「ウェディングワルツはサンシャインで」「ウェディングワルツはサンシャインで」
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吐く息が白い。夜の街を彩るイルミネーションが、疲れた目ににじみ思わず目を細めた。
季節は十二月のクリスマスシーズン。
勤め先の美術館からの帰り道、レンガの歩道を歩きながら朔はカフェに寄って温かい飲み物でも買って帰ろうとしていた。
(寒すぎ……っ)
「朔!」
後ろから声をかけられ、横に並んできた人物と目を合わせた。
同棲中の恋人である、陽だった。彼女も帰宅途中だったのか、朔の左手を掴むと優しく微笑みかけてきた。
青灰色の瞳がイルミネーションで照らされ、朔は顔をそらす。
「朔も仕事が終わったところなんだね、一緒に帰ろう」
「あったかい飲み物を飲みたいから、カフェに寄る。寒いし、暖まってから……」
「あたたかい飲み物なら、僕が作るよ。寒いのも僕がくっつけば問題ないだろう?」
微笑む陽が腰に手を回し、ぴったり体が密着するほど身を寄せてきた。断る前に押し切られてしまい、朔はため息をつく。
結構強引で紳士な恋人に、学生時代からため息をつく場面が何度もあったが密着するのは嫌ではない。
たしかに体は少しあたたかい。なので、彼女の好きにさせることにした。
「じゃあ、ホットココア作ってよ」
「わかった。マシュマロも浮かべる?」
「浮かべて」
嬉しそうな笑顔をしながら、陽は歩みを合わせてくれる。朔の左手の薬指には、銀色にかがやく婚約指輪がはめられていた。
秋の季節に陽と婚約し、すぐに結婚したい。その前に結婚式を挙げよう! と急かしてきたのでつい彼女のペースに乗ってしまった。
お互い結婚してもおかしくはない年齢なので、別にいいがどうしてか彼女と初めて出会ったときから何かに惹かれている気がする。
「今月はホテルでパーティーを開くお客さんが多いから、少し忙しいけど結婚予定日をふくめて十日ぐらい休めるよ。朔の方はどうだい?」
「まぁ……私も似たような感じ。溜まっていた有給を使う」
陽はホテルスタッフとして働いている。
一度彼女のホテルに泊まってみたことがあるが、その時の反応が今思い出しても笑えた。
手を繋ぎながら歩き続けていると、ようやく二人が暮すマンションに着いた。
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――鉄臭い香りが、焦げた匂いと共に鼻腔を刺激する。剣を持ち、それを異形の化け物に向かって振るう。
化け物が息絶えても、しつこく剣を振るう。
高揚感と快感……、同時に味わっていたら優しく重みのある声音で誰かが止めてきた。――
「っ……」
「朔……っ! よかった、起きてくれたんだね」
瞼を開けた朔は、薄暗い部屋の天井と照明。
そして陽の心配そうな顔が視界に入っていた。
何か夢を見ていた気がするが……、あの高揚感と快感は悪夢なのかどうなのか、たしかめるすべは無い。
幼い頃からこういった不思議な夢を見る。
いつも優しく低い声の持ち主が、隣にいるような気がするものの夢の中はいつも視界が薄暗く片目が見えない。
「気分はどうかな? 眠りながら笑っていたから、いい夢を見ていたと思っていたのだけれど途中で呼吸が荒くなったから……」
「あぁ……問題ないよ」
「本当? よかった。お水、飲むかい?」
陽は喉が渇いていることに気付いているようだ。よく気が利く恋人に、朔は頷き水を取ってもらうことにした。
しばらくぼーっとしていると、サイドテーブルに逆さまに置いていたコップに水を注いだ陽がコップを渡してくる。
受け取る際に、手と手が触れ合いサイドテーブルのランプのおかげで陽の手がよく見えた。
「また不思議な夢でも見たのかい……?」
「…………」
「……仕事で疲れているのかもしれないね」
不安と心配が混ざったような面持ちで、陽がそっと抱きしめてきた。
朔は振り払うでもなく、彼女をじっと見つめたまま腰に手を回す。驚いた陽の唇を奪った。
