蒼い流星「……ま、こんなもんだろ。アイツが戻ってきたら感触聞いてまた調整すっか」
作業の手を止め、額の汗を拭った細身の青年は軽快な動作でハシゴを数段飛ばし、格納庫の地上に降り立った。
いつの間にか太陽は空高く登っており、
朝から同じ姿勢で作業を続けたせいか肩も首も凝り固まっている。
「バールベリト先輩、もうお昼の時間っすよ!
今日のメニュー人気あるヤツなんですから、早く行かないと無くなりますよぉ」
通路から覗き込んできた部下に声をかけられる。
おー、と手をひらひら振って応じながら午後の整備計画を頭の中で組み立てる。
特務七課第二整備班主任という肩書きを与えられてはいるものの、
その役職名で呼ぶ部下はあまり居らず先輩先輩と親しげに声をかけてくる者の方が多いのは、誰にでもフランクな彼の人柄故だろう。
「戦況はどんなもんかな……ま、アイツならさくっと終わらせて夜には戻ってくるかな。珍しく欲しがってた新装備、早く見せてやりてぇな〜」
専属メカニックとしてサポートしている部隊長の任務に思いを馳せながら、楽しげな足取りで格納庫を後する彼の気分に呼応するかのように、長い髪が軽やかに揺れていた。
◆
『敵性体反応の消失を確認……増援反応は無し。
任務完了となります。皆さん、お疲れ様でした』
本部オペレーターからの通信を確認し、白銀と蒼を基調としたスーツに身を包んだ屈強な部隊長はふぅ、と一息吐いた。
『エウリノーム部隊長、迅速な任務の遂行に感謝いたします。
帰投準備を進めておりますので、合流座標をお伝えするまで待機をお願いいたします』
「うむ」
端的な返答と共にヘルメットを脱ぐと、艶やかな漆黒の髪束が背中へと流れ落ちた。
以前とある人物から『なんつーか、オマエの目って宵の空みてーだよな』と評されたこともある瑠璃色の瞳が黄昏の空を静かに見つめていた。
部隊のメンバーに待機指示を伝え、自身の駆る愛機エウリドゥームの点検を粛々と進める。
メカニックに一任するパイロットも多い作業ではあるが、
オマエは機体にすっげぇ無理させてる自覚を持ちやがれ!と怒られてからは帰投前の彼の習慣と化しているらしい。
無事に任務を終えたことの安堵感から、どこか気怠げで穏やかな日没を迎えようとしていた刹那、緩慢な空気を切り裂くかのような割れんばかりの音量で再度通信が入った。
『……急事態!緊急事態!全部隊に告ぐ!』
各々好きに過ごしていたメンバー達がなんだなんだ、と集まってくる。
『先刻、本部に対し未確認敵性体による襲撃が発生。管制室機能は維持されていますが、被害の全容は不明、爆心地は格納庫付近と予想されます』
『現時点で居住エリアは半壊、格納庫付近は全壊と報告を受けています。住民の避難は済んでおりますが整備班を中心に連絡が取れず、全員の安否確認は行えておりません』
冷静に報告を聞いていたエウリノームの頭を、馬鹿でかい鈍器で殴られたかのような衝撃が襲う。
頭が真っ白になる、という表現では生温い。
心臓が破裂しそうなほど胸に叩きつけられ、拍動は痛みにも似た激しさを持ち全身が沸騰するような感覚に陥る。耳にはごうごうと落ちる濁流のような血流の音しか届かない。
あいつは?無事なのか、バールベリトは、
『本部通信網がいつまで保つか保証は出来ません。
出撃中の各部隊は帰投せず座標指示に従って合流、母艦からの指令が下りるまで待機してください。繰り返します。出撃中の各部隊は……』
それ以上何かを考える前に身体が動いていた。
「隊長!?どこに行かれるんですか、合流の座標は……」
「M72に向かえ。オマエ達はプルソンの部隊と合流しろ」
