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    夜中にそっとピアノを弾く🛀と、それをこっそり聴く🦚

    ##レイチュリ

     何度かレイシオの家に来てから気づいたそれは、リビングとは別の部屋でひっそりと窓の近くに佇んでいる。しかも、扱いやすい電子のものではなく調律師によるメンテナンスが必要なタイプで、よくよく見れば埃は被っていないようだ。
    「……ピアノ」
     アベンチュリンがぽつりと言葉に出せば、レイシオがそれを一瞥して「ああ」と返事をした。そこにあるのが当たり前なのだろう、特に動揺した様子もない。むしろ、物珍しそうに色々聞きたくなっているのはアベンチュリンの方だ。
    「あれ、弾けるのかい?」
    「幼少期の頃に数年ほど。まぁ、楽譜が読めれば独学で十分だ」
    「ふぅん。なんでもできるんだね」
     パチンとピアノのある部屋の電気をつければ、艶のある黒が美しく光を反射している。それはコンサートホールなどで見かけるものではなく、家に置かれるようなアップライトピアノだ。
    「ねぇねぇ、触ってもいいかい?」
    「構わない」
     ゆっくりとその蓋を開けて臙脂色のキーカバーをそっと退ければ、綺麗に手入れされた鍵盤が現れた。よく見るとそれなりに小さな傷がついているそれは、長い間手入れされて大切に扱われてきたことがわかる。
    「鳴らしても?」
    「ああ」
     ポーンと鳴った音は真っ直ぐに響き、やがて小さくなっていった。アベンチュリンは何かを弾けるわけではなかったので、ひとつ音を鳴らしたことである程度満足してしまった。
    「ーーうん、ピアノだ。外では見かけるけど、実際に触ったことはなかったかも」
     それに、幼少期は楽器とは無縁の生活をしてきたのだ。衣食をどうにかするだけで精一杯だったあの頃は、楽器どころか様々な心の興味に向ける時間も経済力もない。
     自分の興味を追うためだけに時間を使えるような立場にもなく、そういった環境に身を置けることは自分にとって絵空事だと思っていた。
     だからこそ、こういったものを通して、薄らとした憧れだけが心に引っかかり続けている。
    「僕は母の影響だな。今は思考の整理をする時に、少しだけ」
    「いつか聞けるかな」
    「……さぁな、聴かせるほど上手くもない。あまり期待しないように」
     嫌だとか、恥ずかしいとか、そういった言葉で濁すわけでもなく静かに受け入れられたそれに拍子抜けはしたものの、ただ受け入れられたことに心が少し温かくなる。
    「うん。気が向いた時でいいよ」
    「そもそも、気が向いた時にしか弾かないからな」
     レイシオの言葉にからからと笑って、そっとピアノの蓋を閉じたのだった。
     
     それから数ヶ月ほど経ち、そんな会話をしたことすら記憶に薄れた頃、アベンチュリンは薄らと聞こえるピアノの音色で目を覚ますことになった。
     眠る時まで一緒にいたはずの彼の姿は寝室になく、シーツにも彼の体温は残っていない。とすると、たどり着く答えは一つだけだ。
     アベンチュリンはスリッパの足音が鳴らないように廊下を歩き、ピアノが置いてある部屋の入口までこっそりと移動する。上手くレイシオから見えない角度を探ってそっと壁に寄りかかれば、少しだけ居心地の悪い特等席となった。 
     そんなアベンチュリンを他所に、そっと流れ出した曲はどこかで聞いたことのあるメロディーだった。静謐な夜にそっと降り注ぐ柔らかい月の光のようなそれに、思わず目を細めて耳を澄ませる。
     切ないようにも聞こえるその音は美しく、それに少しだけ引きずられたアベンチュリンの心も寂しくなってしまって、物陰からそっと見慣れた演奏者の背中を眺めた。
    「……」
     じっと視線を向けていたその背中が急に動きを止め、不意に音が止んだ。アベンチュリンが「あっ」と声を出すよりも早く、振り返ったレイシオとぱちんと目が合ってしまった。
    「……あはは、やっぱりバレちゃうか」
    「君がそこに立った時からな」
    「ええ? 最初からじゃないか、それ」
     自分の努力が無駄だったことを知ってくすくすと笑ってしまうが、依然として心は穏やかなままだ。バレてしまってはもう仕方ないと、歩みを進めてレイシオの横へと移動する。
    「なぁんだ、あんなこと言ってたのに全然上手じゃないか。それにーー良い音色だね」
     あまりクラシックにもピアノにも明るくはなかったが、心で感じたものを口先で加工することなく、ありのままの感想をレイシオに向ける。
    「初めて褒められたな」
    「えっ、そうなのかい? うーん、チップは必要?」
     慣れてないんだ、と茶化したものの、レイシオはその態度を良しとしないようだった。
    「野暮な方向に話を向けるな。君の賛辞はありがたく受け取るとするが、僕がプレイヤーに徹する必要はないと思っている。なんなら君が弾いたっていい。このピアノも好きに扱っていい」
    「……僕が?」
    「ああ。可能性というものは、誰の前であろうと等しく目の前に置かれているんだ。無論、君の前にも」
     その言葉に、言い得ぬ憧れを見透かされたような気がして心臓が跳ねた。
     楽器に限らずとも、恵まれなかった頃に不要だと割り切った本来の自分の興味たちが、レイシオの言葉によって色を宿したようだった。
    「あー、人の心を読むのが上手いね、教授? ーーというか邪魔しちゃったけど、ピアノ触る時って思考をまとめる時なんだっけ。僕は退散した方がいいかな」
     そう言い切って体の向きを変えようとすれば、レイシオの手がそれを阻んでしまう。
    「えっ、なんだい?」
    「別にそういう意図ではない。……君が聞きたいと言っていたのを、ふと思い出しただけだからな」
     照れたように視線を外したレイシオに遅れを取ること数秒、彼の言葉の意味を理解してアベンチュリンまでうっかり照れてしまう。
    「だとしたら、僕を起こさなきゃ意味ないだろう?」
    「それも気が引けたんだ。寝顔があんまりにも穏やかだったからな」
     言ってることとやってることはちぐはぐなのに、そこには確かに愛情のようなものがじんわりと感じられた。何でもできるのに、こういうところだけがひどく不器用で愛おしい。
     そんな彼なりの不器用な表現に笑いながら、アベンチュリンは「そこ退いて」と彼を退かした上でピアノの前の椅子を陣取り、意気揚々と「ねこふんじゃった」を演奏したのだった。
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