魔法みたいなテスト対策「うわー、こんなの……ぜってえ無理」
エペルはそう言うと、教科書に頭を突っ込んだ。
もうすぐ、魔法薬学のテストがある。前回かなり赤点に近かったこいつは、次こそはと意気込んで俺の部屋まで勉強にきたはずなのだが……。
「おい、諦めるの早すぎだろ」
「この例題も全然わかんないし。え、こんなの習ってなくねえ!?」
そう言って逆ギレすると、エペルはほっぺたを膨らませた。
「そんなわけねえだろ。そもそもこの辺は、覚えてないと解けねえ問題ばっかりなんだ。お前、素材の名前とか性質とか全然頭に入ってねえんじゃねえか?」
「だって、こんなにたくさん覚えられるわけねえよ!! ……それこそ、魔法でも使わねえと」
まだ勉強を開始したばっかりなのに、泣き言ばっかり言いやがって。まったく、部活じゃもっと根性があるだろうに……。
「そんな都合のいい魔法があるわけねえだろ。とにかく書いて覚えろ」
「……」
あきれてそう言った俺に、エペルは黙り込んだ。やっと納得して、やる気になったか?
……ところが。
「ジャッククン、仮にも魔法士を目指す僕たちが、魔法の力を甘く見ちゃいけないんじゃない、かな」
なぜかエペルは、そう言って不敵な笑みを浮かべた。
「あ……? どういうことだ?」
「僕、すごい魔法思いついた……あのね?」
そういうと今度は、俺の耳元で楽しそうにこそこそささやいた。ほかに誰もいねえのに。
「……は!? そんなの、魔法じゃねえだろ!」
「へへ、そんなことないって。明日、楽しみにしてて?」
そうしていたずらっぽく笑うと、エペルは荷物をまとめてさっと立ち上がった。
「じゃあ帰るね!! ありがと!」
そういうと、あっという間にドアを開けて出ていっちまった。
――次の日。
「さあジャッククン、始めて!」
エペルは意気揚々と俺の部屋に現れた。昨日とはうってかわって、妙に自信に満ちた顔をしてやがる。そして机の前に座るとさっとノートを取り出し、ペンを構えた。
「おう……じゃあまずは、これから」
俺はその勢いに気圧されながら、教科書を開き、ある薬草の写真を見せた。
エペルはそれを一瞥するとにやりと笑い、勢いよくガリガリと文字を書き始めた。
「……、できた! ねえ、見て! あってる!?」
そう言って、突き付けられたノートには。
「!! 全部、あってる……」
そこには、その植物の名前、産地、効能、用いられ方、注意事項などが、正しく書き込まれていた。一つの綴り間違いもなく。
得意満面といったエペルを、俺はしげしげと見つめた。
「お前、すげえじゃねえか……! なんで今まで、」
「……ジャッククン、感心してる場合じゃねえよ」
「え?」
「ほら、約束、でしょ?」
そういってエペルは、少し恥ずかしそうに上目遣いで俺を見つめた。
あ、そ、そうだった……。
「じゃあ、最初だから……おでこに、いいかな?」
「お、おう、」
俺は、突然汗ばんできた両手をエペルの肩に乗せ……。えっと……なんだこれ! すげえ照れるじゃねえか!?
