DC直後のれめしし 会場の外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。冬の気配をはらんだ冷たい風を吸うたびに、毒で散々痛めつけられたオレの内臓が悲鳴をあげる。それは隣の男も同じようで、デカい体を丸めて「痛い」と苦痛に顔を歪めていた。
勝負には負けたというのに、オレの心は解放感に満ち溢れていた。今回の勝負で、悩み迷った道の先には光り輝く希望があることを知った。向かうべき道が分からず彷徨っていた足が道を誤ることはもうないだろう。
「腹減ったなー。ハンバーガー食べ行こうよ」
「二時間は飲食禁止って言われたばっかだろうが」
「えー、敬一君真面目すぎ。あんなに毒浴びて血吐いたんだからハンバーガー食べたところで今更何も痛くないって」
「オレはオメーの胃に同情するよ」
話しながらホテルの地下駐車場に向かう。叶はさも当たり前のように助手席に乗り込み、発車を待っている。
「……送らねえぞ」
「いいよ別に。このまま敬一君家に行くから」
「オメーなあ……」
言葉では呆れてみせたが、正直なところありがたかった。
勝負の最中に感じた怒りと喜びと苦しみ。いまだ澪を引く興奮を、オレは一人で持て余していた。叶のことだ。オレのことなど全て見透かした上で一緒に帰ることを選んだのだろう。
運転席に乗り込み、エンジンをかける。地下にずっと停めていたせいかシートはひんやりと冷たい。普段ならたいして気にもならない不快さが、急に生の実感をもたらす。叶を魅せることができなければ、オレは間違いなく死んでいた。隣に座っているのは、友人だろうが容赦なく殺す野郎だ。だから今オレがこうして生きているのは、叶の温情ではなく、本当にオレがこいつを魅了できたからなのだろう。
憧れた男に認められる──。
嬉しさと喜びのなかにほんの少し苦しみが綯い交ぜになった感情は、ひとつの答えに結びついた。今日の勝負がなければきっと気づかなかった感情だ。
暖房をつけ、車内が暖まるのを待つあいだ、叶は驚くほど静かだった。長い前髪で隠れた横からは、何を考えているのかさっぱり分からない。さっきまでの勝負と違い、もうオレに読ませてくれる気はないようだ。実力差を改めて感じていると不意に叶が口を開いた。
「やっぱり賭場はいい。生きている実感がある」
不気味な髑髏で覆われた瞳がオレに向いた。
「傷つけあって、互いを見つめる。命を使う場所として賭場は最高だ」
今回は使いきれなかったけどな。
そう付け足した叶の口元が歪んだ。冗談のつもりなのかもしれないが、オレには殺してくれなかったことを責めているように聞こえた。
なんと返せばいいのか。黙っていると弁明するかのように叶が言った。
「言っておくが、別に死にたがりなわけじゃないぞ。ただ、オレの望む結果の先に待つものが死ならそれを喜んで受け入れるだけだ」
「……オレは、オメーを殺したくねえ」
「知ってるさ。だから今日の勝負があった」
殺したくないというのは紛れもない本音だが、オレの気持ちを正確に表しているかと問われたら否だ。
──オレは、オメーに死んでほしくねえんだよ。
けれどこいつはどんどん上に行って、いつかオレのあずかり知らぬところで死ぬのだろう。
こいつの対戦相手が全部オレならいいのに。憧れを失いたくなくて、つい馬鹿げたことを考えてしまう。オレがもっともっと強くなれば、こいつを生かし続けてやれるのに。
「人の生き方を変えるのは難しい。それは敬一君が一番分かってるだろ?」
いつの間にか膝の上できつく握りしめていたオレの手に、叶の手のひらが重なった。血の通った温かさに力を解いた途端、指の隙間に叶の指が滑り込む。
「オレを変えたいのならまず見せてくれ。傷つけ合った果てにある愛よりも深い愛があることをな」
「……まるでオレがオメーを愛してるみてえな口ぶりだな」
「違うのか?」
違わない。すべて叶の言う通りだった。オレが死戦を潜り抜けようやく気づいた答えに、こいつは気安く触れてくる。
戦いの最中にずっと抱えていた、こいつを殺さないといけないという自分の意思に反した感情は、逆にオレの本心を露わにした。
友としてなのか敵としてなのか、それとも人間としてなのか。深くは分からないけれど、オレの心はもう完全に叶の魅力に取り憑かれてしまった。
けれど叶の語る愛とは違う。こいつは傷の深さで愛を測るが、オレは愛しているからこそ傷つくところは見たくない。
ならば魅せるしかないのだろう。何度も何度も魅せ続けて、オレの道に引き摺り込んでやるしない。
「……オメーは死なせねえ。だからオレは強くなる」
それが叶に示された、オレの進むべき道だ。
手を返し、絡みつく叶の手をきつく握り返す。「いってー!」と抜け出そうとするのを、オレの決意を込めた力で押さえつけた。
「オメーがオレを変えたように、オレもオメーを変えてやるよ」
真っ直ぐに叶を見つめる。一瞬、見開かれた瞳はすぐに満足そうな笑みへと変わる。
「……敬一君のそういうところが、大好きだよ」
こいつはたぶん知っているのだろう。その眼差しの柔らかさがオレを魅了してやまないのだと。
終