メイちゃんとおままごと【現パロDKノ上君と姪ノ上ちゃんss】「あなた、そこのお皿を取ってくださる? ……ねぇ、あなたってば!」
「ん? あだっ」
「聞いてます?」
「き、聞いてなかった。……あー、何だ? これ?」
「そう、それよ。……んもうっ、本当に困った人ねぇ」
「あー……どうもすみませんでした」
「分かればいいんです。分かれば」
何故俺は今母にそっくりな喋り方をした三歳児に“あなた”と呼ばれているのだろうか。
「聞いてなかったのは俺が悪いんですが、物を投げるのはよくないよ。“メイ”ちゃん」
坂ノ上庚二はいつの間にか眼前で鼻息荒く仁王立ちしている幼女に皿を手渡した。幼いながらにも坂ノ上家特有の顔をしたその子は制服の上から纏ったエプロンの裾を整えながら、満足げな笑みを顔いっぱいに浮かべている。その笑顔は何とも既視感を感じずにはいられなかった。
「本物だったら俺の頭は西瓜みたいにぱっかんしてたぞ」
「あらいやだ。そんなことにはなりませんよ」
「どうして分かるんだ?」
「だって頭には骨があるもの。きっと突き刺さって終わりだわ。ぱっかんなんてしないわよ」
庚二は次いで頭に飛んできたおもちゃの包丁を畳から拾い上げ、小さな手の中にしっかり握らせてやった。彼女の言う通り、ぱっかんなんてしなくとも木製のしっかりしたおもちゃを投げられては堪らない。痛いものは痛いのだ。
「痛いに変わりはないよ」
「“つい”手が滑っちゃったのよ。それでね、丁度そこにあなたがいたの」
「つい、ね」
「そう、ついよ。つい」
「……そこはうっかりじゃないんだな」
「何か言った?」
「いや、別に。何でもありませんよ、おドジさん」
この年に似合わず口達者な幼女は三年前に兄夫婦の間に生まれた第一子であり、坂ノ上家待望の初孫である。自分とは叔父と姪の関係に当たる。庚二は“メイ(姪)ちゃん”と呼んでいた。勿論それはあだ名で、ただ彼女がまだハイハイもしていなかった頃に面白半分この呼び方で呼んでみたら反応がすこぶる良かったのだ。以来ずっとこの呼び方をしている。
そのせいか、メイちゃんも庚二を“叔父さん”でも“庚二お兄ちゃん”でもなく、“コウちゃん”と呼んでいる。そんな呼び方をするのは先にも後にもこの子だけだった。
「でもごめんなさい、痛かった?」
「いや別に痛かないけども」
「そうよね! コウちゃんは学校でずっとカイキンショーで、ケンコーユーリョウジだってパパ言ってたもの」
「皆勤賞なんて言葉よく知ってる。健康優良児も」
「私賢いから! ほらほら、もうご飯にしますから早く机の上も片してちょうだい」
そして今はそんなメイちゃんとおままごとの真っ最中というわけである。これがまた何故か母にそっくりな口調で令和生まれの子供らしからぬ奥様っぷりを披露している。
「お茶碗並べてくださる?」
「はい、ただいま」
庚二はその言葉に急かされ、読んでいた参考書を傍に置いた。代わりに近くに置いてあったプラスチックで出来たピンク色の小ぶりなお茶碗を二つ手に取ると、折りたたみテーブルの上に並べた。
「それで、今日のご飯はなんですか?」
「うふふっ、今日のご飯はね〜ご馳走よ」
そう言うと、空の茶碗の中ににゅっと伸びた小さな手が握っていた物を落とした。コロコロとした小さな丸い球状のそれはクリーム色、パープルにグリーンと何ともカラフルな物だった。どうやらこれが我々の晩御飯もとい“今日のおやつ”らしい。
「たまごボーロよ!」
「たまごボーロですか。にしては随分カラフルだな」
「そうよ。これはとうもろこし味、こっちがほうれん草で、こっちがえぇーっと……さつまいも味よ! お隣さんからのお裾分けなの」
因みにここで言う“お隣さん”はダイニングでこちらの様子を微笑ましげに見つめながら、お茶を飲んでいる母と義姉さんのことである。
「あ、お隣さんの。へぇー……ご馳走ですね」
「こっちは私が作ったのよ! 作るのとっても大変だったんだから!」
茶碗の隣に置かれた皿に小さなフライパンに乗ったプラスチック製の目玉焼きをぽんと乗せられる。
「いつもありがとうございます。美味しそうですね」
ここで間違っても『おかずは目玉焼きだけか』などと言ってはいけない。そんなこと言うと、いつまで経ってもおやつにありつけない。
「でしょう? あなたの好きな半熟で焼きましたからね。きっと美味しいわ!」
「ありがとうございます。じゃあ、俺がお茶でも持ってきましょう」
「ダメよ! あなたは座っててくださいな。私が持ってくるから!!」
そう言うと、メイちゃんはすくりと立ち上がるなり母達のもとへ走って行った。
「……はぁ」
