「ただいまー。千早―。帰ったぞ」
玄関を開け、室内へと上がる。
同居している千早は、この手の挨拶はきちんと返す。
返事がないのは風呂に入ってるか、余程聞きたい新譜が出て、それに聞き入っている時だ。
とはいえ、風呂場の電気はついていないし、曲に集中したいときは事前にメッセでその連絡が飛んでくる。
真正面にある、リビング兼ダイニングルームの明かりはついている。ソファで寝てんのか?と思いながらドアを開ければ。
「とーどーくんだ。おかえりなさーい~」
ソファにごろりと座り、ワイングラスを掲げながら千早がとろりと微笑んだ。
ローテーブルを見れば、深い赤色をしたワインボトルと、そのワインボトルの半分ほどの背丈の金色のボトルがあった。
「買ったのか?それ」
「かなめくんからもらったんです。きよみねくんと、やまなしに、りょこう行ったって」
なるほど。たしかにワインボトルはどちらも「甲州」と書いてある。
「よく騒ぎにならなかったな……」
要も清峰もプロ入りを果たしている。清峰にいたってはあの高身長と美しい顔の作り。プロで活躍してなくても目立つ男だ。普通の観光をしたら目立って遊ぶどころではないだろうが、きっと要が上手くやったんだろう。
要は元アホで現アホだが、頭が悪いわけではない。むしろ賢いし聡い部類だろう。中学・高校のみならず、プロ入り後も“智将”と呼ばれているだけはある。
「とーどーくんものみますか?まだまだありますよ~」
「せっかくだしもらうか」
と返答はするものの。
「千早、飲み過ぎだ」
「そうですか~?」
言葉は舌たっらず。顔は赤らみ、目も潤んでいる。どうみても酔っ払い。
ただ酔ってるだけなら適当にあしらうところだが、いかせん骨の髄から惚れている恋人。
普段の正気の千早じゃ絶対に拝めないその姿はただただ目の毒だ。いやだって、どう見てもナニしてる時のそれだし。
その上、ソファに座りながら、立っている藤堂と話しているから、上目遣いがえげつない。藤堂が狼だったらどうする。高校生の時だったら押し倒してたぞ。
「グラス出すから待ってろ」
「はーい」
可愛すぎか!
自分用のワイングラスを出しつつ、千早のチェイサー用の水をウォーターサーバーから入れる。
「ほら」
水の入ったコップを差し出せば、しょうがないですねーと言いながら受け取り、両手でこくこくと飲みだす。
なんださっきから、小動物を思わせる仕草は。煽ってるな。そうだよな。
千早が座っているソファの隣に藤堂は腰掛ける。
つまみはどうする、と聞こうとし。
「いや、他にもっとあっただろ」
チーズとか。酒類だけでなくチーズ等のつまみも充実した酒屋で千早が買ったフランス産の青カビチーズ。それはまだ冷蔵庫のチルド室に入っているはずだ。
だというのに、机の上に置かれているつまみはきゅうりの浅漬け。藤堂が昨日作って、冷蔵庫に寝かしておいたやつ。赤ワインだったらチーズだろ普通。
「お前、宅飲みの時って、組み合わせ何にも考えないよな……」
「とうどうくんがつくったのは、ぜんぶおいしいですよ」
「……あんがとよ」
素面の時も、それぐらい素直だと藤堂の血糖値が上がらずに済むのだが。今はこのかわいらしさに免じて許すとする。
「少し待ってくりゃつまみ作るけど」
「どんなのですか~?」
「ツナ缶とクリームチーズでリエットとか。キノコもあるからアヒージョもいけっか」
「いいですね~。でもいまは」
黄金色の液体の入ったグラスを、千早は机に置き。藤堂の腕を両手で抱きしめた。
「となりにいてほしいです」
ああクソッ。
「お前、そんなに押し倒されたいの?」
「んー?ワインのんでたら、ナマのとうどうくんがみたくて」
「生って。しかもなんでワインで」
「ほら、これ」
ずいっと指し示されたのは、千早が飲んでいるワイングラス。
白ワインよりずっと黄色が深く、オレンジワインより黄金に輝くそれは。
「貴腐ワインです。ボトリティス・シネレア菌がブドウにかんせんしてカヒのそしきがはかいされ、ブドウのすいぶんがじょうはつしてとうぶんがぎょうしゅくされたブトウになります。これをげんりょうにしたのが貴腐ワインです」
「酔ってるくせによく喋るな、お前」
「はちみつとドライアプリコットをまぜあわせたみたいにふくざつでほうじゅんなかおり、しろざとうにはない、はちみつみよりもふくざつなあまさとコク、けどあまいだけじゃなくてさんみもあって、よわせてくれる度数もあって」
千早は口にそのキフワインとやらを口に含み、藤堂に口づけた。
「」
綺麗好きの千早がそんな行為に及ぶとは思わず、全身が固まる。
練習後の球児をほぼ汚物と宣い(お前も毎日その汚物になってるくせにとツッコミたいのは藤堂だけではないはずだ)、キスは歯磨き後、抱き合うのも野球の練習後はご法度の男が。
千早の小さな口が、液体を藤堂に送る。
少しずつ、その甘さと、甘さに似合わない熱さが喉を通る。
千早に合わせて、藤堂も少しずつ嚥下し。
口移しが完了したところで、千早は顔を離した。
その顔は非常に満足気というかドヤ顔だ。
「きみのかみとおんなじきんいろ。とうどうくんでしょ」
ぽやぽやしてるわりに、はっきりと指差す先は、藤堂に呑ませた黄金色のワイン。
──千早の頬に口づける。
「千早、どーせお前のことだから、準備はすませてんだろ」
「ふふん。どっかののうきんとちがうんですよ」
胸を張る千早。
要のヤツ、千早に渡したの本当にワインだよな。理性壊す系のやべぇもん、くれてねぇよな。
ここまでくると素直で可愛いというより心配になってくる。
酔ってる千早を見るのは初めてではないが、これ程ねじが飛んでるのは珍しい。
ワインボトルを見て、減っている量を確認する。
サイズが違うとはいえ、どちらも半分ほど量が減っている。普段の千早より飲酒量は多いだろう。しかも、飲み途中なのに2本とも開封するというのは律儀な千早らしからぬ行為だ。ワインといえど、赤とキフワインやらで味の傾向も違うし、帰宅した藤堂も飲むと予想してはいたのだろうが。
よほど口に合ったのもあるんだろう。
でも仮に。その黄金色のボトルを見て藤堂を思い出して、グラスに黄金色のそれを注ぎ、口に含め、喉から胃へと収めたというのなら。
「口きかないのは、できたら一日で終わらせてほしい。けど、朝と家帰ってきたときと寝る前に挨拶してくれて、寝るのも一緒なら三日は耐えられる」
千早と喧嘩したときの経験則より。
「嫌味はできたら一日で終わらしてほしいけど、くっついていいんなら二日は耐える」
あんまり言われ過ぎると、藤堂がキレる。千早の毒はそこそこ攻撃力があるので、慣れてても言い返したくなる。特に今日みたいに千早も原因があるときは。
藤堂の硬くなった股間に千早の手を押し付ける。
見開かれる茶色の目。
「これに懲りたら、もう飲みすぎんなよ」
酒を飲む方が悪いと遠回しに言ったのは、後日行われるだろう千早からの報復──するりするりと絶妙に身体の接触を避けられたりとか、ケダモノ見る目で蔑まれるのが心の底では嫌だったからだ。
たぶん。