wip 最後の音が消え静寂が降りる。壇の中央でその一瞬間の永い沈黙を聴いていた鷹見項希は、やがて息を吐き出して弦の上から手を退けた。俯いた拍子に眉下で切り揃えられた長めの前髪が鷹見の顔に落ちかかる。明るくやわらかい質感の髪は照明の下でしかし冷えびえとしたをちらつきを残し、右隣の定位置でベースを構える田口流哉の元から鷹見の視線を覆い隠した。歌っている時、鷹見はどこか遠くを見ている。今はその見るものを推し量ることはできない。扉の外から時折聞こえてきていた、他の軽音部員の練習の音やお喋りの声は、既に止んでいた。窓の外はおそらくすっかり暗い。広い視聴覚室には三人分の呼吸だけがあった。不意に、ぱん、と手を打ち鳴らす空々しい音がした。田口が振り返るとドラムセットの向こうでスティックを抱えた鶴亜沙加がにこにこと笑みを浮かべていた。
「おつかれさま~。今のは結構よかったよねぇ。形になってきたって感じ」
「あざっす」
同様に振り向いた鷹見の顔には既に常の愛想のいい笑みが形作られていた。田口も一拍遅れて同様の答えを返した。鶴は頷いて額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
「じゃあ、そろそろ片付けよっか。それにしてもほんまに二人とも上手やねぇ。私、足引っ張ってごめんなぁ」
「いえ。鶴先輩がサポート入ってくれて、ほんま助かってるんで」
今度は謝罪を表すために両手を合わせた鶴に鷹見が首を横に振る。
各々に楽器を下ろし片付けを始める。三人とその影の他に動くもののない室内は空疎で、白々とした照明の下に物音がやけに大きく響いた。
「鶴先輩、先あがってもらって大丈夫っすよ。後は俺らがやっとくんで」シールドを巻く手を止めて言う鷹見に鶴は少し考え込む素振りを見せた後「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」と頷いた。それぞれ挨拶を交わすと鶴は二人に背を向けた。華奢な背にグラデーションの掛かったふわふわとした髪を残像のように揺らして出入口へと向かい扉を開けたところで立ち止まり不意に振り返った。
「鷹見くん、ほんまに今日のギターよかったよ。まるで刃物みたいに奇麗やった。……次のライブが楽しみやね」
「……あざっす」
妙に剣呑な響きを含んだ言葉に、しかし鷹見は気にした様子もなく答えを返す。鶴はひらひらと手を振って扉の向こうへと姿を消した。
「なぁ……正直、どう思う?」
やがて一通り片付けを終えたところで鷹見がぽつりと言った。
「形になってきたって言っても、それだけやろ。本当ならもっと……」
「まぁ……」
ギターのしまわれたソフトケースの肩紐を掴んだまま鷹見は口を噤む。横顔は侮蔑的に冷めていた。長い睫毛の翳りが落ちた眼は、激しい感情を押し込めたように昏い。田口は曖昧に答えて手元のベースのケースに視線を落とした。閉じたファスナーを指先で辿り答えを探す。
「元の方が慣れとるから合わせてくれてたし、こっちも勝手が分かるし……ってのはあるかもなぁ」
ケースの角に行き当たって指は止まる。鷹見は暫く黙り込んでいたがやがて顔を上げ閉ざされた窓へと視線を突き刺した。
「でもこの面子でやるしかないやろ、今は」
「うん」
自らに言い聞かせるような言葉に田口はただ頷き返した。鷹見はその日はもうそれきり、その話をしなかった。二人はコートを羽織りマフラーを巻いてそれぞれの楽器を背負い視聴覚室を出た。廊下は青く暗くただまっすぐに伸びていた。ひとけの少なくなった校舎に忍び寄るしんとした夜がポケットに突っ込んだ指先を悴ませようとしていた。