佇む夜半の出会い(のとの本編2話) シュペルノヴァの首都・パーチェ、その中にある、とある宿の自室。窓から、傾いた陽光があまく差し込み、窓枠の影が色濃くなっていく。
自室は、煎れたてのコーヒーの香りで満たされている。それは今朝、市場で、シェイドがコーヒーブレイクの際に楽しもうと購入したものであった。
シェイドは、私服でイスに座った。コーヒーカップから立ちのぼる湯気と香りをすう、と吸い込むと、満足げに顔を緩ませた。
そして、コーヒーカップに唇を寄せ、あたたかい温度が唇に伝わり始めた時だった。
「シェイドさん!来てください!」
慌ただしさを感じる、強めのノックのあと、自室の扉越しに、自分を呼ぶ声が聞こえた。思わず手が止まる。
「シェイドさーん! あれ、いないのですか?」
メティはもう一度コンコンと扉を鳴らす。
……せっかくコーヒーを煎れたのに水を差されるとは。それに、どうやらすぐに終わりそうな用事ではなさそうだ。コーヒーカップをテーブルに置くのをためらいつつ、返事をする。
自分の背後にある部屋の扉を開けると、メティの着ている鮮やかな黄色のワンピースが目を引いた。
「どうした? 何かあったか?」
「シェイドさん! ちょっと来てください!」
そう言ってメティは俺に手招きをする。メティについて行くことにした。
宿の階段を降り、1階のロビーに着く。
ロビーには、4組の木製のテーブルとイス、受付カウンター、そしてクエストボードがある。
ロビーのクエストボードを前に悩んでいる様子の女性がいた。
メティがその女性に「シェイドさん連れてきました」と声をかけると、女性がこちらに振り向いた。
彼女は、腰の下まで伸ばした長い金髪をひとつの三つ編みにまとめ、爽やかな緑のリボンと丈の長いワンピースを着て、その上に白いエプロンを付けていた。
ギルドで長期滞在をしている宿の看板娘、カトリーナ=ファロンである。
温柔敦厚で楚々としていることから、彼女を目当てに宿を訪ねる者も多いらしい。
「こんにちは、シェイドさん。お休みのところ、申し訳ございません」
「い、いえ」
カトリーナは花のような笑みで会釈をしたあと、哀調を含む声で謝罪した。
「何かあったんですか?」
「実は、緊急でゾンビ討伐クエストが入ってきたのですが、なかなかクエストを受けてくださる方がいらっしゃらなくて……」
カトリーナは、解決策を探るように、視線を斜め下に落とした。
「シェイドさん! ほら、私たちの出番ですよ☆」
「待てメティ、そもそもどんなクエストなのかちゃんと聞いたのか?」
「聞いていませんが…カトリーナさん困ってますし」
「まずは、詳細を知ってからだろう。俺達には手に負えないクエストだったらどうするんだ」
「なんとかなりますよ☆」
メティは、グッと親指を反り立てた。
しかし、あまりにも不安だ。ギルドのリーダーに必ず従わなければならない、という規則がなくて本当によかったと心の底から思った。
「カトリーナさん、そのクエストの紙を見せていただけませんか?」
カトリーナは「はい、ぜひ」と、張り紙が見えるよう避けてくれた。
薄い茶色の紙には「急募」と書かれた赤いインク。よほど急いでいたのか、ところどころ文字が潰れていて読めない箇所もあった。
簡易的だが、向かうべき場所までの手描きの地図も添えてある。
内容を見ると、「イストワールの墓地と森に出るゾンビを討伐してほしい。ノルマは5体討伐」という旨のクエスト依頼であることがわかった。
「ゾンビ討伐クエストか。一見そんなに変わったことはなさそうだが……」
緊急の用件だからか、報酬が相場よりも少し高く設定されている。しかし、報酬が高いなら既に誰かクエストを受注していてもおかしくはなさそうだ。なぜ受けないのだろうか。なにか裏があるのだろうか。