「んっ……、君だって不思議な夢をたまに見るでしょ? この間泣いていたよねぇ」
「うん……、とても苦しくて悲しくて。よくわからない夢だったけれど、あたたかい感じもたまにするんだ」
「ふぅん……」
「朔、よければ明日舞花を誘ってどこかへ遊びに行かないかい?」
また急だねぇ、と苦笑いを浮かべながら返すと陽も笑う。駒沢舞花は陽の幼馴染であり、可憐かつかなり強かな女性だ。
学生時代に初めて出会った時は、お互いちょっと険悪だったがいつの間にか仲良く接してきていた。朔と陽が結婚すると聞いて、彼女はすぐに祝福してくれた。
彼女のことは少し苦手だが……、なぜか視線が合うたびに心臓が決まって早鐘を打つ。
「はぁ……、いいけど彼女もこの時期は忙しいんじゃない?」
「図書館の司書だから、十二月は休みが多いはずだよ」
「朝になったら連絡してみるよ。彼女が来れなかったら、二人きりで気晴らしにどこかへ行こう」
「……来ても来なくても、外出するのは確定か」
朔は枕に顔をうずめる。結婚したら、今よりもっと振り回されそうだ。その背中に陽のあたたかい手が置かれた。
背中を撫でられている内に眠くなり、隣にいる陽も布団に潜った気がする。唇に耳が近づくと、ぽつり囁かれた。
「――おやすみ、朔」
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「朔ちゃん、こんにちは! あれ、元気が無さそう。どうしたの?」
「朔は少し寝不足なんだ。気だるげなのはいつものことだけれど……」
落ち着いた雰囲気のカフェで、待ち合わせしていた舞花がやってきた。
今朝、陽が連絡を取ったら、ちょうど彼女も休日らしかったので二つ返事で了承してくれたみたいだ。
灰色が混じった薄茶色の髪が、丁寧にセットされいつもの黒いリボンとカチューシャを着けている。
向かいの陽の席に座るかと思いきや……、彼女はなぜか朔の隣に座ってきた。
「……は?」
「朝ごはん食べたんだけど、お腹空いてきちゃった! 遊園地に行く前に軽食食べていいかな?」
「もちろんだよ、舞花。今日は来てくれてありがとう!」
隣に座ってきた舞花のために、しかたなく奥に詰めたら肩同士が触れスキンシップを取られる。
学生の頃のある日を境に、こうしてスキンシップを取られ馴れ馴れしく遊びに誘ってくることはよくあった。
驚きなのは、陽が居なくても連絡を取ってきて遊びに行こうと誘うことだ。
「朔ちゃん、最近どう? ちゃんと食べてるの?」
「…………」
「大丈夫、ちゃんと食事も摂ってるし僕の作ったお菓子はよく食べてくれるよ」
「そうなんだね、私も陽ちゃんのお菓子久しぶりに食べたいなぁ。今度お邪魔してもいい?」
陽が笑顔で頷いたので、朔も好きにすればと小さく呟いた。今日は出かける予定では無かったので、本当にブルーな気分だ。
唯一救いなのは、ここの紅茶をはじめとしたドリンクが自分の舌に合うことくらいか……。
注文用のデバイスで食べたい物を選ぶ二人の様子に、軽くため息をつく。陽と舞華とは他校だったが同じバスケをしていた。
よく朔の学校と試合することがあったが……。
「朔、何か食べたい物あるかい? あったら注文しておくよ」
「……ティーソーダ」
「朔ちゃんは何か食べたいの?」
「……あいにくだけど、今日は出かける予定じゃなかったんだよ。……私を日差しの下に連れ出したんだから、しばらく放っておいてくれない?」
一瞬、きょとんとした表情をしたがすぐににっこり微笑み舞花は頷いた。陽も苦笑している。
何がおかしくてそんなに笑えるのか……。まだ外に出たばかりだというのに、朔はぐったりと重たいため息をついた。
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「わぁ〜」
「きゃー♪」
「ッ……!」
カフェを出た後、遊園地に着いたが楽しいアトラクションと聞いて回転木馬にでも乗るの? と鼻で笑ったが違った。
陽と舞華が、手を引いて連れてきたきたのは優しくない回転木馬だった。
ギリギリ人が酔わない、気持ち悪くならない間隔で揺れて動き出すよう設定された、いわゆる絶叫系アトラクションタイプ。
