声をあげて泣いてくれ ひぃ、ふぅ、みぃ。
さくりさくりと足元が沈んで、後ろを見るとまっしろな地面に足の大きさ分だけがかたどられて沈んでいる。足の形はふたつ。後ろに向けた首をもっとぐぐぐ、と捻る。と、相手がおおきな白い息を吐いてさくさくと歩いてきてくれた。まっしろい雪の中で褐色の肌はよく目立つ。にこりと笑えば相手はまたおおきく息を吐いた。鶴丸が捻っていた首を体ごとぐぐぐ、と正面にもどしてくれる。
「鶴、何をしている。俺がいるか確認したいなら反対側に体を捻れば済むだろう」
「? 大倶利伽羅が、どこかへいった」
「行っていない。ずっとお前の左側にいた。右に体を捻ったから見えなかっただけだ」
「そうなのか」
「ああ」
はて、そうだっただろうか? そうかもしれない。何せこの大倶利伽羅、と言う刀はなんでも知っていて鶴丸にたくさんのことを教えてくれるから。今度はいないと思ったら左をむいてみよう。首がちょっと変だ。ぶんぶんと首を振ってみる。違和感がなおらない。これが人の身というやつか。ああ、そうだった。たしか昨日は付喪神時代の癖で壁をすり抜けようとして頭をぶった。ぐわんぐわんするのが嫌だったからあれはもうやらないようにしないといけない。なんだかこの身を得てから覚えないといけないことが多い。
「どうした、鶴」
「首のところが変だ」
「痛めたのか。さっき無理矢理捻るからだ」
「いためる」
「痛むだろう、首」
「いたくはない。変なだけで」
「お前は痛覚、と言うか全ての感覚が鈍すぎるだけだ」
触るぞと言って、手袋をはずした大倶利伽羅が首の後ろをぐっぐっと押す。しばらくそのまま揉まれて、手が首からはなれた。もういいらしい。ぐるりと首を回してみる。おお、もう変じゃない!「すごいな!」と大倶利伽羅に抱きついて感謝の気持ちを伝えてみた。それでもなんだか足りない気がして近くにあるほっぺたに擦り寄るも、首根っこをつかまれて引きはがされる。
「ひどいじゃないか!」
「頬が冷たい。それにもう大分歩いただろう。一度部屋へ戻るぞ、風邪を引く」
「おれはさむくない」
「俺が寒いんだ。その分だと手も冷えて痛んでいるな」
「むぅ」
それは大倶利伽羅がさむがりなだけなんじゃないか。そんなことを考えていると大倶利伽羅がふわふわした布を首にかけてくれた。何だこれは、と聞く前に大倶利伽羅が落ち着く声で教えてくれる。どうしてわかるのだろう、と鶴丸が首をかしげたらこれもわかったのかまた大倶利伽羅がすこしだけ可笑しそうな声音で教えてくれた。
「お前は顔にぜんぶ出る」
そんなはずないだろう。――無いよな?
どうやらこの首にまく布は「まふらぁ」と言うらしい。鶴丸にぐるんと巻いてあまりを後ろでむすんでいた大倶利伽羅がこう言うさむい日につけるものだと。首に巻くだけであたたかくなるのだとか。そう言えば昔、人の子がつけていたのを見たような気もする。その頃はまふらぁなんて名ではなかったように思うが。あたたかい、のだろうか。首のすかすかする感じはなくなったから悪くはないけれど。
ところでこのまふらぁはどこからやってきたのか。鶴丸はまた首をかしげるもその答えは大倶利伽羅をみればすぐにわかった。彼のつけていたまふらぁがない。きっとさむいのだろうに、それでも鶴丸がさむくならないようにと自分のものを渡してしまえるのか、大倶利伽羅は。鶴丸はさむさを感じていないのだから自分で使ったままでも良かったのに。そう思えばなんだか体がぽかぽかしてきて、これが「あたたかい」なのかもしれないと鶴丸はやっとわかった気がした。
ふふ、と笑うと大倶利伽羅が鶴丸の左手首を掴んで離れのほうへと手を引く。大倶利伽羅の右手は手袋をつけていなかった。たぶんこれも、鶴丸が冷たさを感じないようにするためだ。さっき首に触れた時もきっと。じっと手首を見つめて引かれるまま雪を踏みしめる。ひぃ、ふぅ、みぃ。前を歩く大倶利伽羅が言う。
「お前はこうしていないとまたフラフラと雪で遊ぶ」
「雪はさわるととけて面白い! おどろきだ」
「次からはマフラーも厚手の手袋も付けろ。そうしたら遊んでいい」
「大倶利伽羅はついてくるか」
「少しだけならな」
「すこしだけ?」
「少しだけ。風邪を引くぞ」
刀なのに? と聞けば今は人の身だからな、と返される。なるほど、さむいと人の子は風邪をひくのか。風邪、つまり病気になる。――大倶利伽羅も?
