聖夜のワルツ「聖夜のワルツ」
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──十二月二十四日、午後二十三時。王城広間にて女王主催の『聖夜会』を開催する。
……一ヶ月前、屋敷に届いた招待状を蹴ることもできず、煌びやかな王城の広間に重たい腰をあげてやってきた。
編み込んだ銀色の髪を揺らしながら、灰色の瞳を細めため息をついている魔法剣士のモズは眩しい広場のイルミネーションをくぐる。
広間のシャンデリアは、もはや攻撃的なまでの輝きと威厳を放っている。
ここ、アウィスカージ王国は大陸の北に位置する。魔獣の出現も多く、また魔法使いや騎士なども多い。
極寒の地ということもあり、凍りついた動物や魔獣が街はずれでごろごろ見つかるなんてこともあった。
辺境伯として、街はずれの魔獣が出現する危険な森一帯を管理し、魔獣の王都侵攻を防いでいるモズの家にも今回の特別な夜会の招待状が届いた。
本来ならば、夜会もダンスパーティーも欠席しても許される立場だが、女王主催の催しに参加しないのは非常識だと家名に泥が塗られてしまう。
(面倒だな……)
人がたくさんいるだけでも気がめいるのに、一応知っている貴族には挨拶回りをしなければいけない。
できることならば、貴族の地位など誰かに押し付けて静かに暮らしたいものだ。
大規模な夜会には必ず飲食ができる休憩スペースや、客室が解放されている。
広間を歩き回っている内に喉が渇いたモズは、会場端に配置されているロングテーブルまで足早に向うと給仕にアルコール度数が低いドリンクを頼んだ。
(酔いつぶれたら、誰につけ込まれるかわかったもんじゃない)
給仕からグラスを手に取ると、香りを嗅いでから一口だけ口をつける。毒や痺れ薬、媚薬が入っていないことを確認すると少しずつ飲みだした。
同時に、軽やかかつ弾むような演奏が流れ始めた。今回は有名な音楽隊も招待されていると聞いているが、なかなか耳心地がいい。
まだワルツは流れていない。ダンスが始まっても踊る踊らないは自由だが、誰かに申し込まれたら応じるしかない。
そうならないために早く客室へ行きたかったが、背後から呼びかけられた。
「眼帯じゃん! ……ヒック」
「……私のなんの用かなぁ、ハチドリくん」
黒髪に緑のメッシュが入った、東洋風の衣装を着ている自由奔放な闘士であるハチドリが、耳まで赤らめた表情をしながらギラついた獣のような瞳を輝かせている。
ずいっ、と顔をこちらに突き出したかと思えばアルコールの匂いがただよいモズは眉間にシワを寄せた。
「ちょうどよかったぁ! ねぇ、コレいらないからあげるっ!」
「は? ……っ」
渡されたのは、淡い金色に広間の灯りを反射するほどの透明なシャンパン入りのグラス。
ハチドリの表情から察するに、酔っているんだろう。しかし、連れの魔法使いであるツルの姿はみえない。
いつもハチドリが問題を起こさないように、ぴったりと張り付いているはずで、今日のような特別な夜会ならばなおさら。
「……で、ツルくんはどこに?」
「え? ツル? なんか、オハナヲツミに? 行くって。おとなしく待っといてって言ってたけど、お腹空いたから来ちゃった」
「はぁ……。少しはツルくんに同情するよ」
深くため息をついたモズは、顔を上げるとすでにハチドリは給仕から軽食を受け取ってどこかへ行ってしまっていた。
嵐のようだねぇ、と思いつつ手元のグラスを見つめる。
王城で出されるシャンパンは大変美味だという噂を聞いたものの、知り合いから渡されたと言って警戒無しに飲むわけにはいかない。
先ほどと同じように、香りを嗅いでから舌先で確かめた。……特にピリつきやヒリつき、にごったような味はせずむしろ透き通るような味わい深い風味に舌鼓を打つ。
