懐古邂逅言ったよね?ここに来ちゃだめだって。
二十年ぶりに故郷に戻ってきた。もともとここにある母の実家で暮らしていたが、父の転勤に合わせて引っ越し、その父が早死にしたことでまたここへ越してきた。あの頃は子供だった俺も、もう成人してしまった。すっかり変わってしまった街並みを惜しみながら歩く。
「うわ、この神社懐かし!まだあったんだ」
道路の脇から境内へ続く階段を見上げる。記憶の中よりもさらに古くなっているが、神社はまだそこにあった。別に今すぐ帰らなくてはいけないという訳でもないし、懐かしさに任せて階段を登った。
昔はよくここで遊んだものだ。爺ちゃんにはしょっちゅう怒られたけど。神社には物怪がいる、子供が一人で入っていったら攫われちまうぞって何回も何回も口酸っぱく言われた。それでも、こんな外見のせいで友達がいなかった俺は、毎日のように神社に行ってはそこで遊んでいた。
遊んでいたって、誰と?
急に頭が冷える。あと一歩で鳥居をくぐるというところで足が止まった。俺は誰と一緒にいたんだ?一人では無かったような気がする。思い出せない。
その時、チリンチリンと鈴の音がした。
「入らないの?」
低い声が響いた。バッと後ろを振り向けば、茶髪で着物姿の男が立っていた。彼を一目見て思い出した。
「いちはち」
俺がずっと一緒にいたのは、彼だ。
「・・・それで、何で帰ってきちゃったの?」
「え、なんか悪かった?」
いちはちは少し責めるような表情を浮かべつつ、冷えた麦茶を持ってきてくれた。縁側に座り、揺れる木々の新緑を眺める。
「覚えてないのも無理ないか。二十年も前の話だもんね」
「・・・?」
俺は訝しむようにいちはちを見た。忘れていることがあるなら教えてほしいのだが、残念ながらいちはちにその気はないらしい。
「もうここに来ちゃだめ。いいね?」
夕暮れ時、いちはちは神社の境内でそう言った。今まで見たことがないくらい厳しい表情だった。有無を言わさぬその姿に、俺は頷くしかなかった。
「ただいま」
「おかえりお兄ちゃん。遅かったね。どうしたの?」
家に帰ると、妹が出迎えてくれた。
「懐かしくてさ。散歩してた」
「そっか。お兄ちゃんはここに住んでた時のこと覚えてるもんね。いいなぁ、私はさぁ・・・」
俺よりも数年後に産まれた妹は、幼い頃はここで暮らしていたが物心着く前に越したので、ここのことは何も覚えていないのだろう。覚えてていいなぁと羨む妹の声を聞きつつ、俺は廊下を抜けて自室へ向かった。
夜、布団に寝転びながら一人考えた。どうして、あの神社に行ってはならないのだろう。爺ちゃんは物怪が出るとか何とか言ってたけど、そんなものは見たことないし信じちゃいない。俺が忘れている何かがそこにあるはず。考えてもわからなくて、気づけば眠りに落ちていた。
『こっちにおいで』
『さぁ、早く』
『神社で待っているから』
「ッ・・・!?」
バッと飛び起きれば、まだ東の空が白み出した頃だった。うなされていたようで、じっとりと汗をかいて気持ち悪い。布団を出てシャワーを浴びた。
よくわからない夢を見た。ずっと誰かが呼んでいる。暗闇から手が伸びてきて俺を無理矢理引き摺り込もうとするけど、バチィッと音を立てて見えない壁が手を弾く。気味が悪くて飛び起きた。一応朝方まで寝たのだが、全く寝た気がしなかった。
それから毎晩のように同じ夢を見るようになった。日に日に寝ていられる時間は短くなり、ついには一、二時間ほどで起きるようになってしまった。汗で寝衣がまとわりついて二度寝する気にもならないし、仮に汗を流してもう一度布団に入っても、またすぐに同じ夢を見て起きてしまう。さすがの俺も限界だった。
夜が明けると同時に家を出た。向かう先はあの神社だ。神社に向かった日から変な夢を見るようになったし、変な声も「神社で待っている」と言っていた。あそこに何かあるに違いない。
境内へと続く階段を登っていると
「こら、かるてっと!何やっとるんだ!」
と控えめな怒鳴り声が聞こえた。
「爺ちゃん!?」
母方の祖父が、階段の下から俺を見上げていた。どうやら朝の散歩の時間らしい。時間はずらして出てきたはずなのに、運の悪いことだ。