思考をめぐらせていると、ロビーの灯りがふっと消えた。部屋は闇に包まれ、ふたりを視認することができない。
「あら?」
「えっ」
「停灯か?」
「……何年前からかは分からないっスけど。今もまだイストワールの街のひときわ高い崖に立派なお屋敷が建ってるっス。
その館は呪われた館って言われていて、館に入った人はなぜか全員屋敷から出てこれないって噂っス……。
その呪われた館のわりと近くにある森と墓地が今回のクエストエリア……クエストに行ったら呪われちゃうかもしれないっスね〜」
「そう、こんな風にゾンビが襲いかかってきて……」
ランタンの灯りによって、ひとりの少女の顔がぼうっと暗闇から浮かび上がる。透き通ったライムグリーンの瞳に灯りがともる。
「きゃーっ!?」
「ひっ」
叫ぶメティにつられて、思わず自身の両肩が上がり、声が漏れてしまった。
「ユリナちゃん、お客様を脅かすのはよくありませんよ。ロビーの灯りを早くつけてください」
「ごめんなさい……」
ユリナと呼ばれた少女は、受付カウンターへ小走りで行くと、ロビーの灯りを点けた。
ロビーの灯りを点けると、カトリーナよりも濃い金髪を低い2つのお団子にまとめ、紺色でスカート丈の短いメイド服を着た少女の姿が見えるようになった。
「それにしてもカト姉、この人たち全然驚かないっスね」
「もう、ユリナちゃんったら……申し訳ございませんお客様、ユリナちゃんが驚かせてしまって」
「びっくりしました……すごく怖かったです! ね、シェイドさん!」
「ああ、そうだな……」
個人的には、人に驚かされるより、ゴーストを見る方が慣れている。人に驚かされるのも場数を踏めば慣れるのだろうか。
「自己紹介が遅れたっス、あたしはユリナ=リンディス、カト姉の従姉妹っス!
この宿で住み込みのバイトしてるっス。よろっス〜」
そう言って、ユリナと名乗った女はウインクしながら目元でピースサインを作った。
これが俗にいうギャルというものだろうか。
「メーティス=アマルテアです! よろしくお願いします☆」
「…シェイド=クレシェンテです。よろしくお願いします」
「タメ語でいいっス。堅苦しいの苦手なんスよ〜」
「わたしはこれがデフォルトなので☆」
「ならそのままでいいっスよ〜」
すると何を思ったのか、ユリナはメティに掌を見せる。それに対しメティは「あれですね!」といったように頷き、ふたりでハイタッチをした。ふたりはキャッキャッと笑い合い、カトリーナは「あらあら」とふたりを見守っている。
────今、そのような流れだっただろうか。眩しすぎて目がくらみそうだ。
「──で、本題に入らせてもらうが、先ほどの噂は本当なのか?」
「本当かどうかは分からないっスよ〜。イストワール出身の同級生から聞いたことあるだけっス。でも、ただのウワサでも気にする人は気にするっスよね」
口調と振る舞いに違わず、顔が広いようだ。
「そうか……なら本当に呪われるかどうかは定かではないんだな」
呪われると噂のあるクエスト。リスクが高い分、普通のクエストよりも報酬が少し高い、というのは腑に落ちる。その少し高めの報酬でも、なかなか人が集まらないというのは、まだよく理解できないが。
よくよく考えたら俺は、職業上ゾンビやゴーストを召喚、使役しているし、すでに自分は呪われているようなものだ。呪いに耐性があるのならば、行ってみる価値はある。
俺は闇属性だが、メティは火属性魔法が使える。属性の相性はそこそこいいだろう。
あと正直に言うと、ギルドの懐が寒い。俺は顔を上げた。
「シェイドさん……!」
「行くか、メティ」
「はい! 行きましょう!」
やったー! とメティがバンザイしたあと、意気揚々としているのが、見なくとも伝わってくる。
「まあ! ありがとうございます!」
「よかったっスね! カト姉!」
「ええ。では、準備ができましたらお声がけくださいね。カウンターで手続きさせていただきます」
