供達が見る作品に多く存在する。ドットもラブも見事初恋泥棒にかっ攫われた訳だ。
それに初恋とは、自分の好みの基盤ともなる。フェチでも好きなタイプでも性癖でも、初恋が自分を作るとドットは思っている。
実際、ドットが想いを寄せているのは"あの子"に似てクールで、健気で大きな夢を持っている頑張り屋な憎たらしい"アイツ"だから。
似ているとは思っても重ねて見ている訳じゃない。あの子はあの子、アイツはアイツ。それにアイツはドットと同じ男だ。恋はまた実らない。
画面越しのあの子と違って、アイツは壊してはいけない壁の向こうにいる。
壁を壊したらもう二度と元には戻れない。最終回を迎えて会えなくなったあの子よりも、アイツとの壁を壊すことが怖かった。
それならずっとこの高く聳える壁越しでも構わない。ずっとこの関係が続けられるのなら、この想いが無惨に終わるのだって厭わなかった。
ドットがそう考え込んでいると、目の前に突然紙切れが現れた。よく見ればそれは、毎年行なわれる日曜日の朝の特撮作品のお祭りイベントで開催するヒーローショーのチケットだった。
「もし良かったら、一緒に行かない?」
チケットの内容には初恋のあの子も今年のショーに出ると記載されている。
毎年行きたかったが諦めていたお祭りイベント。男女二人で行く少し恥ずかしい状況ではあるが、そんなイベントに念願叶って行けるならとドットはラブからチケットを受け取った。
「あ、チケット代幾らだ!?」
「ほんと見た目に寄らず律儀なの」
お祭りイベントは来月と書いてあった筈だけどなぁ、と首を捻りながら明日の支度をするドット。いよいよ明日がイベント開催日。まさかの初日に行けることに気付いたのは、つい最近だ。当日に近づくに連れて、ドットは夜も眠れなかった。
ミラマジのオープニングを鼻歌を歌いながらバッグを整理し、財布にチケットを入れているとドアが開いた。
「ドットくん!これから皆でゲームするんだけど、一緒にしない?」
ドアを開けたのは同級生のフィン、傍には同じく同級生でフィンと同室のマッシュがいた。
「あ、悪ぃ!明日朝早くに出るから今日は欠席で!」
「えっ、明日そんなに早いの?遠出とか?」
「まぁそんなとこだな」
イベントが開催されるのは、ここから離れた街。高速バスに乗らないと辿り着けないので朝早くに起床しないと間に合わない。お土産を買って来ると言えば、二人はそれぞれ手を振ったり頷いたりと反応を示してドアを閉めて去っていった。
お土産は何にしようか。確か有名なスイーツ店があった筈だからそこのスイーツの詰め合わせセットにしようか、なんて考えているとドアがまた開いた。それはもう勢いよく。壊れそうな勢いで。
「うおっ!?なんだよマッ…、ランス?」
開いたときは馬鹿力のマッシュが開けたのかと思っていたが、開いた扉の向こうにいたのはランスだった。ランスは眉間に皺を寄せて目だけで人を殺せるぐらいの殺気を放っている。見るからに不機嫌そうだった。
「…明日、朝早いのか?」
「え、おっ、おう」
「誰かと出かけるのか」
「まぁ、そうだな」
「最近よく話すレアンのあの女か?」
「おう。それがどうかしたか?」
前までは女子に会う度にタジタジになっていたのに、ラブには普通に会話出来る。共通の趣味を持つ友人として話しているからだろうか。最初こそ普通に話せなかった。どうしても女性慣れしていない部分があったのだが、今では自然と話せる。
ラブもラブでドットを友人として扱っているのか、よく特撮ヒーローが描かれた駄菓子をあげたり、はたまたラブの肌には合わなかった高級スキンケア用品をあげたりしている。おかげでドットの肌はツヤツヤになり、プリントを纏めるファイルには駄菓子の付録でついてきた特撮ヒーローのステッカーが貼られていた。
「あの女と何故つるんでいる。お前は女と話せないだろ」
「ラブはなんというか、趣味が合うんだよ。だからダチだ」
そう言ってバッグのチャックを閉めて、勉強机の上に置く。持っていく物は明日起きたときにまた確認するとして、今はこの何故か不機嫌そうなランスを部屋から追い出さなければ。
「つーか、テメェは俺になんの用事があんだよ」
「…アンナがお前と出掛けたいと言っていた」
その発言で、ドットはランスの不機嫌の理由が分かった。冷や汗が一気に流れ出る。
ランスが不機嫌な理由。それはランスの最愛の妹であるアンナが、ドットと出掛けたがっているからだ。
