マクラメは恋ひ侘ぶ。 凛子から「KKが蛇になった」と連絡が入り、どういう意味かと思い伊月兄妹が帰宅したら、本当にKKが蛇になっていた。
薄暗い仮眠室の端に、数枚重ねたタオルに包まれた白い鱗の生き物の尻尾がするすると動いていて、麻里が興味津々にタオルを捲ると、迷惑そうにつぶらな瞳を向けてきて赤く細い舌をちろりと伸ばす。
「本当にKKなの?」
凛子達にも散々同じこと聞かれてうんざりしているのか、白蛇はつんとそっぽを向いて長くて太い尻尾もタオルの中へと引っ込んでしまった。それにしても動物嫌いのKKにしては綺麗な蛇だ。
凛子が言うには贔屓にして貰っている依頼人の紹介で、井戸を埋め立て建設した施設が半年もしないうちに不幸続きでどうにかして欲しいと泣きつかれたらしい。
祀っていたのは蛇神。神主にお伺いも立てず儀式も執り行わず埋め立て。分かりきった無知な地主の末路だ。神とはいえ動物嫌いのKKは速攻でゴネたが今月のお家賃と光熱費請求書を見せ、それなら暁人に行かせると脅すとKKは観念して依頼された場所へ神主と共に向かった。
いくら自業自得とはいえ、金払いのいい依頼人を逃したくないのも本音だ。偽の同業者に捕まって下手に弄り回して変死者を増やすのも穢れを増やすのも面倒だ。
勝手に埋め立てられ社を壊され怒り狂った蛇神を鎮めるのはかなり時間を有した。神主が気絶寸前で漸く怒りを収めてくれたが、KKの動物嫌いに気付いて癪に触ったのか、隙を突かれて呪いを浴びてしまったという。
最初はなんともなかったが高い報酬を受け取り神主と別れアジトに到着した途端、服を残して本体が白蛇に変わってしまった。
蛇になった以外は霊障もなく、アジトや凛子達には影響はない。あくまでKKだけが対象らしい。KKにはとんだ災難だと言いながら貰った料金をすぐさま返済にもっていくあたり凛子も鬼だなと暁人は内心思った。
下手に強い蛇神を相手に解呪できる訳もなく。いつ呪いが解けるか分からない。KKが元に戻らねば、暁人だけで難易度の高い依頼は受けるのはまだ難しい。暫くは書類整理と現地調査だけに留まるだろう。
「題残る問題は、あいつの寝床だな」
アジトは(仮)動物を保護する設備はなく、危険なものも多いので此処に置いておくことは出来ない。とすれば白蛇KKが帰る場所は、伊月兄妹と共に暮らしているアパートだ。
クローゼットの奥から引っ張り出してきたダンボールにタオルを敷きつめ、暁人はそっぽを向く白蛇KKに一言かけるとそっと胴体を持ち上げた。
なかなかに重い。長さも相まって両手で抱えてもけっこうな重さで、真ん中につれて太さがある。伸ばしたら人間のKKと同じくらいだろうか。手のひらから感じるヒンヤリとした鱗の感触と、うねる胴体に本物の蛇だと緊張する。
「そういえば、蛇は何を食べるのかしら」
「さあ何だろう。鼠とか?」
何の気しない会話だった。スーパー寄ってお肉でも買おかなと思っていれば、腕に圧迫感。白蛇KKが暁人の腕に噛み付いているではないか。まさか聞こえていたのかと暁人は慌てる。笑っているのは凛子だけだ。
「言葉は喋れないが、理解はするみたいだぞ」
牙を立てないだけマシかなと思いながら、ササミを買ってあげると言うと、渋々納得したのか白蛇KKはするすると暁人の腕からダンボールの中へと潜って行った。
祓いの反動で白蛇になってしまったKK。重なったタオルに隠れている可愛さに写真撮られまくった後、自宅に帰ることに。するするとダンボールへ入っていく姿はなんだか微笑ましい。
帰宅途中で問屋の猫又が暁人と麻里、そしてダンボールの中身を興味津々に覗いて白蛇KKと目が合って大騒ぎになったりしたがそれ以外は何事もなく帰宅。
帰路につきながらネットで蛇の生態を調べると(普通の蛇ではないから当てはまるかは定かではないが)蛇は暗い所を好み寒がりで、臆病だという。事務所で珍しげに囲いこんで写真を撮ったのは悪いことをしてしまった。
