Can you kill me pretty ここのところ手がけていた依頼が身体より頭を駆使する仕事だったせいで、「今日のオフは何にも考えたくねえ」というのがタンジェリンの希望で、「ならダラダラするか」というのがレモンの返答だった。
タイトルも聞いたことのないようなパニックホラームービーを漫然と再生しながら、ルームウェアのまま、適当な飲み物とスナックフードを時折つまみつつ、ソファに身を預けている。外では決して見せることのない、普段のオンモードの二人とはかけ離れたくつろいだ──というより、だらけた──姿だ。
「“映画は映画館で”派じゃなかったのかよ?」
いつぞや手元のガジェットで再生しようとした時に散々こき下ろされた記憶を思い出し、タンジェリンはそんな皮肉を言う。
「そりゃケースバイケースだ。B級映画にはB級映画流の味わい方ってもんがあんだよ」
「監督が聞いたら泣くぞ」
大真面目にそう言い切るレモンに、大して同情も籠っていない口調でタンジェリンが言い返す。
画面では、予算の限界を端々に滲ませたゾンビ映画が展開されている。素材のチープさと相まって、恐怖というよりはどこか滑稽さを感じさせる。ホラー嫌いの目にはこれでも十分おぞましく映るのかもしれないが、あいにく彼らは元より常人よりも恐怖を感じない性質のため、もはや完全にコメディを見る感覚でその中途半端にグロテスクな情景を眺めていた。
「相手ゾンビなんだろ? んなとこ狙ってどーすんだよ弾が勿体ねえだろが。ったくシロートかよ」
「シロートだろ。ありゃさっき泣き喚いてた銀行員だ。週末にハンティングを楽しんでますって風でもねえし」
むしろ、スポーツ観戦に近いかもしれない。無責任な野次を飛ばしつつ、恐怖とパニックに呑まれる登場人物たちの言動に失笑したり呆れたりしている。
完全に、無為な時間だ──刺激的なことを好む彼らだったが、たまには、こういった時間が心地良くもあった。
こんな緊張感のない姿、他人には絶対に見せない。お互い、“こいつの前だからいいや”という、それは甘えにも似た安心感だ。
冒頭五分で読めていた展開通りに話は進み、主人公が『残された無事な人々を守るため、元家族だったゾンビを仕留めるかどうかの葛藤に煩悶する』という作り手的にはクライマックスなのだろうシーンに差し掛かったあたりで、ふとレモンは気づく。
やいのやいの画面に向かって一方的な文句を放っていたタンジェリンが、いつの間にかおとなしくなっている。見やると、眉間に皺を刻んで、なにやら神妙な顔つきで画面を見つめていた。
思わず、レモンは素っ頓狂な声を上げる。
「おいおい、嘘だろ。どうしたよ?」
確かに悩ましいシチュエーションではあるが、タンジェリンはこういった時に感情移入するようなタマではない。どちらかというと、色々なキャラクターを通じて人間分析をするレモンの方がまだしもその可能性はあったが、彼にしてもここまでテンプレのような予定調和の展開では、そんな気分にもならなかった。もちろん、今更スプラッタ映像ごときで動じるはずもないのだが──
「別にどうもしねえよ」
答えるタンジェリンの声にはどこか覇気がない。受け答えはしているものの、意識はどこか別のところに寄せられているかのような。
「お前が“なんも考えたくねえ”って言ったくせに、この映画のどこにそんな難しい顔する要素があった? 俺が気づかないうちに、謎解きミステリでも挟まってたか?」
「そんな上等なシナリオ書けねえだろこの脚本家にはよ」
それでも口の悪さは衰えないところは、彼らしい。
「じゃあ、なんだってんだよ? そのシケたツラは」
「人のツラに文句つけんじゃねえよ。いや──ちょっとな」
言葉尻を濁して、徐ろに煙草を咥えたタンジェリンは、今どき古風なマッチで火をつけてゆっくりとひと吸い、紫煙を吐き出す。
その煙に紛らせるように、吐息に混じえてタンジェリンは小さく呟いた。
「──お前、俺がゾンビになってお前を襲ったらどうする? 殺せるか?」
