冬の冷たい空気に冷えた指先をこめかみに当て、この何百年繰り返し唱えた口令を唱える。
なんど年を超しても、同じことをやっている自分が可笑しい。
『なんだ、風信。私は下界で任務中なんだが』
そして、なんど年を越しても変わらない不機嫌な声が返ってくる。
「なんだかお前の声がききたくなった、と言ったら怒るか、慕情」
沈黙が返ってくるが、通霊は切れてはいない。
「最近信徒が増えてきた東の異国に来ているのだが、この国は年越しだというのに花火の一つもあがらない」
通霊の向こうで、はん、と鼻を鳴らす音がする。
『お前は本当に、花火だの爆竹だの賑やかしいのが好きだな』
「だって、年越しにはやはり目出度く賑やかにいきたいだろ? なのに、さっきから静まりかえっていて、なにやら陰気な鐘の音が何度も——」
『仮にも神官なら、他の信仰をくさすのは礼儀に反すると思うが?』
「これは、なにかの信仰なのか?」
『知らんのか。人の煩悩を百八個として、それを祓うものだときいたことがある。まあ、お前の煩悩は百八では足りんだろうが、その地の全部の寺院を総動員すればなんとか足りるかもしれんな』
まったく、一言聞けばその百倍罵りが返ってくる。風信の眉間に皺が寄る。
「年明け早々に、お前の有難い罵りが聞けて最高だな」
向こうでくすくすと笑う気配がする。
『騒がしいのがご所望だったのだろう? それにしても、かの南陽将軍が、錆びた鉄柵に一人腰かけてぶつくさ言っているなんて寂しすぎるぞ』
「……は?」
風信は気配を感じて、はっと後ろを振り返った。その視線の先には、片手のこめかみに指を当て、もう片方の腕をゆるりと背に回しながら歩いてくる姿があった。風信はゆっくり指をこめかみから外す。
「慕情……」
「ふん、奇遇だな。私の信徒もこの地で増えてきていてな」
にやりと笑う顔が目の前に立つ。「だが、なんなんだこの場所は?」慕情が眉を寄せる
風信が顎を撫でる。「いや、信徒は増えているが、まだ殿は立っていなくてな。どうも各々の住処に祀られているようなんだが、信徒たちが集まる場所に降りてみたら——」
「こんな繁華な場所だった、と」
風信がああ、と頷く。慕情が柵の下の建物を軽く覗き見る。
「ここなら知っている。私の立牌が売りに出されて即売り切れたとか」
そう言って慕情がにやりと笑う。「お前のはそんなことはなかったらしいが」
風信がふんと忌々し気に腕を組む。
「だが、こんな場所にいなければいけないこともあるまい。風信、もしお前がここで腐っていたいならいいが——」と言う慕情の手に斬馬刀が現れる。
「そうじゃないなら、もっと別の所に行かないか?」
浮かせた斬馬刀にひらりと乗る慕情を、風信は目を丸くして見つめた。こんな誘いは初めてだった。「あ、ああ、構わん」
風信は、少し迷ったあと、髪に手をやりながらおずおずと言った。
「その……後ろに乗ってもいいか?」
「お前の弓は?」「どうも乗り心地が……」
慕情は呆れたように目を回して見せ、そして言った。「まあ、いいだろう。今日は特別だ」
「ほんとか?」風信は笑みを浮かべて斬馬刀にひらりと乗った。
冷たい空気を割るように二人を乗せて刀は夜空を飛ぶ。風信は、そっと慕情の腰に手を回した。さすがの慕情でも御刀中に振り払うことはしないだろう、と。
たどり着いたのは山の中腹の開けた場所だった。
「ここは?」風信が聞く。
「星を見るための場所らしい。今は使われていないがな」と言って慕情は顎をしゃくった。「良い眺めだろ」
風信も振り返る。その目が見開かれる。
眼下に、人々の暮らす町の明かりがきらきらと煌めいていた。
石の壁の上を軽く払い、慕情が腰かけた。風信もその隣に座る。
「美しいな」「ああ。だが、まだこれからだ」と慕情。
二人の視線の先で、遠くの山の稜線が薄っすらと明るみだす。
星々を湛えた濃紺が、少しずつ茜色に染まっていく。そしてその光の主が、もったいぶるようにその頭の端をのぞかせ始める。
「新年快乐」
囁くようなその声に、風信は横を見る。新しい年を告げる光に照らされた、その穏やかな横顔を見つめたあと、風信も顔を前に戻す。
「新年快乐」
変わらず繰り返される新年を抱擁するようにそっと言うと、隣で微笑みを浮かべる気配がした。