ほどほどにしといた方がええよという柴の声は六平千鉱には届いていないようだった。
たった十五かそこらだ。いくら憎しみが溢れようともまだ幼さの残る骨ばった身体には限界がある。だが、おとなのいうことなんかこれっぽっちも聞かない年齢であることも柴自身が身をもって知っている。
振るう刀の重さにも耐え切れなくなり、千鉱はようやく床へ崩れ落ちる。ここからがやっと柴の出番だ。刀と気を失った千鉱を抱えて部屋へと戻る。殺風景な部屋は柴千鉱がに与えたものだ。妖術を身に着けるまでという約束で与えた部屋だ。
柴は起きる気配もない千鉱をベッドへと放り投げ、服を脱がせ、靴を脱がせる。手のひらも足にも血が滲んでいる。刀を振るうたび、足を運ぶたび、まめができては潰れてゆくせいだ。子供のやわらかな皮膚はすぐに破けてしまい、硬くなるにも時間がかかる。ほどほどを知らない千鉱の手足にはずっと血がこびりついている。
柴は簡単に手当てをしてやり、それから煙草を吸うために外へ出た。もう夜だった。千鉱はまだしばらくは起きないだろう。自分の食事を済ませ、千鉱の分を持ち帰る。歩きながらどうしたものかと考える。千鉱は筋がいい。あの妖刀だってそのうち使いこなせるようになるだろう。だが、そこにあるのは復讐ばかりで見てるこちらがやりきれないのだ。かといって止めることもできず、せめて息をしやすいようにということをきいてやる。結局、あの子供と同じように自分も六平が好きなのだ。勝手な話だ。
部屋へ戻ると起きている気配がある。
「チヒロ君、目ェ覚めた?」
声をかけながらドアを開けると、起きてます! と珍しく慌てた声がする。
「どしたん、慌てて。なんかあった?」
締め切った部屋に嗅ぎ覚えのあるにおいがあった。千鉱はベッドの上に座り込んだままなにかを隠すように布団を抱えこんでいた。
「あーやってもた?」
千鉱は珍しく顔を赤らめてうつむいた。柴にだって身に覚えは腐るほどある。けれども生まれたときから知っている子供の精液のにおいを嗅ぐことになるとは思ってもみなかったことだ。
「気にせんでええよ。気持ち悪いやろ? 立てる? パンツ履き替えるついでに風呂入ってきたらええよ」
そういいはするものの、本人は寝小便の方がまだましだったくらいの気持ちであろうこともわかる。
「俺も子供のころやったやった。別に悪いことやないしほんま気にせんでええよ」
柴はほんとうに気にしていなかったが、千鉱は人一倍気にする子供だろう。そう考えて、いつものようにはおちゃらけず、年長者として最適解であろう態度で千鉱をなぐさめた。
「……あの、これ前からなんです、」
千鉱は顔を上げ、まっすぐに柴を見つめながらいう。大きな、まっすぐな視線は六平によく似ているなと思い、それからもしかして、六平はこの子供になにも教えていないのかと不安になる。あれは確かにそういうところに気の回る男ではなかった。
「あー俺はね、ちょっとはやくて十くらいやったかな。チヒロくんは? 初めてやないよね?」
「いや、そうじゃなくて」
懸命になにかをいおうとする千鉱の態度が一層の不安を煽る。
「……え、チヒロ君、これ意味、わかってるよな?」
「わかってます! そうじゃないんです!」
「はいはい、俺もわかったから、落ち着き」
慌てて声を荒げる千鉱の肩を撫で、それから軽くたたいてやる。普段は冷静な子供なのにたかが夢精でこんなに狼狽するものなのか。柴はなんとなくおかしくなり、まだまだ千鉱を子供として見ていられるなと安心した。
「ゆっくりでええから、なに?」
千鉱ははい、と答え、訥々と話し出した。ただ、目だけはまっすぐ柴を見たままだった。
「俺、柴さんの夢見てて、あの、いつも柴さんの夢で、煙草のにおいがするんです。あと、手とか、こんなふうに、触られたりとか、あの…」
千鉱にしては珍しく要領の得ない話だったが、その言葉の意味は痛いほどに理解できた。
要するにこの子は俺をおかずにしてるんやな、とそのまっすぐな目を見ながら思うが、どういえばいいのかがわからない。おどけて切り抜ければいいのか、真摯に受け止めればいいのか。だが、千鉱は気にした様子もなく、少しずつ話す。
「柴さん、うちに煙草忘れてくときあったじゃないですか」
「あーたまにな」
「俺、あれが柴さんのにおいかなって…そう思ってたんですけど、でも違うなって…火がついてないとにおいも違うんだなって」
声は震えているのに、目を逸らそうとはしない。シャツを握る手だってそうだ。疲れ切ってそんな力なんてないはずなのに離そうしないのだ。柴は大きく息を吐き、あーあと嘆息した。この子供はほんとうに六平とよく似ていた。
「味も違うよ。チヒロ君、その煙草吸った?」
「吸ってないです」
「そっかあ」
柴は千鉱の顎をつかみ、強引に唇を押しつけた。千紘は慌てたようだったが、それを隠すようにさらに強く柴のシャツをつかみ、その動きに合わせてこようとする。初めて触れた子供の唇は小さく、かさついていた。
その唇を湿らせるように柴が唇で食んでやると、わかっているのかいないのか、千鉱の唇が開いた。柴はその薄く開いた上唇を舐め、下唇を軽く噛んでやった。閉じられない唇を舐めまわしながら、その奥へと舌を差し入れようとしたとき、千鉱が大きく息をし、咳き込んだ。
「なんや、ムードないな」
いいながらこれ幸いと身を離す。あのままなだれ込んでしまいそうだったからだ。
「これが煙草の味、わかった? はい、おわり」
千鉱は唾液で濡れた口元を拭いながら、すみませんと小声でいう。
「そこで謝るんや? 色男やね、チヒロ君は」
嫌味ないい方だなと思うが、ここまでいっても意味はわからないだろう。それくらい子供なのだ。
「俺、散歩いってくるから。チヒロ君は飯食って風呂入ってちゃんと寝るんやで」
千鉱は立ち上がる柴を見上げ、それから煙草苦いですねという。隠していた下半身が柴の目の前に現れていた。たかがキスでどうにかなるくらいの幼さに自分が誘われてしまったことを自覚してしまう。
「甘いのもあるよ、俺は吸わへんけど」
まだ濡れている千鉱の唇をを指で拭ってやりながら、その下半身へと目をやった。他人の身体で自分の欲望を知るのは久しぶりだった。
「それも、どないかするんやで」
「さっきの、思い出しながらやります」
悪びれずにそういう千鉱に柴はあきれるが、自分の方が分が悪い。どうみても食われているのは自分なのだ。じゃあといって部屋を出て、後ろ手でドアを閉め、大きく息をついた。
それから、歩きながら新しい煙草へ火をつける。煙草の味を噛みしめながら、あの子はいまごろ俺の名を呼んでるんやろなと思う。
「ヤバいわー」
柴はわざとらしく大声でいい、それから祈るように天へと向かって煙を吐いた。
ふと見るとシャツに血がついていた。千鉱の血だ。