「はっ! 大倶利伽羅、手首はなしてくれ」
「何だ、遊びたいのか? 今は我慢しろ」
「ちがう。大倶利伽羅がたいへんになる!」
わたた、と慌てて手をぶんぶん振り回すと大倶利伽羅が怪訝な顔で鶴丸を振り返った。さむがりの大倶利伽羅がまふらぁをしなかったら風邪になるんだぞ! なんでも知っているくせに大倶利伽羅はおっちょこちょいなところがある。これは鶴丸がしっかりみていないといけない。
「強いて言うならお前に抜け出される方が大変になる」
「ちがうあそばない、やくそくだ」
「はあ、わかった」
渋々、と言った雰囲気ではあるものの手首をつかんでいた手が離される。鶴丸は後ろで結ばれていたまふらぁを解くと大倶利伽羅の正面に移動し、ぎゅうっと抱きついて自分の首と大倶利伽羅の首にまわして結びなおした。これでよし、と満足して背中に手を回す。大倶利伽羅の肩に顎をのせているので表情は見えなかったが何だか驚いているようだ。
「どうだ、おどろいたか?」
「――驚いた」
「ふふん、そうだろ! もうこれで大倶利伽羅もさむくないし風邪もひかないぞ」
「俺の、心配をしたのか」
「しんぱい?」
ふ、と息を吐く音がした。笑ったのだろうか。なんとなくその顔が見てみたいなあと思うがそうしたらまふらぁが外れてしまう。ままならないものだ。大倶利伽羅の腕が鶴丸の背を軽くたたく。
「それで、この状態でどうやって帰るんだ」
「あ、」
けっきょく「気持ちは貰っておく」とは言ってくれたものの、まふらぁは鶴丸の首に巻きなおされてしまい。大倶利伽羅の首元はさむいまま、二振りで生活をおくっている離れへともどる。いいことをおもいついたと思ったのに。鶴丸はしおしおとした気分で前を歩く大倶利伽羅をみる。うーん、やっぱりさむそうだ。どうしてか、大倶利伽羅をみていると何かしてあげたい気持ちが当たり前みたいにわいてくる。これは大倶利伽羅が鶴丸にまふらぁを巻いてくれた気持ちとおなじだろうか。そうならいいのに、なんて不思議なことをぼうっと考えて「あっ!」と声を上げた。今度こそいいことをおもいついた。鶴丸の声にふりむいた大倶利伽羅の右手をぎゅう、と握る。さっき大倶利伽羅がにぎったのは手首だったけれど。きっとこっちの方があたたかい、気がする。お互いの黒くてうすい手袋は刀を持つにはちょうど良いがさむさをふせぐものでは無いようだった。だってこんなに穴だらけである。鶴丸なんて中指と薬指いがい全部そうなのでだめだめだ。それでも繋いだ手からあたたかいが伝わらないだろうか。
「大倶利伽羅、あったかいか?」
「……ああ」
大倶利伽羅はしずかに相槌をうつだけだったけれど、表情も声もやわらかかったので鶴丸はなんだかぽかぽかして、またぎゅうと手をにぎった。じわり、じわり、と大倶利伽羅の手から体温がつたわる。あたたかいな、と思った。雪を踏みしめて動かす足はつめたい、とも。さむいとは、こういうことか。
大倶利伽羅の両の手をあたためるために右へ左へせっせと移動し手をつなぐ。あきれるため息も笑いをふくんだものだからちっとも怖くなかった。
ガラリ、離れの引き戸を開け履物をぬぐ。つけっぱなしにしていた暖房で玄関も外より余程あたたかく、強ばっていた体がほぐれて力が抜けた。とたんに何だか動くのがめんどうになって、ぺちゃりとその場によこたわると大倶利伽羅がぐしゃぐしゃと鶴丸の髪をまぜてきた。
