タイトルまだ決めてない〜!水曜日
昼間はあんなに暑くて夏の始まりを感じていたのに、部活から帰る時間になれば動かした体から吹き出した汗が夕方の風と共に体を冷やす。
大きな変化もない、いつもの帰り道。なんとなく空を見上げると橙色と紺色が混ざり合う中にぽっかりと薄く白っぽい月が大きくまんまるに浮かんでいる。
天体には興味のないジュンだが、今日は満月なのだろうか。普段見ない月の大きさに目を取られ綺麗だなんて思いながら、ひと気の少ない河川敷沿いにある寮に向かい足を進めていた。
「―――!!」
そんなゆったりとした帰路を楽しむ訳でもないジュンの耳に人の声が降りかかる。
何を言っているかまでは咄嗟で聞き取れなかったものの、大きな声なのにも関わらず声の主どころか野良猫も見当たらない。足を止め、改めてキョロキョロと辺りを見渡すが相変わらず目に見える範囲には自分しかおらず首を傾げながらも、再び美しい月を見上げると自分に向かって人が降ってきておりギョッと目を見開いた。
どうすればなんて考えている間にも落ちてくる人間に慌てて両手を広げたのだが、当然抱き止めることもできずに自分目掛けて落ちてきた人のようなものにぶつかりジュンは下敷きになってしまう。
自分の体に直接ぶつかってきた重さに息が詰まり、瞬間的に気を失いそうになってしまうが、それを許さないかのように目の前の人が声を上げた。
「痛いね!!!」
ハッとしてその人物の顔を見ると艶々とした若葉色の髪に爛々としたアメジストの瞳が月明かりに当てられ輝いている。眉を寄せた顔でさえ整って見えた。
中性的な顔立ちをしているが声と体型から考えると男性であろう人物に見惚れていると再び「あ!!」っと大きな声を上げるので、ジュンは現実に引き戻される。
「ない!」
キョロキョロと辺りを見渡す彼にジュンは声をかけた。
「どうしました? というより怪我とかしてないです?」
「ない! 羽織りがないね!」
「羽織りぃ〜?」
なんだそれと思いながらもいまだに自分の上に乗ったままの男のせいで動けないジュンは首だけを動かし辺りを見るが何かが落ちているようには見えなかった。
「あれがないと家に帰れないね!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
「こんな状況で落ち着いてられないね!」
「いや、それはそうですけど」
自分だって突然空から人が降ってきて心臓が痛いほど跳ねているというのに、同じ状況にいる彼だって慌てているだろう。
やっとジュンの上から退いた男はうろうろと辺りを見て回る。
「ほらほら!! きみもいつまでそこに座ってるの!? 早く立ってぼくの羽織りを探して欲しいね!」
「えー? 急に言われても……」
そうぼやきながらも立ち上がるジュンは通学鞄とラケットケースを肩に掛け直して辺りを探して回る。
「どんな羽織りなんすか?」
「ぼくの髪色みたいに鮮やかな若草色に夕日を模したようなオレンジ色の羽織りだね!」
「ずいぶんと派手なんすね」
それほど目立つような色ならすぐに見つかりそうなもんだと少しだけ中腰になったジュンはアスファルトを見るが、当然ながらそんなものは見当たらず適当なところで諦めて「ないですね」なんて言ってみせた。
「ないから困ってるの!」
ムッとした顔をジュンに向ける彼だが、日は暮れていくばかりでどうしよもない。
「あー……とりあえずオレの寮に来ます? あんた悪い人じゃ無さそうですし今一人部屋なんで……?」
***
「ははっ、狭いね! ぼくが飼ってるペットの部屋より狭いね!!」
「ちょ、静かにしてくださいよ。他の人にバレるとマズいんで」
部外者を部屋に入れるのは当然ながら学校側から禁止されている。細心の注意を払って自室に上げたのに彼はどうやら口を開くと大きな声が出るらしい。
キョロキョロと辺りを物珍しそうに見て回ったかと思えば楽しそうにソファーへ座る。いわゆる金持ちという人なのだろうか。平均的な寮の内装を笑う彼は自分と違った生活を送っているらしい。
「そういえばあんた名前は? どこから来たんですか?」
「名前を聞くときはまず自分から名乗る。常識だね」