庚二は閉じていた参考書をまた開き、自分の前に置かれた茶碗の中身を一粒摘んで口に運んだ。恐らく母か義姉か、はたはた二人で作ったのだろう。既製品のおやつではないと直ぐに分かった。軽く歯を立てるだけで簡単に砕けてしまうほど口溶けがよく、仄かにとうもろこし独特の甘味が舌の上に広がる。薄味だが、美味しいたまごボーロだ。子供のおやつには持ってこいの味である。
(でも、生ぬるい……。ついでになんか湿ってる)
庚二はたまごボーロを一粒、また一粒と口に運びながら、参考書の英文を読み進めた。すると、向こうから「あーーっ!!」と何とも耳に痛い叫び声がこちらに届き、反射的に肩を震わせる。
「ど、どうした!?」
「ちょっと、あなたっ! どうして先に食べちゃうのよ!!」
「へっ!? あ、あぁ〜……つい」
「手掴みなんてお行儀が悪いわ! お箸を使わないと! それにご飯は皆揃って一緒に食べなくちゃ!」
「お……おっしゃる通りで」
「全くもう。仕方のない人ねぇ。……あっ! ねぇ、あなた。あなたはどっちが好き?」
ぱたぱたと走って戻ってきたメイちゃんの両手には幼児用の小さな紙パックのジュースが握られていた。味はりんご味とぶどう味のようだった。
「メイちゃんはどっちが良いんだ?」
「私はどっちも好き」
「じゃあ、こっちで」
「りんご味ね! ストロー差してあげるわね。奥さんだから!」
「ありがとう。優しい妻と結婚できて嬉しいですよ」
「うふふっ、どういたしまして。はいっ、どうぞ〜」
まるでジェットコースターのような感情の起伏だ。
庚二は眼前で嬉しそうに紙パックのジュースをこちらに差し出す姪の笑顔に一抹の不安を覚えながら、それを受け取った。一旦テーブルに置き直し、正座をする。そうしてると彼女もまた同じように向かいの席に正座をした。
「それでは、いただきましょう」
「頂戴いたします」
「どうぞ、召し上がれ」
「「いただきます」」
二人で手を合わせ、軽く頭を下げる。こうして、おやつの時間がようやく始まった。
***
「ねぇ、コウちゃん」
「なんだい、メイちゃん」
「コウちゃんは私のこと好き?」
「ぶっ! ゴホッ、ゴホゴホッ!!」
「まぁ大変! あなたったら大丈夫?」
唐突な質問に飲んでいたリンゴジュースが変な所に入り込んだ。口元を手で覆いながら咽せていると、向かいの席からメイちゃんが慌てて駆け寄ってくる。庚二の背中を摩る姿が妙に板についていると、遠目に見守っていた母と義姉は思っているに違いない。
「大丈夫?」
「あぁ、驚かせてごめんな」
「どうしてあぁなったの?」
「メイちゃんが急にそんな質問するから」
「私のせいなの?」
「……いや、咽せたのは俺の問題だからメイちゃんのせいじゃないよ」
「……お膝の上、乗ってもいい?」
「へっ? あ、あぁ。いいよ」
庚二は可愛らしい顔から笑顔が消えた瞬間を見逃さなかった。正座を崩し、胡座を組むとしおらしくなったメイちゃんをそこへ招いた。
「おいで」
「うん」
股の間に出来た空間にすっぽりと収まる小さな身体、庚二は何も言わずメイちゃんの腰に両手を回す。組み合わせた両手にメイちゃんの手が重ねられた。
「コウちゃん、私のこと嫌い?」
「嫌いじゃないよ」
「ひばり組の子は私のこと嫌いだって」
ひばり組はメイちゃんが属している年少組のクラスである。
「誰がそんなことを?」
「ヒナミちゃんとスズハちゃんよ。二人とも私のこと意地悪だって言うの」
「他の子達は?」
「他の子達はね、私が近付くと離れていっちゃうの。……ねぇ、私意地悪?」
「メイちゃんは皆に何かした?」
「してないわ! でも、つい言っちゃったの。“なんでそんなことも分からないの?”って。だってあんまりにも二人がお馬鹿さんなんだもん」
「いつ?」
「今日」
「……なるほど」
庚二は帰宅後、一週間前義姉に言われた話を思い出した。
メイちゃんはまだ三歳だが、すこぶる賢い子である。これは身内の欲目でも何でもなく、メイちゃんは生後数ヶ月の頃から注意深く、好奇心豊かで粘り強い集中力を持っており、記憶力、学習能力も非常に高い。それは年齢と共に成長を遂げており、このおままごとからも分かるように並外れた語彙と優れた言語能力を持っている。
『ギフテッド?』
『そうなの。子育て支援の人に相談したら地域の発達センターを勧められて、そこで検査してもらったら知能指数が150を超えてて……』
『それは高いですね』
『幼稚園でも先生に反抗したり、お友達とトラブルがあったりで……。でも、あの子ね。庚二君のことは本当に大好きなの。だからなんとなくで良いの、少しお話ししてみてくれないかしら。パパがいれば話してもらうんだけど……』
『あー、兄さんは殆ど海の上ですしね。良いですよ、俺でよければそれとなく話を聞いてみます』