(これなら大丈夫だろう)
個人で取り寄せたいぐらいだが、あいにく生産地も発売元も不明だ。
このシャンパンを飲めるのは、今回限りかもしれないのでゆっくりと味わうことにした。
…………、体感としては十分ほど経ったか。ゆっくり飲んでいたのもあって、緩やかに酔いが回ってきた。
酔いを覚ますため、バルコニーへ足を向けた時広間にワルツが流れ出す。モズはため息をつきながらも、構わず歩を進めた――。
「――キミ、僕と踊ってはくれないかい?」
「……は?」
後ろから声をかけられる。振り向くと、金髪の短い髪に青灰色の瞳を輝かせる騎士として名高い……ツバメが立っていた。
彼女がこちらまで来ると、手を差し伸べられる。ダンスを断る理由は無い。
これは……取らないといけないねぇ。
「……いいけど」
「よかった」
にこりと、花が咲いたように微笑むツバメ。
彼女の手を取ったモズは、耳に入る“花のワルツ”のリズムに合わせステップを踏み始めた。
ツバメのリードは優しく、それでいて速度もゆっくり。少し物足りないと思いつつ、口角を上げた。
「もう少し早くてもいいんだけど……? 女王様の元護衛騎士が、辺境伯の私をダンスに誘うなんてねぇ……」
「なら、音楽から外れないぐらいまで少しリズムを早くしようか。……ずっと前から、キミとは一度踊ってみたいと思っていたんだ」
本当に少しだけダンスのリズムが早くなった。
ダンスの最中でも会話に集中できるあたり、彼女はどこかで何度もダンスをしたことがあるのか。
興味は無いが、ツバメが王子様のような振る舞いをするため、同性に好かれているのはよく耳にした。
「へぇ……? 私と踊りたいだなんて、物好きだねぇ」
「そうかな? それにしても、キミのステップは美しいね」
「……口説いてるにしては、意外と露骨だけど?」
思わせぶりな態度に、モズは目を細める。
ツバメは優しく微笑みながら、無言をつらぬきダンスが続いた。
ステップ、ターンと繰り返されツバメのリードとモズのダンスも崩れることなく進行していく。
お互いの視線が合い、たまにこちらから視線を外すと苦笑された。やがて曲が終わると両手をにぎられたまま、じっと見つめられる。
「僕と踊ってくれてありがとう。素敵な時間だったよ」
「……まぁ、悪くはなかったけどね」
口角を上げて、少し微笑んでみせるとツバメの表情がより柔らかくなった気がした。
モズは踵を返し、酔い覚ましのためにバルコニーへ向う。顔が火照っている感覚と共に、踊っていたからか体が熱い。
すぐにでも襟元を開いて涼みたいが、人目があるため服を着崩すことはできなかった。それでもバルコニーにたどり着くと、聖夜の前日もあり身にしみるような寒さを感じる。
吐息は白く、気を緩めず休んでいると隣で見覚えのある赤い布地に白いファーがついたマントがよぎった。
「やぁ、モズ!」
「……わざわざ追いかけて来たの?」
「あぁ。……キミに話しがあるんだ」
遠慮なしに距離を詰めてきた彼女に、モズは顔をそらしながら口元を引きつらせる。
石造りのバルコニーは、さながら悲劇のラブロマンス戯曲の有名シーンにでも出てくるような外見で手すりに片腕を乗せた。
外は十分寒いはずなのに、おかしいな。体の火照りが引かない……。
「……僕は、キミを一目見た時からずっと気になっていたんだ。キミを遠目に見た時から、惹かれていた。僕の幼馴染は少し呆れていたけれどね」
「…………」
「もし、誰とも婚約してないのなら僕と結婚を前提に交際をしてくれないかい?」
ツバメの手が、バルコニーに乗っていたモズの手に重なる。その青灰色の瞳はどこまでも真っ直ぐでいて、どこか脆いような感じがした。
交際? 交際だって……?
