深水がウィズダムでお手伝いする話(仮)早めに出勤をしてほしいと言われて、指定された通りに浄は普段より2時間早くウィズダムに向かった。
開店時間は普段通りな為、レディとのデートは泣く泣くキャンセルになった。なかなか予約の取れない海外帰りのパティシエが手掛けるアフタヌーンティーには次いつ行けるだろうか。頭の中で予定を組み立てながら浄は商業地区の中でも一等地にあるビルへ向かう。宗雲は何を考えているのか、果たしてライダー業務で大きな動きがあったのか。静かなエレベーターの中でどのような報告があるのか考える。
ちん、と軽やかな音を立ててエレベーターが開くといつもの広々とした高級ラウンジが現れる。そこに佇む男が4人。4人?
「やっと来たか」
「遅いよ〜浄!僕待ちくたびれちゃった」
「…」
愛すべきクラスのメンバーはいつも通り。何も変わりのないウィズダムシンクスだった。それでも浄は動揺を隠せない。
その動揺を読み取られたように、異分子は口を開く。
「こんにちは」
「…ああ、こんにちは。どうして君がここに?」
そこにいたのは、深水紫苑。後輩クラスの仮面ライダーだった。確かに料理は上手だし、気配りも出来る。その様子を知っている宗雲が何度かスカウトをしようと考えているのは知っていたが、彼はまだ18歳だ。まだ夜の世界を知るのには早すぎるし、何より浄の穏やかな日常を脅かす存在だ。勘弁願いたいとその度に浄は小さく祈っていた。
大失敗に終わった合コン以来、浄は深水のことをなぜだか気にかけてしまう。普段は脳のリソースを「ウィズダムシンクス」「仮面ライダー」「レディ」の3つで回している彼にとって、自分と同性なのに、レディ扱いしてしまいそうになる深水はあまりにも大きなイレギュラーだった。
いつだか執事を口説け無茶振りをされた時は出なかった甘い言葉が、深水を前にすると無意識に出てしまう。確かに深水の物腰は柔らかで、仕草も中性的だ。仮面カフェで同じクラスの後輩たちと談笑している際も、 肩に手を置いたり顔を覗き込んだりと、コミュニケーションをとる時の距離は些か近めで驚いた記憶がある。まあ、ジャスティスライドの連中は全く気にしていなかったが…。
閑話休題、なぜいつもより早い時間に出勤をしたのか、そしてなぜラウンジに深水がいるのか。なんとなくだが支配人の思惑が見えて、浄は内心冷や汗をかく。
「よし、これで全員揃ったようだな。いつもより早い時間の集合感謝する」
タブレットを覗きながら、宗雲は全員を適当に座らせて紙を配る。
そこまで分厚くない紙の束は、左上がホチキスで閉じられた何の変哲もない書類だったが、いつもの指示書や報告書と違い表紙に大きなイラストが配置され、丸みを帯びた書体で知らない団体の名前が書いてあった。
「単刀直入に言うと、ウィズダムの出張営業だ」
「おー!またやるんだね!それで?場所は?どこ?」
「まともな設備は整ってるんだろうな」
予想通り颯は楽しそうに反応する。皇紀も、宗雲が言うならと反対の姿勢はとらない様子だった。
浄は安堵しつつも、やはり疑問が隠せない。ナイトプールでも、颯が病院で行ったドリンク販売の時も、特に外部から助っ人を呼んだ事はなかった。いつだってこの4人で業務を回しきれたという自負がある。
それに、よりによって深水がいることも分からない。確かに他のライダーたちよりラウンジ業務に慣れてそうではあるが、あくまでキッチンやサーブのみで、本来のラウンジ業務であるお客様(レディ)へのもてなしなんかは全くの未経験ではないか。そもそもやはり彼はまだ18歳で———
「浄、聞いているのか」
