ボクシングデー カラフルな装飾で彩られたリビング、クリスマスらしいメニューと住人たちそれぞれの好物が並んだ豪華な食卓、サンタ帽やトナカイのツノを頭につけて笑顔を浮かべる住人たち。ソファに座って奴隷がタレからつくったチキンに齧り付きながら伊藤ふみやは満足そうに笑う。
「みなさ〜ん!今日のクリスマスケーキの時間ですよ〜!!」
ゴロゴロとカートを押す音と共にキッチンから依央利が現れた。カートの上には2段重ねのケーキが乗ってる。ケーキというワードにいち早く反応したふみやがカートに駆け寄る。
「ふみやさんお待たせしました!昨日はショートケーキだったので今日はチョコレートケーキにしてみました」
今日は12月25日、クリスマス。カリスマハウスでは昨日12月24日、クリスマスイヴもパーティを開催していた。昨日のパーティで食べたのはサンタとトナカイのマジパンが乗ったいちごのショートケーキだった。今日依央利が用意したのは2段重ねのチョコレートケーキだった。そしてケーキの上には
「わ、すごい。俺たちがいる」
カリスマハウスを模したマジパンの周りに住人たちの姿が描かれたアイシングクッキーが添えられていた。ふみやの言葉に他の住人たちもケーキを囲んで感嘆した。
「すっご〜い!テラくんがいる!かわいい!!さっすが依央利くん、テラくんの次にすごい」
「天彦が天彦を食べる!?Oh…Sexy」
「2段もあるじゃねーか!すっげぇないお!」
「クソ吉も作ってもらえるなんて…」
「しかも家まで…流石です依央利さん」
「えっへへ〜それじゃあ切り分けますね!いっぱい食べる人〜」
「はーい」と元気よく手をあげるテラと猿川の横で大瀬が控えめに手をあげた。
「依央利、俺のは一番多くして。なんなら上の段はそのまま全部俺にちょうだい」
「あ!ずるいぞ伊藤ふみや!!」
「ちょ、危な、包丁もってるから揺らさないで」
ケーキを巡ってさらに賑やかになったリビングの中心でふみやはハハハッといつもより柔らかい表情で笑った。今、すごく楽しい。依央利から一番大きく切り分けられたケーキが乗った皿をほくほくした顔で受け取る。すかさず添えられたフォークをケーキに刺す。一口頬張ると甘いチョコの味とふわふわとした食感が口の中に広がる。一口目よりも大きく二口目を切り取って頬張ろうとするとニコニコとふみやを見つめる同居人たちに気付く。「なに?」と首を傾げると天彦がふみやの口の周りについたクリームを指ですくいながら微笑む。
「ふみやさんが楽しそうでみんな嬉しいんですよ」
「ふーん、俺が楽しいとみんな嬉しいの?」
「はい!とっても嬉しいですよ」
「じゃあ毎日パーティしよ、そうすればケーキも毎日食べられるし」
「え?」
「依央利、毎日ケーキとご馳走作れる?」
「奴隷いけます、やらせて頂きます!」
「ふみやさん流石に毎日パーティは依央利さんに負担がかかり過ぎますよ」
「止めないで理解くん!極上の負荷を得られそうなとこなんだから!」
一気に賑やかから騒がしいという言葉の方が相応しくなった同居人たちの様子にふみやは再びハハハッと笑いながらケーキを頬張る。口に入れた瞬間ふと違和感を感じた。
(なんか、腹が苦しい…気がする?)