今だに部屋に置いている家具が気になるのか首を動かして見ているが、ソファーに座る姿勢は正しく、発言もしっかりとしたこの人に少しだけ不思議な人だとジュンは思った。
「あ、すんません。オレ、漣ジュンっていいます。……ええとぉ」
「うんうん。ぼくは巴日和。月から来たね」
「マジで言ってんすか?」
空から降ってきたように見えたが本当なのだろうか。確かに彼が落ちてきた周りに高い建物はなかったし、月から来たと考えるのが自然なのだろうかと頭をもたげながら、なんとか状況を理解し飲み込もうとするジュンに日和はにこにこと笑顔を向ける。
「えと、月から来たってことは月に家があるんですよね?」
「そうだね」
「どうやって帰るんですか?」
その言葉に日和は目をまんまるにさせた後に少しだけ眉間にシワが寄った。何かマズいことでも言ってしまったのだろうかと、目の合ったジュンは体が固まってしまう。
「ジュンくん話聞いてた? ぼく、さっき羽織りがないと帰れないって言ったよね?」
ああ、そういえば慌てて地面を見てまわっていた時にそんなことを言っていた気もすると朧げな記憶を蘇らせる。
「あー……そうでしたね。どうするんですか?」
「もちろん月に帰るね!」
「帰れるんすか?」
羽織りがないと帰れないと言っていたのに帰るという日和に当然ながら帰る手段があるのかと疑問に思う。
「地球の人たちって遠くにいる人に連絡取るのって難しいの?」
不便だね、なんて言いながら日和はズボンのポケットから手のひらサイズの板状の物を取り出した。
「スマホ持ってんすね」
「スマホ? ジュンくんはこれをスマホって言うんだね」
そう言いながら端末を操作すると通話を始める。
「うんうん!ぼくだね!……ごめんね、心配かけて。うん。ぼくは大丈夫だから迎えに来て欲しいって言っておいて。うん、凪砂くんも心配しないで。え、茨に変わるの?」
先ほどまでのツンツンとした大きい声から優しい声色で語りかけるように話始めるのを聞くと、相手は親族や親しい関係なのだろうか。
「……あ、茨? 早く迎えに来て欲しいね! ……え。そんなにかかるの!?」
何か出来るわけでもないジュンは日和が通話を終わるのを自分の家なのにも関わらず立ったままで聞いている。
「はぁ。まぁ、ぼくが羽織りを無くしたのが悪いし仕方ないね。……うん? その間?」
「大丈夫! その間はジュンくんの家にいるからね! だから早めに迎えに来て欲しいね!」
おそらく相手が叫ぶように何かを言っているのが電話越しにノイズとして聞こえるが、日和はそれに構わずぶつりと電話を切った。
「え。ここに住むんすか?」
自分に相談なしで決まった事に呆然とするジュンに日和は太陽のような笑顔を見せて微笑む。
「うん。だって仕方ないよね? 事情を知ってるのはジュンくんだけだし今更、住まわせてくれる人なんて探せないよね」
それは本当に彼の言うとおりなのだが、どうしてという疑問や何から話をすればいいのか分からないジュンはパクパクと口を開いては閉じ、言葉を発せられずにいた。
「ふふっ、これからよろしくね。ジュンくん」
木曜日
「ねぇ、ジュンくんどこ行くの」
朝の時間はなぜだかいつもと流れる時間は同じなのにそれが二倍にも三倍にも短く感じるほどに忙しい。
「学校っすよ。アンタはここで大人しく待っててくださいね。寮の管理人に見られでもしたらどうなるか分かんねぇんで」
バタバタとユニットバスと部屋を行き来するジュンは制服のシャツを整えながら日和を視界にも留めずそう話す。
ベッドと勉強机しかない部屋から見える玄関。その横にある狭いキッチンにユニットバスを忙しなく往復するジュンを邪魔しないようにと机とセットの硬い椅子に腰掛けて彼の様子を見る日和。
「そんなに忙しそうにするなら朝の準備は夜にやるべきだね」
「それはアンタが昨日急に現れるからでしょーが」
そうだ。昨日の夜は大変ったのだとジュンはため息を吐いた。
夕飯を出せば「まぁまぁだね!」とか言いつつ完食。その後、風呂に入れば浴室が狭いだのなんだの。ユニットバスだと言うのにシャワーカーテンもせずに体を洗ってトイレにまで水飛沫が飛ぶ始末。金持ちお貴族様な所作はあると思っていたが本当にここまで世間知らずとは恐れ入った。