カトリーナさんの一言で、メティと自分の服を見た。
「…そういえばまだ私服だったな」
「そうでしたね!」
討伐クエストの内容に気を取られ、今着ているものが私服であることを忘れていた。
「あたしも、まだ掃除途中なんスよね〜。カト姉、ふたりが出かける時になったら教えてほしいっス。見送るっスよ」
「ええ、わかったわ」
自室に戻ると、飲まずに放置していたコーヒーはすっかり冷えてしまっていた。仕方ない、と軽く息を吐き出し、後で厨房を借りて温め直すことにした。バンダナを外し、フード付きの黒いマントを羽織った。
階段を降り、受付カウンターに移動する。自分がカウンターに着いた数分後、戦闘服を身にまとったメティも到着した。メティを守るように、クリスマスツリーの頂点にあるような星型の魔導具が、浮遊している。
小さめの魔導具とはいえ、たくさんの魔導具が、重力を無視して浮いている。いまだに見慣れない光景だ。
「ん? 今日は、星霊の数が少なくないか?」
「お友達にだって、忙しいときもありますから」
「そういうものなのか…」
カトリーナさんは、俺達の姿を確認すると、カウンターの下からクエスト受注専門用紙を取り出した。その紙に、俺達のギルドの名前「アイフェイオン」とギルドナンバー、クエストナンバーを羽根ペンで綴った。
最後にクエスト受注の赤い印を押すと、紙に魔法陣が浮かぶ。
魔法陣から放たれた光の粒が、俺とメティの周りをくるくると踊ると、空中にクエスト内容の文字を形成する。
「それでは、お気をつけて。ご武運をお祈りしております」
「ファイトっスよ〜!」
穏やかな笑みを浮かべたカトリーナさんと、陽気に手を振るユリナに見送られ、俺とメティは宿を後にした。
その後、宿から一番近いワープポイントでイストワールという街の都市部へワープし、そのあとは徒歩で森へ向かった。
見ていて胸騒ぎがするような鮮烈な赤。昏い紫と混じり合った禍々しい空だった。とうに日没しているはずなのに、そのわりには物を目で捉えることができる。
木々の影が地面にのさばり、今にも自分の脚をかすめ取ろうとしているようだった。
「早めに出たつもりでしたが、意外と時間がかかりましたね」
「それはお前が寄り道するからだろう」
イストワールは歴史のある伝統的な街で、音楽と美術に秀でた街だ。また、ダリオルという名前の料理――エッグタルトが名物である。
ワープポイントは人が多いエリアにあることが多く、今回も例外ではない。ワープで、イストワールの都市部に着いたところまでは、順調だった。
しかし、ワープ先が、ちょうど色んな店が立ち並ぶ場所だった。
メティが「あのお店気になります! 行きましょう! まだ時間ありますし、大丈夫ですよ〜☆」などと高をくくった結果がこれである。
自分も、せっかくだから少し街を観光したい気持ちもあり「まあ、少しくらいなら」と油断してしまった。不覚だ。
しかし、失った時間は嘆いても戻らない。そう割り切り、武器を準備してメティと森の奥へ進む。
「────本当にこの場所で合っているんだろうな?」
辺りはすっかり昏い。脳裡に焼き付いた真っ赤な空は、今はだいぶ落ち着き、少し赤みを帯びる程度になっていた。
クエストボードにあった簡易的な地図が示した場所は、この辺りのはずだ。
木々も多いが、コケが生えた墓石がちらほらと点在している。
墓石があるからなのか、この辺りはゴーストやオーブも多い。木の幹をすり抜けながらふわふわと移動している。メティには見えていないだろうが。
しかし、一向にゾンビ──今回のクエストの目的が現れる気配がない。
むしろ、ゾンビに気配があったらそれはそれで恐怖を感じるが。
「そのうちきっと見つかりますよ☆」
こんな薄気味悪い場所であるにもかかわらず、メティは、散歩にでも来ているかのような軽い足取りで、進んで行く。