KKの自室に慎重にダンボールを置き、距離を置いて待つと、にゅっ、と眠っていた白蛇KKが出てきた。自分の部屋の匂いにすぐさまベッドの布団に滑り込んで暁人と麻里はホッとした。
夕方に茹でたササミを持ってきても布団から出てこなかったけれど、数時間後に見に行ったら茹でササミは無くなっていた。潜り込んだ布団の上に潰れないように気をつけながらタオルを包み込むように重ねて、明日まで様子を見ようと二人は自室へと戻った。
早朝、カーテンから零れる朝日の柔らかい眩しさを感じながら、暁人はなんだか身体が窮屈を覚えた。寝ぼけながら身動ぎ仕様にも、何か太いもので拘束されたように動かない。
んん?とそれに手を這わすと、ひんやりしていた。何かを手にしながら寝落ちでもしたのだろうかと更に手探りすると、その表面は鱗状になっていた。ずっしりと重いそれは僅かに中身が脈打って、暁人の胴体に巻きついている。まるで巨大な蛇に巻き付かれているような。
「蛇?」
昨日の出来事を思い出して暁人君は飛び起きる。布団を剥ぎ取ると暁人は一瞬凍りつく。白い鱗に覆われた長い胴体。暁人の脹ら脛から腰、胸へと髑髏を巻いて巻きついて、枕元には満足気に寝ている白蛇もといKKがいた。
「お兄ちゃんおは、よ、」
朝の兄の家事の音で目が覚めた麻里は、台所で朝食を作っているであろう背中に挨拶をしようとして驚いて止まった。
ご機嫌よく鼻歌を口遊ながら朝食を作っているのだが、背中が異様に分厚かった。仕舞いにはシャツの襟元から飛び出てきた白蛇の頭に麻里は言葉を失う。悲鳴をあげるところだった。よく見たら胴体にも巻きついているらしく兄は重くはないのだろうか。寝てる子犬を背負ってるみたいで可愛い気もする。
「寒かったのか夜中に潜り込んできてさ。変な夢見ちゃった」
夢でラブハチの着ぐるみ姿のKKがドリルで頭突きして抱き着いてきたらしい。言い得て妙だが、目の前で巻き付かれながら朝食を食べる兄の寛容さに何も言えなくなる。これも愛ゆえか。
「お昼前には戻ってくるから、誰か来てもドア開けちゃダメだよKK」
白蛇に留守番を頼む光景もシュールだが、それを理解しているのか軽く頷いて舌をちろちろと揺らす様もなんとも言えない。
祟り屋が店を構える駅地下の薬局に赴き、KKが白蛇になったといっても信じて貰えず撮った写真を見せたら、せっかく砂糖を山盛りに入れた珈琲を吹き出して爆笑しだした。ここに来る前に訪れた宮司さんも笑いを堪えて同情をされた。
「か、神様の、戯れだから、ひひッ、ほっといても、ふ、ぐふっ、元に戻るよあははははは、はあ、ベビーカステラ食べる?」
「いりません」
「ペット用品あるよ。中古だけど」
「それ事件現場の証拠品とかじゃないですよね」
「これじゃあイチャつけないね」
「しませんよ」
「卵丸呑みした?」
「してません」
「脱皮したら売ってね。白蛇ご利益で高く買い取るよ」
「それはちょっと、考えます…」
蛇の交尾動画を見せようとしてくるし散々からかわれるだけからかわれて、ろくな仕事の話もせず暁人は薬局をあとにした。
事務所に顔出してKKの容態を伝え、調査資料を整理し明日の現地調査は延期にしてもらった。三人分の昼食を作りKKの様子を見にマンションへ帰宅。
「ただいまー、KK?」
今は返事は出来ないと分かってはいるが、やはり家族が家に居るということは安堵する。特にいまはKKはあんな状態だ。音を立てずKKの自室を覗くと、僅かに尻尾が布団から出ていた。
起こすのも悪いと思い、KKは干していた洗濯物を回収し居間で片付けの作業を始めた。暫くすると、小さな開閉音と共にズルズルと引きずる音が近付いてくる。肩越しに振り返ると、KKが居た。頭をもたげて赤い舌をちろりと出した。
