からかうことが出来る稲葉の話『彼と両想いになったの』
頬を染めてこっそり教えてくれたのは、彼女の同期。定例会議終了後、そわそわしていた同期に違和感を覚えながら当たり障りのない会話をしていた折に、そっと耳打ちをしてくれたのだ。背後に控えていた男士がそうなのだろう。彼女は同期の護衛付き男士と同期へ交互に視線を移す。
『おめでとう』
彼女もそっと耳打ちをすると、同期は照れたように『ありがとう』と笑った。
柔らかな空気が溢れる同期を思い出しながら、彼女は執務室で会議のレポートをまとめていた。半分ほど書いたその時に、彼女がなんともなしに呟く。
「恋人同士ってどんなことをするんでしょうかね」
隣にいた稲葉江が「は?」と顔をしかめた。
「想いを伝え合ったのだから、お互いの好きなところを言ったり……どう思いますか?」
顔をしかめたままの稲葉の眉間に、深い皺が刻まれる。
「我に聞くことでもあるまい」
それよりもレポート作成を続けろ、とでも言うようにじろりと彼女へ視線を寄越した。
「稲葉には分からない話でしたね」
半ばけんかを吹っ掛けるような彼女の物言いに、小さくため息をついた稲葉。
「……例えば」
漆黒に彩られた指先が彼女の髪をすく。びく、と彼女の肩が震えた。
「例えば言葉を交わし、髪に触れ、肌に触れ、その先へ触れる。そして、この先は」
艶を含んだ低い声音が彼女の背筋へ入り込むようだ。肌にもどこにも触れられていないのに、まるで丁寧に愛撫されているかのような錯覚が起きた。ぞくぞく、と彼女は震える。
「っ」
思わず己の体を抱き締めた彼女。それに気付いた稲葉がからかうように目を細めた。
「色事については、我以外に相応しいものがいるだろう」
かぁ、と彼女の頬に熱が帯びる。
「そ、そうですね。稲葉より詳しいひとが……」
頬の熱が引かない。指先が本当に頬に触れていたら、唇に触れていたら。どくどくと急に心臓の鼓動が高鳴る。稲葉の視線から逃れるように、彼女は手元のカップに手を伸ばした。
がちゃん
覚束ない指先がカップに嫌われたようで、カップが倒れる。少しだけ残っていたお茶が琥珀色の机に広がった。
「あっ」
慌てて台ふきんに手を伸ばす。彼女より先に台ふきんを手にしたのは稲葉。手と手が触れた。
―例えば言葉を交わし―
「ギャッ」
―肌に触れ、その先に触れ―
反射的に手を離す彼女。思わず稲葉へ視線を移した。
―そして、この先は―
ばち、と目が合う。稲葉の美しい睫毛の形が分かるほど存外と近かった距離に、彼女の顔がみるみるうちに赤く染まった。
一瞬だけ驚いたように目を見開いた稲葉。けれどすぐにもとに戻してク、と僅かに唇の端を持ち上げる。真っ赤な頬がそれはそれは美味しそうだと、稲葉は思った。