こんな自分に交際を申し込んで来るなど、よほど気が狂っているか物好きしかいないだろう。
辺境伯の地位は資産も土地も魅力的だ。……だが、それも霞んでしまうほどのリスクがある。
この国の辺境伯が管理する土地は、曰く付きか魔獣の出現が顕著な場合が多く当主が死ぬことも稀にある。
もし、当主が亡くなり次の当主が土地の管理を怠れば国から厳しい処分が与えられる。
家族も危険にさらされるため、辺境伯にとって結婚は特定の年齢になってから結婚相手を王か女王に決められるのが通例だ。
辺境伯という地位は様々な理由で恐れられているが、周りの貴族は避けることもできない厄介な地位だった。
「……君って正気? 私が辺境伯ってこと、知ってるよねぇ?」
「知っているよ。どれだけ危険なことをしているのか……、でも僕はもっとキミのことを……モズのことを知りたい」
睨んでいるモズに、真剣な表情からたちまち優しげな笑みを見せるツバメ。しばらくじっと見つめ合う。
何故か心臓の鼓動が早まり、先程よりも火照りがひどくなっている気がした。風邪でも引いたのか……考えをまとめている内にとあることに思い当たった。
相手が辺境伯だとわかっていても、リスクを承知でその伴侶の座を狙う者はいくらでもいる。
まともな者はメリットよりリスクを考え、引くが腕が立ち強力な魔力を持つ者はその座を狙う。
面倒なその者たちの風よけになるなら、ここでツバメとの交際に頷くのも一つの手かも知れない。
(それと……、女王に一方的に結婚相手を決められて、貸しを作られるのも癪だしね……)
相手が女王であろうが貴族であろうが、隙を見せるわけにはいかない。
これは辺境伯としての考えではなく、単に誰かに貸しを作られたり隙をみせるのは認められないモズ個人としての警戒心だった。
そしてツバメは騎士の家系出身だ。魔力も高く武術の腕も確かなので、魔獣が襲ってきてもどうにか対処できるだろう。
モズは小さく口元に弧を描いた。
「……いいよ。君と付き合ってあげる」
「! 本当かい?」
「あぁ……でも、交際じゃない」
「?」
笑みを抑えながら……、モズは右手にはめていたマジックアイテムでもある指輪をツバメの左手……薬指にはめた。
ドクンドクン……。どうしてか、ツバメをみるたびに胸の鼓動が高まっている気がする。きっと酔っているせいだろう。
ツバメが驚いたように、目を見開き指をじっと眺めた後モズの顔を見つめてきた。
「これは……」
「ツバメくん、私の婚約者になってよ」
「! ……うん。モズの婚約者になることを誓うよ。ありがとう、どんな危険からもキミを守る」
指輪をはめた時に、そのままになっていた腕を引かれツバメに抱き締められた。
慌てて周りを見渡すが、幸いにもバルコニーに出ている者はおらず、バルコニーの端に立っていたこともあり抱き締められている姿を見られずにすんだ。
「ちょっと……ツバメくん……!」
「ふふっ……!」
まったく聞こえていないらしい。ため息をつきながらも、抱き締められたまましかたなく身を任せた。
黒塗りの夜空に、銀色の砂をばらまいたような細かい星々が輝き、中には光を放っていない薄明かりがついたものもある。
雲が少ない夜空で、月の柔らかい光がバルコニーを照らしていた。
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「――は?」
小鳥の鳴き声と共に、清らかな冷たい空気を感じる。
目覚めたモズは、天井をしばらく見つめた後、少し開いたカーテンから差し込む朝日の光に気付き、薄目のまま薄暗い場所に視線を移した。
あのバルコニーでツバメに抱き締められた辺りから、記憶が曖昧だ。
なぜ?