「ただいまKK、お腹すいてる?」
それには答えず、白蛇KKは近付き暁人の膝の上に乗ってきた。とぐろを巻いても零れ落ちる長く太い尾。それでも暁人にくっつきたいらしく素直なのかそうじゃないのか暁人は笑った。
肩に頭を乗せて暁人に身を任せている。おそるおそる撫でると低体温の冷たさと鱗の滑りが心地よい。どう反応するのか気になって後頭部から顎へと優しく撫でると白蛇は気持ちよさそうに赤い目を此方に向けていた。
なんだか可愛らしくて、暁人は目の前にある白蛇に口付けをした。唇のないつるりとした感触。口吸いを止めて離れると、白蛇は赤い眼を限界まで開いて固まっていた。なんだか可愛らしい中身はおっさんだけど。
「やっぱり、御伽噺みたいにはいかないね」
鼻の下あたりを頭突きしてきた。
KKが白蛇になって二日が経ったが未だ元に戻る兆しは見えない。祟り屋の居る薬局に連れていくと冗談だと分かっていても剥製にされそうで辞めた。尾上神社の宮司に話を聞いても今思い出す似た話は分からないという。
それ以上の霊障は見られないが仕事への支障は出始めている。廻る現場調査が増え分からないことも多々あり、無意識にKKのスマホに連絡を入れてしまいそうになる。
宮司から依頼の心霊写真調査を終え、よく会う猫又達にも白蛇の呪いについて聞いてみたが目新しい情報は得られなかった。
頼まれてた心霊写真の現場祓いも終えて事務所に戻ろうとした時、LINEの着信音が鳴った。麻里からで「祟り屋さん達が来てたよ」という文面で既に嫌な予感がした。送付されていた動画を見たくないがとりあえず再生させる。すぐに三人の怪しい黒ずくめ覆面の祟り屋が映った。辛うじて知り合いでなければ即通報案件で不穏すぎる。
「暁人君これみてるー?」
「白蛇ゲットだニョロ」
「人間の時より可愛げがあるな」
麻里が撮った画面に映る祟り屋三人と、すでに散々に抵抗をしたのか白蛇KKがぐったりと三人に抱えられている。サファリハントごっこを楽しむ祟り屋に、キレた白蛇KKは最後の抵抗と言わんばかりに尾を三人の首に巻きついて絞め落とすところで動画は終わった。害はなさそうで安心した。
「知り合いの生き字引じい様に聞きましたが、役に立ちそうな話は聞けませんでした」
顔の広い猫又スナギモから教えて貰った、長く問屋を営む凄く長生きしているという年老いた猫又に聞いても収穫はなし。申し訳なさそうなスナギモを撫でたい。やはり蛇神の戯れなのかも知れない。
近くによってきた子猫達に報酬として買っておいたチュールを上げて撫でさせてもらっていると、とっくに夕方になってしまった。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
出迎えてくれた麻里に夕御飯の材料が入ったマイバックを渡すと、部屋にいるであろう白蛇KKの様子を見に行く。あのあとはずっと部屋で寝ていたという。
音を控えて扉を開け名を呼ぶと、ベッドの山になったブランケットがもぞもぞと動く。暁人の声に反応して頭をもたげゆらゆらと揺れる。歩み寄ってその滑らかな綺麗な鱗を堪能したくて近付こうとして突然、白蛇KKが若干強めに尾で暁人の手や腕を叩いてくる。
「え、ちょ、どうしたの、地味に痛いっ 」
噛み付いてきたりはしないが触れようとすると逃げる。声をかけてもガン無視。なにか白蛇KKを怒らせる事などしたのか。
白蛇KKは暁人というより、彼が着ている服に嫌悪感を示していた。もしやと思い裾に鼻を近づけさせると案の定、猫の毛が服についていて、恐らくは数匹と戯れた時についた匂いか。
暁人は慌てて浴室に向かい頭と身体を丁寧に荒い服を着替え、最近の白蛇KKのお気に入りのお醤油風味の茹でササミを持ち、日干ししたてのふわふわのタオルとお膝枕でご機嫌を取りに行った。