「そっちに行ったらいかんと何回も言っただろう!」
早朝だからか、近所に配慮して声はやや小さい。だが、空気の澄み渡るこの時間帯では、爺ちゃんの声はいつにも増してよく響いた。
結局俺は家へ連れ戻され、爺ちゃんから散々説教を食らうのだと思い身構えた。だが、意外にも爺ちゃんはいつもより優しい表情で俺の隣に座った。
「まぁ茶でも飲め」
俺は出されたお茶におずおずと口をつけた。何ら変わりない、家の茶の味である。
「お前、最近寝れとらんだろ?」
爺ちゃんはしわがれた声でそう言った。連日の寝不足のせいでできた目元のクマは隠しようがないので、俺は大人しく認めた。
「・・・やっぱりな。お前だけでも向こうに残るべきだった」
「え」
「実はな、お前は名古屋に残すべきだってアイツに言ったんだ。でも、話聞かねえで結局帰ってきちまった」
アイツとはきっと爺ちゃんの娘、つまり俺の母のことだろう。どうして爺ちゃんは、母さんに父の転勤先であった名古屋に俺を残すよう言ったのか。
「お前は神様に好かれとるって、ずっと昔にお猫様が教えてくれたんだよ」
俺の疑問を見透かすように爺ちゃんは言った。
「お猫様?」
「あぁ、そうさ。神社のお猫様だ」
「もしかしてだけど、爺ちゃんがずっと言ってた物怪ってやつ?」
「そうだ。まぁ、あのお猫様は悪い物怪じゃあなかったがな」
爺ちゃんはポツリポツリと過去のことを語り出した。
「邪魔するよ」
定年で仕事も辞めた俺以外家に誰もいないであろう真っ昼間を狙って、お猫様は家を訪ねてきた。かけてあった鍵もお構いなしに入ってきよった。その時点でわかったよ、コイツは人じゃねぇってな。実際、獣の耳とかフサフサした尻尾とかがあったし、一目瞭然だったんだが。物怪の類は信じちゃいなかったから、それはそれはたまげた。お猫様は伝えたいことがあるだけで敵意なんかはなさそうだったから、とりあえず客間に通したんだ。
「急に押しかけてごめんね。どうしても伝えなくちゃいけないことがあって」
「物怪が伝えたいこと?まさかこの家の誰かが呪われるとか?」
冗談めかして言ったつもりだったが、お猫様はあろうことか俺の言葉を一部肯定した。
「そう、呪われる。でもそれは未来の話」
「呪われるって、そりゃ誰だ!?」
「この家、小さい男の子いるでしょ?あの子だよ」
「・・・うちに男子は二人いる」
「え、そうなの?じゃあ言い方を変える。オッドアイの子・・・あの子は神様のお気に入りだ。近い未来、神隠しに遭いそうだよ」
「・・・やっぱりか」
孫三人のうち、二人が男子でもう一人が女子。長男のかるてっとは生まれつき左右で瞳の色が違うオッドアイだった。それが理由で友達ができなかったかるてっとが、駄目だと言っても聞かずに毎日神社へ行っているのを俺は知っていった。だからこそ、もし呪われるならかるてっとだと何となく分かってはいた。
「珍しいからね、オッドアイ。それに顔立ちも綺麗だし・・・神様は見目に一番拘るからね。綺麗な顔で珍しい瞳の色ともなれば狙っちゃうよね」
お猫様は他人事のようにそう言った。
「どうにかできないのか!?」
「方法ならあるよ」
「ほ、本当か!?」
「簡単だよ。ここを離れればいい。神様にも管轄っていうのがあってね。管轄外に行っちゃえばもう手出しはできない」
危ないから駄目って何回も言ってるのに来ちゃうんだよね。だからもう引き離すしかなさそう。お猫様はそれだけ告げると、帰っていっちまった。
「神様のお気に入りって・・・じゃあ夢の中でずっと俺を呼んでるのは・・・」
「あぁ、その神様とやらで間違いないだろうな」
「・・・・・・ねぇ爺ちゃん、父さんが転勤しなくても俺はここを離れなきゃいけなかったってこと?」
友達すらいなかったとはいえ、ここは幼き日々を過ごした思い出の場所だ。ここを離れるときは胸が痛んだ。
「うーん・・・。そもそも、お前の親父さんの転勤はこの件がきっかけだったからなぁ」
爺ちゃんは髭を触りながら唸る。
「え?」
「親父さんはな、もともと転勤の話は来てたんだが、子供が小せえからってずっと断ってたんだ。でも俺がお猫様の話を伝えたら、その日に転勤を決めて帰ってきよった」
「え、父さんに伝えた!?」