妙な間の後、ようやく俺はおでこに軽いキスをした。
「ふふ、ありがと」
エペルも少し顔を赤くしたが、すぐまたペンを握りしめた。
「さあジャッククン、どんどんいくよ!」
そう。昨日こいつが提案してきた『魔法』、それは。
……試験範囲を一ページ丸暗記するごとに、俺がキスをする。そういうことだった。
最初それを聞いたとき、俺はあきれ返ってしまった。そんなの、魔法でもなんでもねえし。
でも……。
「……はい! できた。どう!? ……じゃあ、次はほっぺた、いい?」
「へへ、また合ってる? そしたら次は、……ううん、やっぱり反対のほっぺた、かな」
そうして嬉しそうにどんどん覚えたことを書き付けていくエペルに、俺は圧倒された。
こいつはたぶん、もともとすごく頭がいいやつなんだと思う。それが、発揮される機会がなかっただけだ。
でも、本人が、その力に気が付けば。
そしてそこに、ほんの少しの『魔法』があれば……。
「やった! これで全部だね! そしたら、最後は……ね?」
そう言ってぱたりとノートを閉じたエペルは、俺を見てにっこりと笑った後、目を閉じた。
嬉しそうな表情に、なんだか俺まで誇らしい気持ちになる。
その顔を少しだけ見つめてから、俺も静かに、目を閉じた。
そして、一週間後。
「えっ!? エペルが3位!?」
掲示板に張り出されたテスト順位に、騒然とする人だかり。
俺たちは少し離れたところから、その様子を眺めていた。こいつ、やりやがった。
「おい! どういうことだエペル! 一体どんな方法で……!!」
人の波をかき分けて出てきたセベクに、エペルは得意げに胸を反らせた。
「まあね、ちょっと今回は頑張った……かな?」
「いや、ちょっとどころじゃないだろう! 何かいい勉強法があるのか!? 僕にも教えてくれ!」
デュースが詰め寄ると、エペルはちらりと俺の顔を見上げた。
……いやいやいや、言わなくていいからな!? それについては!
「あ、もしかして……ジャックが何か知ってるのか!? そういえば一緒に勉強してたよな!」
「え~、ジャック、いい方法あるならオレたちにも教えてよ~」
「ずるいゾ!! 教えろ~!!」
追及の手がこちらにも伸びる。俺はもみ手をしながら近づいてきたエースの頭を教科書ではたいた。
「うるせえぞイソギンチャク。百回書け。努力しろ」
「えー! ぜってえなんかあるだろ!!」
「きっとすんげえ方法使ったんだゾ……そうだ、なんかの魔法とかなんだゾ!!」
「そんなのあるわけないでしょ、グリム」
そういって監督生は、俺に掴みかかろうとするグリムをたしなめた。が。
魔法。
その言葉を聞いて、俺は思わずドキリとしてしまう。平静を装おうと、慌てて腕組みをしてそっぽを向いたが……。
「……あれ、エペル?」
監督生が、エペルの顔を覗き込んだ。……おい! 真っ赤になってんじゃねえよ!!
「くだらねえ、行くぞ!」
「ま、また明日ね……!」
俺は奴らに背を向け、歩き出した。背中の向こうで、慌ててついてくるエペルの声がする。
廊下をしばらく歩いて喧騒を離れると、俺は柱の陰で立ち止まった。
「お前……ぜってえ言うんじゃねえぞ?」
「い、言うわけねえべ!?」
慌てるエペルに、俺は不安を隠せない。こいつ、すげえ表情に出るからな……。
でも、そんな俺の顔を、エペルはなんだか嬉しそうにのぞき込んだ。
「ふふ……そうだね、秘密にしとくよ。だって、ずるいじゃない? 僕たちだけユニーク魔法が二つもあるなんて」
「え?」
聞き返した俺に、エペルは弾けるように笑った。
「これってさ……ジャッククンと僕の、デュオ・ユニーク魔法だよね!? すげえべ!!」
「……!!」
……正直最初は、ちょっと馬鹿げてるって思ったが。
そうか、これは、俺たちだけの……俺たちにしか、できない。
ありふれて、でも特別で。二人じゃないと、使えなくて。
窓の外には、初夏の日差しを受けた林檎の木が揺れている。
こいつの目には、この世界に俺よりたくさんの魔法が見えているのかもしれねえ。
黙って見つめられたエペルは、少し照れくさそうに目をそらした。
「ねえ、ジャッククンもさ。僕が魔法をかけたらなんでもできちゃう、かな?」
また歩き始めると、ジャケットの裾を小さくつかみながらエペルがつぶやく。……お前は、恥ずかしげもなくそういうことを。
俺は立ち止まらず、前だけ見て答えた。
「多分、な」
「えー、多分、なの……?」
露骨にがっかりしたような声が返ってくる。
ああ、もう、言わすんじゃねえよ。
「ったく」
俺は足を止め、小さく深呼吸した。
「多分、 なんでも出来んだよ。
……お前がいれば、な」