この時ばかりは、二人が何を考えているのか疑いたくなった。ちゃっかり隣に座った陽が、腹部に腕を回して抱きしめながらポールを掴んでいる。
「ちょっと……っ! なんなのコレ」
「眠気が吹き飛ぶかと思って。わぁ〜」
「君、たまに鬼畜になるよね なんなの……」
浮遊感と共に、乗っている回転木馬の馬の像が上昇する。ぐーんと落ちて、また上昇する。目は回るが、気持ち悪くはならない。
これを作った人は何を考えているのか、問いただしたいくらいだ。
「朔ちゃん、すごい顔! うふふっ」
「! ちっ……」
後で覚えておきなよ? と、朔は目細め隣の馬に乗る舞花を睨んだがくすくす笑っている様子からまったく気にしていないみたいだ。
生殺しにされると思いつつ、ポールにしがみついていると背中を抱きしめられる。
まさかこんな状況でいちゃつこうって言うの
「後でモグラたたきのゲームをしよう。朔、モグラたたき好きだろう?」
「はぁっ いつモグラたたきが好きだなんて言ったの」
「だって、ゲームセンターに行く時はいつもモグラたたきをするじゃないか。さっき遊園地のゲームコーナーで見つけたから、やろうね!」
地獄の回転木馬が終るまで、朔はポールにしがみつく。
隣の馬から視線が注がれているのは気のせいか、同時に可愛らしい叫び声が聞こえていた……。
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「はぁーッ……。最悪っ」
ベンチに背中をあずけて、ぐったりとする朔。隣ではそっぽを向く朔の背中を、舞花が撫でていた。
飲み物を買ってくると言った陽が消え、舞花と二人きりの状況に困っていた。
彼女が眉を下げて、心配そうに沈んだこはねで話しかけてくる。
「朔ちゃん、大丈夫?」
「見てわかるでしょ。……はぁ」
「ごめんね。あのメリーゴーランド話題になってたから……、どうしても乗りたくて」
「……まぁ、もういいよ」
沈黙が流れる。純粋に舞花と話す話題など無く、遊園地の音楽と人々の楽しげな声が耳に自然と入ってくる。
陽は売店か自販機で並んでいるのかもしれない。大人しく帰ってくるのを待っていた、ふたたび舞花が口を開いた。
「……私ね、まだ陽ちゃんのこと好きよ。あなたと陽ちゃんを眺めていたら、嫉妬しちゃぐらい」
「…………」
「でも、朔ちゃんと一緒にいる陽ちゃんはとても幸せな顔をしているの。悔しいけど、陽ちゃんの幸せが一番大事だから」
――舞花が陽のことを“好き”だということは、学生の頃から知っている。
バスケの試合で出会った時、仲睦まじい二人を暇つぶしに乱してやろうと考えたことがあった。結局、失敗に終わったが……。
あの頃は二人に憎まれるだろうことを、何度もやっていた。やっている内に朔の行為に気付いていなかった陽に、顔を覚えられることとなった。
「……朔ちゃん、陽ちゃんを傷つけたら許さないから。……でも、朔ちゃんや陽が困っていたら、いつでも助けるからね」
「その代わり、たまには私を遊びに誘ってね。悔しいし、嫉妬もするけどあなた達を見ていたら、なんだか幸せな気持ちになれるから」
朔はやわらかく微笑んでいる舞花と、目を合わせた。不思議と今まで感じていた、緊張のような心臓が早鐘を打つことは無くなっている。
彼女に思うところはあるが……、好意的な態度にいつの間にかこちらの態度も軟化してしまう。
調子が狂うが、一言だけ告げておこう。
「……来てよ」
「え?」
「結婚式。人を招く予定は無かったけど……、君にその気があるなら」
「……行くわ。あなたと陽ちゃんの最高に幸せな瞬間を見届けてあげる」
その時、ちょうど陽が三人分の飲み物を持って帰ってきた。手にはプラスチックのカップ、やっぱり自販機ではなく売店に並んでいたのだろう。
おまたせ、と飲み物を渡してきたので受け取ると遠慮なく手を握られ横に座らされた。
陽と舞花に挟まれる形になり、朔はため息をついた。
