花嫁の祝福 城の中も外も、喧騒で溢れている。
嫌なものではない。すべての人が祝福する日であり、誰もが喜びの笑みを浮かべている。
今日は、ライオスとマルシルの結婚式の日なのだ。
王が妃を迎える日、二人の愛を国民たちの前で約束する日。
国民たちは喜び騒いで国の安寧を願い宴をする。
ミスルンやパッタドル、他にも中央から数人が来賓として招かれている。
カブルーは数か月前から結婚式の準備に奔走していて、まともに会えていない。
屋敷へは戻らず、城で過ごすことが多いようだ。
結婚式当日も忙しいだろうから話せる機会はないだろう。恋人は国の中枢にいて、国家のために仕事をしている。そういう男だ。
ミスルンにとって正装をするのはひさしぶりだった。
使用人数人がかりで着付けた。エルフの礼服はボタンが異様に多く、そのくせ布はたっぷりと使うので身長によって上げ下げが必要で、至るところが面倒な仕様となっている。
ミスルンひとりではとても着ることができない。というよりも、一人で着られるようにはデザインされていない。
今回フレキも招待されていたが、国の意向で囚人を祝いの場に呼ぶことはできないとして出席は却下された。
フレキは式なんて興味ねーと言って、自ら主人の不在を喜んでいたが。
家々の間には国旗を縫い付けたフラッグがかけられ、屋台や大道芸人、花売り、祭りに騒ぐ人をかき分けながら馬車で城へ向かった。
各国から王族や貴族が集まり新興国の様子を窺い見るようにしている。
千年前から突如時を超えてやってきた黄金城にみなが利用価値を見出そうと必死だ。
ミスルンの故郷について、女王は出席せず、その名代として有力貴族のケレンシル家からミスルンが、ヴァリ家からパッタドルが出席する。他にも有力貴族が幾人か招待されたようだ。商機を狙ってやってきているものの姿も見えた。
ミスルンは他の貴族にも挨拶をすることなく、カブルーの姿を会場の中に探しながら式に参列した。
ライオスは豪奢なベルベット記事の赤い礼服と白いマントを身にまとい、マルシルは白いドレスに細かな金と銀の刺繍が入ったドレスを着ていた。ふたりは借りてきた猫のようで、自分たちのおかれている状況にいまだ戸惑い、恥じらいを持ちつつもその一歩を踏み出そうとしていた。
この国は長く続く。初代王妃は千年を生きるのだから。世継ぎの問題など些末に思えた。
式が終わると、食事が振る舞われた。立食式で、誰もが自由に好きなものを食べてもかまわなかった。
ミスルンは最近食べたいという欲が徐々に自身に戻ってきているのを感じていた。
しかし長く続くテーブルの端から端まで乗った料理を見渡したが、なにが食べたいのかということまでは考えが及ばず結局なにも選ぶことはなかった。
「ミスルンさん」
カブルーの声が聞こえ、はっきりと心に喜色が浮かんだ。食欲よりもカブルーの方が、ミスルンの心の優先度は高かったらしい。
「痩せたな。宰相補佐殿はお疲れか?」
「ええ、やることがとかく多いもので。ご馳走を前にしても絵に描いたりんごのようなものです。一口でも口に入れば御の字ですね」
礼服を着ているカブルーを眺める。深い青、群青色の上等そうな服に身を包んでいる。
よく似合っていた。
「働き者の宰相補佐のために、なにかとってこさせよう。何がいい?」
「モンスター食材のもの以外ならなんでも」
「そこの給仕」
ミスルンは忙しなく働く給仕の一人をつかまえてモンスター食以外の食事を持ってくるよういいつけた。急いでいるので早く、と付け加えるのも忘れず。ついでに盆の上からシャンパンを二つ取る。
「さすが、命令慣れしているというか」
シャンパンを軽く口に含みながら話す。
「お前とて身分が相応に上がったのだから命令慣れはしているだろう」
「それはそうなんですが。いやあ、見習いたい手腕です。ミスルンさんはなにか食べましたか?」
「なにも」
「ああ、またもう……俺が見てないとそうやって……」
「お前が帰ってこないのが悪い」
「それは俺が悪いです。なかなか顔を合わせることもできずすみません」
「本気で言ったわけではない。お前に私と国を天秤にかけるような行いをさせるつもりはない。お前が立派に立ち回ってこの式はつつがなく進行しているのだろうから、誇らしく思うのが当然というものだろう」
「やっぱり拗ねてるんですね。あなたもずいぶん、わかりやすくなったというか……かわいらしく思います」
「拗ねてない」
むっとした顔をしたミスルンの元へ、給仕が戻ってきた。
いかにもエルフのお偉方、という服装をしているミスルンの要望に応える皿を見繕うのは大変なプレッシャーだったと見え、カートに見るからに豪奢な料理とカトラリーが乗っている。
ミスルンが下がるように言うと、給仕は慌てて去っていった。
「これはまた、ごちそうだ」
「食べることにしよう。お前も時間があるうちになにかいれておけ」
「ありがとうございます。ミスルンさん」
立食パーティが終わると王城前に作られた長い壇上の道を王と王妃が歩く。国民への顔見せだ。
