もっと君を知りたい。 最近のミスルンの悩みは、イマジナリーマインドと言うべきか、横に存在している若い頃の自身だった。
欲求の失われた精神にも記憶はある。思いおこせばどのようなことを考え口にするか想像はつく。当時の自身は戻らない半身のようなものだったのだが、最近は現実にまで干渉してくる。
「あのトールマンとの交際はやめるべきだと思うなあ」
「やめない」
「あと数十年もすれば老いて死ぬよ。子もなせない」
「承知の上だ」
「いつからこんなに強情になったんだろう私は」
「知らん」
「元からかな。だって私は意地が悪くて、劣等感と惨めさに加えてプライドだけが高くて。閉じるべきダンジョンで愚かにも迷宮の主になって仲間に手にかけ、冒険者たちも数え切れないくらい殺し続けた。悪魔に欲を与えた。見た目もみすぼらしく変わり果てて、家からは捨てられてもうなにもない。そんな男を心から愛してくれる存在なんているわけがないもの」
「いる」
「エルフを抱けるのが物珍しいだけじゃない?それにトールマンなんて……劣等種だろう?エルフが交際する相手とは思えないな」
「あの男がいい」
「ふふ、ほんと、私は間違ってる。決定的に、徹底的に。君は、私は間違っている。絶対に後悔するに決まっているのに。また身を滅ぼすんでしょう。同じ過ちを二度犯すんでしょう。そしてひどく後悔するんでしょう」
「このさきに愛したことを、悔いることがあっても。私は今あの男を愛している」
「君は、私はひとりでいるべきなんだよ」
「それでも共寝は心地良い」
「セックスに絆されるなんて、下世話だね……」
「おはようございます。……あまり眠れませんでしたか?」
「なぜ」
「くまが濃くなっています。俺、いびきをかいたり、寝相がとんでもないことはないと思うんですけど……なにか、眠れないことでもありますか」
「最近、うるさい」
「やっぱりいびきですか……?」
「違う。私がだ」
ミルシリルから提案されたことをカブルーにも説明した。昔の自分を隣に置いて意見を聞く、ということ。
「そうですね……。自分を客観視するのはいいことだと思います。他者のようで他者ではない存在によって問題の消化をはかるというのは」
「それが問題そのものになっている。うるさい」
「ミスルンさんの意志と関係なく喋るんですか?」
「そうだ。今も横で文句を言っている」
「隣のミスルンさんは何と言っていますか?」
「たいしたことではない」
「しかし、あまりに酷ければ病理の一種でしょう。医者にかかりますか?」
「いらない。昔の私はお前と私の交際に反対なのだ。交際をやめるまで騒ぎ続けるだろう」
「ああ……まあ、それはそうかもしれませんね」
「納得するな」
「えっ、うーん。そりゃ、俺だってあなたを手放すつもりなんてありません。とはいえ、あなたの過去は一通り聞いたつもりですが、過去のミスルンさんに俺が好かれる要素はないように思うので」
「私は好ましく思っている」
「ありがとうございます。俺も、大好きですよ」
ミスルンは過去の自分とのやり取りを仔細には話さなかった。過去の自分は、ミスルンの罪科の証明のようなものだった。
カブルーに話した過去以上に、自分はみにくいのだと、知られたくなかったのかもしれない。
「こんばんは」
眠りの先は、小さな小部屋だった。カブルーは周辺を確認する。
はっとするほど美しいエルフの青年が後ろ手で指を組んでこちらを見て微笑んでいる。それ以外にはなにもない。
意識は明瞭でこれは夢だと認識している。
「なるほど、夢見の魔術ですか。無意識下で魔術まで行使するとなるとちょっと厄介かな……」
「今目の前にいるのは私だけれど、誰と話しているのかな?」
「あ、すみません。昔のミスルンさんですよね。確かにどこからどう見ても銀髪銀眼の完璧な美しさのエルフです」
「君って、意外と意地悪なんだね。私の過去を知っているのにそんなことを口にするなんて」
「いえ、本当のことなので。それにあなたには会ってみたかったんです。ミスルンさんに話は聞いていましたけど、実際に会ったらどんな人なのかなとおもっていましたから。会えて嬉しいですよ」
「ねえ、君ってよく口からさきにうまれたのって聞かれない?」
「ひとたらしはよく言われます。そんなつもりはないんですけどね」