「し……承知いたしました!ですが隊長は……」
「……ッ」
困惑する部下達の問いかけにそれ以上答えることはなく本部への最短ルートを進路に定め、一瞬で加速し蒼い流星の如く遥か上空へと消えて行った。
「隊長のあんな顔、初めて見た」「俺もだ。いつも冷静で何考えてんのか分からない人だったが」「あぁ、なんだろう、すげぇ焦ったような、何かを怖がってるような……?」
「おいコラ、何モタモタしてんだ!指示は受けただろうが。合流地点に急ぐ!準備しろ!」
戦士としても一騎当千の実力を持ち任務至上主義、余計な感情は持ち込まず敵に一切の情けは無用、という冷徹さで名を馳せていた部隊長の異変に動揺しつつも残された部下達は合流に向けて慌ただしく動き始めるのだった。
◆◆
最高速で本部へと向かうエウリノームに通信が入る。
『エウリノーム部隊長、何をなさっているんですか!?貴方に帰投指示は出ておりません。今こちらに戻るのは危険です!』
「……」
『貴方に万が一の事があれば、我々の反撃はますます困難になります!世界の命運がかかっているのです、今は退避を……エウリノーム部隊長!聞こえていますか、部隊……ッ』
ブツン、と通信を強制切断し、汗ばんだ手で操縦桿を握り直す。
世界の命運がなんだ?知ったことか。
俺はオマエと視る世界が好きだ。
俺はオマエと巡る世界が好きだ。
俺はオマエが居る世界が好きだ。
では、オマエがいない世界に何の意味がある?
ただ飛ぶことしかできないこの瞬間をもどかしく思いながら、胸に叩きつける痛いほどの拍動が残酷に時を刻み続ける。
過ぎていく時間と共に悪い方にばかり思考が傾く。
◆◆◆
永遠にも感じられた時間がやっと終わりを迎え、目的地が見えてきた。
遠くからでも拠点の壊滅具合が見て取れ、あちこちから黒い煙が立ち昇っており建物は見る影もない。
だが、降り立つべき場所は身体が覚えている。
瓦礫で埋まり各所が露出した格納庫跡に機体を寄せ、着陸を完了する間も惜しんでコックピットから飛び降りる。
「……バールベリト、戻ったぞ!……バールベリト!」
自身の喉から発した第一声は驚くほど掠れ、震えていた。
オマエはこの瓦礫の山の何処かで助けを待っているのではないか、それともすでにこの場には居らず避難しているのか?無事であるならばそれで良い。だがもしも、もしも……
身体を締め付け、内臓を捻り潰されるかのような不安を振り払い名前を呼びながら歩き出す。
地面を踏み締め、割れたガラスを砕く重苦しい足音を除けば不気味なほどの沈黙がその場を支配している。
エウリノームは、出撃の度に活気溢れる格納庫に訪れる束の間の静寂が何よりも好きだった。
皆が寝静まった後、ふたりで穏やかに語り合う時間が好きだった。
オマエの宵の空のような瞳の色が好きだ、と彼が言ってくれたあの瞬間が思い出の中で色褪せることはない。
だが、今この場を支配している静寂はあの時とは何もかもが違う。
膨れ上がる不安と焦燥感で呼吸が上擦ってくるのを感じながら、ただひたすらその愛しい名を呼び続ける。
◆◆◆◆
捜索を始めてからどれほどの時が経っただろうか。
高く積もった瓦礫の一角から何かの気配を感じ、エウリノームは警戒を緩めず呼吸を震わせながら近づいていく。
瓦礫に伝う髪が見えた。
まるで夜明け前の空のような、紫紺の滑らかな長い絹糸のような、見間違えるはずがない。すぐそこに居る。
「バールベリト、おい……バールベリト」
「聴こえているんだろう、返事をしろ」
応答はない。
心臓が喉から飛び出そうなほど苦しい拍動を感じながら、一歩、また一歩と近づいて行く。