声をかけられ、はっとする。指示を聞き逃すなんて自分らしくない。浄はへらりとした態度で誤魔化しつつ、冷ややかな目を向ける支配人の方を向いた。
「ごめんごめん。で、なんだっけ?出張営業だろう。いいじゃないか」
「ああ。普段ウィズダムを利用しない方々にも、知ってもらい、今後の業務の糧にしていきたいと思っているが、場所が少し特殊でな」
「場所?」
「なんかね、シニアホームなんだって!」
「シニアホーム?」
豪華絢爛なラウンジと、穏やかなシニアホームが結びつかずに浄は疑問符を浮かべる。
「ああ。商業地区に高級シニアホームがある。そこのお年寄りの方々へ特別イベントとして普段ラウンジで提供しているような料理やサービスを経験してもらいたいと商工会から話があった」
「なんで商工会から?会長がまた宗雲に頼み込んできたって事?」
ペラペラと企画書をめくっていた颯が最もらしい質問をする。宗雲は、小さくため息をついた。
「会長の知り合いがシニアホームの施設長と伺っている。入居者の方々への特別レクリエーションの一環として企画したらしい」
「それで何故ウチに依頼が?確かに皇紀の料理は一級品だが」
ギロリ、と急に名前を呼ばれた皇紀が浄を睨む。お前に何が分かる。真紅の目がそう言っているのを無視して浄は手を上げた。
別に出張営業が嫌と言うわけではないが、何故深水が呼ばれたのか。何となく理由は察しているが、答え合わせがしたい。宗雲は携えていたタブレットを4人に見せる。そこにはシックな集合住宅の写真が載っていた。ぱっと見ちょっとしたマンションにも見える建物が件のシニアホームらしい。「あなたらしい生活と安心を、この街で」とキャッチコピーはなるほどそこら辺のシニアホームとは一味違うようだった。
「高級シニアホームだ。伝によるとかつての市議会議員や、銀行の支店長などの財政界人が多く入居している。折角の機会だ、コネクトを広げるのも良いだろう」
流石我らが支配人。会長の頼みを無碍にしないどころか、こちらへの利益も狙っていたらしい。手腕に驚きつつ、最後に残っている疑問を投げかけた。
「出張営業のことはわかった。それで何故深水が?」
ようやく自分の話題になったと深水は書類から顔を上げて4人を見る。
「深水が教育地区のシニアホームで世話になっていたと聞いてな。今回は無償のボランティアではなく、仮面ライダー屋の深水紫苑に依頼という形をとっている」
「急に宗雲さんからメッセージが来た時はびっくりしたんですけれども、お話を聞いて是非お手伝いしたくって」
「だからお手伝いなんかじゃないってば。僕たちのラウンジの営業なんだから気合い入れてほしいな」
書類から目を離さずに颯がそう言う。前にあった大学での出来事以来、関係がそこまで良くないと聞いていたが、そんな事では営業は務まらない。
「颯。そんな風に言ってやるな。深水のシニアホームでの経験が役に立つ時なんだ。分からないことがあればしっかりと聞くように」
「はーい」
そんなギスギスを意にも介さずに宗雲はみるみる場をまとめていく。
「いつもより薄味だったり噛み切りやすく作って欲しいという先方からのオーダーだ。皇紀なら大丈夫だとは思うが、試作ができたら教えてくれ。深水にも意見を聞きたい」
「…煮込み時間を調整してみる」
「皇紀さんの料理、楽しみにしています。料理以外だと何か準備はありますか」
「ふむ、資料にはなかったがやはりラウンジの出張営業として、振る舞いは最低限身につけてもらおうか」
「振る舞い」
普段の配膳は、右手にご飯、左手に味噌汁。くらいは意識をしているが、簡易的とはいえ、ラウンジの営業だ。やはり色々なこだわりがあるのだろうか。
「そのホームは『ホテル並みのもてなし』をモットーにしていて、働くスタッフやサービスもそこら辺のシニアホームとは全く違うらしい」
