二人なら大丈夫!(パロディ)■半間編 最終軸
『……半間……、半間……』
キィ、と音を立てて、開かずの詰所扉が僅かに開く。半間が扉に目を向けた時、扉の先に広がる暗闇から聞こえてきたのは、か細い声で半間の名を呼ぶ、稀咲の声だった。
稀咲から頼まれた敵勢力への情報工作を終え、普段使うことがない路線を乗り継ぎ、東京卍會の集会場へ向かおうとしていた半間は、乗り換え移動のために歩いていた連絡通路が、同じ景色を繰り返している事に気が付いた。
リノリウムの床に白いタイル状の壁が敷かれた、ひどく無機質な連絡通路。その一角の壁には大きな黄色い看板が掛かり、黒文字で数字が書かれていて、そしてその左に掛った小さな案内板には、この現象のルールが丁寧に提示されていた。
【異変を見逃さないこと。異変を見つけたら、すぐに引き返すこと。異変が見つからなかったら、引き返さないこと。8番出口から外に出ること。】
半間は、そのルールを冷静な頭で受け入れた。どうやら今、この世の「ジョーシキ」では計ることができない事態が起こっているらしい。
しかし半間にとって、身に降り掛かった異常は、肝が冷え、背筋が凍るような現象ではなかった。もとよりこの世は受け入れがたいほどに退屈で、とても、可怪しいのだから。それよりも、この可怪しな世界を輝かせることができる唯一の存在に、なぜ集会に遅れたのかと詰め寄られ、万が一にも失望される方がよほど怖かった。
ルールを把握した半間は、ひたすらに回数を重ね、正解とされる通路の状態を特定した。そうなれば、あとは観察するのみだ。半間はすいすいと、黄色い大看板に書かれた数字を増やしていく。「8」と表記された出口から外へ出れば、きっと脱出できるのだろう。あの案内板が、悪意を持っていなければ、だが。
半間が稀咲の声を聞いたのは、看板の数字が「7」に差し掛かった時だった。
カチャリ、と、大きな解錠音と共に、今まで何をしても開くことがなかった詰所扉が、僅かに開く。数歩ほど離れた前方で起こった異変に、引き返そうと、足を反対側に向けようとした半間は、扉の奥から聞こえた声にピタリと動きを止めた。
『半間……、どこだ……、半間……』
「…………稀咲……?」
僅かに開いた扉の向こうは真っ暗で、稀咲の姿は確認できない。しかし、確かに聞こえたそれは、稀咲の声だった。声はとても苦しげで、息が大きく乱れながらも、半間の名を呼んでいる。
半間の脳が、稀咲がこんなところに居るはずがないと叫ぶ。稀咲はきっと今頃、東京卍會の集会場で、半間が到着するのを待っているはずだ。これは、罠だ……。
半間の冷静な部分がそう判断しても、今までに聞いたことがないほどに苦しげな稀咲の声を聞いて、半間の足は、床に張り付いてしまったかのように動かなくなった。
『半間……、痛ぇ……。体が……動かねぇ……。何処にいる……』
今にも息絶えそうな稀咲の声に、半間は思わず、詰所扉に向かって一歩踏み出した。
体が痛いと言っていた。怪我をしたのだろうか。
そんなことはあり得ないと叫ぶ自分をぼんやりと認識しながら、半間はいつの間にか、浅い息をしていた。全身から嫌な汗が噴き出していた。何故だろう、妙に、この感覚を知っている気がする……。
『半間……、半間……』
稀咲が呼んでいる。オレを呼んでいる。オレは駒だから、行かないと。 ……そう、稀咲は頭が良いから、オレには想像も出来ないような作戦で、こんなところにいるのかもしれない。そして、怪我をしてしまったのかもしれない。そうかも、しれないではないか……。
半間の脳が、都合の良い理屈を組み上げていく。この詰所扉を開く理由、開いてもよいと思える理由。あと一歩進めば、詰所扉のドアノブに手が届く。その先に、稀咲が倒れていて、交差点に、……交差点……?
