短編 雪原に夜を隠して 一つ、二つと降り始めた雪の気配に、イタカは夜空を仰ぎ見た。
冬の澄んだ夜空に星が散らばり、まるでその星たちが落ちるように雪の結晶が舞い降りている。
イタカは大きく口を開けた。
もう、記憶も定かではない。
遠い、遠い昔の頃。
星屑を食べてみたいと夢見ていた事を思い出したのだ──。
一つ、二つと雪が降るが、思うように口に落ちてこない。
大人になれば何でも出来るようになると思っていたが、今の自分は幼かった頃よりも出来ない事の方が増えたようにもイタカは思えた。
珍しく感傷的になる自身にイタカは短く嘆息し、口を閉じる。
全て寒い冬のせいにして、ゆっくりと視線を元に戻す。
すると、正面に見知った影が現れる。
残りのサバイバーを風船にして、鼻歌を歌いながら歩くフールズの姿に、イタカは仮面の下で顔を綻ばせた。
「お待たせ」
耳に心地のよい声が届く。慣れた手つきでサバイバーを椅子に拘束したフールズは、雪の降る中で立ち尽くすイタカの傍に慌てて駆け寄った。
「お帰り。あと一人どうする?」
「ハッチを狙っている感じがしたけど、もういいかな。だいぶサバイバーと遊んで、くたくたでこれ以上は働きたくない」
お調子よく言ったフールズはだが、イタカが纏う雰囲気の違和感に気づき、冷たい息を吐き出した。
「イタカ」
フールズが低い声で囁き、イタカの表情を窺った。
仮面の下でどんな顔をしているか。
伸ばしかけた腕が宙を彷徨う。
手を伸ばせる距離にいるのに踏み込みはしない自分が嫌になる。フールズは苦笑した。
一方でイタカは、フードに積もった雪を首を左右に振って払い除け、逃げるように視線を夜空へ走らせた。
フールズも倣って星が散らばる空を見上げる。
ぼたぼたと勢いを増して雪が降る夜。
クリスマスだからと、荘園主のはからいでレオの思い出に雪を一夜限りで降らすというイベントが催され、フールズもイタカも協力狩りに出ずっぱりの状況だった。
この試合が終われば、二人とも晴れて自由の身となるのがせめても救いだろう。
「帰って夕飯にしよう」
そう言ったフールズは、白い吐息を口から漏らした。
野暮なことは聞かない。この雪がイタカをそうさせるのだ。
中途半端に伸ばした片腕でイタカを抱き寄せ、動きを封じる。
イタカは微動だにせず、フールズの腕の中にすっぽりとおさまっていた。
「雪だね」
「きらきらして綺麗だよ」
「そう……」
そう言ったきり、二人は沈黙する。
しんしんと雪が降る注ぐ音が辺りに響いた。
サバイバーが脱出した知らせと同時に体がふわりと浮き、瞬きの間もなく控え室に戻る。
腕の中で大人しくしているイタカが、未だにあの雪景色の中に独りで佇んでいるようだ。
フールズは緩くかぶりを振り、小さな体を抱え直して足早に部屋を出ていった。
イベントを楽しむ賑やかな声を遠くで聞きながら、自室に転がり込んだフールズはベッドにイタカを組敷いた。
その衝撃で仮面が外れ、シーツの上に白銀の髪が散らばる。
閉じていた目が緩やかに開かれたが、揺れる視線は何処か遠くを見つめていた。
「大人になれば何でも出来ると思っていたんだ。でも、今のほうが窮屈でやりずらい」
イタカは、まるで遠い昔話をするような口調で呟いた。それから、おずおすと腕を伸ばした。フールズが顔を近づけると、長い爪が頬に触れる。
傷つかないように丁寧な手つきで、フールズのすらっとした頬を撫でた。
こそばゆく悪くない感触に目を細めたフールズが、前触れもなく噛みつくように口付ける。頑なに閉じる唇を舌先で突けば、イタカが眉を寄せて、口を開いた。
舌を滑り込ませ、熱い咥内を好き勝手に嬲る。
溢れてくる唾液と舌を絡めて強く吸い付けば、イタカの体がぴくりと跳ねた。
額と額をくっつけ、至近距離で見つめ合う。
浮ついた視線が絡み、冷えきっていた体にじんわりとした熱が触れ合った唇から広がっていく。
長い時間が過ぎて唇を離せば、唾液の糸が銀糸のように光り、名残り惜しそうにぷつりと切れた。
「大人にならないとこんなことは出来ないよ?」
イタカの柔らかい髪をすくいあげ、口付けたフールズはきざな笑みを口許に浮かべた。
フールズの顔をじっと見つめていたイタカは、熱にあてられた吐息を漏らす。
悪い大人の顔。その顔が好きだなんて口が裂けても言わない、とイタカは内心でべっと舌を出して子どものように振る舞う。
陰鬱な気持ちが纏わりついていたのが嘘のように消散してしまった。
「ねぇ、ならもっと教えてよ」
イタカは無邪気に笑い、フールズを挑発したのだ。