昔の男 side blu「なんかさ、最近の五条先生、なんか変じゃない?」
「ああ? 悟が変なのは今に始まったことじゃないだろ」
「しゃけしゃけ」
小春日和で気持ちの良い暖かな校庭。じきに高専を囲む山々は紅葉に色づく、その一歩前の頃合いだった。
本日、3度目の手合わせで、3回とも真希に転かされた憂太は、快晴の空を見上げる。その憂太に、棘が手を差し伸べて、起き上がらせた。立ち上がった憂太はいつのまにか校庭の端に姿を現した悟を見つけ、3人にこそっと耳打ちをする。
「確かに、よくぼーっとしてるな、最近」
「なに考えてんのか、いっつもわかんねーし。考えるだけ無駄だろ」
「何考えてるのか分からないのは、目隠しのせいな気がするけど……」
4人しかいない生徒達は、仲睦まじく、見ているだけで、任務やら上層部とのやり取りやらで摩耗した精神を癒してくれる。しかし、その話題の対象が自分となると、むず痒い気分だ。
「僕の可愛い生徒たち~。全部聞こえてるからね」
びりりっと背中に電撃が入ったかのように生徒達は一斉に背筋をピンと伸ばす。あまりのシンクロ具合に口元から笑みが溢れた。
「げっ、地獄耳」
「ご、ごめんなさい!」
ゆっくりと4人に近づいた悟は、1番慌てふためく憂太の頭をぽんぽんと撫でる。
「心配してくれたんだよね。憂太は優しいなぁ。でもダイジョーブ! 僕は人気者だから、人に言えない仕事もいっぱい抱えてるってわけ」
「まーた、秘密主義かよ、きなくせえ」
「そんなんじゃないって。真希は本当に僕に対して厳しいよね」
そう、そんなんじゃない。
実際には、仕事じゃなくて超プライベート、しかも恋愛の痴話事だ。生徒に言えるわけがない。
「さーて、教室戻って。午後は座学だよ。体術の後で疲れてるかもしれないけど、寝ないでね」
パンパンと手を叩いて生徒たちを教室へ促す。
うまく立ち回っていたつもりだけれど、生徒達にすら違和感を与えてしまうなんて、自分でも無自覚のうちに、あいつの事ばかり考えてしまっているようだ。本当に厄介だよ、この感情は。
昔の男と寝た。
一週間ほど前の話だ。
窓からの報告で、群馬の廃村にいる一級呪霊が見つかった。成長速度が早く、もしかしたら特級まで成長するかもしれないという案件で、悟が出向くことになった。
辿り着いた先にいたのは、見た事のない姿をしたよく見知った男。なんだよ、その袈裟。胡散臭さに拍車がかかっている。
だいたいその袈裟の名前知って着てるの? とか考えだしたら、精鋭に欠けた。こんな雑魚、いつもなら一瞬で祓えるのに、近くにいる傑も巻き込んだら、と思うと上手く狙いが定まらない。
ついには、あと一歩のところまで追い詰めたのに、傑に横取りされてしまった。
「譲ってくれてありがとう。御礼に一発ヤッてあげようか」
人差し指と親指で輪っかを作って舌をいれる姿は、明確にこちらを煽っている?
こっちの気持ちも知らずに、いけしゃあしゃあと。こちとら、お前に一方的に振られて燻った思いをずっと抱えたままなのに。
そんな軽口を叩くものだから、さぞかし遊んでいるんだろう。
「うん」
怒りなのか分からない感情が湧きおこる。そして、激情を抱えたまま、彼の腕をとり瞬間移動で馴染みのホテルに飛んだ。
それなのに、蓋を開けてみたら、あの頃と変わらず初心なままで。
いや、こいつのことだから、女性とはそれなりに遊んでいたかもしれないけど。
9年ぶりの想い人とのセックスは、すごく、すごく興奮した。脳の血管が切れるかと思った。控えめに喘ぐ声も。学生時代より厚くなった胸筋も。最奥をついたときに、飛び散る汗も。全てが愛おしく思えて、何度も夢中でキスをした。
瞼を閉じると、おのずと、あの夜の光景が浮かび上がってくる。実のところ、それをおかずにしてあれから3回ほど抜いている。
とはいえ、連絡先も交換しなかったし、同じような偶然はもうないだろう。
たった一夜の夢を何度も繰り返し見て、これからも自分を慰めて生きていくのだ。
そう頭を切り替えて、悟は教壇に立った。
その日の夜、自宅に帰ろうとするところに呼び止められる。
「五条術師、すみません。緊急の案件がありまして」
「また、僕? 七海あたりに行かせてよ」
「七海術師は、今は出張で九州です……一級以上の案件ですが、他に動ける人がいないので」
困ったように眉を寄せる補助監督に、深いため息を落として、黒塗りの車の後部座席に乗った。
「この間の群馬の廃寺の件、ききました」
「あー……あれね……」
最終的には、傑が祓ったことになるのだろう。そんなこと正直に報告出来るはずもないから、上には適当に書いて報告書を提出した。
平日深夜のハイウェイ。すれ違う車両は大型トラックばかりだ。
「あの廃寺は、古くから言い伝えがありまして。室町時代の話なんですが、当時その一帯を支配していた武士の子息が、農民の娘と恋に落ちましてね、当然身分違いの恋。秘密裏に相引きをするのにあの寺を使っていたらしいとか。結局、親から反対された2人はその寺で心中したんです」
「ふーん……」
全国津々浦々よくある話。もしかしたら、任務の前にも言われていたような気がするが、すっかり忘れていた。肝心の呪霊はその話にまったく関係なかったし。
でもまぁ、あの日出会った相手のことを思い浮かべると些か苦い気持ちになる。
「今日行くとこは、特に何もないよね? いわくだの、伝説だの」
「ああ、ありますよ」
あるのかよ。
珍しく四年制の私立大学を卒業して、呪術界に入ったこの補助監督は、学生時代民俗学を学んでいたらしく、こういった伝承に詳しかった。
「これから行く鳥居のある湖ですね、九頭龍が棲むといわれておりまして。大層な暴れ龍で、鎮めるために毎年、村の娘が生贄として奉納されていたんです」
水龍伝説か。龍の形をした呪霊は数が少ない。長年、呪術界に身を置いている悟でさえ、実物を見たのは一体だけ。あの白くて美しい虹龍は、無惨に散ってしまったと傑から聞いたときは、ぽっかり胸に穴が空いた気持ちになった。
「ある年、村の頭領の娘……お姫様のようなものです、が生贄に選ばれます。本来だったら、生贄ですから、すぐに龍に食べられる運命なんです。でもそのお姫様は、毎晩龍に御伽話を聴かせます。千夜一夜物語のように、続きはまた明日と言って。何よりそのお姫様は見目も麗しく、龍は結局惚れてしまって食べる事が出来なかったんですね。そして嫁として娶って、仲良く暮らしましたと。凶暴な龍をも誑かすお姫様ってどんな美人なんですかね」
そんなやつ、ひとりだけ知っている。白い龍を手懐ける傑の姿は、神秘かかっていて、その空間だけ世界が切り抜かれたようだった。
その時直感的に思ったのだ。横顔にかかる前髪、琥珀色の瞳と影が落ちるまつ毛、その全てが「綺麗だ」と。
「やっぱ行くのやめよっかな……」
「は? もうすぐ着きますよ」
「だよねぇ……」
いやな予感はよく当たる。そして、二度あることは三度あるのだ。