来年も、また来年も。多忙な時期を過ぎ、一週間程ゆっくり出来るなとぼんやりしていた彼女の元にスケジュールの通知が届いた。
「ん?」
確認の為機器にアクセスした彼女の目の前には、桑名江の文字が流れてきた。桑名江が彼女の本丸に顕現した日だ。
「もうすぐ桑名が来た日かぁ」
お祝い、何がいいかなと考えを巡らせるけれど、彼のことだ。畑仕事に役立つものだとかそういったものを欲しがるかもしれない。
先手を打とう。
彼女は立ち上がった。
「え、欲しいもの?」
「うん、もうすぐ桑名がうちに来てくれた日になるでしょう。なるんだよ。だから、お祝いに何がいいかなと思って」
「あぁ…なるほど」
悩む前に聞こう。そう思い立った彼女はすぐに桑名のところへ聞きに来たのだ。律儀に内番の帽子を脱ぎ、うーんと悩み始める桑名。
「あまり高価なものはあげられないけど。大型トラクターは却下ね」
「まだ何も言ってないやん…」
半分呆れた顔をしたけど、桑名が小さく舌打ちをしたのを聞いた。やっぱり狙ってたか、と彼女は内心ため息をつく。
「これ、みんなも貰ってるの?」
「ん、そうだよ。他の本丸ではどうか分からないけど、私はお祝いしたいから…」
「…じゃあ、主の生まれた時代の生まれた土地で一日過ごしたい」
予想外の言葉に、彼女の方が目をぱちくりとする。桑名はというと、至極真面目な口元で彼女を見ていた。言葉通りに受け取ると、いつもみんなにお願いしているような遠征のようなことだろうか。桑名はいつも、その土地その時代の地質や地場産野菜を調べる。自分が行かない時は遠征組にも調べものを頼んでいるのだ。農家で祀られていたからなのだろうか、そういったことが多いので彼女は今回もその延長だと思っていた。
「…単独遠征…?」
「違うよ、主。主も一緒に行くんだよ」
「…はい?」
にこ、と唇を緩めた桑名とは対照的に彼女は意味が分からず怪訝な顔をした。
久しぶりの地元は、そこかしこが変わっていた。それでも彼女の幼い頃の記憶が溢れ出す。ぽろぽろとこぼれ落ちるような思い出をかき集めるように、彼女は深呼吸をした。
「ここが主の生まれた土地かぁ」
深呼吸をした彼女の隣には桑名江。真似をするように深呼吸をする。
「田舎の小さい村だけど、大きい道路が通ってたからどんどん発展していったんだよ」
彼女は一つ一つ説明をする。ここは川が数本流れていて、よく洪水が起きる場所だったから名残で屯所に小舟がついているよ。あの赤い大きな橋の袂では毎年夏の終わりに花火大会があるよ。運動会を友達と抜け出して水上バイクに乗せてもらったよ。この村ではお饅頭が美味しいよ。そう話す彼女の顔がほころんでいた。桑名は彼女の表情を眺め、同じように笑みを浮かべている。
「お饅頭がおすすめなのかぁ。食べたいなぁ」
「じゃあ食べよう。この時間なら作りたてがあるかも」
二人が店に向かうと、彼女の言う通りちょうど出来立てを店頭に並べている最中だった。
「本丸のみんなの分もお土産に買っていこ」
二つ、購入してから本丸にいる皆の人数分も予約をし、買える間際に再度来店すると支払いを済ませて店を出た。桑名が手に持っていると、饅頭も小さく見えるねと彼女が笑う。店の前にある茶色いベンでに座って早速食べよう、と二人でちょこんと座った。行き交う人は少ないけれど、車通りは激しい。
「でもお祝いがこんな感じでいいの?もっとこう…桑名なら実用的なものを選ぶと思ってた」
彼女の言葉に桑名は肩をすくめて饅頭を一口かじる。薄い皮がしっとりとしていて、なめらかなでスッキリとした甘さのあんこがたっぷり入っていた。一瞬桑名の動きが止まり、口元が緩んだ。
「うん、いいよ。面白いから。このお饅頭美味しいね」
「面白い?」
「人間の手で変わっていくその土地の姿を見るの、面白いよねぇ。たった数十年で快適になるんだから」
桑名の口の中にあっという間に吸い込まれた饅頭。
「川との共存、それぞれの土地で違う。主の故郷では堤防、橋の架け替え、ダムが作られたでしょ。洪水に怯える日々は少なくなっただろうし、かと言って川の恵みの恩恵だけを享受するわけでもなく。面白いよ、人間たちは」
遠くにそびえ立つ大きな赤い橋。赤い、とはいえ架け替えから数十年程が経っているため、所々塗料が剥がれて色も寂れて見える。何年かすると補修工事が行われるのだろう。既にこの地を離れた彼女には、橋がどうなっていくのか分からない。けれど、桑名のいう通り川と共存していかなければならないこの地に、無くてはならないものだと分かっている。
「自然って怖いんだけど、でもやっぱり自然あってこその実りある生活なんだなぁと思う」
「うん、そうだね。…それは建前として。僕は主との時間が貰えたのが嬉しいかな」
「ん?」
「本音は、主と二人になりたかったんだ。だから、今日は楽しみにしていたよ」
する、と桑名の手が彼女の手と重なる。びく、と小さく跳び跳ねた彼女の肩。突然の桑名の行動に驚いたようで、瞳を大きく開いて桑名を見た。
「僕は刀だ。それ以上でもそれ以下でも無い。だからこそ君が主であるあの場所に顕現出来て嬉しいよ。完璧な主ではないのだけど、失敗も成功も力一杯楽しんで懸命に体当たりで向かっていく。僕はそういう主が好きだよ」
人間っぽくて。
桑名はそう言って笑った。一言余計じゃない?という視線を笑顔の桑名に寄越し。寄越しただけですぐに桑名と同じように笑みを浮かべる彼女。
「ありがとう。今日は桑名のお祝いなのに、私が元気貰っちゃったな」
重なった二つの手がするりと絡み合う。
「ところで饅頭美味しかったからもう一個食べてもいい?」
「えー、じゃあ私も食べよ~」
「僕だけ二個食べるの申し訳ないから蜻蛉切様にも二個差し上げたいのだけど」
「蜻蛉切だけだと不満が出るよ…。じゃ、みんなにもう一個ずつ追加しよっか」
「いいの?」
「桑名がそうしたいなら」
トラクターよりだいぶ安いし。という彼女の小さな呟きは桑名には聞こえなかった。立ち上がった彼女の手に己の手を絡めたまま、桑名が橋を指差す。
「ねぇ主。二個食べたらあの橋渡ろうよ」
「えっ」
「僕たちは身にならないけど主は生身の人間でしょ。食べたら動く。当たり前だよ」
「えぇ…」
端から端まで、五百メートルはあるだろうか。あれを渡ってどうするんだろう、もしかして折り返してまた戻ってくるのか。彼女はちら、と桑名を見上げる。桑名もまた、彼女をじっと見つめて唇の端を持ち上げていた。
「鬼…」
「刀だよ」
絡んだ手は離れた。けれどまたすぐにくっつくだろう。幸せだな、と彼女は思った。これが幸せなのだろうかと桑名は思った。ほんの一瞬の幸せを二人は分かち合って、そしてまた戦乱に身を沈めていくのだ。また来年も。お互いが思ったことはお互いが知らない。