そんなこんなで夜はベッドを占領されて自分は冬用の煎餅布団を敷いて床で寝るのだから体が痛いのなんの……。
再びため息を吐いたジュンに「朝からそんなため息ばかり吐いても楽しくないね」なんて呑気なことを言う。
「……そーっすね。とりあえずオレはもう出るんで」
「ぼくも行きたいね!」
「はぁ? どこに」
「ジュンくんの行ってる学校!」
「もー、無茶言わないでくださいよ。もう時間ないんで行きますよ」
玄関に置きっぱなしになっていたスクールバッグを肩にかけたジュンは履き慣れた革靴を履いて地面に軽くつま先を数度突く。
「あ、外には出ないでくださいよ。管理人に見つかりでもしたらオレ寮追い出されてお互い行く場所無くなりますんで」
いってきますと控えめに言ったジュンは玄関扉を閉めてガチャンと鍵をかけた。
ひとり取り残された日和は椅子から腰を上げ、ベランダから外を覗く。
外は通りに面していてジュンが通学する姿が見えるかもしれないと眺めていたのだが、案の定ジュンの青い髪が見えた。
少し駆け足な彼の後ろ姿を見ていたのだが、突然くるりと振り返り自分の部屋がある場所を見た。
心配して見上げたのだろうと思い笑顔で手を振る日和に対してジュンは眉を釣り上げて口をパクパクと大きく動かし何らかのジェスチャーを見せる。
強い身の振りにおそらく怒っているのだろうと察した日和は自分が何をしたのだとムッとしながらカーテンを閉めてやった。
***
学生寮から出ると、なんとなくあの人が心配になって自分の部屋のある場所を見上げてみた。表情までは見えないが手を振っている様子に家に帰れなくて傷心していないかと心配していたのだが杞憂だったようで安心した。しかしよく考えればバレたらどうするんだと思い「カーテンを閉めろ」と口とジェスチャーで伝えてみせた。
自分も彼の表情が分からないように、相手もこちらの表情もジェスチャーの意味も伝わらないんだろうなと思ったが何故かそれが上手く伝わり、日和は部屋のカーテンを閉めてその姿を消すのだった。
***
昼休み、ふとジュンの脳内に日和の事が頭をよぎる。いや、授業中も時折寮の管理人にバレてはいないかと彼の存在を思い出してはドキドキしているのだが。
家に置いてきてしまって良かったのか、今から早退して帰った方がいいのか、金品を取って逃げるような人ではなさそうだが。そもそも自分の家に売って金になるようなものは元よりないのだが。購買で購入した昼食を食べるために教室へ戻る途中でもんもんとひとり考え事をしていると廊下をすれ違った生徒の声がなんとなく耳に入った。
「正門で警備員と男の人が揉めてるらしい」
「あー、俺見たわ。俺らと同じ年齢の緑の髪のヤツ。不良には見えなかったけどなんなんだろうな」
どう考えたって思い当たる人物はひとりしかいない。そう理解した瞬間、ジュンは小走りで廊下から階段へ。そして早足で段差を駆け下りる。
なにやってるんだあの人は。そう悪態を吐いたところで現実はどうにもならない。せめても学校の警備員に怪しまれない嘘をつかねばと授業中でさえ回転しない頭でぐるぐると思考を巡らした。
***
「あんた何やってるんですか!」
「! ジュンくん!」
案の定、警備員二人に囲まれていた人物は自分が家に匿っている男で間違いなかった。
派手で目立つ見た目な上に本人の明るい堂々とした雰囲気を見間違えるはずがない。
「すんません! この人オレの親戚で!! たまたま近く来てたみたいで……!!」
雑な嘘で誤魔化されてくれているのかは分からず、警備員の表情を伺うのが怖かったジュンは日和の手首を握る。
「ちょ、ちょっと!?」
「ほんとうにすんません! 帰りますよおひいさん!」
「ねえ!? おひいさんってぼくのこと!?」
「そうですよ! いつもそう呼んでるじゃないですか!」
ずんずんと彼の腕を引き正門から逃げるように学園の外へ。すぐそばの通りの角を曲がって足を止めた。
なんとか周りには親戚、それに類する知人に見えただろうかと思うと心臓の鼓動は早く、部活で走り込みをした時よりもはっきりとドクドクと大きく脈打つ。
