Sweet Temptation「ハッピーバレンタイン!」
「うわっ!?」
自分のベッドでうつ伏せになって雑誌を読んでいたら、突然後ろから菜々が飛びついてきた。抗議の視線を向けると「えへへー」と微笑みが返ってくる。それだけでトゲトゲした気持ちが弱まって、ボクは強く怒れなくなってしまう。
「菜々……どこから入ってきたの?」
「どこって、普通に玄関からだよ?」
「リビングに母さんいなかった?」
「リビングっていうか、普通に玄関で会ったけど、勝手に2階に上がっていいって言われたよ。ほら、わたし顔パスだから」
「なんでドヤ顔なんだよ……」
菜々とボクは小学校からの幼馴染だ。小学生の頃はお互いに『菜々ちゃん』、『鈴々ちゃん』と呼び合っていたけれど、高校生になった今では『菜々』、『鈴々』と名前を呼び捨てにしている。
「ていうか、ノックくらいしてよね」
「したよー。でも鈴々、雑誌に夢中で気づかないんだもん」
「それは……ごめん」
「いいっていいって。よきにはからえだよ~」
「え? いや、『よきにはからえ』って、たぶんそういう使い方する言葉じゃないよ……?」
菜々は少し天然というかマイペースというか、独特の雰囲気を持っている。だから一緒にいると調子を狂わされることもしばしばある。けどそれが別に嫌じゃない……というか、どちらかというと好き……なんだろうなと思う、ボクは。たぶんだけどね。
「それで、何の用?」
「え~? 用事がないと会いに来ちゃいけないの?」
「いや、そういうのいいから……」
「あのねあのね! 今日はバレンタインのチョコを渡しに来たの!」
「バレンタイン、って……今、まだ1月だけど」
「そうなんだけど……頼んでたチョコがもう届いたから、ちょっと早いけど鈴々に食べてほしいなって思ったの。だめ?」
「いや、別に……だめじゃ、ない……」
「っていうのは口実でね、本当は他の誰かより早く鈴々にチョコを渡したかったの。だって鈴々、バレンタインに色んな子からチョコ貰うでしょ? だから、ちょっとズルだけどフライングして、今のうちにチョコを渡しちゃえば、わたしが鈴々の一番になれるかなって!」
「……2週間のフライングは、さすがにレギュレーション違反なんじゃない?」
「えへへ~」
ふにゃふにゃした顔で照れたように笑う菜々に、『そんなことしなくてもボクの一番は菜々だよ』って、言えたらよかったんだけど。急にそんなこと言うのは……ちょっと恥ずかしすぎる。
「それじゃあ……はい! 改めて鈴々、ハッピーバレンタイン!」
「……ありがと」
鞄の中をガサゴソ探していた菜々が差し出してきたチョコを受け取る。包装に小さなリボンが結んであって、すごくかわいい。……きっと、箱の見た目も中身もかわいいやつを選んでくれたんだろうな、ボクのために。まったくもう、菜々は本当、ボクのことが大好きなんだから。
「開けていい?」
「もちろん! 今食べてもいいよ!」
包装を丁寧に剥いて、箱のフタを開ける。中に入っていたのは、ひとくちサイズのミニチョコレートだった。いわゆるボンボン・ショコラ。中身は……なんだろう。ガナッシュかな?
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
いただきます、とチョコを口に入れた瞬間、
「あー!」
と菜々が声を上げたので、びっくりして危うくチョコを丸呑みしそうになった。
「な、なに?」
「渡すチョコ間違えちゃった! 鈴々が食べたの、わたしが自分用に買ったチョコなの………鈴々に渡すチョコと自分用のチョコ、まったく同じ見た目の包装にしちゃったから混ざっちゃったみたい……」
「なんで同じ包装にしちゃったの……?」
まあ、今ここで菜々を責めてもしかたない。
「えっと、それで……どうしよっか。もう食べちゃったけど……」
「う~ん、食べちゃったものはしょうがないよね。しょうがないから……こうするしかないね」
「え?」
肩に両手を添えられて、そのままベッドに押し倒された。え? 押し倒された? 菜々に?
「な、菜々?」
「それじゃあ……いただきます」
状況を理解できないでいるうちに迫ってきた菜々に唇を奪われ、目を白黒させているうちに更なる侵入まで許してしまった。菜々の舌先がボクの口の中にあるチョコを掬い取って吟味し、ついでのようにボク自身の味見までしていく。
「~~~~~っ!」
チョコが半分ほど溶けたあたりで、ようやっと菜々は顔を離してくれた。
「ちょ、ちょっと菜々! いきなりなに!?」
「え~? だって、わたしもそのチョコ食べたかったんだもん。こうするしかないでしょ?」
「だ、だからって、いきなりキスするとか絶対おかしいから!」
「そうかなー。確かにこれが友達同士だったらおかしいかもしれないけど、付き合ってるなら別に普通じゃない?」
確かに菜々の言うとおり、ボクたちは去年の春から付き合い始めて、今はその………いわゆる恋人同士、ということになっている。
いや、だとしてもおかしくない!?
「元はと言えば、菜々が渡すチョコを間違えたのが悪いんだろ!」
「でも、わざとじゃないし……」
「うっ……とにかく、いきなりチューするのはダメだから!」
「わかった……鈴々、ごめんね?」
「う、うん……わかってくれれば、それで……」
ちょっぴり気まずい感じになっちゃったけど、仲直りができてよかったな。そう思ってボクが胸を撫で下ろしていると、
「それでね……鈴々。こっちが鈴々に渡すはずのチョコだったんだけど……」
菜々が鞄の中から別のチョコの箱を取り出した。確かにさっきのチョコとまったく同じ見た目の包装がされている。
「鈴々……こっちのチョコも食べたい?」
「……菜々も食べたいの? そのチョコ」
「うん……自分用に買ったチョコは鈴々に半分食べられちゃったし……」
「ぐっ……」
な、菜々はさっきチョコを間違えて渡したのはわざとじゃないって言ってたけど、あれは絶対嘘だ! 最初からチョコを口実にしてえっちなちゅーをするつもりで、違うチョコを渡し……いや、それも違う! 最初からちゅーをするのが目的だったんだから、どっちのチョコを渡したとしても、それは渡そうとしたのと違うチョコだって言うつもりだったんだ! あ、悪女め……
「ちなみに、こっちはトリュフチョコだよ!」
いつの間にか包装を開封していた菜々が、箱を傾けて中のチョコを見せてくる。
「それで……どうする? 今度は、『いきなり』じゃないから……一緒にチョコを食べるためにちゅーしても、許してくれるよね?」
「なっ……」
「鈴々が好きなほうを選んでいいよ」
チョコを食べるのか、食べないのか。
ちゅーをするのか、それともしないのか。
「ほら、鈴々。選んで?」
そう言ってトリュフチョコを口に咥えた菜々が、じりじりとボクのほうへにじり寄ってくる。
「な、菜々……」
そうしてボクは結局のところ、自分から望んでその甘い誘惑に負けた。
まったく、菜々には敵わないよね、本当にさ。