きよしこのよる はあ……
南風は自室のベッドにごろりと転がり、今日何度目かの大きな溜息をついた。
なんてつまらないクリスマスなんだ。
ちらりと時計を見る。味気ないクリスマスの日ももう終わろうとしている。
「クリスマスにオフなんて、彼女とデートでもすればいいじゃないか」そう言って小突いてきた年配の機長には苦笑いで返すしかなかったが、本当は言い返したかった。
彼女なんていませんよ。女性に興味ないですし。なんで若いっていうだけで、クリスマスには誰かとデートっていう発想になるんですか?
もちろん、そんなこと一文字だって言えないのだが。
自分がクリスマスを誰かと一緒に過ごすなら—。
その人は、いま、まさにクリスマス本場の国にいる。
「南風、悪いな。俺、クリスマスに風信機長と北欧フライトだわ」
ニヤッと笑いながら言ってきた同僚の顔が思い浮かび、思わず拳で枕を叩く。
きっと今頃は、クリスマスの雰囲気で盛り上がる街を歩いて、クリスマスディナーなんかしたりして、ショッピングして——
「クソッ」
フライトスケジュールは自分ではどうにもならないとわかっているけれど、それでもやっぱり恨めしい。
その時、ベッド脇に放ってあったスマホが振るえる音がした。体を起こし、手を伸ばす。
画面を見た南風の胸が、どきりと跳ねた。
『遅くにすまん。いま、ビデオ通話大丈夫だったりするか?』
送り主は、いままさに頭の中にいたその人。
『はい、大丈夫です、風信機長』
機長からビデオ通話? そんなこと初めてだった。一体なんだろうと思いながら急いで洗面所に駆け込み、鏡で髪を整える。後ろに変なものが写り込まないことを確認して、ベッドの上でスマホを手に待つと、しばらくして着信通知が鳴った。おそるおそる受話器のマークをタップする。
『やあ、南風。急にすまん。いま家か?』
画面いっぱいに機長の顔が映し出される。外にいるらしい。揺れる画面。ザクザクという足音は雪だろうか。
「はい、家でごろごろしてました」
『そうか。いや、今晩は時差調整で起きているかなと思って』
次はアメリカ往復だろう? と機長が言う。
「ええ。よくご存知ですね」そう言って笑う南風に、機長はいやその、と目線を逸らす。
『クリスマスあたりはみんなどこに行くのかなあと思って予定表を見てたから……』
それはひょっとして、クリスマスの南風の予定が機長も気になって—? ちらりと横切って行ったそんな幻想を振り払う。
「あの、今日は、何で——なにかトラブルでも?」南風がおずおずと聞くと機長はいやいやと首を振った。
『いや、そういうわけじゃないんだが。うん、急にすまん』
気まずそうな顔をする機長に、南風は急いで首を振る。「いえ、そんな」
静かな沈黙が流れ、何か言わなければと南風は口を開いた。
「外、暗いですね。そちらはまだ夕方の4時とかでしょう?」
『ああ。こっちは緯度が高いからな』
ああ、そうだ機長はまさにウィンターワンダーランドにいるんだったと思い出す。
「そちらはクリスマスらしく賑やかですか?」
そう言うと、機長はふふっと笑った。
『いや、全然。閑散としている』
えっ、と驚く南風に、カメラが動き、周りの様子が見えた。その風景には見覚えがあった。確か、昼も夜もにぎわっている首都の町一番の繁華街だ。だが、画面の中の通りには、まばらに通り過ぎる人がいるだけだった。
『こちらは、クリスマスは祝日だからな。今ごろはみな家族で過ごしている頃だろう。店も全部閉まっているし、人もたまにいるのは観光客だけという感じかな』
「え……じゃあレストランでクリスマスディナーとか出来ないんですか?」
『俺の今日のクリスマスの食事は、アラブ系の店のケバブサンドだった』
彼らはクリスマスは関係ないからな、と機長が笑う。
「そうなんですか……」あっけにとられる南風に機長が頷く。
『まあ、でもクリスマスらしさが全然味わえないってわけでもない。で、ちょっとお前に見せたいものがあって』