(本当にマイペースだな)
しかし不思議なものだ。その様子を見ていると、本当にそのうちゾンビが見つかるような気がするのだ。
いや、そんなにすぐ見つかるわけないか。きっと俺が焦っているのだろう。
「あ、いました!」
「いたのか!?」
メティの指差した先、墓石の付近を彷徨っているゾンビが1体。漂う腐臭とボロボロの端切れの服、今にももげそうな腕をだらん、と力無くぶら下げていた。
「ファイア!」
問答無用でメティの杖の水晶に魔力が込められ、火の球が放たれた。一直線に飛んだその火球をまともに喰らったゾンビがうめき声をあげ、塵となって消滅する。
「いた!」というメティの声に期待したが、発見したのは1体のみ。
ノルマをクリアするのは、意外と時間がかかりそうだ。下手したら朝日が昇るのではないか。
自分より少し前に出ていたメティが振り返り、「どうしたのですか?」と俺の顔をのぞき込んでくる。
「いや、何でもない」
「ダークネス!!」
「わっ!?」
メティの背後、自分の前方に、4体のゾンビが茂みから、わらわらと湧き出ていた。
浮遊している自分の武器の魔法陣から、3つの紫色のオーブが矢のように飛び出し、ゾンビ達を攻撃する。
今いるゾンビを倒せばノルマクリアだが、今度は逆に数が多い。こちらが先手を打てたことが救いだった。
「フレイム!」
「ダークネス」
先ほどの魔法で、ゾンビの体力はある程度削ることができていた。メティと力を合わせ、ゾンビを倒すことができた。
「やりましたね、シェイドさん!」と喜ぶメティ。
魔法を使い、空中に浮かぶクエストの内容を見ると、これで指定されていたノルマはクリアのようだ。
「ノルマは達成したし、危険な目に遭う前に帰るぞ」
「せっかくここまで来たので、もう少しだけ倒していきませんか?」
「確かに、報酬は多い方がいいか……金欠だしな」
「では! 行きましょう☆」
メティが、拳を上げた瞬間──────
「キエエエエエエエ!!!」
どこからか悲鳴が聞こえた。いや、悲鳴というより奇声だろうか。
「な、なんだ!? 西の方からか」
「もしかして、一般の方がゾンビに襲われてるんじゃ…行きましょう!」
メティは奇声が聞こえた方へ、一直線に走っていく。
「こら! 危ないから待て!」
メティをひとりにするのは危ない。急いで後を追った。
ゾンビ達がじりじりと距離を詰める足音、理性なしに襲いかかったであろう威嚇の声。そして断末魔。
俺とメティは先ほどの場所から西へ、少し離れた場所に到着した。奇声が聞こえたのはこの辺りだろう。叫んでいた人間は無事だろうか。
「シェイドさん! あれ────!」
「────!」
黄昏れ時に見た赤の髪色。童話を思わせる水色と白のエプロンドレスに、右目にハートの眼帯。1人の少女が大鎌を振り回し、次々とゾンビの首をはねていく。
まるで人形のように整った目鼻立ち、色白な肌。発狂しているのか、その目と口は狂気をたたえている。しかし、それをとっても彼女の美しさは余りあるものだった。むしろ、その狂気が彼女の美しさを増幅させているのか。
しかし、冷静に戦っているようには、とても見えない。止めるべきだろうか。
迷っていると、思考が止まっているメティの前に、最後の1体のゾンビが接近する。
メティに刃が当たるすれすれのところで、ゾンビが切り裂かれた。
俺とメティが呆気に取られている間に、彼女を取り囲んでいたゾンビはいなくなってしまった。
一通り倒し終わった少女は、無表情でこちらをじっと見た。
そんな少女に、メティは「すごいです!」と感嘆の声をあげた。メティは3歩先の少女に近づき、少女の手を握る。
初対面の人の手を握るメティにぎょっとしながら、自分もふたりの元へ向かう。
