「レオン、聞いてる?」
蛇に睨まれた蛙、猫に対峙した鼠、ご主人様に叱られるしもべ。
「全然だめ」
「申し訳ございません」
「わたしの執事なら、もっとわかるでしょう?」
知っている顔と調査に行くためにご主人様は普段からは想像もつかないほど艶やかな黒いドレスを身に纏っていた。背中を大胆に露出し、白い腿がスリットからちらりと見えるその姿はまさに財閥を背負う者の佇まいだ。そんなご主人様の足元を彩るための靴選びを、失敗してしまった。ご主人様の顔は晴れず、脚は未だ裸足のまま宙を彷徨っている。
「すぐに用意いたします、五分程――」
「なぁに?それとも、レオンはまだお父さんの執事なの?」
真紅のペディキュアがつやつやと煌めく。ご機嫌斜めなご主人様は、跪くしもべの肩をフットレストに選んだようだった。
「そんなことはございません!私はノア様の執事でございます」
「そーお?」
わかる。また失敗した。否定が遅かった。間を挟んでしまった。人らしい動揺を見せてしまった。ご主人様の猫のような瞳が哀れなカメレオンを捉えた。
「わかってるじゃん、否定が遅れたって」
上げられない視線。視界の端でふわふわと脚が揺れる。上から、何かをタップしているだろうカツカツとした音。
「レオン、わたしのレオン」
「はい」
「靴はこれが良いな」
「承知いたしました。あなたのレオンがすぐに用意いたします」
顔を上げた先、満足そうに笑うご主人様がいた。
○
「っていう、経緯です」
「……お前も、流石は財閥令嬢といったところか」
「褒めてると思って良いですか?」
この街で最も優雅にレディをエスコートできる男と言っても過言ではないだろう男と、この街で最もじゃじゃ馬男共の手綱を預かっている女の二人組は資産家が主催する"ちょっとしたパーティ"に参加していた。目当ては資産家の娘。
「そうだな、レディ。さて、ここからは密やかに行くぞ」
「はい。お任せしますね」
宗雲は思う。この女、普段は無害そうな顔をしているが偶に酷く歪んだ顔を見せると。人間誰しも綺麗なだけでは生きていけない。それは財閥の中で生きるノアも例外ではないどころか、常人よりもそう思うときがおそらく多い。そのような立場にあっても慣れぬ職務を全うしようとする姿は美しいと言えよう。ただ、その猫のような瞳が暗く光る瞬間があることに宗雲は薄ら気が付き始めている。
「探しているのはここの長女で合っているよな」
「はい。……ん?」
「何か?」
「匂います」
「知り合いの香りか何かか?」
「……レオンみたい」
「……執事がいるのか?」
視線をゆっくり動かし、首を回す。香りが濃くなる。
「罠か道標かのどちらかかと思うんです」
「罠だとしても、俺がいるのだから問題ない。向かおう――お手をどうぞ、レディ」
「ありがとうございます」
人気の少ない廊下を進む。白い壁にヒールの音が響く。普段は動きやすい格好ばかりしているのに、今日はダッシュどころか早歩きすらままならないような靴を履きこなしていた。二人で辿り着いた廊下の突き当たり、右手に曲がり階段、そして踊り場。
「ありましたね」
カオスワールドの扉がそこにあった。
「行きましょう」
「あぁ」
扉に踏み込む前、ノアはくるりと後ろを向いた。
「レオン、よくできました」
かつかつとよく響く音が聞こえなくなったその瞬間、ひとつ小さな安堵のため息が屋敷の空気を震わせた。