無意識に腹をさするも、特に腹痛がするというわけでもなくなんとなく苦しい気がしたという違和感なくだけが残った。流石に2日も続けてご馳走とケーキをたらふく食べると胃に負担がかかっただろうかと考え込んでいると、隣でケーキをつついていた大瀬が顔を覗き込んだ。
「どうしたんですか」
「んー、なんでもない。ケーキ美味いなって」
「ふーん」
大瀬はしばらく訝しげな目でふみやを見た後再びケーキへと視線を戻し、クッキーの大瀬と睨み合いを始めた。
ふみやは三口目のケーキを頬張る。うん、なんともない。さっきの違和感はきっと気のせい、そう思いながら残りのケーキを一口で平らげた。
(やば、悪寒…)
翌日12月26日、昼過ぎ。依央利の手によってクリスマスモードから通常モードへとすっかり元通りになったリビングのソファで横になったふみやはガタガタと震えていた。なんとく胃か胸かどちらかわからないところがぐるぐると渦巻くように痛む気がする。
(昨日の違和感、気のせいじゃなかった)
今立ち上がるとなんとなくよくないと思いつつ、共同スペースでこの様子だと同居人たちに不調を勘づかれてしまう。そう思ったふみやゆっくりと立ち上がって二階の自室を目指した。息を深く吸うと腹の底から何かが込み上げてくる気がして自然と呼吸が荒くなる。暑さとは真逆の寒さを感じているのに汗が止まらない。一刻も早く部屋に戻らなくては、そう思いつつも一歩踏み出すたびに脳が激しく揺れているような感覚に陥ってなかなか足を動かせなかった。
「ふみやさん…?」
最悪だ、と思いながら顔を上げると目の前にスケッチブックを持った大瀬が立っていた。誰かと遭遇する前に部屋に戻りたかったふみやにとっては災難に等しかった。ぐわんぐわんと揺れる頭と視界をなんとかしようと両手で顔を見て覆う。ふみやの様子がおかしいことに気がついた大瀬が心配そうに顔を覗き込んで「大丈夫ですか?」と問う。その声もぐわんぐわんという揺れる感覚によってよく聴こえない。
「ふみやさん?具合悪いんですか?」
「だいじょぶ、だいじょぶだから…ほっといて」
話すと胃から何かが込み上げてくる感覚がして、思わず口を押さえる。ふみやのその動作を見て何かを察した大瀬がスケッチブックを放り出してふみやに駆け寄る。そしてそのまま強引に肩を抱いてトイレまで連れて行く。便座の前にふみやを座らせると「吐いてください」と背中をさする。絶対に吐くものかと口を押さえる手の力を強めるふみや。その様子を見た大瀬は腕を捲りふみやの手を無理矢理口から引き離した。そして片方の手でふみやの顎を抑え、もう片方の手を思い切りふみやの口の中へと突っ込む。突如喉の奥を刺激されたことにより、今まで抑えていたものが全て込み上げてくる。大瀬が腕を引き抜いた瞬間「お、えぇ…」とふみやの口から吐瀉物が飛び出した。口の中で胃酸の酸っぱい匂いと甘ったるい匂いが広がる。
(昨日のケーキだ…)
そう思うと同時に朝からパーティの準備をしていた依央利の姿が目の前に浮かぶ。そして第二波が込み上げてくる感覚がした。反射的に口を真一文字に結び手で押さえつけるも、大瀬の手が容赦なくふみやの口をこじ開けて喉の奥まで腕を突っ込まれる。大瀬の腕が引き抜かれるのと同時に再び吐瀉物が飛び出る。はぁはぁ、と呼吸を整えながら何しやがると大瀬を睨み付けようと振り返ると真顔の大瀬がこちらを見下ろしていた。
「全部出ましたか?」
淡々と発せられた問いにこくり、と小さく頷くと「いおくん呼んできます」と背を向けてトイレから出て行った。一人残されたふみやは壁にもたれかかって大瀬が戻ってくるのを大人しく待つことにした。吐いたせいか背中が軋むように痛い。口の中に残る酸味と甘い匂いでもう何も出すものが無いのにうぷ、と何かが込み上げてくる感覚がする。