「え?」
『ほら』
カメラが揺れ、風景がぐるりと動く。
次の瞬間、画面に現れたのは、大きなクリスマスツリーだった。
ツリーを包む金色に輝く無数のライト。その眩い光が、天を目指すかのように伸びている。
『市庁舎の広場のツリー。綺麗だろう?』
「すごい……」
『……一人で見るのも寂しくてな』
はにかんだような声が言うのが聞こえた。
暗い空にツリーの煌めきが浮かび上がって、それは言いようもなく幻想的な景色だった。
画面に時折白いものが横切る。
「機長、寒くないですか?」
『ああ、大丈夫だ。まぁ北欧だから雪は降るさ』
画面に機長の顔が戻ってくる。ベンチか何かに腰掛けたらしい。後ろにツリーが入るように、カメラの位置を調節してくれている。それだけのことで南風の心が暖かくなる。
『あ、そういえば、行きのフライトでサンタのソリに危うくぶつかりそうになった』
「上空一万メートルで?」
『ああ』機長が得意げな顔をする。
「……機長がそっちに着いたのって24日の朝じゃなかったでしたっけ?」
南風の言葉に、機長はしばし斜め上を見つめた。
『……あわてんぼうのやつだったんじゃないか?』
「あ、なるほど」
しんと静かな時間が流れる。
『クリスマスソングでもあると雰囲気が出るんだがな』と機長が笑う。だが南風の部屋には残念ながら、音楽プレーヤーなどはなかった。
いや、待て。
「ちょっと待っててください」と言って南風はベッドから降りる。
南風が持って戻ってきたものを、画面の向こうの機長が覗き込む。『それは?』
「えっと、スノードームです」
それを扶揺から貰った経緯を話す。
「まったく。あいつ、突然呼び出すんですよ」
『ま、玄真航空の奴らにそのあたりの気遣いは期待するな』機長が大げさに顔をしかめてみせる。
『でも、早くお前に渡したかったのかもしれないぞ』
「ええ。まぁかさばるし、さっさと渡しちゃいたかった、の方が近い気もしますが」
二人のため息と笑い声が重なる。南風はスノードームをひっくり返して底に手をやった。
「これ、実はオルゴールなんですよ」
キリキリとネジを巻き、ベッドの横のテーブルに置く。チリン、チロリンと軽やかな音が響く。
「聞こえます?」スマホを隣に置くと、機長が『ああ』とにこやかに頷く。
Silent night,
Holy night …
機長が英語で口ずさむのが聞こえた。
スノードームの中で静かに雪が舞う。
画面の向こうでは、静かに輝くツリーと、雪がはらりはらりと舞う空を見上げる機長。
静かな夜。聖なる夜。
なんて穏やかで幸せに満ちた時間なのだろう。
あんなに速い飛行機で十時間以上飛んでやっとつくほどの距離を隔てているのに、まるでドームの中の犬たちのように、機長と一緒に空を見上げているような気がした。
『南風』
機長の声がして我に帰る。
『今年もよく頑張ったな……お互い』
「そうですね」
『こうやって……』機長は少し言葉を切ったあと、ふっと息を吐いて続けた。
『年の最後に、お前とクリスマスを過ごせてよかった』
南風の口元の笑みが深くなる。「俺もです」
『来年は、どこのフライトで一緒になるだろうな。ま、スケジューラー次第か』
「機長」こんなふうに過ごす時間も最高だ。でもやっぱり──
「俺、やっぱりいつか機長とクリスマスに飛びたいです」
南風が言うと、機長はふーむと顎をなでた。
『じゃあ南風、突然だがテストだ』
「え?」
『サンタのソリが前方に現れた場合の対処法は?』
南風は一瞬考える。
「高度を下げて、方向を360度修正、ですかね」
機長の頬がニッと上がる。
『正解だ。彼らの上を通るのは航空法違反だからな』
「じゃあ、いけますかね、来年は?」
『それは……サンタさんにお願いしろ』
白い息を吐いて楽しそうに笑う機長を見ながら、南風はどこかの上空一万メートルを飛んでいるであろうサンタに願った。サンタクロースにこんな真剣なお願いごとをするのなんて何十年ぶりだろう、と思いながら。