「ッ、あんたマジで何やってんすか! ってかそれオレの服っ!」
勝手にクローゼットを漁られたところでやましいモノは今のことろは入っていないのだが全く自由な人だと呆れる。
「だってジュンくんは出て行っちゃうし、テレビ?で見られるものは飽きちゃって面白くなかったし、暇だったから外に散歩しに行ったらジュンくんと同じ制服の子がいて……後ついてきちゃった! ここが地球の学校なんだね」
反省する様子もなくどこか興味が見え隠れしているように背の高いはずの日和は背伸びをしながら校舎を眺めては笑顔を見せる。
「決めた! ぼくもこの学校に登校するね!」
「はぁ? あんたさっきから何言ってんすか。無理ですよ。そんな簡単に転入? 転校? してくるなんて。というより月って学校とかあるんすか?」
“月”という知らない世界には一体何があるのか考え出すと少しSFチックで楽しくなってしまう自分に頭を振ってその邪念を振り払うジュンを無視して日和は月で使用されているらしい板状の通信機器を取り出し操作しはじめた。
「もちろんあるね。月では凪砂くんと一緒の学校に通学してるんだけどジュンくんの学校とはちょっと違うかもね」
そう言いながらポチポチと操作していた端末をさっさとポケットに日和は仕舞った。
「今日は仕方ないからもう帰るけどジュンくんも早く帰ってきて欲しいね! あ、晩御飯はテレビで見たキッシュってのを食べてみたいね!」
ピッとジュンの鼻先に指を刺した日和は上機嫌のまま踵を返して楽しげな背中を見せながらジュンの元を去っていく。
「……なんなんだあの人。というかキッシュってどんな食べ物なんすか」
そう思いながらジュンは少しだけ重い足取りで終わりかけの昼休みに傷心しながら校舎へと戻ってゆくのだった。
***
「戻りましたよー」
「おかえり! ジュンくんっ!」
やけに楽しそうに返事を返してくる日和に自分の気苦労も知らないでなんて呑気なんだと少しだけむっとしてしまうが、この明るさが彼の良いところなのだろうと思い直すことにして脱いだ靴を揃えて部屋のを方を見る。
「は、なんすか、それ」
「ふふん、ピッタリだよね。よく似合ってると思わない?」
目の前には全身鏡で自分と同じ学校の制服を纏う日和がいた。
「似合ってるっていてもこれうちの制服ですよね?」
「そうだね? あ、ジュンくんのじゃないからね? ちゃんと新品だからね!」
「いや、え。どうしたんですかこれ」
自分の何度も洗濯した使用感のあるシャツとは違うノリのついたより真白に近い日和の着ているシャツの腕の部分を摘まむ。
「だから言ったでしょ? 明日から同じ学校に通うって」
「いや、言ってましたけどそんな簡単に入学できるものでもないっつーか……」
呆れてものも言えないジュンは勉強机の近くに鞄を置きながら溜息を吐く。
「ふふん。ジュンくんったら頭が固いね。ぼくができるって言ったらできるの」
「はあ……」
反論するのも面倒で生返事を返すジュンに対して書類を渡す。
「これを読んでもまだ信じられない?」
制服が入っていたであろう段ボールの1番上に適当に置かれた紙には大きく入学許可証の文字。それに加えて自分の通う学校の名前に聞いたこともないが校長の名前、その他細々と書かれていた。
「マジなんすか」
「マジだね」
「あんた、どっかの国の貴族だったりします?」
「うーん、解釈によったらそうかもね?」
「というより本当に月から来たんですか?」
「来ているね。というよりまだその話するの? ジュンくんってば疑り深いんだね?」
くるくると狭い部屋のなかを回ってデスクチェアに座る日和は足を組みジュンの方を見た。
「ということで今日から正式にこの狭い家に住むことになるけどよろしくね。ジュンくん♪」
「オレ、本当に自分に巻き起こってることが理解できてないんですけど」
「そういう話は晩御飯食べてからでいいよね? はーあ、もうぼくお腹空いちゃったね! お腹と背中がくっつく前にジュンくんは早くぼくに夕飯作る!」
「……へーへー。分かりましたよ。たく、おひいさん今日はオムライスでいいですか?」
「それ」
「はい?」