「親父さんはオカルト好きだったからなぁ。この話を信じて、お前を連れてここを離れてくれるんじゃねぇかと思ったんだよ」
確かに父さんはオカルトが好きだった。のめり込むほどでは無かったけれど、スピリチュアル的なものを並平均より信じていたような人だった。そんな父なら、お猫様の忠告も受け入れて転勤するのも納得がいく。
「転勤ってのはあくまでも建前で、アイツや周囲を納得させるちょうどいい言い訳だったんだろう。一番の目的は、お前を連れ出すことだった」
爺ちゃんはそう言って、茶をズズッと一口飲んだ。
「あ、だから俺を名古屋に残すように言ったってこと?」
「そうだ。だが・・・こうやって神様の管轄下に帰ってきたことで、また狙われるようになっちまったんだろうな。ここ最近何も無かったし、このまま無事に過ごせたらって思ってたんだがな」
悲しそうに言う爺ちゃんを見て、俺は一つ心当たりがあった。神様とやらに再び見つかってしまった、そのきっかけに。
「あ・・・俺、行ったわ。この前・・・あの神社に」
それからは散々怒られた。説教というよりかは、心配しているが故の小言だったけれど。
「お猫様に会いに行ってこい」
爺ちゃんは鋭い気迫で俺にそう言った。
「神社に行くのは危険だから代わりに行ってやりたいが、俺の足じゃもうあんな長い階段は登れねぇ。お前が行くんだ。ただし、絶対に日が暮れるまでに帰ってこい」
「わ、分かった・・・行ってくる」
歳をとって足を悪くした爺ちゃんに無理はしてほしくない。俺は意を決してもう一度神社へ向かった。
境内へ続く階段を登り、鳥居をくぐった。チリンチリンと鈴の音がして、振り返れば先日と同じようにいちはちが背後に立っていた。
「言ったよね?ここに来ちゃだめだって」
いちはちは随分と怒っているようだった。今にも俺に掴みかかって神社から放り出しそうなくらいにはメラメラと怒りの炎が燃え盛っているように見える。
「あのね、ここには悪い神様がいるの。神様ってみんながみんな良い人って訳じゃないから、悪さする神様もいるの。ここの神様はぶっちゃけ良くない。だから早く帰りな」
まるで子供に言い聞かせるようにいちはちは言った。
「あ、えと、それは分かってんだけどさ、あの・・・この神社に猫の妖怪とかっていたりしねぇ・・・?いや、その、なんていうか」
何言ってんだ俺。いちはちが何を知ってるっていうんだ。絶対こいつオカルト好きなんだなって思われてる。
「猫?あぁ、それ俺のことだね」
「え?」
バッと顔を挙げると、いちはちの頭から猫らしき獣の耳がぴょこんと生えていた。頭のソレに違和感を覚え、何回か瞬きし、目を擦り、頬をつねってみるが、ぴょこぴょこと揺れ動くソレは消えなかった。
「あのねぇ、これ現実だから。まぁ、信じられないのも仕方ないか」
いちはちは俺を神社の離れに招き入れた。
「なぁ、俺はどうすればいいんだ?」
「うーん・・・神様に見つかっちゃってるもんね・・・」
爺ちゃんと話したことを全ていちはちに伝え指示を仰いだ。こういうことは、同じく非科学的な存在の方がよく知っているだろう。いちはちは険しい表情で少し考え込んだあと
「にゃーすけ」
と縁側でくつろいでいた猫を呼んだ。にゃーと鳴いた猫は、トコトコと畳の上を歩き、いちはちの膝の上に乗って丸まった。
「この子はにゃーすけっていって、俺の式神の猫。神が夢を介してかるてっとさんを連れ去るのをこっそり防いではきたけど、防ぐだけじゃあそりゃ眠れないよね。この子と一緒に布団に入れば夢そのものを跳ね除けてくれるはず。ひとまずはこの子としのいで。その間に何とか対策を考えてみるよ」
つまるところ、現状打つ手なし。俺は掻き消せない不安を抱えたまま、にゃーすけと家へ帰った。猫なんて連れて帰ってきて!と文句を言われるかと思ったが、にゃーすけは爺ちゃん以外には見えないみたいで、俺は自室や爺ちゃんの部屋でにゃーすけと過ごすよう心がけた。にゃーすけを構ううちに気づいたのだが、にゃーすけは雌猫のようだ。女の子なのに“にゃーすけ”と名付けたいちはちのセンスが少し気になった。
飽きた。
妖怪いちはちさんと、神様に目をつけられちゃったかるてっとさんのお話でした。