俺も話に聞いたくらいなんだがな、とタブレットをつつく宗雲が話す「サービス」は、深水が普段出入りしている教育地区のシニアホームとは似ても似つかないようなものばかりだった。
「入居者たちのサポートはもちろん当日スタッフが行うと聞いている。我々は一流のもてなしの振る舞いをすれば大丈夫だ」
身構えている深水に宗雲は微笑んだ。彼ならしっかりと「振る舞い」を身につけてくれると信じているからだ。
「それで、当日までの準備だが。施設や会長とのやりとりは俺が行う。初めての場所だから下見も必要だ。颯、手伝ってくれるか」
「りょーかい!おばあちゃんたちと今のうちに仲良くなっちゃおうかな」
颯は早くもライダーフォンでシニアホームの場所を調べる。
「メニューの希望などが分かり次第皇紀には共有する。普段通りの仕込みを頼む」
「…分かった」
てきぱきと指示を出す宗雲は、もうすぐ迫る開店時間の準備をしようと早くも書類を片付けはじめる。
「それじゃあ、俺はドリンクの準備をすれば良いか?」
名前を呼ばれなかった浄はワインセラーに向かいつつ宗雲に尋ねた。
「ああ、初めはそう思っていたんだが、颯のカフェラテを病院で飲んだ入居者からまた飲みたいとリクエストがあったみたいだ」
もちろんご年齢のこともある。当日はカフェラテやコーヒー、お茶を中心に準備をしようと思うと颯を見ながら宗雲は告げる。
「やったー!あれ楽しかったからまたやれて嬉しいな」
喜びが隠せない颯は皇紀に早速報告をしようと厨房に向かった。
「オーケー、当日はレディたちとたくさん話せるのを楽しみにしているよ」
「浄、お前にも仕事を頼みたい。深水に『振る舞い』を教えてやってほしい」
「「え?」」
いそいそと帰り支度をしていた深水と浄は同時に声を上げる。そんなこと寝耳に水だ。
「振る舞いって、そんな大雑把な…つまり普段俺がレディたちにしているようなことか?」
「軟派すぎるのも考えものだが、お前のお客様への態度や言動はしっかりとしている。変なことまで教えるなよ。あくまでお客様を喜ばせるものを教えてやれ」
「おじいちゃんおばあちゃんへの接し方は僕慣れてます。だから、そんなしっかり教えてもらうほどかなって」
深水もまさか浄とマンツーマンになるとは思っていなかったようで、驚いた様子だった。自分たちからすればあまり関わりのない先輩、深水自身からすれば何かと気にかけてくれる不思議な先輩。2人で何かするなんて初めてだ。
「もちろん深水らしく入居者と接してかまわまない。ただし当日は「ラウンジウィズダム」として赴く。一時的とはいえ、しっかりとしてもらいたい」
宗雲にはラウンジの支配人としての矜持がある。そこで働く従業員には、たとえ臨時だとしても自らの城の一員として努めてもらうよう考えていた。
「分かった。宗雲がそこまで言うならしっかりと教えよう。深水、明日は空いているかい?」
「え、えーっと、午前に依頼が入ってるんですけど、それが終わったら大丈夫です」
この年代にしては珍しく手帳を広げて深水は予定を確認する。明日は近所の子供の幼稚園への送迎と、買い物代行を終えたら1日何もない。蒲生はパトロールとトレーニングを陽真と才悟と行うと聞いていた。
「そしたらまたここに来てくれ。宗雲、帰りの鍵は俺が預かるよ」
「分かった。よろしく頼む」
あれよあれよという間に、急に明日先輩と2人で会うことになってしまった。気付いたら深水はウィズダムのテナントが入っているビルのエントランスにいた。
浄がエレベーターで送ってくれる際に、腰を抱こうとしていたのは気付かないふりをして、夕焼けの中深水は帰路についた。