ネクタイを緩めながら適当に返事するジュンの手を言葉で日和が静止させる。
「学校に遊びに行った時もそうだったけど、おひいさんってぼくのこと?」
「そうですよ。気に入らないならなんて呼べばいいですか」
「ふふん、別におひいさんで問題ないね。あまりあだ名で呼ばれることはないから新鮮でいいね」
「そーですか」
ふいとキッチンに向かうジュンの後ろをついてく日和は楽しそうだ。
「ところでジュンくん」
「何ですか」
「オムライスってなあに?」
***
夕食を食べ終えた日和はデスクチェアに腰をかけながらベッドの端に座るジュンに対して自分が月ではどういった生活を送っていたのか、どのようにしてジュンの通う学校に転入できたかという話を一通り説明し終えたところだった。
「で、そのイバラって人がおひいさんの入学の手配をしてくれたってことですか」
「そういうことになるね!」
そのイバラという人が日和に振り回されている光景をこの二日間で見てきた彼の態度を想像すると出会ったこともないのに彼のことを不憫に思ってしまった。
「おひいさん大丈夫なんすか?」
「うん?」
「あんたみたいなお貴族様、というか月の人が人間の学校についていけます?」
「わ! ジュンくんってば失礼! そもそも、地球の技術は月から来たものだって多いし、月と地球との交流は千年前から続いているってジュンくん知らないの? えっと、竹取物語って地球では言われてるのかな?」
誰かから聞いた話なのだろうか思い出すように目線を部屋のどこかへやりながら小首をかしげる日和にジュンは自分の知っている文献の始まりの言葉を口にする。
「今は昔ぃーとかってヤツですか?」
「そこまでは知らないね。そういう文献が残ってるってのを月にいるときに凪砂くんが言っていた気がするね」
「あれって本当の話だったんですか」
信じがたいという表情を隠しもせずに見せるジュンの唇はへの字に曲がる。
「まあ、そんな感じで月と地球は昔から縁があったわけだね。だから、ここにきても少し昔の文化だと思うことはあっても戸惑うことはないから学校でもジュンくんがぼくのことを心配してくれる必要はないね!」
「はあ、そうですか」
その話を聞いて素直に安心しましたとは言えないジュンだが、長々と自分の常識外の事を言われてもさっぱり理解できない事は目に見えていたのでこの話をさっさと終わらせることにしたのだった。
「さ、明日も早いんだし早くお風呂に入って寝てしまおうね!」
「そーっすね。授業中居眠りしてもダメですし」
ぱん、と手を一度叩いて区切りを付けた日和はにっこりと微笑むとさっさと椅子から立ち上がり浴室に向かっていった。
***
「ねぇ、おひいさん」
「なぁに?」
「オレ、そろそろ床で寝るのしんどいんですけど」
「えー? ぼくに床で寝ろって言うの?」
「オレがここの部屋の主人なんですけど!?」
「でも今日からは正式にぼくの部屋でもあるよね?」
「ぐぅ、そうかもしれねーですけど」
「じゃあ一緒に寝る?」
「はぁ? あんたいくら細いからってシングルベッドに男二人はつらいでしょうよ」
「だったらジュンくんは床だね。明日にでも茨におっきなベッド用意してもらおうね」
「いや、デカいベッド置いたら部屋が狭くなっちまうでしょーよ」
「もう! ジュンくんは小言ばっかり! 明日から早いんだしぼくはもう寝るね! おやすみっ!」
「はぁ、おやすみなさい」
金曜日
「おひいさーん、起きてください。学校遅刻しちまいますよ」
「ううーん、ちゃんと起きてるね」
もぞもぞと掛け布団を手繰り寄せて眉を顰める日和にため息を吐く。
「だったら早くベッドから出てきてくださいよ。転校初日からあんたも遅刻したくないでしょう?」
「分かってるね」
のそのそと起き上がりってゆっくりと脱衣所に向かう眠そうな顔に反してそのしゃんと伸びた背筋に変わった人だとその背中を眺めてジュンは思った。
「もーいつまで洗面所占拠してんすかぁ〜」
「だって前髪がおかしいんだもん」
「はぁ? 別に変じゃないでしょ」
脱衣所にある洗面台の鏡を占拠する日和の隙間からジュンは体を振ってなんとか自分の姿を映す。