「疲れたか」
「うーん? 何だか、うごきたくなくなった」
「積もった雪の上を長時間歩くのは体力がいる。身体が重いとは思わないか」
「……そう、かもしれない」
ああ、うん。つかれたな。いつのまにか大倶利伽羅の手は鶴丸の髪をすくように動いていて、とろりと眠気がやってくる。それもまあ、かるく額をたたかれたことで覚めてしまったけれど。
しかたがないので大倶利伽羅につれられ、体をあたためるために二振りいっしょに風呂に入り肩まで湯船につかって百まで数える。ゆらゆらとお湯でゆがむ龍がみえる腕をつかまえて、やっと同じ温度になったことを確かめた。そうしたら今度は大倶利伽羅の方がねむそうにあくびをするので大きな音をわざとたててばしゃばしゃお湯で遊んでいたら、にゅっと伸びてきた手がこめかみをグリグリしてきたので理不尽だ! と抗議をしてみたり。途中からお湯で遊ぶほうに意識がむいてしまったわけではない。本当だ!
しかられた訳では無いけれど、その後はおとなしく数をかぞえて風呂からあがり、どらいやぁをしてもらってから二振りそろって昼間をした。風呂あがりというのはどうしてこんなに眠いのか。すこん、とねむりについて一時間ほど。鶴丸はぱっちりと覚めた目でいまだ穏やかにねむっている大倶利伽羅をながめた。すぅ、すぅ、とわずかな寝息だけがきこえる。この離れに来て一週間とすこし。ここは本当に静かだ。まるで、本丸に鶴丸と大倶利伽羅しかいないようにさえ感じてしまう。母屋はあれだけ誰かの気配がしていたのに。
しかしそれも不満ではない。だって他の誰もいなくとも、鶴丸のとなりには大倶利伽羅がいてくれるのだから。
鶴丸国永は顕現して三日目の昼には大倶利伽羅とともにこの離れにいた。それは決して客としてあつかわれているわけでも怪我などの療養目的でもなく、しいて言うならば軽い隔離と監視と、それから教育のためだ。鶴丸自身はとくべつ何かをしたと言う意識はなかったのだけれど、小さな主を守るように刀剣たちが鶴丸の前に立ちふさがり一振は刀に手を添えていたのだから何か良くないことをしてしまったのだろうことは、流石に理解できた。ちくちくとした空気の中では理由を聞くこともかなわず、ただ漠然と自分はここにいてはいけない存在なのだなと「欠陥」「危険」「新しく顕現」と言う言葉で理解した。この鶴丸はどうやらいらないらしい。他の「鶴丸国永」であればこんな風にはならなかったのだろうか。けわしい表情の刀剣たちをみて鶴丸はどうしたものか、とぼんやり考えてみる。周りも自分もざわざわと落ち着かなくてあまり考えもまとまらないが、唯一わかることと言えば鶴丸は要らなくて「鶴丸国永」は必要だと言うことだけだ。――なら、そうした方がいい。鶴丸が折れるかなにかすれば他が来る。幸い、鶴丸は折れることに特に抵抗もない。何せ顕現して二日とすこし、人の身を得ると言うのはおどろきばかりで楽しくはあったが、けれどそれだけだ。とくだんに執着しているわけでもないのだからまあ次の「鶴丸国永」が頑張ってくれるだろう。いらないものは捨てるべきだ。よし! そうと決まれば抵抗する意思はないとはやく伝えなければ。と、鶴丸が口を開いたときだ。知らずうつむいていたらしい鶴丸が顔を上げたその視界をさえぎるように、黒い背中があった。