なんだそりゃ、子供じみた質問すんなよ、とレモンが返せなかったのは、いつもよりわずかに翠を濃くしたタンジェリンの青い瞳が、思いがけないほど真剣な色味を帯びていたからだ。視線は画面に向いたままだが、その目はおそらく外界を何も映していない。
「そうだな、そりゃ……」
顎から口元へと片手を当て、レモンは数秒、真面目に考える。
「まあ、殺せねえわな」
ぱっと、タンジェリンが彼の方へと顔を振り向けた。見開いた目と薄く開いた唇は、複雑な表情を形作っている。歓喜なのか、非難なのか、“何”とも呼べない、物言いたげな感情を纏わせた瞳。
「つうか、逆に聞くけどよ。お前は俺がゾンビになったら殺せるか?」
「殺せるわけねえだろうが」
即答だった。
が、それはレモンの予想の範疇でもあった。
「俺がお前を襲って、お前もゾンビにしようとしてもか?」
「望むところだ」
そうだろうな、お前ならそう言うと思った、と、レモンは声には出さず心の中だけで呟く。
「じゃあ、俺が“お前をゾンビになんてしたくねえ。もし俺がゾンビになってお前を襲うことがあったら、俺のために俺を殺してくれ”って頼んどいたとしてもか?」
「……意地の悪ィこと訊きやがる」
「そうか。俺、もしかして今ディーゼルみてえなことしちまってる?」
「お前が嫌な奴なんてこたぁ有り得ねえだろ」
また即答だ。
完全にオフの、他人の目がないこの空間で、タンジェリンは驚くほど素直だ。本人は気づいていないとしても。
そして、それに気づいているレモンは、相手の方から吹っかけてきた“if”トークに乗っかって、その本音を暴き出している。
「もしお前がそう言ったんなら──」
画面から流れ続ける安っぽい悲鳴が響くこの空間には似つかわしくないような真剣な声音で、タンジェリンは遅れて答えた。
「お前の望み通り、きっちり殺してやる。そんで俺も死ぬ」
覚悟を決めたような真摯な眼差しに見つめられ──
ぶは、とレモンが吹き出した。
「あ!? 笑ってんじゃねえよ、何笑ってんだコラざっけんなよ!」
真面目に答えたことが今更恥ずかしくなったのか、耳まで真っ赤にしてタンジェリンが食ってかかる。口だけではなく手まで出して、わりと容赦のない平手を振り回しながら。
「悪ィ悪ィ、でもよ」
二発ほど喰らって一発はやり返しながら、レモンがタンジェリンの手首を捕まえたタイミングでそう切り出す。
「そもそも、俺がゾンビに噛まれて奴らの仲間になっちまうなんてヘマする訳ねえだろ」
いつもの、自信過剰なのか本気なのか判別のつかない大言に、一瞬顔を歪めて押し黙ったタンジェリンが、今度は苦笑いをこぼす。
「……そうか。そりゃまあ、そうだ」
「だろ? くだらねえ想像してんじゃねえよ。俺もお前もゾンビになんてならねえ。だから、殺すの殺さねえの考える必要だって無えよ。そんなことに脳味噌使うヒマあんなら、今日の晩飯のことでも考えとけ。こんなもんじゃ腹膨れねえ」
と、レモンは雑に食べ散らかしつつあったスナックの袋を指す。
「お前、どさくさに紛れて俺にメシ当番押し付けようって魂胆か?」
「別に作れたぁ言ってねえぜ。外でも俺は構わねえ」
「だぁら、しれっとタカってんじゃねえよ」
文句を並べ立てながらも、タンジェリン
の顔は綻んでいる。さっきまでの険しい表情はどこへやらだ。
外では涼しい顔で息をするように平気で嘘をつく癖に、自分の前ではどうしようもなく素直な兄弟を見て、レモンも自然と表情を緩めている。
画面では、存在を忘れられた映画が、それらしい音楽と共にエンドロールを流し続けている。結局あの主人公が元家族のゾンビにどう対処したのか、主人公も餌食になったのか、その結末を二人とも見てはいなかったが、とっくにそんなものには興味の欠片もなかった。
いま問題なのは、この後、一緒にとる夕食に何をどう食べるかだ。
消えていく他人のことは関係ない。俺たちは今日もこうして生きていて、明日もその先も、生きていく。