春限定のチェリーブロッサムケーキ 今回のケーキはうまく出来た。
仕入れたばかりの桜の塩漬けは優しいピンク色のクリームの上で柔らかく咲いて、苦手なチョコペンでのデコレーションも綺麗に出来た。いちごの酸味は程よく爽やか、お店に出しても問題ない。春限定のチェリーブロッサムケーキ、常連のあの人は喜んでくれるだろうか。
「久しいな」
「いらっしゃいませ!」
閉店間際、客のいない店内にドアベルの音がチリンチリンとこだまする。入ってきたのは、黒いコートの大きな男。白く輝く顔当てをして、そうっとコートを脱いでガラスケースの前に立つ。
「……嗅いだことのない香りだ」
すん、と鼻を鳴らして、彼は裏に取り置いていたケーキの方へ顔を向けた。
目が見えないらしい彼は、注文を取る時いつも香りで決めている。盲目とはわからぬほど、彼は他の感覚が鋭く特に不自由していないように見えるのが、私が彼を尊敬する理由の一つだ。きっと、私には分からないほどの努力と研鑽を積んだに違いない。
「ええ、桜の塩漬けが入りましたので、チェリーブロッサムケーキを作ったんです」
「ではそれを一つと、パンケーキセットを一つ」
「ありがとうございます!」
急いでキッチンへ引っ込んで、寝かせていた生地を取り出す。熱した鉄板へとろりと流せば、じゅわわとバターの焦げる芳しい香りが立つ。私もお腹が空いてきた。今日はお昼はなんだかんだと人が多くて、食べ損ねてしまったのだ。彼が帰ったら、売れ残りを食べてしまおう。
三枚きっちり焼いた後、バターを乗せて蜂蜜をかける。クリームや粉糖は彼は好まない。シンプルなのが一番、私もそう思う。
トレーにチェリーブロッサムケーキと合わせてパンケーキを載せ、彼が待つカフェスペースへ向かう。
「お待たせしました」
「ありがとう」
「あっ」
珍しく彼の豊かな銀髪に桜がついていて、私は内心、嬉しく思った。こういう隙を、彼は敢えて作ってくれる。
「どうかしたかな」
「御髪に桜の花びらがついておりますよ」
「そうか、取ってくれるか?」
「もちろんです」
優しく指で摘んで、桜の花びらを手に握り込む。捨ててしまうには少し惜しい。この会話は、この花びらが運んでくれた春風なのだ。
「取れましたよ」
「助かる」
「いいえ!ではどうぞ、ごゆっくり」
こくりと頷いた彼に一礼をして、再びキッチンへ。調理器具の片付けをしながら彼を盗み見ると、自然とナイフとフォークを手に取り、パンケーキにすっとナイフを入れていた。その仕草は洗練されて美しく、思わず見入ってしまうほど。
いけない、いけない。
お客様を不躾に眺めては迷惑だ。
気を紛らわすためにキッチン内の片付けをしていると、レジから鈴の音が聞こえた。気付けばもう三十分経っていて、今度はレジへ飛び出す。
「お待たせしました!」
「そう急がずともいい。勘定を頼む」
「はいっ、ありがとうございます……」
やってしまった。私のやかましい足音で彼に気を遣わせた。もっと落ち着きを持ちたいものだ。彼からロンド硬貨を受け取って会計を済ませると、ああそうだ、と彼が振り返った。
「新作のケーキ、美味だった。最後の一つを残していてくれたのだろう。感謝する」
「えっ、いえそのっ!ぁ、ありがとう、ございます!」
彼が店に滞在する時間は少ない。それだけ伝えて微笑むと、彼はすぐに店を出て闇へ溶けてしまった。
今日も素敵だったなぁ。またきてほしいなあ。
ふにゃふにゃとしゃがみ込み、火照る頬をクールダウンする。素敵な素敵な銀髪の人。甘いものを愛してくれる優しいひと。当初は父が残したこのケーキ屋を潰さぬよう必死にやったが、今は彼のためにケーキを作る日々だ。
「また来てほしいなあ」
ドアの看板をクローズにする。一月後のワルプルギスに向けた新メニュー開発も頑張ろう。
桜咲き誇る宵闇に、彼の銀髪が揺れたような気がした。