「ピンと伸びた背筋」「努力」「眩しい」
「我が名はアーサー。この国の王である!」
溌剌とした声が響く。背筋をまっすぐに伸ばし、よく通る声ではっきりと台詞を言う姿が眩しかった。やっぱり主役は彼にこそふさわしい。一歩下がったところで、マーシャルはチェイスの背中を見つめていた。
アドベンチャーベイでの劇がもう一週間後に迫っていた。「アーサー王とパウの騎士」の主役を務めるチェイスは、いつも明るく自信に満ちた声で台詞を放っていた。目立つし台詞も多いし難しいに違いない。だけどそんなことを微塵も感じさせずに自分の役割をこなしていく姿はとても頼もしいとマーシャルは思った。
「チェイスすごいねえ。主役なんて緊張しない?」
「緊張……はあんまりしてないかな。みんなを楽しませることができるように頑張るよ」
自信に満ちた表情が向けられる。だけどその自信は決して何もないところから生まれた訳ではないことをマーシャルは知っていた。主役ならではの沢山の長い台詞を毎日ずっと練習している。夜、チェイスが小屋で劇の台詞を呟いている声をマーシャルはよく聞いていた。そういった弛みない努力の上に格好いい彼の姿は成り立っている。
マーシャルは人前に出ることが苦手だった。劇の配役を決める時も、主役だけは絶対に無理、と真っ先に断った。その後すぐに主役ならやっぱりチェイスではないか、という流れになりすんなりと決まったのだ。俺に任せて、としっかりとした声で言い放つのが頼もしかった。臆さずに大役をこなすことができる彼は格好いい。マーシャルはずっとチェイスの背中を見てきた。ケントに次ぐパウパトロールのリーダーだと思っている。リーダーシップがあって、勇敢でかっこよくて、気がつけばいつも目が離せない。みんな彼のことは好きだと思うけど、自分はとりわけ特別で大きな感情を持て余している気がする。先頭に立って彼を支えたいと思う独占欲。自覚してしまうとなんだか恥ずかしいし後ろめたくて、振り払うように明るい声を心がけて伝えた。
「頑張ってね。応援してるよ」
「ありがとう。マーシャルも赤の騎士の役頑張ってな」
「うん! みんなを楽しませちゃおうね」
チェイスからの「頑張って」の言葉を向けられると、今まで以上に劇も頑張れる気がした。チェイスの力はすごいとマーシャルは思う。いつだって自分を勇気づけてくれるのが嬉しくて、それに返していきたいと感じていた。
あっという間に劇の当日になった。その日のチェイスはずっと咳をしていたのが気になっていたし、朝からなんとなくぼんやりしていた気がする。だけど任務は普通にこなしていたし、そこまで大きな問題だとは思わなかった。でもケントから診察を頼まれた時、口に入れた体温計はどんどん高い温度を示していく。しんどいはずなのに、ずっと懸命に頑張っていた姿に胸が締めつけられそうになる。だけどこれ以上悪化しないようにしなくてはいけない。
「風邪だね。ゆっくり休んでなくちゃ。劇は出ちゃダメ!」
頑張って練習していたのに、出ないようにするのは心苦しい。でも無理をさせるわけにはいかなかった。きっぱりと言い放つと言葉を詰まらせる。
「え、でもでもでも」
「でもじゃないよ。ドクターストップ!」
耳も眉も垂らして言う姿は可愛らしいけど、そこで許すわけにはいかない。少し強く言うとチェイスも諦めたのか引き下がった。
「どうしましょう。今日の劇はチェイスが主役なのに」
「うーん……チェイスの代わりを探すしかないですね」
「そうね……じゃあマーシャル!」
「え、僕?!」
「あなたが今からアーサー王よ!」
「ええっ……で、でもいきなりじゃ無理だよ」
まさか自分に役目が回ってくるとは思っていなかった。でもでも、と後ずさるけど誰も止めようとはしない。自分でなくてもいいのではないか、と思うけど、グッドウェイ市長とメンバーみんなとの間でどんどん話が進んでいく。
「マーシャル、頼むぜ」
結局チェイスの後押しの言葉もきっかけとなり、主役を引き受けることになってしまった。急なことだったから、台詞を覚える暇もないまま舞台に立つことになる。いざ舞台に立つと、大人数の観客からの視線に心臓が高鳴った。たくさんの瞳に捉えられてマーシャルは何も言葉を紡げなくなってしまった。多くの人に注目されて、体に鉛が詰まったかのような重苦しさを感じる。