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ざぁ、ざぁ。小粒の雨が降っている。結婚式まであと五日、仕事から帰宅しようとしたら天気予報の通り雨が降っていた。
朔は肩を揺らす。どうしてか、雨が降るたびに左目がうずく。まぶたがピクピク痙攣し、脈打つように痛む。
自然と左目を閉じて、歩くことになるが視界が悪くなり危険だ。何度か病院に行ったが、原因不明またはストレスの影響と診断された。
まぁ、そんなことより寝ぼけて仕事に遅刻しそうになった陽は、傘を持っていっていないだろう。折りたたみ傘も。
しかたなく彼女の職場まで歩く。周囲の気温は下がり、空気が冷えているせいか吐く息が白い。雪ではなく雨。十二月にしてはめずらしい。
朔の職場である美術館から、陽の職場のホテルまではそう遠くはない。足元と周囲にいつもより気をつけながらも陽の職場にたどり着いた。
予想通り、陽が駐車場へ繋がる従業員用のドアの前に立っていた。
「あっ……朔! 来てくれたのかい?」
「まぁね。……陽くんはたまに抜けてるところがあるから、傘を忘れていったんだろうなって」
入りなよ、と陽をうながす。彼女が一瞬首をかしげるが、すぐに頬を赤らめ顔をそらしながら頷いた。
――傘は、一つだけしか持ってきていない。
傘の下で寄り添いながら、家まで歩き出す。
「傘が一つだと……少しぬれてしまうね」
「…………」
「朔? もしかして、左目が痛むのかい?」
「あぁ……」
陽が心配そうな表情をし、顔を覗き込んできた。不安げに揺れる青灰の瞳に見つめられ、朔は目を細める。
ひんやりした空気、寒気が走る。左目が痛い。早く帰りたいと歩みを早めたが、だんだんと左目の視界がぼやけてきた。
驚いて立ち止まってしまう。
「っ、平気かい? 朔、少し休もう。顔色が悪いよ」
「いや……、早く帰りたい」
先ほどぼやけた視界は、元に戻っていた。あれはなんだったんだろうか。陽が左手を握ってきたのを、少し握り返しながら歩き出す。
頭が重たい。さっきまではなんとも無かったのに、急にどうしたのか。職場から出てから、体調がどんどん悪化している気がする。
隣の陽をちらりと見た。……彼女も、どこか具合が悪そうだ。
「……君こそ、顔色が悪いじゃないか」
「え? う、うん……。なんだか急に頭がズキズキするというか。雨だからかな? 僕は大丈夫」
「大丈夫って……、君ね――っ」
――生温かい感触、滴る水音。武器を握る手。少女の悲痛なうめき声。灰色に染まった映像のような物が、脳裏によぎる。
額を右手で押さえつつ、陽が握っている左手に力を入れた。吐息が白く口元から広がる。
「朔? どうした――うぁッ」
「! 陽くんッ!?」
陽の体が下へずり落ちる。
雨で滑りやすくなっているレンガの地面のせいか、ずるっと真後ろに倒れかけたところを朔は目を見開きながら支えた。
陽の後頭部を支え、地面に倒れた瞬間脳裏に様々な映像がよぎる――。
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「ッ―― 陽くん、陽くん」
朔は思い出した。前世の……トリとして、魔獣と戦っていた頃の記憶を。その隣にはツバメがいたことを。
任務で様々なトリを処罰し、ツバメの幼馴染であるコマドリでさえも手にかけた。生々しいまでの鮮明な記憶がよみがえり、吐き気もするぐらいだ。
だが、今はどうでもいい。転びかけた陽が頭を打っていないか不安で心臓がドクドクと耳の奥でうるさかった。
「……あっ、朔。大丈夫……どこも怪我していないよ、頭も打ってない」
「っ……そう。はぁ」
まぶたを開けた陽が、真顔で告げて来るとゆっくりと起き上がる。彼女を支えるため、傘を放りだしたのでお互い雨にさらされびしょぬれだ。
ため息をつきながら、立ち上がろうとしたら――陽に腕を引かれふたたび地面に膝を着くことになった。
包み込むように背中に腕を回され、桃色の唇同士が重なる。
「ん……っ、んく……」
「っ……」
体中が冷たかったのに、抱き合うとぬくもりが二人の間に生まれた。朔は困惑した表情を浮かべながらも、陽とのキスに集中する。