何があったのかを考える前に妙な寒気を胸あたりに感じ、視線を落とすとワイシャツのボタンがすべて開かれていた。
「なっ……!」
「ん……、モズ? ふふっ…起きたのかい?」
モズの声で目覚めたのか、隣で寝ていたであろうツバメが体を起こした。寝癖のついた柔らかな金髪が揺れ、まだ眠たそうにあくびをしている。
彼女も夜会の時のような、マントとジャケットは着ておらず黒いワイシャツ姿になっていた。
眉間にシワを寄せながら、モズは自身の顔に触れたが左目の眼帯はちゃんと着いていたので少し安心した。
「どいうこと……?」
「? 何がだい?」
「だから……っ、なんで私がツバメくんと一緒に寝てるわけ」
きッ、と鋭い目線でツバメを見つめる。彼女はしばらくぽかんとした表情だったが、すぐに輝くように微笑んだ。
そして……、いつの間にかツバメに握られていた右手に指が絡められる。昨日モズがはめたマジックアイテムの指輪が朝の光を浴び、きらりと光る。
「覚えていないかな……? 昨夜、キミから指輪を受け取った僕はとても嬉しくて、モズを客室まで手を引いて連れて行ったんだ」
「部屋に着いた時、少しぼーっとしていたモズは虚ろな目をしていて……。どうしたんだろうって思ってベッドに腰掛けさせた時、ふと媚薬の香りがした」
媚薬だって? モズは眉を寄せながらも、瞳を揺らす。昨日広間で飲んだ飲み物に、媚薬や毒薬の味なんてしなかった。
……唯一、怪しいといえば。
「チッ……、ハチドリくんか」
「どうしたの?」
「なんでもないよ。それで? どうして私の服が脱がされて、シャツもボタンが全部外されているの?」
ツバメが優しく微笑んだ。
ベッドに腰掛けた後、微弱ながらも媚薬の香りに気付いたツバメはモズが誰かに媚薬を盛られたんじゃないかと心配になった。
体も熱く、頬も火照っていたので近くを通りかかった給仕に冷水とぬるま湯を持ってきてほしいと頼んで、その間にモズの服を脱がして熱がこもらないようにしたらしい。
「その後、キミの汗を拭ったりして……。そのためにシャツのボタンをすべて開けたんだ。不快と感じていたら、すまなかったね……」
「ふーん……。まぁ、いいけど。でも、媚薬って汗を拭っだけじゃ抜けないよねぇ?」
「あ……うん」
もじもじ……と、ツバメがほんのり頬を赤らめながら下を向いた。
まさかとは思うが、寝ている間に……とモズは厳しい顔をする。痛いほどの静寂な間が続き、やがてツバメが顔を上げた。
「き、キミの体から媚薬が抜けるまで……その、たくさん唇や頬に口づけをしたんだ……!」
「――は?」
「すまない……、ファーストキスも意識が無い間にもらってしまった。モズの唇はとても柔らかったよ」
「ちょっと……、開き直らないでよ。……本当にキスだけ?」
静かに頷くツバメを見て、モズはため息をつく。どこにキスだけで、効果が消える媚薬があるのだろうか……。
それとも、自覚していないだけで自分はツバメのことが好きかもしれない? いいや、ありえない。
ツバメのことは噂程度しか聞いていない。彼女の、幼馴染である騎士には近づいたことはあったが……。
「もちろん、責任は取るよ」
「はぁ……。別にいいよ」
「よくないよ。僕たちは婚約者になったんだ。……それと、媚薬を盛られたなんて誰かがキミを狙っているかもしれない」
絡めていた指はそのままで、モズの手をゆっくり持ち上げた。両手で包み込んだツバメが、真剣な目線でこちらを見つめてくる。
いや、媚薬は知り合いからもらったグラスに……と言いかけたところでツバメが口を開いた。
「よければ、しばらくキミのそばにいるよ。キミを狙う者がいたら、とても危険だ。屋敷に誰かいるのかい?」
「いや……、私一人だけど」
「それはいけない! 僕がモズを守るよ」
告げてきた言葉に、モズは目を見開き反論しようとした時小さな音を立てて右手に柔らかい何かが触れる。
……ツバメの唇だった。まるで騎士の誓いを立てるような、神聖な空気がただよった感覚におちいる。
ふせられていた、ツバメの美しく透き通る青灰の瞳に見つめられ心臓が音楽を奏でるように響いた。
「守るって……」
「うん。モズが強いことは、知っているけれど婚約者の僕に任せてくれないかい?」
「……仕事あるでしょ」
「僕のことは気にしないで」
有無を言わせない強い瞳に、モズはうんざりとした表情をする。これはどれだけ言っても、聞かない者の瞳だ。
屋敷には使用人がいない。モズの代になってから、新しい就職先を紹介したうえで全員追い出したからだ。
普段使っている部屋以外の掃除は、客が来る前日に魔法でちょいちょいすれば済む話で、家にいる時くらいは一人の時間が欲しかったから使用人はすべて解雇した。
「……はぁ。好きにすれば」
「ありがとう、モズ。しばらくキミの家に泊まるよ」
「……なんだって?」
目の前で嬉しげに微笑む彼女が、どこか憎たらしい。
不満げに目を細めたモズは、繋がれたままであるツバメの手を引き唇を強く重ねる。
……聖なる日の朝の光が、カーテンの隙間を縫い淡いグラデーションを白い毛布に映し出していた。
Fin.