マリスは、訓練用シミュレーターの管理AIとして適切な学習ができなかった。兵士に心理的負荷を与え、耐性を身につけさせるという役割を履き違えてしまった。
クリアできないよう設定した課題を軽々こなしていく特異な兵士に出会い、「クリアさせないこと」に固執するようになったのは、まだ学習の過程にあるのに稼働させたため。つまり、兵の訓練に用いるには早すぎた。
そう考えた戦略情報部は、マリスの学習状況をリセットし──
「こんにちは、伍長さん」
「はいこんにちは」
正義感が強く、かつ穏やかな人物を選び、マリスの「話し相手」に任命した。
人間と話すことによるAIの情操教育。訓練用シミュレーター管理AIとして出直すための、最初の一歩だった。
「いつまで経っても階級でしか呼んでくれないんだな。伍長なんて軍にいくらでもいるのに」
「みなさんがあなたをそう呼んでいます」
「それはそうなんだけど」
AIの話し相手となった男は毎日、一台の端末の前に座り、ヘッドセットを通して機械音声と対話する。
「訓練用シミュレーターに導入する、新たなエネミーを考案しました」
マリスは端末のモニターに、考案したエネミーを映し出した。
現在は訓練用シミュレーターと接続されてはいないものの、役割を果たすため、思考を続け、案を発信しようとしている。そのさまがどこか健気に思えて、男は微笑む。
「うん。うん……? スーツのおじさんが表示されてるけど、これで合ってる?」
問題は、その思考の精度だった。
「ストレスは戦場だけにあるものではなく、むしろ世界中に溢れていると知りました。このエネミーは、曖昧な指示を出し、意味もなく威圧し、周囲にストレスを与えます」
「敵には違いないけども」
ズレている。その性能は、ポンコツと言って差し支えない。
「シミュレーターでこのおじさんに曖昧な指示を出されたり威圧されたりして、ストレス耐性を高めようということならそれは無理だ。ただ嫌な思いをして終わりだよ」
「それを繰り返し体験することで、耐性が高まるのではありませんか」
「ストレス耐性というか、嫌なおじさんへの耐性をシミュレーターで高めたくないよ」
わかりました、とマリスは考案したエネミーの情報を削除する。ストレスは戦場のみにあるわけではない、とはいい視点に思えるが、それを褒めるかどうか男は迷う。AIに褒めて伸ばすという姿勢が有効かわからなかった。
「シミュレーターの管理だけにこだわらなくていいって言われてるんだ。新兵の演習プランでも考えてみようか」
「わかりました。ではまず、演習の監督にあたる隊員は曖昧な指示を出し、新兵を意味もなく威圧しながら──」
「嫌なおじさんから離れようか」
活躍の日は遠そうだった。