ランスのシスコンっぷりは常軌を逸している。妹のアンナが愛おし過ぎるがあまり、妹グッズを自作してしまう程にはシスコンを拗らせていた。
アンナは最近まで病で床に伏していたが、回復の傾向が見られたようで病室から出て外出する機会が増えたらしい。
そんな愛しの妹が、ドットと出掛けたいと言っているのにも関わらず、ドットは別の女友達とイベントに行くのだからランスからしてみれば、ブチギレ案件だろう。
「ご、ごめんってランス!一ヶ月ぐらい前から決まってた用事なんだよッ!」
「…そんなに前から決まっていたのか」
火に油だったようだ。ランスの顔は、一周回ってランスのファンクラブの女子に見せたい程には怒りで歪んでいた。明日は朝早いのでもうベッドに入りたい。しかしこのシスコンをどうにかしないと、明日朝までこの怒り状態ランスの対応しなければならない。どうしたものかとドットが頭をフル回転させる。
「あの女と何しに行くだ」
ランスにそう聞かれ、ドットはある言葉をパッと思い付いた。
「は、初恋の子を応援しに行ってくる…」
「…は?」
ランスが固まった隙にドアを閉めて鍵をかける。嘘は言っていない。本当に初恋の子を応援しに行くのだから間違っていない。
安堵の息を吐いてベッドに向かうと、ルームメイトが心配そうに話しかけてきた。なんでもないと答えて、ルームメイトがベッドに入っていくのを見届け、ドットもベッドに入る。
「…あんなシスコンの何処がいいんだか」
そう呟いて目を瞑る。
ファンクラブの女子も、彼に猛アタックする女子も。
そして自分自身も。何故"アイツ"が好きなんだか。女子達のように聳える壁を壊す勇気なんて、自分にはない。
あの子に似てるようで似てない、憎たらしいアイツに、あの子に初恋を奪われたときのような痺れた感覚がした。
目の前がキラキラ光って、ビリビリ痺れて、ポンポン弾けるような恋の感覚。何かの間違いだと思っても、心は誤魔化せない。
アイツに、ランスに、聳える壁越しに想いを馳せることしか出来なかった。
ドアを開けてもランスがいたらどうしようかと思っていたが、流石にいなかった。ドットは寮を出てラブと合流し、高速バスの停留所へ向かう。
バスに揺られて数時間後。イベント会場の最寄り駅まで着いた。そこからまた市営バスに乗り、数十分。イベント会場に無事に到着した。ショーまでに時間があるのでポップアップストアやコラボカフェなどに寄って時間を潰すことに。
「見て見て!ランダムコースター、推しが当たったの!」
「おー!その作品好きだよな」
「私の初恋を奪った罪な男…」
「急に怖いこと言うなよ…」
カフェで食事をした後、時間も丁度良いのでショーの会場に向かった。席に座ってストアにて購入したペンライトを取り出す。矢張り周りには親子連れが多く、変身アイテムを模した玩具やストアで販売されていたぬいぐるみなど、中にはなりきり衣装を着た子供もいた。
そんな中、席に座ってペンライトを持っている高校生男女二人。ラブと自撮りを撮り、ペンライトの写真を撮っている最中、アナウンスがなった。そろそろショーが始まる。
携帯をマナーモードにして、ペンライトの光を一時消す。このペンライトはショーの舞台装置だ。ミラマジがショーでピンチになったときに声援を送りながらペンライトを光らせて振る。なので今は消す必要がある。
「き、緊張する…。約十年振りの推し…」
「しかもこの後ハイタッチと握手会あるの」
「今日命日かも…」
手も足も震えるドットの事情など知ったこっちゃないというように、ショー開演を知らせるブザーが鳴った。
ショーの全て、何もかもが良かった。ショーの会場を出てからずっと放心状態のドットとラブがそう物語っている。ペンライトは明日が筋肉痛になるぐらい振り、声援も全力で送った。隣の席にいた子供には引かれた。
ハイタッチと握手会も初恋のあの子を目の前にして、少々タジタジになってしまったがちゃんとハイタッチも握手も出来た。しかもラブが持っていたチケットは写真撮影にも参加出来るチケットで、ツーショットも撮って二人は大満足。
帰りにストアに再び寄ろうとした二人。するとドットに声がかかった。
「…ドット?」
「えっ、ランス?」
何故かランスがこのイベントに来ていた。ランスが特撮作品に興味があるとは到底思えない。だってあのランスだ。一に妹、二に妹、三も四も、その先にある無量大数まで妹なランスが他に趣味があるなんて考えられない。
「あ、ドットさん!こんにちは!」