早朝、いつものように身体を這う冷たく太い胴体の軽い締めつけで目が覚める。気付いたらこうなっているので白蛇KKが寝ぼけて起きるまでは動けない。仰向けになった暁人の胸板のちょうど合間に挟まって頭を乗せて気持ちよさそうに寝ている。可愛らしくて笑ってしまうと身動ぎすると締め付けが少し強くなる。
膝から太腿へと太い胴体が這い回り、鱗の感触がこそばゆく締め付けられる度に、暁人から震えた息が漏れる。
KKが白蛇になる前から、忙しくて随分とご無沙汰だった。脇腹や胸、太腿を強弱つけて身体中を擦られ締め付けられる感覚にまるで交尾でもしているかのような錯覚に陥ってしまう。頭がそのこそばゆさと、蛇の冷たさとは真逆に自分の体の中から熱が湧き上がる禁欲的なそれが、怪異現象に慣れてきた暁人だがこればかりは悩みに悩むものだ。
こつんと白蛇KKの頭が暁人の頬に寄せられる。そっと起こさないように顎下あたりを抱えると、瞼のない開かれたままで白蛇KKが寝ている。ちょっと怖いけど、綺麗な眼だった。
ゆるい締めつけに促されたとでもいうのか、暁人は白蛇KKに口を寄せる。大きく裂けた口をなぞるように滑っていき、KKの髭の感触ではなく、独特な冷たく硬そうで柔らかい鱗が並ぶ感触は数式を紡ぐように掌に感じる。KKの低い声と厚い皮膚の掌が脳裏に浮かび恋しくて、下あたりの膨らんだ所に唇を寄せた途端、息が出来なくなるほどの締め付けが強くなった。
「あっ、」
一瞬、何が起こったのか暁人は分からなかった。息が詰まり、身動きが取れないほど白蛇KKに胴体を巻き付かれているのは分かる。しかし仰け反った首にひりつく様な痛みがあるのは何故だろうか。
明暗する視界に、焦点が合わない蛇眼が間近にある。蠢く肉が喉仏を圧迫している。舌でぬるりと喉仏をなぞられて背筋に悪寒が走る。いま、もしかして噛まれているのか。
「け、けえけえっ、」
首にめり込む独特の感触に、更に力を込められたので巻き付く胴体を剥がそうと力を入れ声を荒らげて名を呼ぶ。すると白蛇KKは起きたのか、自分が暁人の首に噛み付いている事に気付いてゆっくりと拘束を解くと、戸愚呂を巻きながらベッドを転げ落ち、右往左往してクローゼットに頭突きして隙間に潜り込んでしまった。胴体は長くて太いので、頭隠して尻隠さずの状態だが。
名前を呼んでも尾は反応しているのに出て来てくれない。軽く引っ張っても頑なに出てこない。噛まれた首に指を添えるとひりつく痛みが走る。
浴室に行って鏡で見ると、酷くはないが確かに噛まれた跡が出来ていた。血は薄く滲み、これをみて白蛇KKは動揺し隙間から出てこなくなったようだ。
「毒蛇じゃなくて良かった」
「いや安堵するとこじゃないから」
「そこ逆鱗だからね。反射で噛み付いたの」
「というか一緒に寝てるの?」
そうだと応えると祟り屋は若干引いていた。噛み跡はアウターでなんとか隠せたので麻里には見られなかったが、この三人には速攻バレてしまった。
白蛇KKは名前を呼んでも隙間から顔を出さず、茹でささみも食べなかったので麻里は心配していたが、流石に逆鱗とやらに触れて噛まれたとは言えなかった。
中身は人間であるKKとはいえ大きな蛇だ。構ってほしそうに膝の上に乗ってきたり、作業中に邪魔するように目の前で尾を揺らす様は可愛らしく思う。けれど、身体中に胴体を強めに巻きついてきて呼吸が苦しくなると怖くなる時もある。人間とは明らかに違う体温と肌と赤い眼、そして大きな口が開くと呑まれると感じる。
「もしかして怖くないの?」
砂糖をまぶしたベビーカステラを口に捩じ込まれて暁人はハッとする。あの苦しい締めつけを思い出して紅茶が喉を通らず、甘すぎるベビーカステラが喉に詰まる。
それでも祟り屋の質問に暁人は答えづらかった。怖くなった瞬間も確かにあるが何故だろう、普通のヘビではなくKKだからと信じているからなのか。
「戯れるのは程々にね」
