ギアステーションの長い廊下を歩いている時。ノボリはこの数日で、一番と言っても過言ではない憂鬱に苛まれていた。
外の天気は雨で肌にまとわりつく湿気が不快だし、気圧の影響で断続的な頭痛がする。眠気が前頭葉の付近で停滞して思考も回らない。
それらに加えてもう一つ。片割れであるクダリは今日に限って非番なのだ。
ノボリは常日頃から「愚弟」だの、「お前は全く」だのと口を酸っぱくしているが、心の奥底ではクダリのことが好きで堪らなかった。それは彼と同じで。気付いた時には、生涯を誓い合っていた。
そんな心を許せる相手が居ない。全く何も良いことがない、と震える米神を押さえつつ足を引き摺って執務室を目指す。
とりあえずこの休憩時間で少しでも寝なければ後が保たない。
今すぐにでも倒れ込みたい衝動を抑えて重たい扉を開ければ、接待用のソファにクダリの姿があって思考が数秒止まった。休みの彼が職場に近付くはずがない、と呆然とした顔で見つめていると、弟はこっちだと言うように手を振った。
「あのね、ノボリ。お疲れ様」
「どうしてお前がここに……? 何かトラブルでもありましたか?」
「ノボリ、仕事人間すぎる。あのね、今日何の日か覚えてる?」
「今日、ですか? 今日、今日は確か」
疲労が限界まで達していて、我慢出来ずにソファに腰掛けながらカレンダーを確認する。そこでようやく気が付いた。今日は自分たちの誕生日だということを。
「わたしたちの誕生日、でしたね」
「今日雨だから、ノボリ体調良くない。他のことで手一杯になったら、忘れるかもって思って、来ちゃったの」
確かに弟の言う通りだ、と長いため息を吐く。自分のことを優先してしまい、大切な日を忘れるなんて家族失格ではないだろうか。自己嫌悪に陥っていると、クダリが自らの太ももを手で叩き、「ノボリ。ここにおいで」と言った。
「ケーキ、もちろん買ってきてる。でも、先にノボリが休むの優先」
「で、ですが。仕事中ですし……」
「休憩時間なの知ってる。寝てても、誰も文句言わない」
ノボリは迷いと罪悪感から、拳をキュッと握る。そんな優柔不断な兄の腕を、弟は素早く掴み太ももの上へと頭を乗せた。膝枕の体勢になり、ノボリは恥ずかしくて顔を真っ赤に染めるが、クダリはそんなことどこ吹く風と兄の頭を撫ではじめる。
「今日は、二人で産まれた日。兄も弟も関係ない。だから、めいいっぱい甘えて?」
猫のようにスッと目を細め、不敵に笑うクダリ。側頭部の下から感じる温かい人肌と、逆光の中で見上げるその表情が。どうしようもなく優しくて、ノボリは涙を一筋流して、瞼を閉じたのだった。