「アンナちゃんまで…。あ、お前、もしかしてアンナちゃんの付き添い?」
「兄として着いてきた。当然だろ」
ランスの後ろからひょっこり現れたランスの妹ことアンナが、ドットに駆け寄る。アンナの手にはミラマジのイラストが描かれたバッグがあるので、ランスがアンナをここに連れてきたのだろう。
「じゃあ昨日言ってたのって…」
「お前がこういう作品に詳しいと言ったら、アンナが一緒に行きたいと言ってな」
そう言うことなら先に言ってくれ、と言う前に一つ気掛かりなことがある。
ドットはラブ以外の友人達に特撮作品が好きだと話したことがない。
ランスにだって話したことはないし、ランスに話したら馬鹿にされるのが目に見えていたので話す気にもならなかった。
なのに何故かランスはドットが特撮作品に詳しいことを知っている。
「俺、お前に特撮好きだって言ったことなくね?」
「…お前がこの女に初めて話しかけた日、俺も傍にいたのを忘れたのか?」
「…そうだっけ?」
そう言われたらいたような気がしなくもない。初めて見つけた共通の趣味を持つ人が異性だったのもあって、話すことに必死で忘れていた。
「それで、初恋の女の応援とやらはどうした」
「えっ?」
「初恋の女を応援をする為に、アンナの誘いを断るという愚行をしたんじゃないのか」
あぁ、そうだ。昨日そう言い訳したんだった。ドットは昨夜のことを思い出す。もう隠し通せないので包み隠さずに全てを話した。初恋だというのは本当なので、そこもしっかり話しておく。
「…つまり初恋はアニメのキャラクターで、あのラブとかいう女からショーのチケットを渡されたから、アンナの誘いを断ったと言う事か?」
「あ、アンナちゃんには悪いことしたとは思ってるって…。でも結局は着いた先が同じだった訳だし、アンナちゃんもラブと話してるし、友達増えて良かっただろ」
ドットはお互いが楽しそうに購入したグッズを見せ合って話しているアンナとラブを見る。姉妹のようだ、なんて言ったら隣のシスコンから殺されるので心に留めておく。
そんなことをしていたら、ラブがこちらに手を振って呼び掛けてきたのでラブとアンナの元へ行こうとランスに話せば、突然腕を掴まれた。
「ん?どうした?」
「…もう一度確認する」
「え、何が?」
「初恋はアニメのキャラクターで、あの女は友人なんだな?」
改めてそう聞かれたら、恥ずかしさと虚しさが込み上げてくる。あの時の自分は本当に恋をしていたのだ。最終回を迎えて失恋したショックは大きかった。
いつかあの子のような人を振り向かせたいと今まで頑張って来たが、誰も振り向いてはくれず。それでも確かな積み重ねはあるから、努力は怠らなかった。
「そうだって言ってんだろ。ラブはダチだ」
ドットがそう言えば、ランスはそうかと言って手を離す。
「なら俺にも勝機はあるな」
「……えっ」
「お前が好きだ。俺と付き合え」
そう言われて暫く固まった後、脳が理解を追いつく前にドットの体は走り出していた。
「え、ちょっと何処行くの!?」
「お兄ちゃん!?」
ラブとアンナも横切って走るドットと追いかけるランス。会場の外へと走っていく二人の背中をラブとアンナは唖然と見つめていた。
画面越しの初恋は叶わないけれど、聳える壁越しの恋は相手がぶち破ってくることで叶うだなんて、聞いちゃいない。
「待てドット、何故逃げる」
「テメェだってなんで追いかけてくんだよッ!!」
ドットにも分からない。何故走っているのか。何故ランスが追いかけてくるのか。何故泣いてるのか。自分にも分からない。
分からないから、とにかく逃げた。
その後、ランスに捕まってお土産を買ってからラブとアンナの元に合流した。
翌日。ラブの元へ昨日の礼とお詫びにと、ドットがランスと購入したお土産を持って訪れた。
「…なんでそのイケメンまで連れてきたのよ」
「着いて来たんだよ…。着いてくって聞かなくて…」
ラブとは友人だと何回も言っているのに、ランスはラブを警戒する。すると、ランスがおもむろに口を開いた。
「俺が知らないお前を知っているのも気に食わないし、あの女といる時間があるのも気に食わない」
ドットはすぐさまランスの脇腹を殴り、ラブは実家に帰りたがったっていた。
ラブと話すとき、ずっと隣にランスがいるのはやりにくい。ラブも気まずい。なので話すときは授業の合間の時間や、トークアプリでグループを作って通話することにした。
そのトークアプリの存在がバレて、後々アンナが加わるのはまた別の話。