「主、聞きたい事がある」
凛とした落ち着く声。栗色のはねた髪。黒い洋装に赤い腰布、腕からみえる肌は褐色。見覚えのない刀剣男士、そう思うのにどこか懐かしく感じるのはなぜだろうか。周囲のざわめく声が口々に目の前の彼であろう名を呼ぶ。おおくりから、と。だと言うのに、名を呼ぶ声が聞こえていないかのように、その刀はただ言葉をつむぐ。
「鶴丸は、俺が貰い受ける」
きれいな音だと思った。もっときいていたい。きみの顔を、このきれいな声をかたちづくる口を、瞳の色を、知りたいと。頭の中にはそれだけしかなかった。だから、周囲が怒りをしずめたことにもその理由にも気がつかないままゆっくりと鶴丸を振り返ったおおくりからに、ただ目を奪われていた。首元にある少し長めの髪は毛先があかくて、左腕には何かの彫物、そしてなにより鶴丸とそろいの、おうごんの瞳がきれいで瞬きすら勿体ないとおもった。彼の手が鶴丸の背に回る。ゆっくりと耳元できれいな声がした。
「もう、大丈夫だ」
嗚呼、ああ。おーくりから、おおくりから。字は何と書くのだろう。きっとその字すらうつくしいのだと鶴丸は知っている。
きみだけが、おれを。
◆
「なあ、伽羅も来るだろ? 明日いよいよ顕現するらしいぜ」
バリ、と煎餅の包装を開けながら太鼓鐘貞宗が言ったこれがアイツを意識した最初だった。思い当たる出来事は一つしか無く、大倶利伽羅は知らず眉を寄せる。
「今回は随分と早いな」
「主の霊力が最近は安定してるから、問題ないだろうってさ」
バリバリと音を立て、太鼓鐘が煎餅を齧る。主が随分気に入ってるみたいで会いたいって駄々こねて長谷部困らせてんの。面白いよなー。次々零される話はどれも知らないものだが、それは最もで。昨日から今朝にかけて遠征に出ていた大倶利伽羅が昨日鍛刀された刀の話など知るはずも無い。だからこうして余計な気を利かせ雑談混じりに大倶利伽羅の知らぬ話をあれこれと太鼓鐘が語るのはいつもの事だった。しかし。
「で、伽羅も来るよな?」
普段であれば大倶利伽羅が答えない事を否定と察して言い募りはしない太鼓鐘がこう言って来る場合。流した言葉に応えるまで、もっと言えば「行く」と言うまで粘るだろう事はもう経験として知っているので。最後の抵抗とばかりに無言を貫き、太鼓鐘と目を合わせた。太鼓鐘が満足気に笑う。
「よっしゃ! 楽しみだな、鶴さんと会えるの!」
「……馴れ合うつもりは無い」
「俺は会いたかったけどな~みっちゃんにも紹介してやりてーし」
「また五月蝿いのが増えるだけだろう」
「え~」
頬を膨らませ不満そうな顔をしたかと思えばまた煎餅を咥えて機嫌を直しているのだから呆れたものだ。不意に部屋の襖が引かれ、茶と手製の菓子を盆に乗せた燭台切光忠が「お待たせ」と微笑んだ。太鼓鐘が歓喜の声を上げる。二振りの賑やかな声を背に、大倶利伽羅は手渡された湯呑みに口をつけ目を伏せた。鶴丸国永。伊達でそれなりに永く共にあった縁はあれど、会いたいとは思わなかった。けれど、会いたくないとも。