来賓は城の中で待っているものも多いが、ミスルンは外へ出てふたりの様子を見ていた。
明るい笑顔。空も晴れて、午後の太陽がふたりを照らしている。
多くの人々に押されると、小柄なミスルンはどうしても力に負けてしまう。
そこにミスルンの体を支える力強い腕が伸びてきた。
「城にいなくてもいいのか?」
「少しの間、任せてきました。俺も国民と一緒にあのふたりを祝福したいですから」
カブルーが人をかきわけ、ちょうどよくふたり収まりそうな場所を見つけてくれた。
ふたりは並び、マルシルとライオスの様子を見ている。
「お前も祝福されることをのぞむか?」
「そうですね。あればいいでしょうけれど、必要以上には望みません。あなたが生涯そばにいてさえくれれば。それ以上は身を滅ぼす高望みというものです」
「ではお前がしんだあと、私が新しい恋をしたらどうする」
「……それは嫌です。ゴーストになって出てきてしまうかも。そしてあなたの新しい恋をびりびりに引き裂いてしまうかも」
「ふ、それは高望みではないのか」
「あなたの心が俺の身から……たとえ魂もなく腐り落ち朽ちたものだとしても……離れることが……想像するだけでも耐えがたいのです。やはり高望みですね。死しても縛ろうなどとは」
「いいや、私もそうだ。もし私になにかあったとして、お前より先にはてたとして。お前が他の女と愛し合うなど、息がうまくできなく感じる」
「似た者同士ということでしょうか」
「うん。割れ鍋に綴じ蓋というやつだな」
「あなたにも俺にも、欠けている部分がある。それを埋めるために、俺たちは出会ったのかもしれません」
「運命論か」
「いいえ。そんなものでは片付けられないものですよ」
「……自身の力の及ばぬところにあるものへ手を伸ばせば破滅する。そういうものだ。運命に身を任せることも同じことだ。私たちは自分たちの力で困難をこえ前進せねばならない」
花火があがっている。
祝いの祝砲がなり、王と王妃がくるりと壇上を回ってみせると、臣下や国民たちからわぁっとひときわ大きな声があがった。
「たとえ俺たちの愛が祝福されないものであったとしても、俺はあなたを愛しますよ」
「祝福などされたらゴーストとして出てきてくれないかもしれない。ならば呪われたほうがよいというものだ」
「はは、呪いのほうがいいだなんて、奇特な人ですね。でもそうだな……俺も、あなたにもう一度会える機会があるのなら祝福はいらない。たとえ触れられずとも、ゴーストの冷たい手で、あなたの魂に触れたい」
「お前はもう、私の魂を握っている。潰そうと思えばすぐにできる」
「そんなことはしません。巣から落ちてしまった雛のように……大事にそっと、扱いますよ……」
カブルーはミスルンの横髪をかき分け、切れた耳にそっとふれた。傷の象徴。強欲の代償。
すりすり、としばらく撫でてカブルーはそのまま後頭部に手を滑らせると上を向かせ口づけをした。
周囲は花火や花嫁に夢中で誰もふたりをみてはいなかった。
ちょうどマルシルがブーケを投げる瞬間で、誰もが花嫁とその行く末を注視していたのだった。
マルシルが持ち前の運動神経の鈍さながらも大きく手をふって投げた先には、一組の恋人たちがいた。二人は手を握り合い、見つめ合っていた。
手を握りあった真ん中に、ちょうど大ぶりのブーケがすっぽりおさまっている。白を中心に香り高く華やかな生花が集まり、輝くような色合いをしている。
「あれっ! カブルーとミスルンさん?!」
「え? あ、本当だ」
マルシルが驚いた声を出す。よく通る声に人々がそちらを振り返る。
カブルーとミスルンは意図せず周囲の注目を集める羽目になってしまった。
「幸運を!」
誰かの声がする。
「祝福と幸運のカップルだ!」「お幸せに!」「花嫁の祝福があらんことを!」
口々に人々が叫ぶ。
「祝福と幸運のカップルだそうだが? どう思う?」
ミスルンは先ほどの会話を引き合いにだして、カブルーに問う。
「祝福も幸運も、受けられるものなら受けるにこしたことはないでしょう」
くるりと意見を翻して、カブルーはブーケを手に取った。そして膝をつくと、うやうやしくミスルンへ差し出した。
「俺と一緒になってくれますか」
「断る理由がないな」
「それは重畳。俺は世界一幸福な人間です。花嫁の祝福というのはバカになりませんね」
カブルーはにっこりと微笑んで、ミスルンは少し片頬をあげて笑う。その様子を見ていた観客たちがはやしたて、周囲は歓声であふれていく。
「私たちって幸運を運ぶ夫婦かも」
「君はそうだと思う。俺はマルシルが笑顔だと幸せだし、そばにいると幸運だと感じるから」
「……え、あ、ごめん、泣いちゃう…………せっかく化粧、何時間もかけてしたのに……」
「え、え!? どうしたんだ!? 何か変なことを言ってしまったか!? マルシルにはいつも笑顔でいてほしいのに! どうして俺はうまくできないんだ……!」
それを聞いた花嫁は涙をこらえながら特別な笑顔で笑った。
今日は祝いの日。
誰にとっても、誰かにとっても、特別で幸福な日。