「ふみやさん大丈夫ですか!?」
そう言って目の前に現れたのは大瀬でも依央利でもなく天彦だった。
(なんで、あまひこ…おおせは…)
喋ろうとすると背中が軋んでハクハクと口だけが動く。ふみやが何を言いたいか悟った天彦はふみやを抱きかかえて洗面所まで運びながら説明した。
「大瀬さんが何やら大慌てで依央利さんを呼ぶので下に降りて来てみたら貴方の体調がよろしくないと、依央利さんは外でイルミネーションの片付けをしているので僕が代わりにふみやさんを迎えに来ました」
(そうだったんだ…)
洗面所に着くと天彦はふみやに口を濯ぐように言った。言われた通り口を何回か濯ぐと残っていた酸味が薄まって少し楽になった。しかし鼻の奥にこびりついた胃酸の匂いと甘い香りは未だに残って、意識するとうぷっと喉が鳴った。しばらくするとドタドタという足音と共に着替えを持った依央利が洗面所に入って来た。入り口では大瀬が心配そうにこちらを覗いている。
「ふみやさん大丈夫ですか!?すみません、気付けなくて…着替え持ってきたんで取り敢えず着替えちゃいましょう。大瀬さんも着替えて」
(そっか、大瀬の服さっきので汚しちゃったんだ)
大瀬に向かって「ごめん」と呟くと、ブンブンと首を横に振りながら大瀬が頭を下げた。
「クソ吉なんかの手をふみやさんの口に突っ込んで、不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした…!!」
今にもナイフで喉を掻き切ろうとする大瀬にふみやは「いや、助かったよ」と笑いかけると大瀬はへなへなとその場に座り込んだ。
「大瀬さんすごく心配してたんですよ、裸足で外に飛び出してくるんだもの」
びっくりしちゃいましたよー、と言いながら替えのシャツを渡してきた依央利に「ありがと」と言いながら受け取る。ふと昨日のケーキを作る依央利の姿を再び思い出し、思わず依央利から目を逸らした。依央利はそれには気付かず、「部屋で休みましょう」と言ってふみやが立ち上がるのを手伝った。依央利と天彦に支えられながらなんとか二階の自室にたどり着いたふみやはいつの間にか用意されていた布団に寝かされた。病人をソファで寝かせるわけにいかない、とさっき着替えを取りに来たついでに依央利が敷いといてくれたらしい。ふわふわと柔らかい敷布団が背中の痛みを包んでいく。ホッとしていると依央利に腕を持ち上げられて脇の間に何かを差し込まれる。一瞬感じたヒヤッとした感覚から体温計だなと思っていると、ピピッという電子音が鳴った。
「9度もある…、ふみやさんいつから体調悪かったんですか?」
体温計に表示された体温を見た依央利が顔を顰める。隣から覗いていた天彦も険しい表情を浮かべていた。心配そうな表情を浮かべる依央利と顔を合わせるのがなんとなく気まずい気がして、布団を顔まで持ち上げた。どうしたものかと依央利と大瀬が顔を見合わせているとシンとした部屋に突然低く厳しい声が響いた。
「伊藤ふみや、ハッキリ答えなさい。いつから体調が悪かったんですか?」
天彦だ。怒ってる?とそっーと布団を下げると見たことないくらい険しい表情の天彦と目が合った。ふみやは蛇に睨まれた蛙のように天彦から目を逸せなくなった。悪寒が止まらないせいか、はたまた恐怖と緊張からか震えが止まらない。
「一体、いつかから、具合が悪かったんですか?」
「た、たぶん、昨日の夜…でもちょっと変だなくらいで…いつもより腹が苦しいなくらいで…」
「でも変だとは思ったんでしょう?」
「…うん」
静かに頷いたふみやに天彦の眉間の皺が深くなる。怒ってる?