「もージュンくんはわかってないね!? というよりジュンくんの方が前髪跳ねてるね!?」
少しだけ写ったジュンの姿に驚いた日和は振り返って彼の前髪に触れた。
「あんたがいつまでも鏡見てるからオレが髪セットできないどころか歯磨きもキッチンでしてるんですけど!?」
今まで寮ではひとり部屋だったジュンだが二人で過ごすとなるとこんなにも朝からバタバタするのだと知り友人たちのたまにする小言は本当だったのだと痛感した。初日からこんなにわいわいと騒がしいければいつか喧嘩をしてしまいそうだとも思う。
「って、もーなんですかぁ〜」
ジュンの前髪を濡らし、ドライヤーでブローをかける日和に少しだけむすっとしてしまうのだが、日和はそんな些細なことなど気にせずに前髪を作ってあげている。
「ぼくの隣を歩くんだからみっともない格好は許さないね」
「え? なんすか?」
ドライヤーの騒音にかき消されて相手の声が届かない。
「そんなみっともない格好してぼくの隣を歩かないで欲しいね!!!」
「うわ。うるさっ、へーへーそうですかそりゃあご迷惑をおかけ致します!」
「ふふん。その調子でぼくを崇めるといいね♪」
上機嫌になった日和はジュンの前髪に軽く触れた後にドライヤーのスイッチを切った。
「さ、ジュンくんの前髪もご機嫌になったしいい日和♪ はやく学校に行かなきゃ遅刻しちゃうね」
そう言って狭い脱衣所からジュンの間を縫ってするりと脱衣所から抜け出した日和は玄関へと向かう。
「ジュンくんもはやく来るといいね」
日和におかしなことをされていないかと心配になり鏡を見ていたジュンもその言葉をかけられ壁に取り付けられた脱衣所の照明スイッチを切った。
「ちょっとおひいさん? あんた学校に体ひとつで行くんすか? カバン忘れてますよ」
「カバン? ああ、そんなのもあったね?」
仕方がないと通学カバンを手渡しするために玄関まで持ってきてやるジュンなのだが日和は家を後にし、早々と寮の廊下の先の方へ足を進めている。
「ちょっとおひいさん!?」
カバンの中に入れっぱなしの鍵を慌てて取り出してさっさと鍵をかけると二人分のカバンを持ったジュンは駆け足で日和の方へ向い足を並べて学校へ向かうのだった。
***
「こんにちは! 巴日和だね。みんな仲良くして欲しいね」
なんて朗らかな声で学校の黒板前、クラス全員の視線を一身に浴びていることも気にせずに朗らかに挨拶する日和。担任の教師に指定された席は案の定同室のジュンの隣で学校での彼の世話も頼まれた。
「分からないことがあったら教えてね」
なんてわざとかと思うほどの笑顔でそう言った日和は自分の机をジュンの机の端とくっつけてた。ゴン、と鳴る机にジュンはこれから始まる授業の教科書を二人の中心に置く。日和には教えてね、なんて言われたけど校内での成績はどちらと言えば下の方なジュンが日和のサポートをできるわけでもなくサクサクと一限目が始まっては次の授業へと流れてゆく。
「ジュンくん、大丈夫?」
午後の授業ではついに机を寄せて日和に数学を教えてもらう始末。自分が情けなさ過ぎてチャイムが鳴り先生が教室を出た後に頭を抱えた。
「……あんた、賢いんですね」
だらりと上半身を体に寝そべらせたジュンは日和を見上げて少しだけ恨めしげにそう言う。
「何言ってるのジュンくん。こんなの基本だね! それよりもジュンくんのお馬鹿さん度合いにビックリしたね」
「いやーまぁ、テストでも学年で下から数えた方が早いっていうか……」
自虐っぽく笑って誤魔化して見せるジュンなのだが個人としては危機感を持っていないわけではなく結局、机に突っ伏してしまった。
「はぁ、将来が心配だね」
ため息を吐く日和はジュンのつむじを人差し指で押してやった。
「……オレもそう思います」
はぁ、と日和とはまた別のため息を吐くジュンは頭を日和の方へ向けて力なく笑ってみせる。
「まぁ、ぼくを助けてくれた恩もないことはないからもし本当に困ったら月においで。ペットとして養ってあげないこともないね」
「はは、じゃあオレもその時は月に移住させてもらいましょうかね」
月ってどんなところなんだろうと教室から見える青い空に薄ぼんやりと映る白い月を眺めてそう思っ