馴れ馴れしいとも言える態度のメティに対して、対照的に少女は眉ひとつ動かさない。ゾンビを倒していたときの表情を根こそぎ拭ったような顔だった。こうしてみると、本当に生きている人形のようだ。
メティは、そんな彼女おかまいなしに、握手した手をブンブンと上下に振り下ろしていた。嫌がっていないだろうか。
「メティ、それ以上はやめておきなさい。嫌がるかもしれないだろう」
「?」
「別に、かまわないわ」
聞こえた少女の声は、柔らかい刃物のようだった。
メティは、エルシーの手をまだ握りながら自己紹介をする。
「わたしはメティ、メーティス=アマルテアといいます! あなたのお名前は…」
「……エルシー。エルシュカ=ブランフォード。よろしく」
「エルシーさんですね! よろしくお願いします☆」
「ええ……。そちらの方は?」
「俺はシェイド=クレシェンテだ。よろしく頼む」
「……そう」
─── 一瞬、空気がピリッと張り詰めた気がした。いや、きっと気のせいだ。
「メティ、あなたはクエストをクリアしたのかしら?」
「ノルマはクリアしたのですが、もう少し倒そうと思いまして」
「……なら、私と一緒に行きましょう。あちらの方がゾンビを倒しやすいわ」
エルシーはメティの手を取り、来た道をふたりで走って戻って行く。
メティの周りに浮かんでいた星霊の魔導具は少しうろたえた挙動をしつつ、メティとエルシーについて行く。
─────え、待て。俺は?
エルシーとメティに、置いていかれてしまった。もう姿は見えないくらい離れている。
エルシーは俺が自己紹介したあと、明らかに俺のことを避けている。先ほどの張り詰めた空気は、気のせいではなかったようだ。
まともに会話すらしていないというのに、エルシーに、何か気に障ることをしてしまっただろうか。
とりあえず、ふたりが向かったであろう方向へ足を踏み出す。
すると、ふわふわと彷徨いながら、薄紫色の星型の魔導具が俺の元に近づいてきた。
おひつじ座の星霊、シェラタン=エリースだ。ゆったりとした穏やかな口調の女性の声がした。
「すみません、少しだけぼうっとしていたら、皆さんとはぐれてしまって。シェイドさんに、ついて行ってもいいでしょうか。私、方向音痴で……」
「構わない。…その代わりと言ってはなんだが、教えてほしい」
「なんでしょう?」
「俺、あのエルシーって子に何かしてしまっただろうか」
「そうですねぇ……私から見て、特に何もしていないと思いますよ。あの子が少し気難しいだけかもしれないですね〜」
「……そうか、ありがとう」
「あとは、メティとエルシーがなにか悪いことに巻き込まれていないといいのだが」
「いざとなったら、レグルスさんが守ってくださると思いますよ〜」
「そうだよな」
レグルス=リオはしし座の星霊だ。
メティと出会った際に、突然怒鳴ってきた星霊。正直に言うといまだに怖い。
しかし、メティのことを大切に思っているのは分かるため、一応メティのことは任せることができる。
「……話が脱線してしまったな、急いでメティとエルシーを探しに行かないと───」
「キャーーー!!!」
「キエエエエエエエ!!!」
身を裂かれたような悲鳴と聞き覚えのある奇声がかすかに聞こえた。ここから距離がだいぶ離れているようだ。恐らくメティとエルシーだろう。
どうか、ふたりとも無事でいてくれ、と祈りながら駆け出した。
──視界の左右の景色が流れ、声のする方へ近づくたび、地面が跳ねる。
「なんだ、あれ!?」
樹木よりも背丈が高い何かがゆっくりと前進している。地面が揺れる原因は、これのようだ。
「サモン・スピリット!」
走りながら死霊を召喚し、メティとエルシーの元へ到着した。
「メティ、エルシー、無事か!?」
まず目に飛び込んできたのは、大人の人間2、3人分の大きさのゾンビ。その次に、前線で戦っている、召喚されたレグルスと、後ろに下がっているメティ。何故か少し離れたところにぺたん、と座り込んでいるエルシー。