半間の手がドアノブに触れる直前、か細い声が半間の耳に届いた。
『半間……、助けて……』
半間は、ドアノブを掴みかけていた手を、一気に引き戻した。
これは、稀咲ではない。
稀咲はどんな時でも、助けを求めることはしない。オレに対しても、東京卍會のメンバーに対しても。稀咲は、助けて欲しければ何をどうすべきかを的確に指示するし、口が裂けたって「助けて」なんて言わない奴なのだ。そう、助けて欲しいと言うべき時だって……。
声が発した一言で、これが罠だと確信した半間は、詰所扉の先に広がる闇を一度睨んでから、道を引き返そうと後ろへ振り向いた。その時、半間は自分の背後に、一人の少年が立っている事に気がついた。
少年は、短い金の髪をヘアワックスで立て、厚い金縁の眼鏡を掛けていて、肌を褐色に焼いていた。えんじ色で裾が長い、見たことがないチームの特攻服を着ている。そして、少年の頭は割れ、片腕と片足が関節部から折れていて、そこからはおびただしい血が流れていた。
『異変が起こったら、すぐに、引き返さないとな?』
少年は、半間を見上げて、血に塗れた顔で歪に笑った。
「…………稀咲?」
半間の意識は、そこで途切れた。
■■■
■稀咲編 最終軸
「…………稀咲……?」
数メートル離れた前方に、大きな男が立っている。
強い光を放つ蛍光灯に照らされた男は、汚いスウェットとパーカーを着て、大きく目を見開いていた。その視線は稀咲を捉えて離すことは無く、そして何故か、見つめられている稀咲も、足が動かなくなった。
その姿は、自分の補佐である、東京卍會参謀補佐、半間修二にそっくりだったから。
古本屋から稀少本が入荷したと連絡が入り、遠い街へ出かけ、普段は利用しない路線を使ったのが悪かったのか。
稀咲はいつの間にか、ひどく無機質で真っ白な連絡通路を延々と歩いていた。乗り換え時に駅を変えるために入った連絡通路から、出ることが出来ないでいる。
稀咲が鳴らす靴音だけが、連絡通路にカツカツと響いていた。気分が悪くなるほど白く眩しい通路に、稀咲は、精神がジリジリと削られている事を自覚していた。
常識ではあり得ない状況だ。通りかかる人間は一人もいないし、大声を出して人を呼んでも返答は無い。しばらく座り込んで待機しても、現状が変わることはなかった。
どうやら、大きく黄色い看板の横に掛けられた案内板のルールに、従うほか無いようだった。
【異変を見逃さないこと。異変を見つけたら、すぐに引き返すこと。異変が見つからなかったら、引き返さないこと。8番出口から外に出ること。】
ふざけている、何が異変だ。稀咲はそう突っぱねたかった。しかし、異変は何度も稀咲を襲った。急変する広告看板、突然の異音、進行方向からの水流。
一度、蛍光灯が全て消えて、真っ暗になったことがある。稀咲はあまりの事態の急変に動けなくなり、しばらくすると気が遠くなって、気付けば元の明るい連絡通路に突っ伏していた。あれは一体、何だったのだろうか……。
稀咲が大きな男と相対したのは、正解とされる状況の通路を特定している最中の事だった。
その時、稀咲は俯いて歩いていた。
身体に変化は無く、問題ないが、精神が疲弊していた。常識外の現象、予測不可能な状況。そういった事態は、稀咲が苦手とする事柄だった。手が届かない範疇で、生殺与奪が操られる事態は嫌いだ。そんな状況に長く晒され、稀咲は自身の弱りっぷりに、俺はこんなにも異常事態に弱かったのかと、自嘲するほどだった。
その時、進行方向から、自分以外の足音を聞いた。
稀咲は身を硬直させた。自分以外の足音。自分以外の人間。
一瞬で、様々な想像が稀咲の脳を駆け抜けた。一体誰だ。どんな奴なのか。自分と同じ、この連絡通路に迷い込んだ人間なのか。もし攻撃性が高い人間だったなら。……そもそも、人間なのか。
稀咲は、足音が聞こえる前方をじっと睨んだ。すると、進行方向の曲がり角から、大きな男がのろのろと歩いてくるのが見えた。男は濃い藍色のスウェットとパーカーという姿で、服は薄汚く、足元は安っぽいサンダルを履いていた。男は稀咲の姿に気付くと、ピタリと動きを止め、稀咲をじっと見つめて、動かなくなった。
「…………稀咲……?」
男が、稀咲の名をポツリと呟いた。
男と同じように、稀咲も目を見開いて男を見つめていた。男の容姿は、長い手足やその長身、切れ目がちな顔つきも相まって、まるで、東京卍會で稀咲の補佐を務める、半間修二とそっくりに見えた。
……しかし、半間はこんな姿ではないと、稀咲には確信があった。まず、髪が長い。前髪は似たように金に染めているが、もし半間がヘアセットをせずに髪を下ろしたとしても、こんなに長いはずがないのだ。そして、稀咲には、男が多少なりとも歳を重ねているように見えた。稀咲が知る半間よりも、何かを憂うような雰囲気と、くたびれた印象を感じたのだ。稀咲が知る半間は、こんな印象を与える人間ではない。……別人だ。
「き、稀咲? 本当に稀咲か?」
