メリークリスマス 12月25日、クリスマス、午前2時。
(あたま痛ぇ…寝れねぇ)
自室のベッドの上で猿川は頭痛に顔を顰めながら寝転んでいた。手元のスマホで時刻を確認すると頭痛がし始めてから既に1時間以上経っていた。
「薬飲むか…」
若干めんどくさいと思いつつ、ゆっくりと布団から這い出る。床に足をつけるとひんやりとした冷たさが足の裏を伝ってくる。こんなにもこの家は寒かっただろうかと思いながら廊下に出た。静かに扉を閉めながらキッチンへ向かう。住人たちが寝静まったハウスは数時間前までの騒がしさが嘘のようにシン、と静まり返っている。
遡って12月24日、クリスマスイヴ、午後19時。
乾杯の合図と共に家中に響き渡るグラスがぶつかり合う音と笑い声。食卓には依央利が48時間かけて準備したというご馳走が並び、庭には大瀬が作ったオーナメントで飾り付けられたクリスマスツリーが立っている。
「依央利、今日もケーキある?今日と明日で2日分のケーキあるよね?なければ作って今すぐ」
「もちろん、今日の分も明日の分もちゃんと用意してるよ!というか、足りなかったら言ってください。どんどん作るので!」
「やった」
「ふみやくん若いね〜、めちゃくちゃ食べるじゃん」
「テラは何歳なの?」
「理解くん今日くらいワイン飲んだら?天彦が貰ってきたやつ美味しいよ」
「じゃあせっかくですので一口だけ…」
「ねぇ、テラ」
「大瀬さんも如何です?ワインはお好きですか?」
「クソ吉もいただいてしまってもいいんですか?」
「何歳?」
「なぁに?ワイン飲みたいの?未成年はなんかちいさくてかわいいやつのシャンメリーでも飲んでな」
「猿ちゃんはワイン飲む?猿ちゃん?」
思えばこの時から違和感はあった。息をするたびにくすぐったい感覚のする喉、うっすらと重みを感じる頭、幼馴染の手料理を見ても湧かない食欲。体調不良の兆しは明らかにあった。しかし、それを気のせいだと自分に言い聞かせて同居人たちとパーティを楽しみたかった。
「今酒飲むと腹いっぱいになるだろ、あとで飲むからとっとけ」
「…かしこまりぃ」
若干不服そうにボトルを持った依央利が引き下がる。不調に気付かれなくてよかった、そう思いながらいつもより少ない一口でご馳走を口に運んだ。
その後は雰囲気に飲まれてか、腹を満たして調子が出てきたからかは分からないが調子を取り戻してきた。ワインも飲んだしケーキも食べた。理解が風呂に入ってる隙に天彦を引っ張ってサンタクロースを探しに家を飛び出した。外は雪が降っていて、ちらほらと地面に積もり始めている。歩くとザクザクと音がする。隣で天彦が「ホワイトクリスマスですね」と微笑みながら言うのに「おう」と軽く返事した声は興奮を隠しきれていない。
結局、サンタを捕まえることはできなかった。来年こそは捕まえると息巻きながら家に戻る頃には雪がだいぶ積もっていた。ハウスの敷地内に入ったところで足を止めて我が家を見つめる。「どうかしましたか?」と顔を覗き込む天彦に近ぇ、と雪玉を投げて玄関に飛び込んだ。
今自分が過ごしているクリスマスがなんだか夢みたいだと思ったなんて子どもみたいで言えなかった。ぴかそにいた頃クリスマスがテーマの絵本を何度か読んだ。絵本の中の人々は家族や友達と和気藹々と食卓を囲み、パーティを楽しんでいた。大きなクリスマスツリーがあるのもイルミネーションで家を飾るのも猿川にとって絵本の中のものだった。それが今では現在になっている。ハウスとクリスマスツリーを彩るイルミネーションが雪に反射してキラキラと輝く様子を見たときやっぱり夢みたいだと思った。
玄関に入るや否や理解が「何時だと思っているんだ!!もう夜の11時半だぞ!!」と笛を鳴らしながら近づいて来た。天彦の嗜める声を聞きながら急に温められてじんじんと痛む耳にこれは現実なんだと実感した。
理解の説教から解放された後、そそくさと入浴を済ませて脱衣所から出るとクッキーを咥えたふみやと遭遇した。
「なに食ってんの?」
「ジンジャーブレッドマン、依央利が明日ように作ってるやつ味見でもらった」
「何枚目?」
「5枚目」
「ぜんぜん味見じゃねーじゃん」
まぁまぁまぁ、と笑うふみやに早く寝ろよ、と言って部屋へ向かう。「あ、慧」と背中越しに話しかけられて振り返ると、ふみやが珍しく目をキラキラと輝かしていた。
「明日のケーキ2段なんだって」
「マジ?」
「マジ、お菓子の家もあるって」
「すげぇな」
「ね、明日のパーティも楽しみだね」
「ぜんぜん楽しみじゃねぇ」
「楽しなくせに〜」
「うるせっ」
えいえいと背中を指で突いてくるふみやに歯ちゃんと磨けよ、と言って今度こそ部屋に戻る。
ベッドに入って布団に包まって明日もパーティやるのか、と思っていると雪に反射して輝くイルミネーションを思い出した。やっぱり夢みたいだと思いながら眠りに着く。
頭痛がしたのはそれからすぐだった。
「猿ちゃん!?どうしたの?」
幼馴染の声で目を覚ます。どうやらキッチンへ向かう途中で気絶していたらしい。床で眠っていたせいか身体中が痛む、身体も冷え切ってガクガクと震えが止まらない。
「熱っ!!熱がある…」