噛み跡の他に、キツく残る鱗の跡を見透かされて暁人が顔を赤くすると、祟り屋は逆にからかうことは無かった。
「お兄ちゃん大変!KKさんが居ないの!」
熱が出て部屋で休んでいた暁人は、朝から麻里の慌てた声に叩き起される。茹でササミを持ってKKの部屋へ行くと居なかったと。
昨夜の出来事で相当落ち込んでいたので、麻里が声を掛けても白蛇KKは反応しないと思っていたがそれ以前にベッドの上に散乱したタオルの中はもぬけの殻だった。また壁の間にはまって出られなくなっのかと思ったが居ない。お風呂場で水を飲もうとして浴槽に落ちてもいない。
兄の部屋に居るのかと考えた視界の端で、開けた覚えのないベランダへと続く窓が僅かに開いていた。まさか、と麻里は真っ青になって暁人を叩き起したのだ。
昨夜、暁人は怪我を負って帰ってきた。現地調査で悪霊が現れ応戦し、普段なら深追いはしない筈なのにいつもなら止めてくれたKKが居なかったのが原因か。
血の気のない顔で廊下で倒れてしまった暁人。その場に居たのは白蛇KKだけ。何とかして胴体を暁人の身体に巻き付けて移動させようにも上手くいかず、タイミングよくスマホの着信が鳴り、口先で器用に通話ボタンを押すとスマホ越しからエドの声が響いた。
『暁人君、怪我の具合は?平気かい?』
エドの声に意識が朦朧とする暁人は応えようとするが、苦しげな呼吸しか出せず白蛇KKもどうすればいいのか分からない。
『自宅にいるの?ねえKK?そこにいる?暁人君?』
続いて凛子も声を出して二人の名を呼ぶ。白蛇kkは喋ることも出来ず文字を打つことも出来ない。以前エド達と遊びで考えたモールス信号のようなもので平仮名を尾で叩いて伝え、エドが気付いて急いで麻里にも連絡し、数十分後には駆け付けてくれた。
暁人は怪我を負い穢れが体内に入って高熱を出した。あの後は動揺した白蛇KKを麻里が気遣っていたが、反応すらしてくれなかった。
「僕が悪いんだ、無茶して怪我したから」
は、として麻里がテレビをつけて朝のニュースにチャンネルを切り替える。幸いにも近所で大蛇が現れたという事件は報道されていない。それこそニュースになる前に他住民が大騒ぎしている筈だ。
窓を開けてベランダから七階下を見ても、みな通勤通学で緩やかに歩いているだけだ。近くに林や生垣もあるし、朝日がまだ登りきらない早朝なら脱走が可能だったのかもしれない。
「あたし、凛子さん達に連絡してくる」
制服姿だが休む気でいるらしい。流石にそれは駄目なので連絡だけ頼むと、麻里は納得いかない顔をしていた。
白蛇KKが今頃何処に居るのか分からない。動物園に保護される可能性もある。まさか殺されるなんてことは麻里には言えなかった。
凛子達に連絡をすると、こちらにも大蛇出現のニュースは流れていないとのこと。明るい時間に蛇のままでは遠くには行けないはず。
同じく休むと言い出す迎えに来た絵梨花と一緒に二人を無理やり送り出すと、暁人は祟り屋に連絡をとった。ワンコールで直ぐに繋がってやけにご機嫌な声が響く。
『白蛇の抜け殻売る気になった?いやあ今月さ馬で五万負けちゃって困ってたんだよ』
「KKを売り飛ばす気ですか?」
『まさかのマジレス。えもしかして怒ってる?』
「KKの綺麗な鱗ひとつでも欠けてたら店燃やす」
『待って待って話が見えないけど謝るから一回話聞いて暁人君なにかあったの?白蛇がどうかしたの? 』
祟り屋に捕まり賭博の借金に競売に掛けられ、怪しい金持ちに売られてペットとして飼われ綺麗な鱗を汚い手で撫でられてあんな事やこんなことをされるとこまで想像し、祟り屋の店を爆破させる計画まで練った時、カーテンが勢いよく靡いた。
「あきとさーーーーーん!」
