アルベドが、雪山に篭ったまま下山してこない。そんな話を聞いたのは、数日前のことだった。
それはいつもの事じゃないのか。そう思いはしたが、普段とは違っているのだと、彼の弟子たちは口々に言う。
なんでもアルベドは、弟子二人に目もくれず、相槌すら打たずに実験に熱中しており、食事すら摂っているか怪しい……とのことで。なるほど、それはちょっと大変だ……と思うと同時。俺にはひとつ、ある「心当たり」があった。
その予想を確かめるべく、俺は単身、雪山にあるアルベドの拠点へと訪れていた。
「アルベド。久しぶり」
こちらに背を向けて、合成台の前に立っている人影に声をかける。ぴくりと彼の頭がわずかに動いて反応する。次に、白いコートが翻り、彼がこちらへと振り向いた。
「ああ、キミか……」
アルベドは少しだけ目を丸くすると、ふっと表情を和らげる。そして再び作業机の方へ向き直ると、手早く何かしらの準備を始めた。
これは……やはり、相当重症らしいな……。
そう確信しながら、俺は彼に問いかける。
「どれくらいここにいるの?」
「三週間かな。そろそろ戻ろうと思っていた所だよ」
淡々とした口調で答えるアルベド。しかしこの様子では本当に、いつからここに留まっているかも分からないだろう。彼は研究のためならば、何ヶ月でも、この拠点で過ごせるだろう。だが、今回は少し事情が違う。
「……〝オリジナル〟はどこに?」
尋ねると、彼はピタリと動きを止める。しばらく沈黙した後、また、俺の方を振り返った。微笑みは消え、やや眠たげな視線が俺へと向けられている。
ゆっくりと瞼が閉じて、開いて――それ以降、彼の目は瞬きをやめた。
「食べてしまったよ」
冷え切った、感情のない声色が喉を震わす。――彼の喉元には、「星」は輝いていない。これはアルベドではない。アルベドを模した、別の生物だ。
「嘘つき。君の力じゃ、アルベドは殺せないでしょ。本当のことを言って」
俺はじっと彼を見つめながら言った。すると彼は、小さく肩をすくめる。
「留守番を頼まれた。戻るまで立っていろ、ご飯を沢山持って帰るよ……と」
淡々とした口調で言うと、彼は目を細めて、俺をじっくりと観察するように、頭の先から足の先までゆっくりと眺めてきた。
「キミがその「ご飯」かな」
彼の呟きに対して、俺は首を横に振る。
――どうやら、予想通りだ。これはアルベドではない。アルベドに極めて良く似せられ作られた、変異トリックフラワーだ。
「残念だけど、違うよ。……食べ物を分けてあげるから、ちょっと頑張って話してみて」
バッグの中を漁る俺を、トリックフラワーは黙って見ていた。手渡してやったハムにかじりつく彼を見ながら、俺は質問を続ける。
「アルベドはどこに向かったの?」
「遠くはないよ。もっと「底」のほうに……」
答えかけて、彼はまたハムにかじりつく。手に垂れた肉汁を舐めとる舌はヒトのものより幾分か長く見えて、やはり、これは人間とは違う生き物なのだと思い知らされる。
「……おいしい?」
「物足りないね。もっと、血の塩気があるものがいいな」
俺の問いに、彼はあっさりと返答してくる。最後のひとかけらをぺろりと食べてしまった彼は、満足そうな吐息を漏らすと、こちらを見上げて口を開く。……催促か。そう思いながら、今度は鳥肉をその口へと運んでやった。
「……そう、血の味。あそこの土は、美味しいんだ。いつも赤く、生暖かくて、湿っていて……」
俺の手ずから肉を喰み、骨ごと噛み砕き、彼は独り言のように語る。……心当たりがある。あの「心臓」のある洞窟のことだろう。あそこは不思議と暖かいから、寒さも凌げる。
「分かった。……アルベドを呼んでくるよ。もう少し、ここで待ってて。いい?」
尋ねると、彼はこくりと首肯する。だが……口元を唾液や肉の汁でべたべたにしたその姿からは、知性のかけらも見出せないなと思って。ハンカチで口元を拭ってあげてから、絶対に拠点から動かないことと、何も食べてはならないことを約束させて、俺はアルベドが居るという「心臓」へと向かうことにした。