昔の男 side gialloきしむ障子窓に肘をつき、ぼんやりと外をみる。
緑あふれる山間の都市、その更に奥に構えた御堂の庭には、四季折々の草木が映える。
金木犀の香りが風にのって、窓際に腰掛ける傑の鼻を掠めていく。
乗っ取ったばかりのときは、荒地だったこの庭を整えましょうと言ったのは、真奈美だった。今は、暇そうな呪詛師を庭師兼警備として雇い、四季とりどりの草花が植えられている。いまは、秋桜が芽吹き、秋の訪れを教えてくれた。
昔の男と寝た。
呪詛師の仲間から聞いた一級呪霊の棲くうという群馬県の廃寺に行った先で、同じく高専から派遣された悟とばったり出会ったのは昨日の夜の事。
「邪魔しないでよね」
「そっちこそ」
そう言いあって、一級呪霊相手に特級が2人と過分な戦力でもって挑むことになった。
スったもんだの末、最終的に、悟が弱らせきったところを掠め取るように、呪霊を自分の掌の中に納めた傑は、ぺろりと飲み込んでしまう。
「譲ってくれてありがとう。御礼に一発ヤッてあげようか」
そう言ったのは、ちょっとしたジョークのつもりだった。
まさか「うん」と言ってくるなんて、ちっとも思わなかったのだ。
冗談だよと、かわしてその場から姿を消せばよかったのに、腕を引かれて嬉しいだなんて、こんな感情思い出したくなかった。
彼に触れられた箇所がずっと熱い。久しぶりに抱かれた彼の身体は自分が覚えている学生時代の頃より、ぐっと厚みが増していて、もう行為の前から、心臓の呼吸が激しかった。あの頃はただ挿入て腰を振るだけで、精一杯で、それでも充分気持ちよかった。しかし、どこで覚えたのか昨晩は、ぐずぐずに解かされて、挿入られる前に何度もイッた。互いに高めあうセックスのやり方なんてどこで覚えたのだろう。
見えない相手に嫉妬する自分にも本当に嫌になる。
「夏油様、お気分はいかがですか」
ふと、自分の顔に影ができ、声の先を見上げる。
「真奈美さん」
「今朝、群馬から帰ってきてから、いつもと様子が違うと美々子と菜々子も心配してましたよ」
「ちょっと遠出で疲れがでたかな。もう大丈夫」
「そうですか……あの、相談者がいらっしゃっております」
「ええと、木村さん」
「北村です、けど……」
いいんだよ、名前なんて。
彼女の指摘を無視して、彼女の後ろにつく、でっぷりとした呪霊を見る。それは、女性の執着を糧にして育ち、醜い風貌をしていた。多く見積もって二級相当だろうか。よくもまぁここまで負の感情を溜めたものだと感心する。
「あなたのお悩み事ですが……恋愛事でしょうか」
「そ、そうなんです! なんで分かったんですか?」
なんでって、二十代の妙齢の女性が抱える問題なんて、恋愛か仕事の二択と相場は決まっている。
「その……私……」
なかなか話出さない彼女に、早く言えよという苛立ちを抑え、ふんわりと微笑んで、どうぞと彼女に続きを促す。
「……実は、元カレと寝たんです」
「は?」
思わず、素の声がこぼれ落ちた。
こほんと咳払いをして、崩れた表情をもどす。
「元交際相手と関係を持つなど、よくある話では?」
そう、よくある話なのだ。それが生死をかけた呪い合いをするような立場でなければ。
「彼には妻子がいて……3ヶ月ほど関係が続いています」
つまり不倫か。猿の一般常識的には、褒められた好意ではないだろう。傑にとっては、実にどうでもいい。さっさと祓って帰らせたいが、一度話し出した彼女はダムが決壊したかのように、べらべらと喋り出し、止まらない。
「彼と出会ったのは、高校の頃です。初めての相手でした。ずっと一緒にいようと言ってくれたのに、あの頃の私は若くて……夢があったんです。その夢のために彼と別れる決意をしました。彼は引き止めてくれたのに、私はやりたい事をとって、彼とは別れました。ほんとはまだ彼のことが好きだったのに」
ぐさっ。見えないナイフか杭が刺さるよう。
重ねて彼女は言う。
「久しぶりに会った彼は、新しい環境で友達もできてて。結婚をして家族もできて、別の人生を歩んでいたのに、私は諦められないで……」
ぐさぐさっ。追加で2、3本刃物が心の柔らかいところに突き刺さる。
なんかこの相談者、やたらと刺さるな。猿のくせに。
「それで、私は……」
「ああ、もう結構。あなたのその執着、私が取り祓ってあげましょう」
彼女の感情がゆらぎ、涙を流すのに比例して、呪霊のだらしない口からだらだらと涎が溢れる。
もう見るに耐えなかった。
右手をかざすと、呪霊はなすすべもなく傑の掌に集束されていく。たったこれだけで、もう終わりだ。
「どうですか?」
「すごい……身も心も軽くなったみたい」
「それは良かった」
彼女を門の外まで見送るついでに、思いついたように声をかける。
「最後にひとつだけ」
普段はこんなアドバイスめいた事、絶対に言わないのだけれど。
「その男とはもう会わないほうがいい」
「…………はい」
先ほどまでとは、うって変わって、吹っ切れたような顔で、御堂を出ていった。
手持ちぶたさで、呪霊玉を掌で転がしながら、彼女の背中を見送る。
妻帯者のくせに、元カノとはいえ、別の女に手を出すなんて、碌な奴じゃない。なにより、過去の恋愛を引きずって、生きたって虚しいだけだ。
特大ブーメランであるのは分かっている。自分もいい加減区切りをつけなければ。幸いにも、お互い連絡をとる手段はない。昨日は一晩限りの夜の夢、もう二度はない。そう思いながら、呪霊玉を飲み込んだ。
一週間後、また祓除現場で出会ってしまうことを今の傑には知るよしもない。