聞き覚えのある声と共に暁人の視界が塞がる。柔らかく暖かい毛並みが顔を覆う。それをむしり取ると、窓からやってきたのは茶トラの猫又スナギモだった。大きな猫眼に涙を溜めて暁人に助けを求めに来たようだ。しかし今は猫又に構っている場合ではなかった。チュールでもあげて帰ってもらおうかと考えていたら、スナギモから思わぬ言葉が出てきた。
「あの、白蛇が、大変なんです!」
人間が打ち捨てた褪せたシャッター街の奥、人ならざる者たちが集う怪しい繁華街はいつもより騒がしかった。凛子達と合流し猫又スナギモの揺れる尾を追いかけいくと、騒がしい中心にたどり着いた。
マレビトや妖達に詰め寄られていたのは猫又達だった。中央には三毛の猫又ちょちくと、ハチワレの猫又サバゲーもいる。両手を広げ、自分達よりも何倍も大きい妖達から何かを必死に守っていた。
『ソレを喰わセろ』
「だめなんですよ~」
『クワセロ』
「食べちゃだめなんですよ」
『喰ワセロ』
「だめです~」
巨体に能面を被った獣の様な妖に心底怯えながらも抵抗している。猫又達は奥にあるものを身体を張って守っていた。よく見ると白蛇KKだったのだ。
猫又スナギモに聞けば、早朝に三匹で散歩していたら白蛇KKと遭遇したらしい。猫又ちょちくとは面識があったので大騒ぎにはならなかったが、妖達から見たら白蛇KKは格好の餌食だ。他の猫又達も協力し、スナギモが暁人達を連れてくるまでギリギリ保っていたようだ。
「KK!」
暁人達が声を上げると、マレビトや妖達は祓われるのを恐れ蜘蛛の子を散らすように消えていった。猫又達もホッとしたのも束の間、ぞろりと大きな影が現れたのには直ぐに気付けなかった。
大きな影に弾かれ猫又達が鳴き声を上げて転がってゆく。数本の爪で白蛇KKをつまみ上げるのは、廃神社を追われた獣のような穢神だ。能面のような目を細めて笑い、白蛇KKを噛み砕こうと大きな口を開ける。
風を切る音と共に矢が穢神の頬を貫く。痺札を持つ凛子と、改造閃光弾を持つデイルの視線の先で、目の据わった暁人が既に弓を放った後だった。
「KKを返せ」
しかし矢の威力は弱かったのか穢神はケタケタと笑うだけで、白蛇KKを抱いて背を向けようとする。
そうはさせるかと暁人と凛子が前方に出て攻撃をしようにも、穢神の身体から飛び出た無数の手足が呪符と矢を弾く。暴れる手足が温厚な妖を巻き込み、猫又達の店を破壊していて辺りは騒然となる。繁華街の奥の闇に紛れてしまったら救え出せない。穢神の手の中でぐったりとする白蛇KKに弓を放つ手元が狂いそうになる。
遠くからリズミカルで重い音が近付いてくる。祟り屋と共に、事態を聞きつけた猫又元締がふくよかな腹を揺らせて現れた。巨体に似合わず高く跳躍し「昇竜拳」と祟り屋が叫んだと同時に裏猫パンチが炸裂。穢神の手足に囚われていた猫又達と妖を華麗に救い出す。猫又元締の背後を取った手足が襲いかかるのを、祟り屋が振り抜いた棒で打ち払う。白蛇KKを食べようとした大きな口は喉元を三本の矢が貫いた。
店を滅茶苦茶に荒らされた現状に、猫又元締は毛を逆立て細い眼が怒りにカッ開く。大切な店と従業員を体を張って守る姿は、巨体に見合う元締という名に相応しい出で立ちだ。
「お客様とて許せぬ!」
叫びに呼応するように青い火玉が現れ、それを両前脚で波動拳の形を取り押し出すように放つと火玉は閃光になり穢神の身体を貫く。穢れた肉を焦がす音に穢神は痛みに叫ぶと、その拍子に白蛇KKを放り投げた。咄嗟に伸ばした暁人と凛子の手は届かない。放り投げられた白蛇KKをキャッチしたのは、ママチャリで華麗に某アニメ映画のような横滑りできた印の祟り屋だった。
祟り屋の腕の中でぐったりとする白蛇KKに走り寄る。外傷はない。瞼のない赤い眼は何処と無く弱々しい。冷たい鱗に触れると暁人の声に少しだけ反応した。
KKの性格のことだ、自分達にこれ以上迷惑をかけまいと自分で解決しようと動いた。脱走それこそ逆効果だというのに。あれだけ暁人にべったりだったのに、寂しがり屋の下手な気遣いに言いたいことは山ほどあるが、堪えて暁人はホッと息をついた。
