声ばかりはどうしようもない、と審問官は語った。「ソローネ君、念のため確認しますが、これは拷問器具ではないのですよね」
「ただのコルセットだよ、名探偵。つべこべ言わず息吐きな」
好奇心に従って謎に首を突っ込んだのは名探偵で、それに乗っかったのは助手だった。
曰く、ニューデルスタの遊戯場で、最近富豪の女性ばかりが客として集まる賭博が行われているらしい──と。
なぜ女性ばかりなのか?一体どんなことが行われているのか?
「気になりませんか?」
いつもの胡散臭い微笑みで、名探偵こと異端審問官テメノスはソローネに問いかけた。
夜間にニューデルスタの裏通りを一人で歩いて情報収集する神官なんて、大陸中探してもこいつくらいだろうなと思いながら、ソローネはグラスに残ったワインを飲み干す。
裏通りのあの遊戯場は、ソローネにとっては実家のようなものだ。今は裏の主人が不在で、表の主人である支配人が何かを新しい商売をやり始めたのだろう。気にならないかと言われれば気になる。とはいえ、ソローネは顔が割れている。得意の変装も、見知ったディーラーや支配人には声や振る舞いで気付かれてしまう可能性が高い。彼らは人を観察することに長けている。
「蛇の残党もうろついてるしね、私はちょっと無理かな」
「ふむ、それは困りましたね。君であれば潜入も容易かと思ったのですが」
顎に手を当てて考えるテメノスの整った横顔を見て、ソローネはふと、思いついた。
「………いけるかも」
「何か妙案が?」
「簡単だよ。あんたが"女"になればいい」
──と、大見得を切ってはみたものの、作戦は早くも難航していた。
「むずかし…」
ソローネは元々メイクが好きだ。服を選ぶのも好きだ。道行く人の服装やメイクも気になる。すれ違った人を見て、あれは真似したい、あれはああすればもっと良くなるはずと思うこともある。
人を女装させるのは初めてだが、今回は素材が良いので余裕だろうと踏んでいた。
テメノスは細身だし、年齢のわりに顔も幼い。目も大きいし、ヒゲも薄い。まともにケアらしいケアはしてないにも関わらず、素肌はソローネよりキメが細かく、目立ったトラブルもない。正直ムカついた。
ところが、馴染みの服屋から衣装や小物を用意して宿に戻り、渋い顔をするテメノスをまず着替えさせると、そうは簡単に行きそうにないことが判明した。
「あんたって…しっかり男なんだね」
「何を今更」
呆れ顔のテメノスを無視しながら、ソローネは唸った。一歩下がってテメノスの姿を上から下までじっくり観察する。
女性もののドレスを着た、紛れもない”男”が目の前にいた。
テメノスが細くて中性的と感じるのは、彼を男性と認識しているからこそなのだ。他の男性と比べてそう見えるというだけで、女性の格好をさせれば、比較対象は女性になる。そうなると、肩幅が気になり、喉仏も目立つ。フェイスラインも手指の作りも、パーツだけ見ればきちんと男性のものだ。身長も女性にしてはかなりある。
もちろんそれを見越したうえで、男性らしいパーツを隠せるよう服も小物も用意した。ウエストのくびれを作るためにコルセットもだ。
が、いざ着せてみるとどうにもしっくりこない。顔はメイクでどうにかなるが、体の骨格をごまかすのはこんなにも難しいものか。
「まず肩幅が邪魔。あと手が大きすぎ。顔は可愛いのに体が可愛くない」
本人にはどうしようもない要素を指摘されて、テメノスは苦笑いするしかない。
「怒るべきところとは思いますが、君の真剣さに免じて聞かなかったことにしましょう」
テメノスは宿から借りた姿見を改めて見る。ソローネとともに並んで映る自分は、とても聖火教会や聖堂機関の人間には見せられなかった。先ほどソローネに無理やり装着させられたコルセットのせいで浅い呼吸しかできない。
「これは計画倒れですかねぇ」
そう言って、テメノスはソローネを揶揄するように衣装を着たままひらりと一回転して見せた。長い裾がふわりと広がる。ソローネは不満げに口を尖らせた。
「…まだ無理とは言ってないよ」
「おや」
テメノスが見ると、ソローネは至って真剣な表情をしていた。発案者として、変装のプロとして、完璧な仕事をすると決めた瞳である。
「こうなったら意地。絶っ対あんたをどの角度から見ても貴婦人にしてやる」
「…頼もしいことで」
テメノスは観念した様子で、それ以上無駄口をたたかなかった。
宿の階段をゆっくりと降りてくる足音に、ラウンジで談笑していた仲間たちが振り向いた。
ソローネに手を引かれて姿を現した"貴婦人"に、一同は口々に驚きの声を上げる。
くびれたウエストからふわりと裾が広がる深緑のロングドレス。ドレスと同系色のつばの広い帽子。帽子の下から除く顔は、元々の中性的な顔が化粧によって一気に華やかな印象になり、上品な紅色がその唇に引かれていた。地毛に馴染んだ銀髪のウィッグがフェイスラインを、首に巻かれたシルクのストールが喉仏を、男性と分かるパーツを巧みに隠している。黒いレースの手袋など、小物類はシックなものでまとめられており、その姿はどこからどう見ても旅人向けの宿には似つかわしくない麗しき貴婦人であった。
テメノスとソローネが何かをしようとしている、という話だけを聞いていた仲間たちは、二人を取り囲んで思い思いの感想を述べ始める。
「どひゃー!誰かと思ったらテメノスさん!?」
「まぁまぁ…!ソローネがやったの?すごいわね!」
「何のジョブ?」
「ちげーよオーシュット。こりゃ女装ってやつだ」
「……理解できん」
「しかし、見事だ」
仲間たちの反応に、ソローネは満足げにほほ笑んだ。
「だってよ、名探偵」
テメノスは手袋を着けた手で、扇子を開いて口元を隠す。
「…優秀な助手がいて、有難いかぎりです」
「うっわ、喋ると普通にテメノスさんだべ!!」
アグネアの反応に、全員が声を立てて笑った。