「やっぱり駄目……僕には無理! いきなり主役なんてできっこないよ」
「安心して。サポートするわ」
隅に逃げてしまったマーシャルを見かねてスカイが声をかけてくれる。影から台詞を伝えることでサポートしてくれた。台詞を言っているうちに少し緊張も解れて、マーシャルも主役らしく振る舞うことができた。最後には背を伸ばして胸を張って堂々と台詞を言えた気がする。観客も皆盛り上がる中、劇は無事幕を閉じた。
「マーシャル、主役かっこよかったぜ。ありがとう」
「ど、どういたしまして……でもチェイスみたいにうまくやれなかったよ」
「そんなことないよ。みんな楽しんでたぜ」
優しい視線を向けてくれるのが嬉しい。観客のみんなが喜んでくれたことも、メンバーみんなが労ってくれたことも嬉しかった。でも、チェイスから褒める言葉を向けられたのが何よりも嬉しくて心が温かくなる。同時にチェイスの凄さをマーシャルは実感した。主役を臆さずできる彼はかっこいい。人前に立った時、大勢からの視線が痛くて仕方なかった。彼はずっと、この劇でも、パウパトロールの活動でも一番目立つ立場にいてそんな視線を向けられてきたのだろう。チェイスが背負っているものはきっととても多い。そしてそれに応えられるだけの強さを彼は持っている。だけどそれに悩む時が来るのかもしれない。そんな時は一番に支えられる存在でありたいとマーシャルは思った。
「……ねえチェイス。チェイスはいつもかっこいいよ」
「え、いきなりどうしたんだ?」
少し面食らったかのように言われる。少しいきなりすぎたかもしれないと思うけど本心だった。いつもかっこよくて、自分がドジをしても助けてくれて、みんなを引っ張っていってくれる。憧れだし、最近はそれ以上の感情すら抱いてしまっている気がする。
「今日代役をやってみて分かったよ。元々大勢の人の前に出るのは苦手だったけど……主役って想像以上に大変だね。チェイスは本当にすごいよ」
「どうしたのマーシャル。褒めすぎだぜ」
伝えると少し照れたように目を伏せる。普段の姿はかっこいいけど、はにかんだような表情と仕草は可愛いと思った。もっといろんな姿を見たいし知りたいと思う。そして彼のいろんな表情を一番よく知っているのは自分でいたかった。
「代役をやってみて改めて思ったんだよ。チェイスはすごいし、とてもかっこいいなって。でも、主役とか……それにいつもチェイスはリーダーの役割をやることが多いけど、それってすごく大変だよね。だから僕にできることがあればなんでも頼ってほしいんだ」
「ありがとう。でも主役を頑張れたのはマーシャル達が支えてくれたからでもあるよ。もう十分支えてもらってるぜ」
「え、そうかな……?」
「うん。マーシャル達がすぐ側にいるから、何か――ミスとかしても大丈夫だって思うことができたんだ。だから主役も引き受けられたよ」
自分だけではなくて、仲間全員のことを言っているのだと分かってはいた。だけど心臓が速くなって顔も熱くなってしまう。もう、「友達」とか、「仲間」という綺麗な言葉だけでは形容しきれない程の感情を持て余している気がする。その感情を受け止めて彼ときちんと向き合うのはまだ時間がかかりそうだ。だから、今はまだ抱いてしまった熱っぽい感情は見ないふりをしていたかった。
「僕、これからもチェイスのこと支えるよ」
「ありがとう。俺もマーシャルのこと支えたいと思ってるよ」
頑張り屋な彼を支えたい。みんな彼のことは好きだろう。だけど一番に彼のことを想って、そばにいて支えるのは自分が良かった。背中を見るだけではなくて、隣に並んで彼が寄りかかることができる存在でありたい。たとえ抱く感情や、まだ想像もできないけど――チェイスが自分の想いに応えてくれて関係性が変わっても、ずっと支えていきたいことには変わりはなかった。まっすぐに伸びた背筋を見つめる。溌剌としていてまっすぐで、格好いい背中だと思った。ずっと隣にいるから、嬉しい時も悲しい時も、その背中を預けてくれることをそっと願った。