The betrayal かつて、私を異常なまでに愛した男がいた。彼はその死の間際まで、いかに私を愛していたかを語り続けた。伏せられた瞳の意味にすら気づかぬまま。
「裏切りおったな。」
それが彼の最期の言葉だった。しかし、私にそのようなことを言われる覚えはない。私は彼の狂気じみた愛に応えたことなど、一度としてなかったのだから。
あの時、私は数百年ぶりに光を見た。最初に私を探り当てたのは、R博士だという。だが、私にはその記憶はない。気がついた時には、彼の研究室に運び込まれていた。博士は私にそっと物差しを添え、目を細めながら「二・一四メートル」と静かに呟いた。その声には、計測の正確さへの満足と、私を所有する喜びが入り混じっていた。
彼の手はナイロンの白手袋に包まれ、私を傷つけまいと慎重に動く。眼鏡の奥の瞳には知的な光が宿っていたが、それは次第に、熱を帯びていった。
美術館での日々は、さして退屈ではなかった。私と同じように美を宿すものたちがそこにはいた。昼は観客の前で泰然と佇み、夜は他の彫刻たちと静かに語らう。私はただそこに存在することで満たされていた。
だが、いつからだったか。彼の熱は狂気へと変貌を遂げていった。
彼は毎週金曜日、決まった時間に現れた。閉館間際の静寂の中、規則正しく革靴の音を響かせながら、迷うことなく私のもとへ向かってくる。そして、掲示された説明書きを指でなぞりながら、低く囁くのだ。
「これは君と私だけの秘密だよ」
その言葉が響くたび、私の内側には冷たい戦慄が走った。彼の瞳に映るのは崇拝ではなく、醜くおぞましいものだった。執着、狂愛、そして劣情。私は知っている。彼が私を眺めるたびに、私を語るたびに、その胸の内に何が渦巻いているのかを。
私の美は、枯れ始めの老人をも狂わせたのか。私の滑らかな陶器の肌、堅く結ばれたままの唇、それらが彼を破滅へと導いたのか。だが、私は一度として彼に微笑んだことはない。彼の愛に応じたこともない。ただそこに在るだけの私が彼を破滅させるとは、なんと皮肉なことだろう。
だからこそ、私が彼にできる唯一の抵抗は沈黙ではなかった。
ある日、私のもとに若き学者が訪れた。新たな研究のために私を調査したいと言う。彼の目はR博士のそれとは違っていた。敬意と純粋な探究心に満ちていた。
私はR博士を拒絶するために、その学者の眼差しを受け入れた。彼の手のひらに触れられることを許した。
それは博士が決して悟ることのないであろう、ささやかで、しかし確かな反抗だった。