「どうして何も言ってくれないんですか?具合が悪いのなら早く言ってもらわないと」
「あ、天彦さん…ふみやさん具合悪いから後でにしましょう?」
「いいえ、今言わせてもらいます。今日は偶々大瀬さんが気付いてくれたからよかったものの…吐瀉物が喉に詰まって危険な状態に陥ることもあるんです。もっと僕たちを頼ってもらわないと…」
そこまで言いかけて天彦はギョッとして止める、ふみやが泣いていた。ぽろぽろと大粒の涙がゆっくりと頬を伝っている。依央利と大瀬は困惑してあわあわとし、天彦は言い過ぎちゃったかもとオロオロしながらハンカチでふみやの涙を拭った。
「すみません、天彦が言い過ぎました!怒ってないんですよ、ただ心配のあまりつい感情的になってしまったというか…」
「ごめん…」
「え?」
「心配させてごめん、吐いてごめん…せっかく昨日たのしかったのに、台無しにしてごめん…」
嗚咽混じりで謝罪をするふみやを三人は黙って見ることしかできなかった。
「依央利が朝から準備してくれてたのに、料理もケーキもおいしかったのに、みんなたのしそうで、おれもたのしかったのに、こんなことで台無しにして、ごめん…」
依央利が時間をかけて準備してくれたものを自分は無駄にしてしまった。鼻の奥に残る甘ったるい匂いが罪悪感を増長させる。さっきふみやの不調に気付けなかったことを謝らせてしまった、依央利は何も悪くないのに。大瀬と天彦にも心配させて迷惑をかけてしまった。今朝起きてリビングに集まったときに昨日は楽しかったね、と大瀬と天彦も笑っていたのに二人に暗い顔をさせてしまった。自分が体調を崩したせいでみんなの楽しかった気持ちを台無しにしてしまった。ふみやの頭はそんな思いでぐちゃぐちゃになっていた。
「ふみやさん落ち着いて、誰もふみやさんが台無しにしたなんて思っていませんよ」
「え…?」
気がつくと天彦がふみやの手を優しく握っていた。優しさを帯びた水色の瞳と目が合う。
「パーティとっても楽しかったです。でもふみやさんが辛いのを我慢していたことに気付かず自分だけ楽しんでいたのなら天彦は自分が許せません」
「そんなことないよ、俺も楽しかった。楽しすぎて自分が具合悪いのに気付けなかっただけ」
「そんなに楽しかったんですか?」
「うん、楽しかった。依央利の料理もケーキも美味しかった」
「じゃあ、今度はもっと美味しいの作らないとね!」
依央利がすかさず反応した。
「依央利またケーキ作ってくれる」
「もちろん!一個に限らず二個も三個もふみやさんが望む数だけ何個でも作るよ!」
依央利の嬉しそうな声に釣られて顔を見ると頑張るぞぉ、とイキイキとした表情を浮かべて「次はお正月かな〜」と鼻歌を歌いながら呟いていた。ふみやは今日やっと依央利の顔をまともに見ることができた気がした。イキイキとした依央利の後ろから大瀬が「あの…」とおずおずと顔を出した。
「自分もパーティ楽しかったです…みなさんと一緒にクリスマスのお祝いができて。だから、次も皆さんと一緒に何かお祝いできたらいいなって…」
「うん、みんなでまたパーティしよう、楽しいやつ」
「へへっ…」
ふみやと大瀬が笑い合う様子に釣られて天彦と依央利も笑った。
三人からクリスマスパーティーが楽しかったことを確認できて安心したのかふみやはそのまま眠ってしまった。
「大晦日までに体調よくしてもらわないといけませんね」
「そうですね、全員で年越ししたいものです」
「それじゃあ気合い入れて栄養満点かつお腹に優しい奴隷特性うどんでも作ろうかな、材料と看病に必要なもの買いに行ってきます」
そう言って依央利は静かに部屋から出ていった。しばらくすると玄関のドアの開閉音と鍵が閉まる音がした。
「天彦はしばらくふみやさんの様子を見ていますが大瀬さんはいかがなさいますか?」
「自分も残ります…何もできないけど…」
「大瀬さんがいてくださったらふみやさんも起きたとき安心しますよ」
「そうでしょうか…」
自信なさげに返事をしながら大瀬はふみやを見つめる。さっきよりも幾分か落ち着いたようだが熱で苦しそうなのは変わらない。熱を帯びた額に手を当てると大瀬の冷たい手のひらが気持ちよかったのかふみやの表情が少し軽くなったような気がした。その様子を見ていた天彦は「早く元気になってほしいですね」と大瀬に微笑んだ。大瀬は控えめに頷きながらふみやの額をそっと撫でた。