……同時に、前世のツバメと重ねたほろ苦くも甘い時間を思い出した。
前世のツバメの外見は、陽と似ているどころか同姓同名でまったく同じで、自分もモズと同姓同名で外見もさながら左目は傷ついていないが一緒だった。
「“モズ”、また会えたね……っ」
「! ……“ツバメ”くんこそ、本当に今世まで探し当てて……」
「モズ……、モズ」
陽も前世の記憶を思い出したんだろう。
朔は強く抱きしめられた。前世の記憶がなだれのように脳裏をよぎっていく。
雨音にまぎれて陽の泣き声が聞こえた気がしたが……、彼女の顔をたしかめることはできなかった。
離さないとばかりに両腕で包みこまれて、身動きなんてできずに冷たい雨に打たれているはずになのに、体中が温かかった。
「僕との約束、守ってくれたんだね……! 朔……っ、ありがとう、ありがとう……っ」
朔は拒まず、陽のすべてを受け止め続ける。
……どれぐらい経ったのだろうか。
時間さえ把握できないほど、長く座り込んでいた気がするが陽が一向に離そうとはしてくれない。
背中と肩を叩いて、離してほしい意思を伝えたらしぶしぶといった風に陽は離れた。
「……ふっ、ひどい顔」
「す、すまない……。嬉しくて、キミに今世で出会えたことが奇跡みたいで」
「……約束、したでしょ」
ふたたび抱きつかれそうになったので、朔は思わず後ずさる。
今世で雨の日は何度もあったのに、どうして今になって思い出したのかはっきり言って疑問だが、陽との結婚が迫っていたからだろうか。
なだれ込んできた記憶は、他人の人生を見ているかのように感じてしまい、情報過多による頭痛が脳を支配した。
「ッ、それでさ陽くん。……私との結婚やめたくなった?」
「え? ……まさか! 結婚したいよ、朔を奥さんにしたい」
抱きつかれる代わりに、ぎゅっと両手を握られ雨の中でかがやく青灰色の瞳がまっすぐこちらを見つめてくる。
いたたまれなくなり、顔を強張らせながらそっぽを向いた朔は頬に軽くリップ音が立つぐらいのキスを受けた。
「逆に、どうしてまた巡り会えたのに、ぼくがキミを手放すと思ったんだい?」
「……私は前世で、殺したじゃないか。君の幼馴染を。……“コマドリ”くんをね」
前世の行為がすべて帳消しになるとは思えない。
前世の業が、今世にまで残っているとしたらと考えたが、そもそも本当に平和な世界に同じ名前、同じ姿で転生できるとは思わなかった。
陽が驚いた顔をしたあと、すぐにいつものあたたかい日差しのような微笑みを見せた。
「それは前世でのことだろう? ……今世で、キミはコマドリ……いや、舞花を殺したかい?」
「……」
「彼女も同じ姿で生まれ変わっているなんて、考えもしなかったよ。今前世の記憶を思い出したばかりだけど、本当に不思議だね」
微笑み続ける彼女の気が知れなかった。
生まれ変わっただけで、前世の怒りや憎しみが消えるのか。
朔は雨ですっかり冷えた体で、身震いしつつも陽の手首を強く掴んだ。
また大きく目を見開きながら、陽がこちらを見つめたので朔は鋭い灰色の瞳で彼女を睨む。
「……朔、もういいんだ。僕も何も感じないわけじゃないけど、“思い出した”だけ。前世の感情は、前世に置いておこう。……愛情以外は」
「そんな……ッ!」
「朔、僕のこと愛している?」
朔は言葉に詰まった。だんだんと感情が冷たい空気にさらされ、おさまっていく。
そして陽の腰に腕を回すと、強く引き寄せて深い口づけを交わし逃さないように地面に押し倒した。
周りに人が居ないことが幸いだ……。雨が降る中でこんなことをしていたなら、奇異の目で見られるだろう。
てっきり抵抗してくるかと思ったが、陽が身動きすることはなく受け入れるように舌を口内に入れてきた。
……しばらく味わうと、朔は唇を離す。
「……好きじゃなかったら、結婚してほしいなんて頼むわけないでしょ」
「うん! そうだよね、ふふっ。朔……」
「うわぁ……っ」
「――離さないよ」
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「はぁーッ」
