梅園然 タバコとワンルーム フツフツと電気ケトルから音が鳴る。キッチンでお湯が沸くのをただ待つ。カチッ、ケトルから音が鳴り、蓋を開けて用意されていた二つのカップ麺にお湯を注ぐ。
「はあ……。
水揚げ…ねえ…」
ソファから聞き慣れない単語と共に大きな溜息が聞こえる。
「水揚げ?なにそれ」
やべ、と一言零した後ソファで横になっていた女、神奈は体を起こすとタバコを手に取る。
「んや、まあ…キャストが一人辞めるって話。」
カチ、カチ。ライターの火をつけようとする音。焦りからかいつもと違い中々火がつかない。些細な機微だが然は見逃さなかった。
「へー、辞めちゃうんだ?」
特に深く触れず話を続ける。お湯の入れたカップ麺を二つ持ち、ソファの前のテーブルに置く。
「そ。結婚するんだってさ。」
火のついたタバコ。深く吸い、ゆっくりと吐き出される煙。甘くてスパイシーな匂いが部屋に広がる。独特なタバコの匂い。だけど然は嫌いではなかった。
「ね!然はもし私に彼氏出来たらどーする?」
悪戯を思いついたような無邪気な顔で然と目線を合わせると神奈は問いかけた。
「えー?いきなり何?どうするって言われても……おめでとう!て思うでしょ」
彼氏、と聞いてドキリとした。
神奈は保護者ではあるがまだ三十前半、彼氏がいてもおかしくないし結婚だって考える年齢だ。今までそういった影がなかっただけでいつ来てもおかしくない話で然の中で不安が過る。神奈の大事な二十代を潰した、そんな負い目がなくはない。
もし神奈に彼氏が出来たなら神奈の幸せの為此処に居るべきじゃないのかもと。
「あ、でも待って……そうなるとこの部屋じゃ狭すぎるな?」
「そろそろ引っ越そうと思ってたし丁度いいか!貯金出来てきたし思い切っちゃお!まずは〜……」
築浅でしょ、オートロック有りでしょ、宅配ボックスでしょ、追焚きは絶対欲しくて部屋は…欲を言えば三つ欲しいけど二つで十分っしょ!家具もオシャレにしたいし観葉植物とか置いたりしちゃってさー港区は無理だけど洒落た暮らししてみたいな〜…あ、然学校どうする?今の地区が良い?他のとこでもいい?
つらつらと理想の部屋を語る神奈を呆然と見つめていて、ほとんど頭に入ってなかったが学校の話はしっかりと聞こえ、安堵する。
少しでも不安に思ったことを悔いた。神奈はそんな人じゃない。優しくて、情に厚くて、大雑把で、豪快で…いつだって楽しい未来しか見ていない。
「てか、それ」
呼吸を整える。
「絶対彼氏出来てんでしょ!?」
「あ。バレた?」
「さっきの話って神奈のこと!?キャバ辞めんの!?」
「私は辞めないよ?もうちょっと稼いでおきたいし。然の大学費昼職だけじゃ足りないからさ〜!」
「いいよ大学費用は自分でどうにかするから!僕も来年からバイト出来るし!」
「いや。好きでやってるからいいよ。だりぃ仕事だけど稼ぎいいし?年齢厳しいから辞めたら戻って来れないしさ!安心してよ、辞めたきゃすぐ辞めるからさ。」
「でも」
「いいんだよ。然はまだガキだから大人の脛齧っとけって。嫌でもすぐ大人になっちゃうんだからさ。」
私も昔はヤンチャして親にバチクソ怒られたわ。笑いながらタバコをふかし、時計を見る。
「ほら三分経ってる。麺伸びちゃうぞ。」
話を逸らしたのはすぐわかった。これ以上話したくない時の神奈の癖、然は小さく息を零した。
不味。
もう。食べる前にタバコ吸ったからでしょ?
やらかしたわ。
てか吸う時換気扇まで行ってって言ったよね?
あ、ごめん忘れてたわ。
次直したらいいよ。
てか彼氏連れて来ていい?明日。
は!?明日!?早すぎない!?
大丈夫大丈夫なんとかなるって
あのねえ……自分で言うのアレだけど彼氏さん勘違いしない?
浮気相手って?なにそれウケるんだけど
もー…こっちは本気で心配してるんだよ?
大丈夫大丈夫!それでキレる彼氏ならこっちから振ったるわ
そんな神奈とのたわいも無い会話が大好きだった。
今も神奈の吸っていたタバコの匂いを嗅ぐと落ち着く。白い箱のセブンスター。神奈は体に悪いから然はやめとけって言うけど、副流煙って知ってる?もう遅いんだからね?
大人になったら僕も吸ってみようかな。
神奈に似て似合うと思うんだ。僕とタバコ。