ゾンビは、ボロボロのドレスだったものと一部抜け落ちた長い髪を振り乱しながらレグルスを攻撃している。
事態はよく読み込めないが、とりあえず、レグルスとメティの近くに駆け寄った。
レグルスがこちらを一瞥してから、ゾンビに視線を戻す。
「あ、テメェ! 来るのが遅えよ!! あとシェラ、そっちにいたのか!」
ツンツンした黒髪と赤メッシュに鋭利な眼差し。頭の赤いバンダナと長い爪が目立つ。
おひつじ座の魔導具が、「ありがとうございます」とお辞儀をするように前傾したあと、メティの元へ戻っていった。
「メティとエルシーが急にいなくなったのだから、仕方ないだろう!?」
「フレイム! ケンカはやめてくださーい!」
メティの言葉にハッとした。確かに、ケンカしている場合ではない。
「シールド・スピリット!」
こちらへ来る途中に召喚した死霊で、レグルスを守る。
「メティ、すまないが、状況説明を頼む」
メティによると、エルシーとふたりで来た道を戻る途中、今目の前にいるゾンビが現れたという。
叫んだふたり。エルシーは、先ほどよりも取り乱しながらも、大鎌でゾンビに斬りかかった。
ところが、何を思ったのか、途中で動きが止まる。エルシーはそのまま武器を落とし、座り込んで動けなくなってしまったらしい。
エルシーを守るため、メティは途中まで戦っていた。しかし、ゾンビから状態異常の呪いを受け、一定時間回復無効に。属性の相性が良いレグルスを召喚し、持ちこたえている状況だ。
「サモン・マミー、シールド・マミー!」
俺は更に、身代わりとなるミイラを召喚し、ボスゾンビの攻撃を受けさせている間に、エルシーをボスゾンビから離すことにした。
「エルシー、立てるか?」
エルシーは呼びかけに反応しない。ボスゾンビの一点を凝視し、「お父様、お母様……」「倒さないと……倒さないと……」と手元を探っている。明らかに様子がおかしい。
「すまない、エルシー。許してくれ。緊急事態だからな」
おまじないのように唱え、エルシーに向き合うように両膝をついた。次に、エルシーの両腕を自身の肩に回し、エルシーの腰を持って立たせる。更に、エルシーの両腕両足の間に腕を通し、エルシーの胴体を背負った。
エルシーを避難させ、ボスゾンビから距離を取ることに成功した。
「うおっ!?」
「きゃっ!!」
しかし、今度はレグルスとメティが危ない。
ふたりとも、体力がヤスリで削られるように消耗し、腕や脚に切り傷を負っていた。
特に、メティは今、回復無効状態なので、体力がかなり消耗している。
それを確認した身体が勝手に、前線へ向かって走り出していた。
「……デコイ!」
俺が呪文を唱えると、ボスゾンビがギョロっとした目玉で俺を捉える。
そのまま俺の方へ向き直り、引き寄せられるように、こちらへ迫ってくる。
「デコイ」は自身が囮になる魔法である。
「サモン・ゾンビ、シールド・ゾンビ!」
自身の召喚魔法の中でも、最も魔力を消費するゾンビを召喚した。そのゾンビを盾にする。その隙にゾンビとの距離を少し置いた。
「メティ! レグルス! 今だ!!」
「はい! レグルスさん、お願いします!!」
「おう!」
「獅子の火炎(フィローガ・リオターリ)!」
レグルスが奮い立つような力強い声を発する。レグルスは、自身の真下にできた魔法陣からあふれ出る、盛んに立ち上る炎に包まれた。
そして、その炎がはけたかと思えば、そこには燃え盛るたてがみが美しい、精悍な獅子をかたどった炎があった。
「灰儘と化せ(ナギーニ・スタフィティ)」
レグルスの声が目に響くと、炎の獅子の口から、放射状に灼熱の炎を吹き出した。一瞬で万物から命を奪ってしまいそうな、生命力が宿った炎だった。
ゾンビは、苦しそうに歪んだうめき声を上げると、夜空に吸い込まれるように消えていった。
