例の夢を見た。体調を崩すと決まって見る、幼い頃の夢。
もう颯太との蟠りは解けたはずなのに、あの夢から解放されることはなかった。
アイツも俺との約束が心残りだった、約束を思い出す意志はあった。それを確認できただけで未練は失せた筈だろ。
心では分かっていても、俺自身の脳はあの記憶を呼び覚ますことを止めてくれない。
不快に思いながらべたつく首元の汗を拭う。控えめな電子音の後に取り出した体温計は、38℃を示していた。
「…本当に一人で大丈夫なのかい?エージェントに連絡した方が」
「いらねー」
静流はデカめのフェスの音響バイトに呼ばれて不在、ランスはこれから探偵の仕事で出るらしく、俺を残して全員が出払うことになった。
ガキじゃあるまいし、威張れることじゃないが体調を崩すのは慣れてる。寧ろ静かで寝るのに都合がいい。
「きちんと寝ていなきゃダメだよ」
眉を下げながら、俺の親よりもよっぽど親らしい言葉を残して扉を閉める。立っていると額の冷却シートが剥がれてくるのが鬱陶しくて、すぐにベッドに横になった。
熱に浮かされてか、見つめる天井が遠くなったり近くなったり、ゆっくりと回転したりする様を見ていると、否応なしにあの頃を思い出した。
このまま眠ればまたアイツとの夢を見ることになるのだろうか。そう考えると、時折訪れる睡魔に嫌悪感が芽生え始める。
あの夢を見るたびに、自分が未練がましいことを突き付けられるようで。
気だるい手を動かしてスマホを眺め続けてどれだけ経っただろうか、連絡ツールに通知が来ているのに気づいた。
まぁ静流かランスだろうと踏んでアプリを開くと、その予想は外れていた。
颯と表示されたメッセージ欄には、若干の長文とガキっぽい動物柄のでかいスタンプが届いている。
ランスと偶然外で出くわしたこと、そこで俺が体調を崩していることを聞いたこと、見舞いの言葉が連ねられていた。
俺のことを易々と他に話すランスもランスだが、わざわざこんなメッセージを寄こす颯太も颯太だ。別にもう関係ねーのに。
そう思いつつも、何故か鼓動が早まるのを感じて、心の中で熱のせいだと弁解する。
顔が少し熱いのも、頭がふわふわするのも、熱のせい。
何か返信しようと思いつつも、大した言葉が浮かばずキーボードの上で指を彷徨わせる。
そうしている間に、親指の爪が通話ボタンを誤タップした。咄嗟に息を飲んだ喉が間抜けな音を立てて、通話を切ろうとする指がぶれる。
『戒くん?どうしたの?』
…間に合わなかった。スマホの向こう側から聞こえる声に項垂れる。完全に事故った、やらかした、筈なのに。何でちょっと安心してんだ。
「出んのはえーよ」
『職業柄電話には素早く出るようにしてるんだよね~!で、何か用事?もしかして僕のこと恋しくなっちゃった?』
「…………」
いつもなら即座に否定してるところだった。今なら、少しぐらいなら、熱に託けて言っちまっても良い、そんな気がして。
「…そうだって言ったら」
『え』
間を置いて絞り出した言葉に、颯太の声が途切れる。こいつ今どんな顔してんだ、通話じゃ表情が分からない。
多分大して長い沈黙ではなかったんだろうが、あまりに居た堪れなくて、何か言えよと続けようとしたところでようやく颯太が返事をした。
『…嬉しいよ』
その声は柔らかくて、鼓膜を撫で付けるような声色に思わず背が震えた。
『しんどいときに僕に会いたいなって思ってくれたんでしょ?』
「……そう…とも言う」
颯太の家で二人きりの時に出すあの声で問われると、不思議と意地が張れなくなる。
十数年前のあのチビにかき乱されていることを思うと酷く情けなくて、反面それを欲している自分がいることを認めざるを得ない。
『戒くん意地っ張りなんだから、こういう時ぐらい僕にいっぱい甘えてよ』
心臓が煩い。その言葉に声で返事をすれば上擦ってしまいそうで、通話越しに頷く。当たり前のように見えちゃいないだろうが、何故か伝わっている気がした。
「…熱、下がったら、会いてえ」
『うん、待ってるね』
だったら沢山寝て早く治さないとね。ごもっともな正論を食らって名残惜しく通話を切った。無駄に緊張したせいか、途端に抗えない程強い睡魔が訪れる。
ただ、今ならあの夢を見ても、素直に受け入れられる気がした。