「無事でよかった」
穢神に捕食される想像をしてしまい涙ぐむ暁人に白蛇KKはよろよろと顔を上げ、暁人に胴体を預ける。暁人は胴体を大事に抱え顔を埋めた。
上尾神社の宮司から手渡されたメモを頼りに電車で一時間、暁人は地方に訪れていた。数日前にKKが依頼で訪れた場所へ赴くためだ。
あれからずっと眠っている白蛇KKを麻里と絵梨花と凛子に任せ、暁人は単身で電車に乗って来たというわけだ。
駅から出ると一人の宮司が話しかけてきた。上尾神社から連絡を受けて暁人を迎えに来たのは、KKに蛇神が住む井戸の依頼をした人だった。
あれから呪われていた施設はちゃんと正式に井戸は封じ、地鎮祭も執り行われ、いまは持ち主も善い人に変わりトラブルもなく運営できて賑わいを見せているという。
「山の麓に、湧き水が御座います」
そこが本来の蛇神の住処で、異変があるとすればそこしかないと言う。地図でその湧き水への場所を確認していると、宮司が「お連れがすでに待っていますよ」と言い出した。知り合いはこの地方にいないと返そうとして暁人は直ぐに予想がついた。
「やあ、暁人君遅かったね」
軽快なクラクションが鳴り響き、そこへ視線を向けると駐車場に古くて怪しいハイエース車が一台。運転席から手を振る、道の駅で買い漁った大量の土産品を後部座席に押し込んでいたのは祟り屋だった。
古いハイエースの扉には「クスリのタタリ屋」とロゴが描かれている。社用車らしい。覆面三人組なので怪しいのは変わらないが。扉を開かれて手招かれ、暁人は仕方なく乗り込んだ。
革張りの椅子もボロボロで、足元を転がる瓶の音。山なりに続く車道を走りながら祟り屋が説明してくる。
「そもそも戯れで呪うには強すぎるんだよね」
「彼の力も強いから一日で解けると思ったんだけど」
道の駅名物の川魚の塩焼きを頬張りながら、湧き水に住む蛇神の資料を読み解いている。呪い自体はそこまで強くはなく、なんらかの条件を満たさないと人間に戻らないという。原因である住処へ行くしか道はなかったのだ。
車で行ける山道まで走っていき、そこから歩きで湧き水へ向かう。整備された綺麗な山道だった。木々から漏れる陽光も風も心地よく、昔は観光名所だったのか古い看板もいくつかある。後ろに続く宮司が何故か怪訝な顔をしていた。
湧き水がある場所は遠くはなかった。長い間放置されていたにも関わらずゴミもなくて荒されておらず、湧き水が陽光にキラキラと反射して、エーテルの煌めきに似ていて此処が蛇神の住処だと納得する。しかし宮司だけは驚いていた。
「そんな、三日前に来たときは此処まで…」
聞けば、井戸を無視して施設が建て始めた時から地元の人も近づかないほど水が淀んでいたらしい。KKに依頼したのは井戸の浄化だけだったらしく、湧き水がここまで綺麗になるのは予想外だったと。
「暁人君」
祟り屋に呼ばれ、指さした方に視線を向ける。小さな洞窟から清らかな水が流れてくる足場になっているところで、こちらを見つめてくる半透明の小さな蛇がいた。蛇もキラキラとエーテルを纏っていて、機嫌よく尾で水を弾いている。どうやらあの蛇がこの湧き水の主のようだ。
KKに浄化されすっかり小さくなった蛇は首を伸ばしてコツコツとひとつの岩を小突いてから、洞窟の奥へと消えていった。暁人はその岩をひっくり返して泥をかき出すと、葉で何枚も包まれた得体のしれない物が出てきた。
それを祟り屋にみせると、なにを思ったのか葉の中身を剥がし、覆面をずらして匂いを嗅いでから齧ったではないか。暁人と宮司は言葉を失う。得体のしれない赤い色をしているそれを咀嚼してから、何が分かったのかすぐに東京に帰ると言い出した。
「これを彼に食べさせないと、人間には戻らないようだ」