炎の獅子も、星霊の魔導具に重力を伴うように引き寄せられ、戻っていった。
当分の間、この周辺でゾンビが再び徘徊することはなさそうだ。
────水を打ったように静まり返った森。メティと俺はエルシーに駆け寄った。
上の空だったエルシーは、平静を取り戻したようだ。
「エルシーさん! 大丈夫ですか!?」
「エルシー、怪我はないか?」
「私は大丈夫。……ごめんなさい、強引にメティを連れて行ったりして」
「エルシーさんは悪くありませんよ」
エルシーの頬には、一筋の雫が伝っていた。メティがその雫を指で拭う。
そういえば、なぜメティを俺から遠ざけるように、メティをエルシーが連れて行ったのか分からなかった。やっと理由が聞けると安堵した。
「どうして、そんなことを」
「……誤解していたの、あなたのこと」
「─────あなたが、ロリコンかと思って……」
────────は???
「最初、メティとあなたは恋人同士でギルドを組んでいるのかと思ったわ」
「こいっ……違うからな!?」
ぼっと顔がのぼせ上がる俺を横目に、エルシーは話を続ける。
「でも、そのわりには戯れない。……メティが私の戦いぶりを見て褒めてくれた時、モールス信号の『SOS』だと勘違いしたの」
「そうなのか、メティ?」
「え? モールス信号ってなんですか?」
メティには失礼だが、メティがモールス信号を知らないのは、やけに腑に落ちた。
「全く気付かなかったのだが、どのあたりがモールス信号だったんだ?」
「もしメティが私だとして」と前提をし、エルシーがトントントンと言いながらメティに走って近づく。そして、ツーツーツーと棒読みしながら手を握り上下にブンブンと振る。最後にエルシーが抑揚のない声で自己紹介を言いながら2回手に力を込め、「エルシーさんですね、よろしくお願いします」ともう1回ぎゅっと手を握り直した。
「まあ確かにSOS、だな……?」
「わたし、手に力を込めてました?」
「込めてたわ」
メティ本人には自覚がないようだが、メティならやりかねない。しかもあの時は気分も少し高揚していたように見えた。メティが手に力を込めたことは、傍からみて分かりづらい。気付かなかった。
「一番最後は、少し間が空いてたから微妙だったけれど、シェイドに伝わったら意味がないわ。それに、よろしくお願いします、と言ったタイミングで手に力を入れられたら、助けを求められているのかと思うじゃない」
「じゃあ原因は────」
「メティね」
「すみません、シェイドさん……」
明らかにしょんぼりしているメティを見ていると、罪悪感が込み上げる。
「もう誤解は解けたのだから、気にするな、メティ」
「はい!」
メティは、にぱっといつも通りの笑顔を見せる。相変わらず切り替えが早い。
「そろそろ、帰らないとな。カトリーナさん達が心配しているかもしれない」
「その前に、メティの怪我を回復してからだな」
「そうですね!」
メティは「キュア」と唱えると、緑色の光がメティの身体を包み、怪我を修復した。
今はもう午前12時くらいだろう。
3人で歩き始めた帰り道、エルシーは俺達に質問を投げかける。
「……どうして、このクエストを受けようと思ったの?」
「カトリーナさんが困ってたので。あ、カトリーナさんっていうのは、わたし達が滞在している宿のスタッフさんです」
「あとは、相場よりも報酬が少し高かったから、だな。今、懐が心許なくてな」
「……そう。ゾンビは状態異常の呪いをかけてくるときがあるから、厄介なの。
ボスによる強い呪いは、教会で聖職者の方に解いてもらうか、上位の状態回復魔法を使うしかないわ。弱い呪いならアイテムや魔法で解けるけれど」
「後で教会に行きましょう、シェイドさん!」
「……そうだな」
「それと───」
「どうして、2人でギルドを組んだの?