故に周りの同年代の子供達と噛み合わないところが多々あるのだろう。そして最近では実母とも上手くいってないようだ。
「私、お友達いらない。ひばり組の子達も、先生も好きじゃない。コウちゃんが一緒にいてくれるならそれでいいんだもん」
「そうか」
「そうよ」
ーーさて、こんな時。叔父として何と声をかけてやれば良いものか。
庚二は短い沈黙の後、メイちゃんの頭に顎を乗せて静かに話しかけた。
「なぁ、メイちゃん」
「なあに?」
「俺はメイちゃんが思うほど賢くないぞ。正直なところ、馬鹿な男だと思う」
「えっ、賢くないの? ママとパパはコウちゃんのこと褒めてたよ? 頭のいい学校に通ってるって」
「確かに頭のいい学校には通ってるけど、学校で一番賢いわけじゃない。三年生の中でもいつも二番か三番だし、勉強は嫌いじゃないが……メイちゃんみたいに大好きってわけじゃない」
「お馬鹿さんなの?」
「まぁな。馬鹿だから間違ったこともしてしまう」
「ケンドーは? コウちゃん、ケンドー強いんでしょ?」
「剣道は好きだけど、君のお父さんには一度も勝ったことないよ。きっと他にも沢山強い人はいる」
「でも、やめないのね」
「好きなことだからな。好きは貫き通したい」
庚二はそう言うと、背を向けていた姪ちゃんの向きを変えて対面した。いつもは釣り上がっている眉毛に、鋭い眼光を湛えた大きな双眸に常の覇気がない。
「なぁ、メイちゃん。俺はメイちゃんのことが好きだ。メイちゃんは大事な俺の姪だからな。それはメイちゃんが大人になっても変わらん」
「私もコウちゃんが好きよ。コウちゃんだけよ!」
「ありがとう。でもそれは、俺がメイちゃんに自分の良いところしか見せてないからだ」
「そうなの?」
「あぁ、そうだ。だって悪いところを見せてメイちゃんに嫌われたくないからな。馬鹿も隠さにゃ興醒めだ」
「私、見てもコウちゃんのこと嫌わないよ!」
「なら、ひばり組のお友達や先生はどうだ? メイちゃんは皆の悪いところばかり見て嫌いにないか? ヒナミちゃんとスズハちゃんの悪いところだけを嫌いになってないか?」
「……なってた、かもしれない」
「人の悪いところは目につき易いが、人間誰しも良いところを持ってる。メイちゃんは俺の良いところをちゃんと見てくれてるじゃないか。なら、それをその二人や他のお友達、先生達でも出来ないか?」
「……良いところがなかったら? 一つもなかったらどうするの?」
「俺にも一つや二つあるんだから、あるさ。なかった時は縁がなかっただけ。別に家と幼稚園以外でもこれからメイちゃんには沢山お友達は出来るしな」
「本当?」
「俺は嘘だけは言わないんだ」
「知ってる。コウちゃんの良いところだもん」
そう言うと、メイちゃんが庚二の胸に勢いよく抱き付く。庚二は一瞬後ろによろけかけたが、何とか堪えてひっそりと安堵の吐息を漏らした。指通りのいいさらさらとした細い黒髪に指を埋め、優しく撫でてやる。
「だから明日幼稚園に行ったらお友達に謝って、もう一度皆の良いところを探してみないか? とことんその子達の良いところを探してみて、嫌になったら他の子で試せば良いさ。他のクラスでも他の学年でも近所の子でも」
「コウちゃんも一緒に行ってくれる?」
「お安い御用だ。部活ももうないしな」
「じゃあケンドーはもうしてないの?」
「日曜日に道場に通ってるよ。ほら三丁目のとこにあるだろう? 昔からお世話になってるんだ」
「今度お茶持って応援しに行ってもいい?」
「いいよ」
「ねぇ、チューしてもいい?」
「それは絶対駄目だ」
「どうして!?」
「メイちゃん、叔姪婚は近親婚扱いになるから俺達は大人になっても結婚出来ないんだ」
「シュクテツコン? キンシンコンって何? コウちゃんと私、結婚できないの!? こんなに好きなのに!?!?」
庚二は数分後、賢すぎる姪に対しての発言を至極公開することとなる。特別な子でも三歳児は結局のところ三歳児なのだ。
しかし、嵐が過ぎ去った次の日。またいつもの得意顔で元気いっぱいインターホンを鳴らす姪と対峙することとなったのはまた別の話。
「コウちゃん、私ベンゴシになる!」
「ほぉ……弁護士か。すごく良いと思う」
「それでね、コッカイギインになってね……コウちゃんと結婚できるように法律を変えるのよ!!」
「…………三歳の子に近親相姦について説明せにゃならんのか、俺は」
「何か言った?」
「……いや、別に」
「うふふっ、私頑張る!!」
「程々でいい、程々で。人間程々に生きるのが一番だ」
「やぁよ、私はいつだって一番になりたいもん!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「……はい」
【おしまい】