酷くぼんやりとした朝菊が喧嘩した後の小話。パブのカウンターの隅っこで。
泥酔してカウンターに突っ伏して頬を預けながら入り口の方を見てRadiohead のTrue Love Waitsを口ずさんでいるアーサーが見たい。愛しむ様な声なのに半分開いた目からずっと涙が流れ落ちてるやつ。
きっと珍しく喧嘩して飛び出してきちゃったんだね。きっついの何杯か飲み干した後そのまま動かなくなったと思ったら壊れたレコードみたいに歌い出すんだもの。
店主も従業員も着々と閉店準備を進めていて、従業員が看板しまいに出ていった後ろ姿を見送ったあたりで声が途切れるの。
「…恥ずかしいヤツだな」
そう言って店主が頼んでないエールを差し出してくれるから
「…そうだよ、俺は恥ずかしい位皮肉屋でプライド高い癖に臆病で今日の天気みたいに陰鬱な奴なんだ。…しょうがねぇだろ…っぅ…ぅ…きくぅ…」
ってぐずぐずしだすアーサー。
ドアベルの音が店内に響く。きっと先程出て行った従業員だろう。入り口から吹き込まれた風が脚元を一気に冷たくさせた。
飛び出した部屋に帰るにも、訪れていた最愛の人がもうそこには居ないかもしれない寒々しさを確認するのが怖くて出されたエールを一気に飲み干しグラスを握ったまま突っ伏して悲嘆に暮れていると
「…しょうがない人ですね」
と言ってふわりと柔らかい何かに包まれたから。
温かくて清潔な匂い。優しいトップの奥に仄かに感じる白檀の香り。
回らない頭でゆっくりと声のした方を振り仰ぐとそこにはこんな所に居る筈の無い菊が居て。
飛び出してきた時の険しかった眉は今は痕跡は無い。糾弾する様に鋭く心臓を射抜いた瞳も。
「ほら、アーサーさん。帰りましょう?」
掛けられたコート越しにぎゅっ、と加えられた力が、これが幻じゃ無いと教えてくれたから、思わず何度も呟いていた言葉が口を滑った。
「…Don't leave(離れないで)」
見下ろす眼が見開いて暫く思案したかと思えば、後悔に震える唇をきゅ、と冷たい指先に摘まれる。
「…その前に、言う事があるでしょう?」
「………I never knew what love was until I met you(お前に会うまで愛とは何か、知らなかったんだ)」
「ふふ、まぁ良いでしょう。マスター、お会計を」
「あぁ、いい、いい。鬱陶しい失恋ソングなんか歌う酔っ払いを引き取ってくれるってんなら俺が金払いてぇくらいだよ」
「あらまぁ。それはありがとうございます。次回は
お食事から伺わせて頂きますね」
「おぅ、ありがとよ」
促されるままにドアベルの音を背に店を出る。
覚束無い足でふらりとよろめくと腕を支えながら横に並んだ菊が覗き込んでくる。
その瞳が酷く優しげで。
「…あなた、いつもはあんなに良く回るお口を持っているのに、どうして私とは喧嘩も上手にできないんですか」
喧嘩。そうだ、ただのちょっとした喧嘩だ。今この瞬間もきっと、この星の数ほど無数にいる恋人達が繰り広げている様な、ただの喧嘩。
主張はしたい、しなければならない。
お前がほんの少しのきっかけで余所見なんてしてしまったらそれこそ耐えられないから。
そんな可能性、僅かな芽すらも残してやれない程度には俺は菊に対して狭量だ。
でも、傷つけたくは無い。
カッとなると言葉を選ばず己の優位性を示すよう口撃してしまう自分の性質をよく知っているから。
臆病な自分が顔を出す。
永遠に続くもの等どこにも無いから。大事にしたいんだ。思えば思う程。紡げない言葉が喉元に蟠る。長所だと思っていた俺の舌を欠点に変えてしまう程。
「はぁ。私達、上手に喧嘩する練習、しましょうね。悋気も大概にしないと。私だって覚えがないわけではありませんが──」
少ない街灯の下近付いたかと思うと掠めた口端。
目前に広がっている黒の虹彩が悪戯っぽい光を映す。
「貴方が心配のあまり何方かを悪し様に罵るたび、この美しいお口を他の誰かに汚されていく様で、歯痒い」
「………──っっっ!!!」
珍しく大胆な不意打ちと、言われた言葉の意味をゆっくりと咀嚼して導き出した答えに、何一つ根本的な解決などしてやいないのに沸々と込み上げたのは歓喜だ。
寒空の下、アルコールより覿面に熱を上げてくれた恋人の口元がに、と上がる。
「…くそっ、何だよ……っ…」
あぁ、今日はもう散々だ。闇雲に嫉妬して、諌められて口を飛び出そうだった雑言をぶつけられずに家を飛び出して、今の今まで捨てられるのを待つミルクを拭いた使い古しのRagの様な気分だったのに。もしかしたら二度とこの顔を見れないかもしれないだなんて悲愴感に打ちひしがれて。
未定の喪失に怯えていた俺を、そんな事、些細な事の様に隣で上機嫌に微笑むこいつがいるから。
「はぁ…俺の恋人は格好良いな…」
「あら。貴方の隣に居るんですもの。私が世界で二番目にかっこいいに決まってます」
と目元をほんのりと赤く色付かせながらそんな妄言をさも真実であるかの様に告げてくれるから。
先程口ずさんでいた悲しい歌にふと答えを出したくなって
「……子供は俺が産むよ」
と縋る様にその細い指を握った。
アーサーに泣きながら歌って欲しい曲を考えていたら、君との子供が欲しいみたいな英詞のやつが思い浮かんで、生物学的な事全部抜きにして子供に対する概念に飛んでいっちゃったんだけど…
(菊が子供を産んでもきっと菊は子を連れて俺を捨てる事ができるだろう。
でも、俺が産めば菊はきっと子も俺も捨てられない。)
みたいに考えそうだなぁ…。と思ってそっ閉じした。
何か今日は心のアーサーがジメッてるな…どうした…?チュッパ食うか…?あんまり考えすぎるなよ…?
嫉妬してそれを口に出しちゃったりして知人友人への悪口に菊ちゃが怒って反論した時、ああこれで見限られるかもしれないって相手の次の言葉を聞きたくなくて死にそうな気持ちで飛び出していくのはきっとアーサーの方。
丸めこめる舌は持っているけどそれを菊ちゃに使いたくは無くて狼狽えそうだし、アーサーは心の何処かでいつでも捨てられる可能性を考えていて上手に喧嘩できなさそうだなぁって。
まだ完璧な恋人像を捨てきれない時期なら尚更。
そういう意味では割と近年付き合いだしたならば菊ちゃんの方が別れはいずれ来るかもしれないけれどもそれはそれ、位の肝は座ってそうだなって小話でした。
(英語は適当翻訳なのでニュアンスで読んでくださいネ…)