取り敢えず部屋に戻って、と支えられながら部屋に引き返す。ベッドに寝かされると薬と体温計持ってくるからちょっと待っててと背を向ける依央利の袖を掴もうと手を伸ばすも間に合わない。依央利が出ていったドアをぼうっと見つめながら情けないとため息をつくと同時にごほごほと咳が出た。さっきまで消えていた喉の違和感が戻ってきてきた。今はくすぐったさではなく、ヒリつくような痛みを感じる。頭痛も頭の内側から誰かが激しく叩いているのではと錯覚するような鈍い痛みに変わっている。痛みと全身の気怠さ、そして布団に包まっても落ち着かない悪寒により猿川は何も考えられなくなっていた。頭の中で痛いと寒いの2つの言葉がぐるぐると回っている。
「お待たせ、風邪薬と一応頓服薬持って来たよ」
トレーに水、薬、体温計を乗せて戻ってきた依央利は、熱測るよと慣れた手つきで体温計を猿川の脇に挟む。ピピっと音が鳴ると体温計を抜き取って表示された体温を見て顔を顰める。
「9度8分…猿ちゃんパーティのときから体調悪かったでしょ」
「…んなことねぇよ、ちゃんと飯もケーキも食ったじゃん」
怒ったような口調で言われたのにムッとして言い返すと依央利は眉間の皺を深くした。
「嘘つけ、唐揚げもローストビーフもチキンもぜんぜん減ってなかった。猿ちゃんが去年足りないっていったから今年は量増やしたんだよ」
「え?」
「味も飽きないように唐揚げは醤油、塩、テリマヨ、チキン南蛮の4種、ローストビーフはオニオンソース、ガーリックソースとわさび醤油の3種のソース、チキンは塩と2種ってバリエーションも増やしたのに」
ぜんせん食べないんだもの、と寂しそうな表情を浮かべる幼馴染にごめんと小さく呟いた。沈黙。
「いまなんじ…?」
「今?3時前とかじゃない?」
「お前こんな時間になにしてたの?」
「何って明日…もう今日か、今日の夜のパーティで出す料理の仕込みだけど」
「パーティ…」
朦朧とした意識の中で、ふと「楽しみだね」と言ったふみやの顔を思い出した。この調子じゃ自分は今夜のパーティには参加できないかもしれない。
「どうして早く言わなかったの?」
どうして早く言わなかったんだろう、幼馴染の言葉を頭の中で繰り返す。と、同時に心配するだろと説教する理解、クリスマス限定コフレでメイクしたテラくんも最高!というテラ、オーナメントを作る大瀬、また来年探しましょうと笑かける天彦、楽しみだねと言うふみや、自分の好物を作る幼馴染の姿が浮かんだ。
「夢みたいで…」
「え?」
「俺みたいなのが誰かとクリスマスを楽しく過ごしてるのが夢みたいで、本にでてくるみたいなメシとかツリーとか、イルミネーションで光ってるのとか」
なんだか夢みたいで
「たのしすぎて苦しいのわすれてたかも」
明日もたのしみにしてたのにな、と呟いて深く息を吸う。吸った息がヒリつく喉に滲みる。口を軽く開けて小刻み息を吸うと喉も痛くなくて楽だ。そう思いながら小さく開けた口に錠剤を放り込まれる。驚いて起き上がると口に水の入ったグラスを思い切り突き付けられた。零れると思って慌てて水を口に含んで飲み込む、同時に放り込まれた錠剤も喉を通っていった。錠剤が喉を通る感覚が気持ち悪くて依央利からグラスを奪って残っていた水全てを勢いよく飲み干す。勢いがあまり過ぎて水が気管に入って咽せる猿川の背中を優しくさする依央利の手を払いのけながら叫んだ。
「いきなり何しやがる!!」
「お薬飲めた?よかった、よかった」
「よくねぇよ、危ないって言ってんの!」
キレる猿川をよそに依央利は「ねんねしよーねー」と猿川を布団に包んでいく。抵抗しようにも全身気怠くて動けないし、何より体温で温まってきた布団の温もりが気持ちよくて抜け出せなかった。
「真冬にうっすいTシャツとハーフパンツなんかで寝るから身体冷えたんだよ」
僕が全身ぽかぽかになるパジャマ作っちゃうもんねー、と言いながら体温計やグラスをトレーに乗せて片付けていく。
「薬も飲んだし明日午前いっぱい寝れば夕方には調子よくなってるんじゃない?猿ちゃん最近外に出るときマスクつけてたし、帰ってきたら手洗いうがいしっかりしてたからただの風邪でしょ、理解くん褒めてたよ最近の猿ちゃんはいい子だって」
「なんだそれ、意味わかんねぇ」
きょとんとした表情を浮かべる猿川にくすくすと笑いながら依央利はトレーを持って立ち上がった。
「そんないい子のところにはサンタさん来るはずだから早く寝なー?猿ちゃん寝ないといつまで経ってもサンタさん家に入れないでしょ」
おやすみ、と言いながら依央利はドアを閉めた。猿川は暫く幼馴染が出て行ったドアを見つめていた。
「いい子って…俺もう大人だし、まず俺みたいな奴のとこに来るかよ」
気が付くと頭痛は治っていた、頓服薬が効いたのだろう。熱が引いて身体もだんだん楽になってきて、次第に眠気に誘われる。暫くすると猿川は穏やか寝息を立てていた。あまりにもぐっすりと眠っていたものだから、ドアがキィっと音を立てて開いたことにも気が付かなかった。部屋の中を覗きに猿川が健やかな寝息を立てて眠っているのを確認するとドアを開けた誰かはホッと息を吐いて安心した。そして枕元までこっそりと近づいてラッピングされた箱を置いて猿川に微笑んで呟いた。
メリークリスマス