今は昔、竹取翁という者ありけり。野山に混じりて竹を取りつつ、よろずの事につかいけり。
「おにいちゃん、ご本読んで」
「ああ、いいだろう。姫は何の絵本をお望みだ?」
「んーとね、今日はね、これ!かぐやひめ!」
「わかった。この兄が姫に読み聞かせてしんぜようぞ」
「?」
「ふふ、すまない。少々難しい言葉を使ったな」
輝矢の姓を持つ者として、かぐやひめという話とは並々ならぬ縁を感じていた。竹取の翁が光る竹から見つけた、三寸…9cmほどしかない赤子。その赤子が絶世の美女へと成長しあらゆる貴族の男達を軽くあしらい、ついには帝の心すら弄ぶ。自由の限りを尽くす彼女を、誰も嫌いになれない。
姫ことかわいい妹に、伝わるよう本を読んでいく。このあらゆる科学が発展したJPNでアナログな読み聞かせというのは、慣れていない人間には骨折り物だろう。今どき機械に話しかけてできない事はほとんどない。それでも幼少のみぎり、本を読み聞かせてもらった記憶というものはある。それだけ読書体験というのは人間の成長に好影響を及ぼすのだろう。僕は責任を感じつつ、丁寧に、感情を込めて読み聞かせる。
かぐやひめは、羽衣を着せられた途端、おじいさんやおばあさん、帝をはじめとする貴族と過ごした今までの日々を全て忘れてしまいました。
「ひめ、我々の月に帰りましょう」と、月の従者たちはかぐやひめに言います。からっぽになったようなかぐやひめに、おじいさんは必死で「ひめ、ひめや、私たちのことをわすれないでおくれ」と言います。
「…しかし、もうすっかり忘れてしまったかぐやひめに、おじいさんの言葉は届きませんでした」
「おじいさんかわいそう…」
「ああ。…本当に」
かぐやひめを読み聞かせるのは初めてではない。わずかな期間で何度も何度も読み返し、話の内容はいつのまにか僕の思考の一部となっていく。
僕の止まっている時間。あの日、あまりにも眩しくて目を開けられなかった光の中消えた父は、僕の事を覚えているだろうか?考えても仕方のない事を考えて、最後まで本を読み上げた。
絵本の内容は子ども向けで、内容はそれなりに多く端折られている。教科書で習う竹取物語のラストは、かぐやひめが残した不老不死になれる薬を竹取翁の命令を聞いた人々が山の上で焼きに行くというもの。かぐやひめがいなければ、こんな薬は意味などないと言う竹取翁の愛の話だ。
「姫、かぐやひめは好きか?」
「ふつう」
「そうか。どうしてなのか、聞いてもいいか?」
「んー…かぐやひめが月に帰っちゃうの、やだもん。おにいちゃんが私のこと、幼稚園に迎えにくるのと一緒でしょ?」
「姫は僕がお迎えに来るのいやなのか?」
「いやじゃないけど…お友達と離れちゃうのは、やだ」
「姫はいい子だ」
頭を撫でてやり、その素直さを失わなければいいと切に願う。“お友達”に負けたようでいささかショックだが。
「おにいちゃん次の本読んで」
「ああ、勿論だ」
僕にとってはわがままな女性として、かぐやひめを認識している。求婚を無理難題で跳ね除けるところもそうだし、なにより不老不死の薬を拒むのはわかるが、月で作られた平安時代にはオーパーツとも言えるその薬を置いていく点は見過ごせない。月の従者達に飲まされかけたが拒んだ、不老不死の薬。私だと思って、というにはあまりにも責任が伴うものなのに。何故月の従者が見逃したのかもわからない。月ではありふれたものなのだろうか?
千年も昔にそんな薬が作られていたのなら、地球人は今の科学でも敵わないのだろうな。宇宙人が攻め入ってくる日が来るとして、僕はアストロノートに間に合っているだろうか。———父さんは、帰ってくるのだろうか。
あの日、UFOを見た。認識はできなかったが、間違いなく僕はそれを見たのだろう。ステルスか目が眩んでいたからなのか、次元が違うからか。様々な仮定も今は思いつく。
つまり、僕にとってはうっすら信じていた宇宙の神秘はあの日皮肉な事に確信となった。今の僕は宇宙人も別惑星の文明も、全てあるものだと思っている。疑われて仕方ない確信も、確信を裏付けた事実も、全て事実無根と言われようと。
月の裏側はもう人の足が入っている。月に生命体はいないと何年も前に調べ尽くされている。
「月」は本当に地球の衛星である月を指していたのだろうか?かぐやひめが夜空を眺めていたのなら、輝く星ひとつひとつを見る代わりに、一点を見つめていた可能性があるんじゃないか。
「…おにいちゃん」
「ん?どうした?」
「じぶんで読む」
「えっ?」
もしかして、上の空で読んでいる事がバレていただろうか。なんて聡い妹なのだろうか。どうしても僕の思考はすぐに星が輝く宇宙へと飛んでいってしまう。まさか読み聞かせの途中でこうなるとは、まだまだ僕は未熟だ。
「すまないな。僕が不甲斐なかった」
「いいよ」
でも、じぶんで読むからねと振られてしまい、僕は仕方なく姫を眺める。
姫と僕は違う。父親が違うというのもあるが、違う人間だ。姫の時はまだ動いていて、僕の時は停滞している。姫は僕のように燦然としたまばゆい光に、数多の星々に、呼吸ができないほど狂おしい宇宙に魅入られる人生は、きっと歩まない。
僕だけの使命なのだ。なんて、烏滸がましいだろうか?
生まれてたかが16年。父さんがいなくなって気がついたら10年。停滞している僕の時間はやっぱり、動いているには動いているらしく、僕の背負うものは段々と増えていく。アストロノートになる夢、父さんを取り戻す使命、観光区長である僕。
HAMAハウスに住むようになってわずかな期間で信頼できる知人がとても増えた。全員、僕よりも年上である事がより信頼度を上げる。そういえばあの寮ではうーちゃんが最年少じゃないか?と言ったらうーちゃんにものすごく嫌な顔をされたな。
不思議な人というのは、何も父さんや僕だけじゃないらしい。寮で誰よりも不思議な人は、間違いなく夜班の夜半子タろさんだろう。ミステリアスなオッドアイ、紫の髪。カラーコンタクトにしては随分と発色がいい気がする。果たしてあの方は何者なのだろうか?本当にヨロズなのだろうか?
「おにいちゃん、どう?」
「ああ、とても上手に読めているな。姫はすごい」
「えへへ」
兄であるから僕はこの子も守らなくちゃいけない。可愛くて目に入れても痛くない妹。僕と半分しか血の繋がっていない子ども。今からこんなに聡明でどうしようか。僕が守られるんじゃないか?
本を読み終わったらしい姫は僕の膝の上に乗って、目を合わせた。
「おにいちゃんは、何の本が好き?おほしさまの本?」
「そうだね、僕は宇宙に行きたいから、沢山星の本を読んで学ばなければならないんだ。アストロノートに早くならないといけないから」
「…ならないと、いけないの?誰かにおこられるの?」
「怒られないけど…」
あれ?いつから僕は、アストロノートに“間に合わなければならない”と思うようになっていたんだ?
「おにいちゃんがおこられるわけないもんねー」
「そうかな」
「だっておこられてるとこ、見たことない」
見せた事がないだけだよ、と言おうとして本当に怒られていない事を思い出す。もう何年も僕は規律と鍛錬と清廉潔白な日々を送ってるんだな。
これ以上書けない(T-T)です