男は、稀咲の姿をじっと見つめたかと思うと、絞り出すように声を出して問いかけた。その問いかけに、稀咲は身を引こうとしたが、足が動かなかった。男の必死な、……やっと何かを見つけたような、そんな表情に、視線が釘付けになってしまった。顔も声も、半間によく似ている。そんな男が、泣きそうな顔をして、こちらに向かって、よろよろと歩いてくる……。
「ハハ……、夢かな。またオレ、夢見てるのか? こんな場所で、稀咲に会えるなんて……」
男はくしゃりと表情を崩して、無理に笑ったような表情をした。遠くからでもよく分かる、その悲痛な表情は、稀咲の心を大きく揺らした。半間のこんな表情は、今まで見たことがない。稀咲は、男と半間が脳内で重なってしまい、自分の認識がズレて、ぼやけていく感覚がした。
男と稀咲の距離があと五歩ほどまでに近づいても、稀咲は動くことができなかった。むしろ、男が近づいて来るほどに、自分の体が鎖に縛りつけられて、動けなくなっていくかのようだった。何故動けないのか。そう自分に問いかけても、脳が返すのは、男の悲しそうで、嬉しそうな表情だけだった。男の表情から、目を逸らすことができない……。
「稀咲……、抱きしめても、いい?」
「あ……」
男はゆっくりと近づきながら、稀咲にそっと問いかけた。その言葉に初めて、稀咲の口から言葉がこぼれ出た。その言葉は意味を持たなかったし、ひどく乾いて掠れていたが、それでも男は嬉しそうに笑った。
「お……、おまえ、誰だ」
慈しむような目で見つめ返す男に、稀咲は何とか声を絞り出して、男に問いかけた。すると男は少し驚いた顔をして、けれどすぐに、ニコリと笑うと、大きな歩幅で稀咲の目の前に近付き、体と腕で稀咲の体を優しく包みこんで、抱きしめた。
「半間修二。お前の、駒だった男だよ……」
抱きしめられた稀咲は、男の温かい体温と共に、煙草の香りに包まれた。それは、半間が愛煙している銘柄の香りだった。稀咲の心が、目の前の男を、半間だと認めた。
「……半間……」
稀咲がそう呟くと、半間は何故か、いっそう強く稀咲を抱きしめた。
急激に意識が遠くなっていく。稀咲は、この半間が欲しかったものが、与えられると良いなと思った。
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■おまけ 天竺加入後
「おい、0に戻ったじゃねーか!」
「えー、オレのせい?」
稀咲は、大きな黄色い看板に書かれた「0」の文字を見て、溜息をついた。
妙な事態に巻き込まれた。
稀咲と半間は、駅から移動するために連絡通路に入ったのだが、いつまでも出口にたどり着くことができなくなった。延々と無機質な通路が続いて、時折「異変」が起こる。案内板によれば、【異変を見逃さないこと。異変を見つけたら、すぐに引き返すこと。異変が見つからなかったら、引き返さないこと。8番出口から外に出ること。】というルールらしい。
「意味わかんねぇ……」
「ばはっ、違いねぇ」
稀咲がげんなりとした様子で愚痴れば、半間が愉快そうに笑った。稀咲は、半間が恐怖現象を怖がるタイプではないと考えていたが、ここまで恐れ知らずだとは思っていなかった。
いや、歌舞伎町で生きてきた半間に言わせれば、どんな怪異よりも人間の方が怖い、という事かもしれない……。稀咲はそう考えながら、少しずれた眼鏡を中指で引き上げて掛け直した。正解とされる部屋の構造は、完璧に覚えた。あとは予測不可能な怪異からどう逃げるかだが……、
「壁から出てきた奴、殴ったら吹っ飛んだなァ」
「…………」
怪奇現象って、実体があるのか。稀咲はそう考えながら、あまりの馬鹿らしさに思考を放棄したくなった。
確かに、壁のタイルと同化した妙な人間が走ってきた時、稀咲が逃げる前に半間が向かって行って、半間は走った勢いのまま、その人間を殴り倒した。唖然とする稀咲の前で、妙な人間は溶けるように消えていった。……そのせいで、カウントが0に戻ったのだが……。
「……とにかく、やり直しだ。さっさとここから出るぞ。イザナに文句を言われたら面倒だ……」
「りょーかい。まあ、妙なことはオレに任せて、あとは稀咲が頑張るってことで」
「……お前に言われるのは癪だが、その通りだ。テメーに間違い探しを求めちゃいねぇよ。異変が起こったら引き返すんだぞ、もう戦うな」
「オレ、間違い探し、結構得意だけどな? ま、ヨロシク~」
ひらひらと片手を振って、半間が笑った。フン、と稀咲は鼻をならして、行くぞ半間、と声をかける。カツカツと足音を立てて歩く稀咲の後ろを、のんびりとした様子の半間がついて行く。
「おもしれーなぁ、稀咲ィ」
「俺は面白くもなんともねぇよ……」
相変わらず脳天気な半間に稀咲が言い返せば、半間はやはり愉快そうにして、喉を鳴らして笑った。
■補足
半間と稀咲、それぞれに現れた「異常」こと、別軸の稀咲と半間は、8番出口という怪異が別軸からデータだけを引っ張り出してきた、影のようなものです。
8番出口は、連絡通路に彼らを閉じ込めるために、数多くの妨害をしてきます。
8番出口が、「半間・稀咲を閉じ込めるためには何をしたらいいか」を分析して、発生させた影……というイメージでした。
二人でなら楽しく楽々攻略! という願いとハッピーを込めて、おまけを添えました。
読んでいただき、ありがとうございました!