シャワーを浴び、朔のぬれた銀髪は結われておらず肩まで広がっている。
ベッドに腰掛けると、浴室から戻ってきた陽にすぐ抱きつかれた。
あのあと風邪を引いてはいけないからと、陽に抱き上げられお姫様抱っこの状態のまま家まで帰ってきた。途中で通行人の視線がそそがれ、なかなかの羞恥だ。
「……あの娘、前世の記憶思い出してるかもね」
「えっ?」
「まぁ、本人に聞かないと分からないけど。……舞花くんを結婚式に誘ったけど、来ないかもしれないね」
「……来なかったら、二人きりで誓いを立てればいい。でも、舞花はきっと来るはずだ」
「彼女は、学生の頃キミを知ってからよく心配していたから」
結婚式は協会でひっそりと、二人きりで行い後日籍を入れる予定だ。
誰かを招く予定は無いが、籍を入れたら陽の家族と舞花で食事会をするつもり。
だが……、もし舞花がすでに前世の記憶を思い出していたら彼女なりのこちらが計り知れない深い想いがあるはずだ。
「……もし、舞花くんが前世の記憶をすでに思い出していたことがわかったら、前世の君にやられたように頬を思いきり殴らせてあげる」
「あっ、あれは僕があやまって強く殴ってしまったからおすすめできないよ! 数日は腫れて、ご飯も食べられなかったじゃないか」
「まぁ、痛かったけど殴られるのは当然だからねぇ」
まるで遠い昔の過去を話すように、会話を交わす。遠い昔どころか、前世の話なのでまるきり実感が無い。
殴られた時の感触や、コマドリを殺した時の感触や左目を傷つけられた感触も思い出せない。
今思えば、あの不思議な夢は前世の頃の記憶だったんだろう。
陽も不思議な夢をみると言っていたので、前世の頃の記憶の可能性が高い。
「朔が殴らせたいと思っているなら……、僕は止めることは出来ないかな。キミと舞花の問題だから」
「……結婚したあと、殴られに行ってくるよ」
「わかった」
今日は本当に疲れた。重いため息をつきながら、ベッドに横になると後ろから陽が肩に顔を埋めてくる。
思い出してからなぜかいつもより、いっそう甘えてきている気がする。陽の吐息を間近に感じ、思わず心臓がはねた。
すぐに優しい声音が耳をかすめる。
「……離さないよ。今世でも、絶対」
「……君が私を離さない理由は、今世では無いはずなんだけど」
「忘れてしまったのかい? “ずっと”一緒にいるって、前世で約束したじゃないか」
「っ “ずっと”って……、まさか死んでも生まれ代わっても“ずっと一緒”ってこと」
なんてことに頷いてしまったんだと、前世の庭園での出来事を思い出し苦々しい顔で陽を睨んだ。
しかし、睨まれても動じない陽に微笑まれただけではなく頬に柔らかい唇が当たる。
「また、約束してくれるよね?」
「っ……。はぁ〜っ」
こうなってしまったら、しかたがない。
たちの悪い紳士的な王子様にかこまれた……と、思おう。
朔は何も言わずに、寝返りをうつと陽の胸に顔をうずめた。陽の呼吸が聞こえるが、彼女も何も言わず背中に腕を回して抱きしめてくれる。
一度まぶたを閉じ、少し顔を上げて朔は呟く。
「……結婚式、楽しみにしていなよ」
「! ……うん、楽しみだ」
気だるげな声音をしながら、朔はふたたび陽の胸元に顔をうずめる。左腕を陽の腰にかけてやった。
冬の寒さで薄暗い寝室は静まり、鉄にふれた時のような気温で空気が冷えきっている。
耳元で「おやすみ、朔」と、穏やかな低い声がしたのでこちらも返してあげた。
「おやすみ……、陽くん」
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鐘の音が大きく辺りに響いている。さながら前世でのツガイになる時の儀式を思い出させる。
真っ白な教会の結婚式場は、アーチ状の天井に焦げ茶色の木製の長椅子がいくつも並んでいた。
天窓からはキラキラとかがやく、眩しい陽の光が教壇前に立つ朔と陽に、優しく降りそそぐ。
「朔……綺麗だよ」
「前世でも言っていなかった? ……ところで、神父がいないのにどうやって二人きりで式を進めるわけ?」
木製の長椅子には、誰も座っていない。