顔は奥を向いているようで、ここからでは表情は読み取れない。
瓦礫の隙間に上手く滑り込んでいるのだろうか?何処かが圧迫されている様子は見受けられない。
手を震わせながらグローブを外し、そっとこめかみに手を添える。
生暖かくぬるり、とした感触に心臓が更に拍動を強めていく。
「……おい、聴こえているんだろう」
いつも通りの気怠げな返答を期待しながら首筋に手を滑らせていくと微かな拍動と呼吸を感じ、エウリノームは震えながら深く深く長い息を吐いた。
大丈夫だ、息はある。
右目付近に大怪我をしているようだが、少なくとも息がある。バールベリトは無事だ。
安堵がエウリノームの脳髄を溶かしていく。ようやく全身の震えが治まったようだ。
軽く呼吸を整えた後、傷口に衝撃を与えないように左腕でそっと肩を抱き、右腕は膝下に滑り込ませる形で細身の体躯を瓦礫の隙間から抱え上げた。
「んぁ……れ、なに……?」
抱えられたことで目が覚めたのか、腕の中のバールベリトがもぞもぞと動き出す。
「頭ぃ……ってぇ……
あ、エウリ、ノーム……?」
髪色よりも明るい紫の瞳がエウリノームを捉える。
流石に混乱しているようだが、意識はある程度ハッキリしているようだ。
「あぁ」
「ん……あれ、なんだっけ……意識トんでたのかな、俺」
「そのようだ」
「あ、だめだ右目やばいかも……ッいって……でもこれ、アレだな。
眼帯付ければオマエとお揃いになんじゃね?悪くねーじゃん」
「……」
「なに、オマエ?さっきから下向いて……え?
ちょっとまって泣いてんのか?お、おい……」
「……」
「つーか任務はどうしたんだよ?
あ、とっくに終わった?んで通信聞いて最速でぶっ飛ばして来た、と」
目を丸くしながら困惑し、ひとりでよく喋るバールベリトの手をエウリノームはいつの間にか固く握りしめていた。
「あー、うん……心配かけちまったよな、悪ぃ……来てくれて、ありがとな。
でもよ、俺はオマエをずっと待ってる、オマエも必ず帰ってくるって約束したんだ」
「あぁ」
「だからよ、その、死ぬわけねーだろ、な?」
「……あぁ」
二度と離すまい、と言わんばかりの強さで握りしめられたエウリノームの左手に自身の右手を添えてバールベリトは穏やかに微笑んだ。
取り戻した静寂の温もりを抱きしめながら、エウリノームはゆっくりと歩き始める。
「つーかよ、抱え方おかしくね……?」
「文句を言うな。妙なところを負傷したオマエが悪い」
「はぁ!?なんだその言い草は……ッてて……まぁいいけどよ。
ここからどうすんだ?」
「一帯を見て回った時、地面に妙な大穴を確認した。
上空からの襲撃を警戒していた俺達の盲点を突かれたのではと思ってな」
「へぇ、奴らの根城はソラの上じゃなくて地下にあるかも、ってこと?」
「そういうことだ。探ってみる価値はある」
「そういうことかぁ……」
「俺達はまだ負けた訳ではない。
ここから反撃と洒落込もうじゃないか。フフフ……」
「なんだよ、楽しそうじゃねーか……
じゃ、まずはベルゼブフん所に向かう感じ?」
「そうするとしよう」
りょーかい、とバールベリトは軽く頷く。
「そーいやよ、他の連中はあん時先に部屋に戻ってたからな。
派手にやられたように見えるが部隊そのものは案外無事なはずだぜ」
「ほう、それは何よりだ」
「いや、オマエ隊長だろ!?もっと部隊の連中のこともさぁ……」
「善処しよう」
すっかり調子の戻ったバールベリトとテンポよく会話を続けながら、
エウリノームは来た道を戻って行く。
安堵に包まれた彼の気分に呼応するかのように、長い髪が穏やかに揺れていた。
Fin.