あなた達、本来なら接点なさそうじゃない。年齢も離れているし」
「夜に、シェイドさんが1人で、森に入っていきました。危ないと思ったので、わたしが追いかけました!」
「最初にシェイドさんとお話ししたときは、シェイドさんはお墓で───ハッ」
そこまで言ったメティは目を見開き、口を手で塞いだ。
俺がいまだにあの森へ墓参りしていることは、過去の話にあたる。メティはきっとそれに気が付いて、話を止めたのだろう。
「まあ色々あって、メティには星霊が視える人が必要だったし、俺は一緒にいるだけでいいと言われたからギルドを組んだ」
ふーん、とでも言うように、エルシーは少し目を伏せて考えている。やはり、出会いの過程をぼかされたのが気になるのだろう。
すると、エルシーからふとこんな提案がされた。
「……過去のことに触れるのはやめておくわ」
まさか、エルシーからそんなことを言われるとは。こちらが過去の話をはぐらかしたからか、それともエルシーの過去にも何かあったのか。正直気になるところではある。しかし、過去について探られるのが嫌なのは自分も同じだし、そちらの方が都合が良い。口をつぐんだ。
「────それと」
「ギルドは4人までよね」
「……エルシーさん、それってつまり」
「仲間になっても───」
「ぜひ! なってください!」
わーい! とメティは勢い良く手を握り、エルシーと握手している。
メティとエルシーが楽しそうにしているのを見ると、仲間が増えるのはいいことだと思う。
────少し前の自分では、絶対に思わない考えだ。
その後、パーチェの都市部までワープし、教会に向かった。そこでメティにかかった呪いを解いてもらった。ついでにギルドの登録所へ足を伸ばす。
「新しく仲間が増えました。ギルド名はアイフェイオン、ギルドナンバーは────」
男性の役員が書類を2枚持ってきた。
1枚は新しく仲間になることを示すもの、もう1枚はこのギルドに加入するうえでの契約書だ。
契約書には、「お互いの過去に、触れないことを約束する」、補足に「お互いに合意すれば、この契約が破棄できる」と記載されている。
エルシーは契約書に、魔力が込められた羽ペンで綺麗な字を綴った。
最後に役員が押印すると、宿で見たものとはまた別の魔法陣が現れ、情報を読み取って簿冊に記録される。
────これで正式にエルシーは仲間になった。
パーチェ。宿の前。
先ほどの戦闘で疲弊していたメティのことをエルシーが気遣い、エルシーが宿まで一緒に来てくれた。メティが宿のドアを引き、宿の中に入るのをふたりで見守る。
「……後日、また伺うわ。私はこれで」
「待ってくれ
……引き止めてしまって、すまない。どうして俺達の仲間になろうと思ったんだ?」
「───そうね」
「あなたが頼りないから」
「!?」
この一言で、間違いなく俺の顔は歪んだだろう。
自分が頼りないのは、自分が一番よく知っているつもりだ。しかし、他の人から言われると案外傷つくものである。加えて、自分よりも歳下の少女に言われてしまうなんて、よほど頼りないのだろう。
「────でも」
「それが、あなたとメティのいいところだと思うわ」
「……ごきげんよう。時間が押しているから帰るわ」
「夜道に1人は危ない、俺が送る」
「いらないわ。自分で帰れるもの」
そう言うと、エルシーはこちらに背を向けて歩き出し、自分が住む場所に気ままに帰っていった。
けなされたのか、褒められたのか。エルシーに真相を聞きたいが、本人の姿はもうない。
────だが、「帰る」と言った横顔が、心なしか微笑んでいたような気がした。