それはそうだ、だって自分たち二人きりの式なのだから。
だが、二人きりと言うと語弊がある。
舞花を招待したが、時間になっても彼女が席に座って待っていることはなくやって来ない。
彼女は確かに“幸せを見届ける”と言った。寝坊ならまだしも、どこかで事故に遭っていないか。
「あっ、朔見て。もうすぐ着くみたいだよ。舞花、楽しみで寝られなくって寝坊したみたいだ。タクシーだ飛ばしてるみたい」
「はぁ? ……なんだ」
心配して損をしたというのは、まさにこのことだ。スマホを見せてきた陽がくすくすと笑い、朔の手を取る。
慈愛がやどった瞳で、朔を見つめ取った手を陽が自分の頬に当てた。
「朔……綺麗だ。本当に、天使みたいだね」
「白い皮を被った死神かもねぇ?」
「死神でもいいよ。僕にとっては天使だ」
お互い純白のタキシードを着ている。
前世ではチャイナドレス風だったが、今世では白に金が入ったダイヤの形のループタイに、陽と同じ真っ白なタキシードを着ている。
胸のポケットにはとうてい似合いそうも無いのに、陽から受け取った花の飾り差されていた。
「……そろそろ、始めようよ。時間も迫ってきてるし」
「うん」
陽がスラックスのポケットから、白いスウェード調のケースを取り出す。
ケースを開けると、シンプルなシルバーの指輪が溝にはまっていて、内側にはイニシャルが刻まれ自分と陽の誕生石がはめられていた。
ケースを教壇に置いて、指輪を取り出した陽が取っていたままの朔の左手のところまで指輪を持っていく。
「友住朔。キミは病める時も健やかなる時も、津羽陽と一生を共にすることを誓うかい?」
「……誓ってあげる」
陽が微笑みながら指輪を薬指へと、すべらせるようにはめていく。
朔は自分の左手におさまった指輪を少しの間眺めると、教壇の上に置かれたケースから指輪を取り出し陽の左手を取った。
「津羽陽、君は病める時も……健やかなる時も友住朔と一生を共にすることを誓う?」
「誓うよ」
陽の声が会場内で響いた。陽の薬指に指輪をはめてやると、彼女もしばらく指輪を見つめたあと朔に微笑みかけた。
舞花が中々来ないことが気がかりだが、しかたない。来たら誓いのキスを見せればいいか……。
「で? 何をするの」
「それはもちろん……、誓いのキスさ」
照れたように頬を赤らめながら、陽が告げる。キスなんて今まで何度もしたのに……。
陽が一歩、距離を詰めてきた。あたたかい右手を朔の頬に寄せ、顔を近づけてきた――。
ドンッ 会場の扉が開き、何かと思いそちらに顔を向けると深いオレンジ色のパーティードレス姿の舞花が立っていた。
「ま、間に合った」
「……はぁ」
「舞花! 来てくれたんだね」
映画やドラマみたいに、結婚式で待ったをかける新婦の想い人のような感じでため息をついた。
舞花が二人がいる教壇の前まで駆け寄ってくると、大人しく長椅子に座って眺め始める。
彼女の視線がそそがれ、なんだが落ち着かないが陽に向き返ったところで、彼女に強く抱き寄せられ――唇と唇が重なった。
「んんっ」
「ふふっ……」
誓いのキス、というよりは呪いのキスなんじゃないの?
頬に手をそえられ、腰に腕を回され朔は逃げられない。
もう二度と逃げられないのだろう。
ようやく唇が離されると、ニコッと陽が微笑を浮かべる。
舞花も、優しい瞳で見つめてくる。
「朔、これからもよろしくね」
「……はいはい」
また、鐘が鳴っている。教会に鐘の音が響き渡り、朔と陽の“始まり”を祝福しているようだった……。
Fin.
あとがき
WEBオンリーイベント「テヲトリアッテ」は、楽しかったでしょうか? こんにちは、蒼月亭夕璃です。
WEBオンリーイベントに、初サークル参加を果たしました! 準備はなかなか大変でしたが、執筆中とても楽しかったです。
正邪のお話も楽しんでいただけたでしょうか?
プロット自体は前々からあったので、聖夜のファンタジーパロ正邪と結婚する正邪(転生正邪)を書きました。
これから先も正邪が健やかにイチャイチャできるように、祈っています。
最後に正邪&コマドリBIG LOVE……。