「自覚があってもやめないなんて、ほんと、親の顔が見たいなあ。あは、これって私も君も困ってしまうよね?ごめんね?」
「自分で自分の心を傷つけないでください。それを聞くのは、好きではありません」
「自分のことなんだからいくらだって傷つけたってかまわないでしょう?君も見ただろう?体中にたくさん走った醜い傷跡。引っ掻いて、かんで、叩きつけて。色んな方法で自分を痛めつけたんだ」
「見ましたよ。見たからこそ、もう増やさせるようなことはしません。癒えなくとも、傷跡がつらい記憶に紐づいてるのならほどきたいだけです」
「ほんとうに、くちがうまいんだね?君の人生はトールマンにしてはまだ長いのに、子どもも作らず、他の女も抱かず、生きていて楽しいと思えるのかな?そんなにも私は、価値のあるものかな?」
若い容貌をしたミスルンはにこにこと質問で迫ってくる。西方エルフは遠回しな言い方を好む。
さきほどの言は他に女とガキでも作って二度と近づくなの意だ。
カブルーはしばし考えてから口を開いた。
「……俺が思うに、あなたは欲のさなぎなのではないかと」
「どういう意味?」
「今までになかった欲が生まれ始めたはいいけれど、それが羽化する途中のさなぎのように、中味がどろどろなんです。まだ確立されていない。自分自身でコントロールできないものをもう一人の自分という人格が抱える状態になっている……のではないかと」
「君が聞いた過去のミスルンは、そんな殊勝な人間だった?」
「あなたはミスルンさんですよ。乖離した存在ではありません。過去から未来は地続きのものです。その途中欲が失われるという事態が発生したとしてもあなたはあなただ。そして今また欲が発生し始め、自身の中で断絶していると思っている存在を馴染ませようとしているんだと思うんです」
「はあ、理屈っぽくて好みじゃない。見た目だけは……多少マシだね。あとは全部無理。本当に、どうして私がお前を選んだか、心底理解できない」
「ああ、その方がいいですよ。無理に取り繕わなくてもかまいません。夢の中ですし」
「そう。じゃあ、はっきり言うね?私とわかれて。もう近づかないで。獣のような行為で私を絆すのはやめて」
「嫌ですよ。俺はもう生涯を共にすると決めたんですから」
「トールマンの口約束なんて軽いでしょう?すぐに嘘をついて、逃れようとする。家にいた奴隷もそうだった」
「俺はあなたを愛していますよ。信じてもらえるまで毎日夢に出てくれてもいい。毎日好きな人の夢が見られるなんて幸せじゃありませんか」
「嫌だよ。魔力が無駄に減る。毎日こんなに対話するのも嫌だ」
「おれ、人と話すのが好きなんです。趣味と言ってもいいですね。だからもっとあなたを教えてください。もっともっと、知りたいことがたくさんあるんです」
「だから、嫌だって……ほんとうに、変なトールマン」
「明日も待ってますよ」
「いやだ。今日が最初で最後にする。お前の約束が果たされるか精々見ていてやる。もし違えたら、その時はせせら笑いに夢に出てやるよ」
「残念です。ではまた、明日の朝に」
年若いミスルンは返事をするかわりに舌を出した。ひどく幼いジェスチャーが、カブルーにはことさら好ましく思えた。
「おはよう」
「おはようございますミスルンさん、今日の目覚めはいかがですか?」
「わからない。が、魔力がすこし減っている……その他には変わりはない」
「よく眠れましたか?」
「ふつうだ。……ただ横の私がうるさくなくなった」
「それはよかったです。悩みが減るのはいいことですから。これからも楽しみですし」
カブルーは怪訝な顔をしているミスルンにキスをして、朝食の席へと座らせた。
トマトの入ったオムレツによく焼いたベーコン、白パンとミルクの組み合わせだった。
元が器用なカブルーはずいぶんと料理の腕をあげて、今はまともな食事を作ることができる。
「さ、食べましょう」
「うん」
ミスルンは、若い自分が隣で恨めしそうにしているが口は開かないでいる様子を一瞬見た。だが朝日を受けて弾むカブルーの笑顔にすぐ視線を戻して、朝食を頬張り始めた。
意識外に追いやられた彼はといえば、「ばかなわたし。しょうがないから、わたしが監視していよう」と言ってカブルーのことを見つめて、「見た目だけは、まし」と呟いたのだった。